039 退行
「えーと、じゃあ、お前は俺の甥ってことになんの?」
「そうだよ」
「え、俺、伯父さん?」
高校生のオレでも、退行、という単語はなんとなく知っていました。まさしくそれを、引き起こしてしまったのだと思い、背筋が寒くなりました。
「……名前は?」
オレは本名を言いました。
「いかつい名前……それどっちが付けたの?」
「父さんって聞いてる」
「漢字は?」
「えーと……」
口で漢字を説明しました。
「画数多いな?」
確かに、毛筆で名前書くの苦手になったし、一発で漢字変換できないからちょっと面倒だし、とかなんとかそのとき考えていたのは、ちょっと現実逃避も入っていたんでしょう。
「貴斗の奴、自分がナヨナヨしてるからって、そんな強そうな名前つけたんだな? 絶対そうだよー」
子供の勝也は、そうやって、いたずらっぽく笑いました。大人の勝也は、一体どこへ行ってしまったんでしょうか?
それから、今の状況について説明したんですが、どんなことを話したのか、まるで覚えていないんです。きっと、焦っていたんでしょう。
「マジか。じゃあ、記憶、飛んでるってことか」
「う、うん」
彼はそういう理解をしてしまいました。正確には違うのですが、訂正もできず。もう、これはオレの手に負えなくなった。父さんでも母さんでもいい、誰かを呼ばなきゃ。
しかし、彼はなぜかはしゃぎだしました。
「え、じゃあここ、俺の部屋!? 広っ!」
「……そうかな」
「もちろん一人暮らしだよな?」
「うん」
「よっしゃー!」
彼は、元気よくガッツポーズをしました。
「もうさー、いい加減高校生にもなって妹と一緒の部屋とか、嫌だったんだよなー! 自由だー!」
そういうことでした。
それから彼は、ベッドを飛び出し、自分の家を探検し始めました。すげぇ、すげぇ、と、それしか口にしません。クソガキが走り回ってはしゃいでいます。さすがに鏡を見た時は、うげーと声を漏らしていましたが。
そして、例の部屋に行こうとしたので、止めましたが、間に合いませんでした。彼はクローゼットを、開けてしまっていました。
「まあ、俺、一生童貞なんだろ? そりゃーこうなるわな」
中を見た彼は、恥ずかしそうに笑いました。そう、彼は、過去視が制御できるようになるとはまだ知らないのです。
どこから彼に説明すればいいのか。オレは思い詰めていました。さすがに彼も、はしゃぎすぎたと思ったようです。
「あ、そっか。甥っ子からしたら、伯父さんが奇行に走ってるのか」
「うーんと……」
「もしかして、父さんと母さん、もう死んでる?」
もちろん、祖父母のことでした。
「うん」
「そっか」
彼が目覚めたとき、オレは貴斗と絵理子の子供だと彼に説明していたのです。なので、自分の両親が今どうなっているのか、彼はこのとき初めて知ったのです。
「まあ、貴斗が絵理子をもらってくれたってことは、あいつが全部やってくれたんだろ?」
もちろん違います。祖父母の始末は伯父がつけました。
「いや、それは」
「ん? あ、そっか、お前がいくつのときに死んだの?」
「祖父母は、オレの小学生のときに、二人とも」
「じゃーよくわかんないのか。そうだよな」
ここで、彼は頭がこんがらがってきたようです。
「っていうか、お前のこと何て呼べばいいんだろう。俺も伯父さんって呼ばれるのはなんか嫌だし。俺、自分ではまだ高一だと思ってんだけど、お前は?」
「高二だよ」
「先輩じゃん」
「気持ちの上ではそうだろうね」
「じゃあ、俺のこと呼び捨てでいいよ。俺、優貴先輩って呼ぶから」
さらにややこしいことになってきました。しかし、こんなことを引き起こした原因は、オレです。こうなったら、オレは先輩としてふるまわなければなりません。
「じゃあ、勝也。先輩の話、落ち着いて聞いてくれる?」
「うん!」
「えーと、まず、一つ目。オレには、触っても大丈夫」
オレは勝也の手を取りました。
「どういうこと……?」
「えーと、説明するから、何か飲む?」
そうしてオレは、勝也をテーブルに座らせ、冷蔵庫を開けて、紙パックのブラックコーヒーを取り出しました。
「え、コーヒー?」
「……飲めないってこと?」
「あ、今の俺は飲めてるのか」
「うん、毎日一リットルくらい飲んでると思う」
「マジで?」
どうしましょう。こんな感じで、いちいち話が進まないのです。
勝也に自分の冷蔵庫を物色させたところ、ジンジャーエールを選んだので、それを飲ませながら、まずは過去視の説明を始めました。
「あのさ。オレも、勝也と同じで、他人の過去が視える。それで、過去が視える者同士は、触れ合っても、過去が視えない」
「うん」
「それで、伯父さん……大人の勝也が言ってたことなんだけど、二十歳くらいになると、自然に制御できるようになるんだって」
「あ、そうなの? マジで?」
「まあ、オレもその感覚わかんないんだけど」
「だよな」
「だから、勝也は……」
「あーもう良いって。言わなくてもいいよ。結局今の俺が一人暮らししてて、甥っ子呼んでぐだぐだしてるって、そういうことだろ?」
「少なくとも童貞ではないよ?」
「あっマジ? でも今独身なんでしょ?」
「あー、それはさ」
「言わないで、悲しくなりそう」
「うん」
「知りたくない」
「うん」
「お願い、優貴先輩。もうさ、何も、説明しないで。俺、本当のこと知りたくない」
「わかった」
オレは、勝也の頼みを、聞きました。
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