第二十七話 獣性に溺れる男
憮然としてしまい、その場から動くことができない。その凄惨な死に様ゆえか。否、それだけではなかった。
そんな折、ヴァラガンの肩口を銃弾が掠める。続いて訪れた鋭い痛みが、微睡む意識を現実に引き戻した。顔を上げたヴァラガンは背後からガントレットに押されて、巨大な換気扇の裏に転がり込む。突然のことに床のナイフを手に取る暇もなかったが、身を守るのが先決。前方からの銃声は激しさを増している。どうやら、まだ
「女を先に殺れ! 島猿の方は見かけ倒しだ!」
時折、向こうからの流れ弾が江の亡骸に当たって湿った音をたてるが、ガントレットに至ることはなかった。数分もしないうちに、場は制圧されて静寂を取り戻す。
あとは王を生け捕りにして、ケインズに身柄を引き渡すのみ。襲撃開始前に連絡を入れたので、もうすぐ到着する頃だ。王は排気ダクトの裏に身を潜め、微動だにしない。膠着状態が続く中、ガントレットは俯くヴァラガンを横目に前進して王との距離を詰める。しかし、数歩進んだところで突然体勢を崩し、床に手をついた。
「ガントレットさん?」
立ち眩みのような挙動を目にして、イーガンは物陰から不安げに顔を出す。ガントレットは床に落とした大型拳銃を拾おうとするも、上手く掴めない。これを好機とみたのか、王は身を乗り出して拳銃を発砲する。その光景にヴァラガンは既視感を覚えた。
ガントレットの姿が、期せずして江と重なったのだ。ヴァラガンは居ても立っても居られず、射線に割り込む。銃弾はまたもや側頭部をなぞり、鉄の香りが鼻腔に押し寄せる。
「おい、どうした!」
「……頭痛が。それも、いつもより」
換気扇の裏に退避してすぐに、顔半分を血に染めたヴァラガンに問われ、ガントレットは震えた声で返す。尤も、それはヴァラガンの形相に臆してのことではない。それほどまでに頭痛が深刻なのだ。目元を隠す髪を左右に除けてやれば、苦悶の表情が露わになった。
「喧嘩を売っておいてこれか? 失望させんなよ!」
そんな様子を尻目に、王は水を得た魚のように息巻く。王の拳銃の残弾数は不明だが、こちらに打つ手がないことは明白。床に転がるナイフも大型拳銃も、取りに行く余裕はない。血を失うにつれて、視界のざらつきが増していく。側頭部の傷は今になって痛みを訴え始め、また記憶の残滓がヴァラガンの脳裏に甦る。
——年端もいかない子どもを殺すことが、我々の仕事ですか!
誰かの声が聞こえる。誰か。否、よく知った声だ。
——君に意志など求めていないのだよ、村門君。
脳裏に反響する銃声。それが現実のものと重なった瞬間、肩に激痛が走る。
「馬鹿が! その図体で隠れられるとでも?」
気づけば王は遮蔽物にした換気扇の後方、目と鼻の先にまで迫っていた。立て続けに肩口に被弾してヴァラガンが呻き声を漏らしている隙に、王はさらに近づいて拳銃の引き金を絞る。正面から向く銃口。ヴァラガンは、そこに宿る慢心を見逃さなかった。
引き金に力が込められた瞬間を見計らって拳銃の先を掴み、銃撃を逸らす。間合いは既にヴァラガンのもの。接近は王にとって悪手でしかなかったのだ。致命の一撃を回避したあと、ヴァラガンは王の手から拳銃を引き剥がす。その際、邪魔な指を数本へし折った。
「てめえ、クソガキが調子に乗ってんじゃねえぞ!」
王は激昂して口汚く吠えるが、無視して膝関節に蹴りを入れる。関節はあらぬ方向に曲がり、王は床に頽れる。そこに追い打ちをかけるように、ヴァラガンは顔に拳を振るう。戦意喪失の王の顔は無慈悲なまでの打撃によって変形し、
「や、やめて! もう」
「黙れ、邪魔をするな!」
制止しようとするイーガンを怒鳴りつけるヴァラガン。だが、涙ぐむイーガンを見て思わず呆気にとられた。その瞳に、今の自身はどう映っているのだろうか。理性を失くした獣か、はたまた義憤に燃える男か。どちらであれ、今のヴァラガンは王となにも変わらなかった。獣性に操られる人間。ヴァラガンは振り上げた拳をゆっくりと下ろす。
「……動くな!」
同時に聞こえてきた叫びに振り向けば、勝手口の階段の最上段には私服姿のケインズが立っていた。血の気の引いた浅黒い顔。突入の機会を窺っていたのか、その顔には一部始終を見ていた、と書いていた。ヴァラガンはその場に座り込み、ケインズを見上げる。
「約束通り、王の身柄だ。死んではいない」
「それよりもラッキーマン、傷は」
息も絶え絶えの王を一瞥したあと、ケインズはヴァラガンに目を向ける。誰がどう見ても、満身創痍の様子。ヴァラガンは黒髪を掻き上げ、小さく肯く。
「肩と頭に被弾。肋骨にヒビ。くたばり損ねたな」
自由の代償。それは決して安いものではなかった。なにかを得るために、なにかを失う。かくしてヴァラガンたちは死の運命から逃れ、明日への道を手に入れた。折り重なる死の上に立つ生。喪失と微かな希望が慈雨に浸っていく。
「強く降ってきた。早く行け」
ヴァラガンはケインズに肩を貸されて、勝手口へと進む。そのうしろをガントレットは頭を押さえながら、イーガンとともに追従する。頭痛はひどくなる一方のようだ。
そのとき、勝手口の扉が開く音が聞こえた。騒ぎを聞きつけて、入居者が出てきたのか。どう取り繕うかヴァラガンは頭を捻るが、階段を上がってきた人物を前に思考が止まる。
「これはケインズ警部補。
からかうように声を弾ませるのはエストック。クラブでの仕事の前に見た、路上で平然と被疑者を殺した外勤処理班の女だ。その周りでは、数人の外勤処理班の面子が陣形を組んでいた。ヘルメットからフェイスマスク、防弾ベストに現行の自動小銃。それらすべてを黒で統一した姿は特殊部隊さながらである。
なぜ、連中が嗅ぎつけてきたのか。疲労と痛みに考えが上手くまとまらない。ヴァラガンは突発的な怒りに任せて、ケインズを両手で弾き飛ばす。
「お前の仕業か。ハメやがったな」
「違う、俺は知らない!」
水たまりに尻をついたケインズは、雨に濡れた眼鏡越しにヴァラガンを睨み返す。そんな中、エストックは薄ら笑いを浮かべて、ベージュのウルフヘアを左右に
「利用して悪いね、正義漢のケインズ警部補。市警はうちの傀儡だから、行動履歴は筒抜けなんだよ。まあ、この場所がわかったのは他にも理由があるけど」
さて、とエストックは前に一歩踏み出す。
「ヴァラガン・ラッキーマン。我々と同行願おうか」
「延命管理局の狂犬どもが」
悠然と構えるエストックに、ヴァラガンは怪訝な目を向ける。
「どうして俺に構う。俺の記憶と関係あるのか?」
「まあね。ついでに、その女も連行したいな。こっち向いてよ、ガントレット」
不意にガントレットを呼ぶエストック。面識があるのかとヴァラガンは振り返るが、ガントレットは床に倒れ込んで、もはや口の利ける状態ではなかった。
「折角の姉妹の再会なのに顔も上げられないか。群発性頭痛の共鳴って、誰が得するサイバー・インプラントなんだろうね。こっちまで頭が割れそう」
なおも床に這いつくばるガントレットに、エストックは肩を竦める。そうして視線を宙に泳がせたあと、思い出したように口を開いた。
「そうだ、芝居はもういいよ」
途端にヴァラガンは、背後から押されたような衝撃を受ける。そちらに目をやれば、イーガンの姿が。その手にはスクラップ置き場で渡した、バタフライナイフが握られている。柄の部分は指が白くなるほど強く握りしめられ、刃は深々と自身の腰に埋まっていた。
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