第23話
そして帰宅後、出迎えてくれたヴィクターに思い切りしかめっ面をされた可紗は、思わず肩を跳ねさせる。
「……学校で、なにがあったか聞かせてもらおう。だがその前に着替えて手を洗ってこい、おれは茶の支度を済ませてくる」
「は、はあーい……」
「返事ははっきりと!」
「はい!」
すっかり主婦業を担うようになったヴィクターの背を見送って、可紗は大きなため息を吐き出した。
フリルエプロンが似合う執事はどうなのだと口の中で文句を言いつつも、似合っているのだから面と向かって言うつもりはない。
(そりゃまあ、なんとかとりあえず説得の方向でとは思ってたし二人もそれがいいって言ってくれたけど、まさか命を奪う呪いをもらって帰ってくるとは思わなかっただろうね……)
着替えて手を洗い、リビングに向かった可紗をジルニトラは笑顔で出迎えてくれた。
特にヴィクターのように厳しい目を向けるでもなく、いつも通りのその姿に可紗は安心感を覚える。
「ただいま、ジルさん」
「おかえり、可愛いアタシの可紗。さあ、今日の出来事を教えてちょうだい」
ジルニトラはいつだって愛情表現を欠かさない。
可紗はそれになかなか慣れることができなくて毎回照れてしまうが、嬉しくて笑みを浮かべた。
ヴィクターが淹れてくれたお茶を飲みつつ、可紗は学校での出来事を話す。
転校生で、デンマーク人の父を持つウルリカという同級生が、どうやらその父親から呪いの手順を〝恋のおまじない〟として教わったこと、そして人魚の血を引いているらしいこと。
それえから、彼女は一蓮托生だとばかりに可紗に眠りの呪いをかけてきて、それが左手首にあるのだということを説明した。
「なるほどねえ……人魚とはまた珍しい」
「そうなんですか?」
「ええ、最近じゃあめっきり数が減っちまったからねえ。まあ、折角だから可紗にも呪いについて少し教えてあげようか」
ジルニトラの説明によると、呪いというのは手順を踏めば誰でも行えるというのが利点ではあるが、効果が大きいものほど代償が必要になる。
だから普通の人間にも行えるのだということだった。
代償を必要とせずに大きな効果を得ようとすると熟練の技や膨大な魔力を必要とするらしいと可紗は理解した。
魔力の代わりに生贄や、生命力が代用できるともジルニトラは言っていたが、そこは詳しく語ることもなかったので可紗も聞かない。
「ただ、物事にはなんにでも例外ってやつがあってね。人ならざる者の種族によっては呪いに特化したヤツらがいるのさ」
「例外……」
「動物に関するヤツらはそれらがお得意だねえ。まあ、他にも大勢いるんだが……人魚もそうさ。特に恋愛事に関しちゃ一途すぎて厄介なところがあるんだけど……」
「ああ、わかる気がする……」
ウルリカの様子からも、一途すぎて暴走しているのはありありとわかる。
それに巻き込まれることとなった可紗は、寄り道せずに帰ればこんなことにはならなかったのにと反省するばかりだった。
「お前さんの呪い自体はどうにかできるけどねえ。ただ、可紗の呪いを解くと跳ね返りがその子にいっちまうけど大丈夫かい?」
「ええ!? そ、それは……ええと、ちなみに、どんなふうに……」
「まあ、できる限り穏便にはしてあげるつもりだけど。そうじゃなきゃ、その人魚の子をここに連れてきてくれるのが一番いいかしらねえ。そっちの呪いをどうにかしちまったほうが手っ取り早そうだ」
具体的に答えてもらえないことが怖いが、どうやら教えてもらえないようだった。
それでも、優しく諭すようなジルニトラの言葉に、可紗も頷く。
ウルリカ本人の呪いをジルニトラに解いてもらえば、物騒なことをせずに万事が解決するではないか。
だが今日のあの様子で、ウルリカが素直に可紗についてきてくれるかが問題だった。
(明石さんの恋を応援するからとか言ってみる? いやいや、無理だ……それこそ振り回される未来しか見えない!)
ならどうやって彼女をここに連れてくるのか。
いっそのこと、ジルニトラに学校まで足を運んでもらうのはどうだろうか。さすがにそれは申し訳なさ過ぎると可紗は首をぶんぶんと左右に振った。
そんな彼女の様子に呆れるヴィクターと笑うジルニトラではあったが、ふとジルニトラは可紗に手を伸ばした。
「おや……お前さん、人魚の子以外にも人ならざる者に会ったのかい?」
「えっ。わ、わかるんですか!」
「まあ、なんとなくだけど。うっすら、お前さんを案じる念が残ってる」
「…………」
可紗の脳裏に浮かんだのは、一人だけ。
心配してくれた、その感情にぶわりと頬が熱を持った。
「おやおや」
「今夜はポトフにするか」
「カラヴァイも焼いとくれ」
「日本風に赤飯も炊くかい?」
「それもいいかもしれないねえ」
「なにを言われてるかわかりませんけど、そんなんじゃありませんからね!」
二人が微笑ましいといわんばかりの表情で可紗を見てくるものだから、彼女は大きく身振り手振りを交えて否定する。
だが否定すればするほど、それが彼女の淡い恋心を示しているようでより一層微笑ましく、保護者たちは笑みを深めるばかりであった。
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