第12話
可紗が次に目を覚ましたとき、彼女は制服姿のままベッドに寝かされていた。
慌てて体を起こしたが怪我など一つも残っていない。
ベッド脇のサイドテーブルの上に彼女の宝物であるリボンと、忘れたはずのスマホが置かれている。
それらを目にした途端、ぼんやりとしていた意識が明確になり、昨晩の記憶が蘇った。
「……あれは、夢じゃ、なかった……?」
思い出して、ぶるりと体が震える。
可紗は、思わず自分の腕をさすりながらベッドから下りて鏡の中の自分を見た。
(泣いた跡)
バイトから帰るときに疲れて眠ってしまったから、ヴィクターがそのまま部屋に運んでくれたに違いない。可紗はそう思った。
実父が犯罪行為をしていた現場に立ち会ったとか、リボンが燃やされかけただとか、ヴィクターが化け物と呼ばれたり、その場にいなかったはずのジルニトラが現れて魔法を使っただなんて……現実的にはあり得ない。
だから、夢だったんだ。きっと恐ろしい夢を見たのだと可紗は思いたかった。
しかし、これは現実だと涙の跡が訴える。
可紗はリボンをぎゅっと握りしめた。
そしてそのまま恐る恐る階下に向かえば、リビングで常と変わらぬ様子のジルニトラが穏やかに紅茶を飲んでいる姿が見えた。
可紗の姿を見つけて優しく微笑む姿は、昨晩の光景を彷彿とさせる。
「おはよう、可紗」
「……おはよう、ございます」
「あらあら、制服のままとかヴィクターったらレディの扱いがなってないねえ……朝食の準備をさせておくから、着替えて顔を洗ってらっしゃい」
「は、はい……」
あまりにも〝いつも通り〟過ぎて可紗は拍子抜けした。あれがもし夢でなかったならばと悩んでいたというのに、やはり夢だったのだろうかと彼女が首を傾げたところで、可紗の後ろからジルニトラが声をかけた。
「夢にしたいのか、事実を知りたいのか。お前さんには選択肢がある」
「えっ」
「着替えながら、考えなさい。決めたなら、降りておいで」
柔らかい声だった。
だが、質問することができないくらい強い声にも聞こえて、可紗は振り向くことができなかった。
(……私が、決める? なにを? 事実を聞くって、事実ってなに?)
部屋に戻って、クローゼットを開ける。
生活し始めて綺麗に整えられたクローゼットの中には、この家に越してくる前に持っていた服や、母親の残した衣類で可紗でも着られそうな物がある。
そして、ジルニトラが買い与えてくれた品々も。
(聞いたら、この生活は終わる?)
それはいやだった。
この穏やかな日々を手放したいだなんて、思わない。
だが、聞かないことで意気地なしだとジルニトラたちに思われるのもいやだった。
可紗はクローゼットの中を眺めたままぼんやりとしてから、ふるふると首を振った。
それから気合いを入れるように自分の両頬を叩いて、ジーンズとタートルネックのカットソーを掴み出し急いで着替え、走らない程度に急いで階段を下りる。
すると、まるでそれを予測していたかのように、できたてのフレンチトーストとサラダ、それにカフェラテがヴィクターの手によってテーブルに並べられた。
「おはようございます、ヴィクターさん。あれ? ジルニトラさんは……さっき、話をするって言ってたのに」
「おはよう、可紗。ジルニトラは今少し離れているだけですぐに戻る」
「ありがとうございます。ん……? あれ、今なんだか……」
なにかが違う、そう可紗は首を傾げた。目の前にいるのは、いつもと変わらないヴィクターの姿。
だが可紗は確実に違和感があった。
「――あっ!」
そしてそれに思い当たって、可紗は思わず大きな声をあげた。
名前を呼ばれた、その事実に気づいたのだ。
今まで彼は可紗のことを『マドモアゼル』と呼んでいたはずだ。
昨晩は名前を呼んでくれていたが、それは緊急事態だったからだろうと可紗は考える。
それならば、なぜ。
可紗は目を瞬かせてヴィクターを見つめる。
「朝から熱烈な視線だが、まずは顔を洗って食事をするといい」
「い、今、ヴィクターさん、私の名前……」
「これから勇気ある選択をする人物に対し、敬意を払いその名を呼ぶのはいけないことか? さあ、料理が冷める前に戻ってくるといい」
ふわりと微笑まれて可紗はさっと顔を赤らめた。
ヴィクターの美貌には大分慣れたが、普段はそこまで笑みを見せない男の微笑みは効果抜群なのだ。
可紗は慌てて洗面所に行き、火照った頬を冷たい水で冷ますようにして顔を洗ってからリビングへと戻った。
その頃にはジルニトラも戻っており、にこやかに出迎えてくれて可紗もほっとして席に着く。
「……食べながらですか、それとも、食べてから?」
「食べてからの方がいいんじゃないかしらね。……その様子だと、どうするかもう決断したのかしら」
「はい」
ジルニトラの問いかけに、可紗は顔を上げる。
そして、真っ直ぐに視線を向けてきっぱりと答えた。
可紗のその姿を見て、ジルニトラは柔らかく笑みを浮かべる。
「そう……どうするのか、先に聞いておきましょうか」
「事実を知りたいです」
「迷わないのねえ」
けれどそれはジルニトラにとって、想定通りだったのだろうか。
嬉しそうな笑みはそのままに、そっと目を伏せて紅茶の香りを楽しんでいるようだった。
「わかった。きちんと話をさせてもらうから、今はその朝食を召し上がれ」
「はい」
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