第6話

(……おかえりって言われたの、久しぶりかも)

 

 母親は仕事をしていたから、その言葉を言うのはいつだって可紗だった。

 だからだろうか、他愛ないそれがひどく、嬉しいと感じて泣きそうになる。


 ジルニトラはもう一度「おかえり」と言って可紗を抱きしめた。

 まるでそれが、彼女のことを大切に思っていると伝えてきているようで彼女は思わず泣きそうになる。

 

(まだ、出会ったばかりなのに)

 

 ほんの二日三日一緒にいただけで、こんなにも縋りついてその腕の中で泣きたくなるのは何故なのだろうと可紗も思う。

 だが、不思議とジルニトラという女性を見ていると母を思い出すのだ。

 

 母の思い出を共有できて、自分を愛してくれる名付け親という存在だからかもしれないと思うが、それも違うのかもしれない。

 

 恐ろしい出来事を経験した後だから、助けてくれた上に頼っていいと言われて傾倒しただけかもしれない。

 

 そこについては可紗自身、まだ答えも出そうになかった。

 

「……ただいま、です。ジルニトラさん……」

 

 一種の線引きのようなものだったのだろう。

 ジルニトラもそれは理解しているのか、優しく微笑んで可紗の背をそっと押して中に入るように促した。

 

 靴を脱いで、用意されていたスリッパに履き替える。

 

「可紗の部屋は二階にしたわ。アタシの部屋が隣」

 

「は、はい」

 

「ヴィクターは下の階だから安心してちょうだい」

 

「は、はい……」

 

 そういえばヴィクターはジルニトラの執事だということを思い出し、一つ屋根で暮らすのかと思うとなんとも奇妙な感じがした。

 

(や、でも下宿とか、ホームステイ的な感じってこと、だよね……? それともあれかな、ルームシェア……? でも私はお金出せるわけじゃないし……)

 

 それは可紗の中のイメージだったけれども、当たらずとも遠からずといったところだろうか。

 少なくとも、この家の中で暮らすのは、全員が血縁者ではないという奇妙な関係なのだから。

 

「ここが可紗の部屋。足りない物はないと思うけれどあったら遠慮なく言ってちょうだいね。……勝手にアパートを引き払ってきたことは申し訳なく思っているけれど、早めに越した方がお前さんも安心かと思ってね」

 

「いえ、あの。はい。ありがとうございます……」

 

 可紗は与えらた自室に目がくらむ思いだった。

 スケールが違いすぎる、それが第一印象と言ったところだろうか。


  可紗たちが暮らしていたアパートのリビングにあたる部屋よりも広いのではと思うような部屋に、シンプルながら可愛らしいベッド、立派な本棚、それから勉強机が見える。

 それ以外にはいくつもの段ボール箱が整然と並んでいて、ただただ呆然とするばかりだ。

 

「勝手に荷ほどきは失礼かと思って触れていないわ。ああ、あの子の位牌と……仏壇は設置させてもらったから、間違いがないか確認してくれるかしら?」

 

「は、はい」

 

「……あの子の服も、一緒に入っているわ。本当に、突然の別れだったのね……」

 

 ジルニトラが言うあの子が誰を指し示すのか、可紗も理解できた。

 美しいエメラルドグリーンの瞳が寂しげに揺れるのが見えて可紗もまた泣きそうな気持ちになったのを、ぐっと俯いて堪える。

 

「クローゼットにはアタシからの贈り物も入れておいたから、着替えて降りていらっしゃい。今後のことを話しましょう」

 

「は、はい、わかりました!」

 

「いいお返事だこと」

 

 くすくす笑いながら階段を下りていくジルニトラを見送って、可紗は改めて自分の部屋に戻った。

 なにもかもが、真新しいにおいがする。

 

(……本当に、ジルニトラさんは魔法使いなのかもしれない)

 

 可紗は、荷物を床に置いてベッドにダイブする。

 

 ふかふかで、温かい。

 これが自分の部屋なのだと思うと、可紗は胸がいっぱいになったのだった。

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