027 朝食


 伯父はようやく、スティックパンの袋を開けました。

 そして、まずはこんなことを言い始めました。


「四月六日のこと、お前は覚えていないだろうけど、俺はよく覚えてる。そのときお前は三歳。前日から俺が預かってて、今と同じように、朝食にスティックパン与えてた」


 伯父は、遠い、遠い目をしていました。オレも遠くへ行きたくなりました。監禁されてるけど。

 いやぁ、デジャヴってまさにこの事だなぁって思いました。ほとんど同じような言い回しで、八月三日について語られましたから。


「はい、どうぞ」

「伯父さん……ありがとう……」


 ようやくスティックパンを一本、手渡して貰えました。ここまで長かった……。まさか。具体的な日付まで出して、オレとの思い出を語ってくれるとは。長かったです、本当に。

 今後、朝食は毎回これなんでしょうか?

 そして、伯父がジロジロとオレの様子を見てくるので、居心地の悪さを感じながらも、スティックパンを一口かじりました。

 すると、伯父も袋からもう一本取り出し、自分も一口食べました。伯父もお腹が空いていたんだと思いました。

 あれだけ待たされたんです。スティックパンって、さぞかし美味しく思えるんだろうなぁと、期待しましたが……甘くてボソボソしてて、高校生のオレには正直、等と考えていたときでした。


「なあ、今はもう、怒らないのか?」

「え、怒らないって……何が?」

「俺、パン食べただろ?」

「伯父さんもお腹空いてたんでしょう?」


 さっきから、伯父の言いたいことの意味が全く掴めません。


「三歳のときのお前さー、俺が勝手に食べたってめちゃくちゃ怒ったんだよ。その後号泣して、ごにゃごにゃ言って俺のこと責めてきた」

「ええ……」


 知らんがな。

 監禁調教中でなければ、そう言いたかったです。

 言えないので、伯父がごにゃごにゃ昔話をするのを大人しく聞きます。


「よくよく聞いたら、俺がかじったのと同じ分だけ、自分に分けてよこせ、みたいなこと言うんだよ。俺さ、もうそれが嬉しくて嬉しくて、こっちまで涙出てきて」

「う、うん?」

「お前、言葉出るの遅い方でさ。ここまでしっかり、自分の意志を言葉で伝えてきたことって、その朝が初めてだったんだ」


 そういえば、母に聞いたことがあります。オレは発達がゆっくりしていて、歩いたり喋ったりするのが遅かったそうです。まあ、今はこの通り、身長はデカいし減らず口を叩いてばかりですが。

 母にとっては、初めての育児だったので、不安は大きかったみたいです。それは、伯父も同じようでした。


「えっと……伯父さん、勝手にかじった分、オレにちょうだい?」


 こう言えば、いいのでしょうか。今の伯父に、泣かれても困りますし。

 すると、正解だったようで、伯父は一口分だけ、自分のパンをちぎり、オレの口に放り込もうとしてくれました。そして。


「はい、あーん」


 なんかもう、伯父が幸せそうなら、それでいいと思いました。えへへ、オレも幸せでした。

 そして、今度は伯父が、要求してきました。


「お前、さっき一口かじったろ。その分、俺によこせ」


 三歳のオレのせいで、こんなことになったんです。前後や因果関係がどうとか、細かいことは考えず、言われる通りにしようと思いました。


「はい、あーん」


 三十代男性の口に、ガキならみんな大好きな、甘くてボソボソしたスティックパンをちぎって放り込みました。


「じゃあ、はい」


 そして、伯父がまた、自分のパンをちぎって……。


「え、伯父さん?」

「ああ、違う、間違えた。あの日はさ、お前からちぎって、もう二人ともごちそうさまするまで、食べさせ合ったんだよ」

「えっと、じゃあ、次はオレからちぎるのね!?」

「そうそう! よくわかってるじゃん、賢いなあ」


 まあいっか。とても幸せなやりとりでした。オレと伯父は、互いに見つめ合い、パンをしっかり咀嚼したかどうか確かめ、またちぎり、といったことを繰り返しました。

 袋の残りが、五本になったところで、「ごちそうさま」にすることにしました。


「すっげー喉乾くな。……あ、お前にこれやるの忘れてた。牛乳大丈夫だよな?」

「うん、大丈夫。それも好きだよ」


 伯父は、プラスチックのカップに入った、アイスのカフェラテを買ってくれていました。一つだけのようでした。伯父はストローを差して、まず自分が一口吸いました。


「ん、飲めよ」


 そして、そのまま、そのストローの先を、オレの口に向けました。オレは咄嗟にストローをくわえました。カップは伯父が持ったまま。このまま飲めということみたいです。

 スティックパンって、口がパサパサになりますね。カフェラテくらいが、確かに丁度いいです。


「そんなに嬉しいの?」

「うん、嬉しい」


 きっと伯父は、何の意識もしていないんでしょう。間接キスをしたことに、デレデレしているのはオレだけでした。


「俺も嬉しいよ。あの時のお前、まだ三歳だったのに、他人を許すことができたんだからな。しかも、言葉を使って、対等なやり取りを要求した。俺さ、子供の事、なめてたなって思ったよ。こいつはもう、一人前の男になってるのに、俺がいつまでも赤ちゃん扱いしてたことに、その日やっと気付いたんだ」

「……どういうこと?」


 間接キスの話はしていない、ということくらいしか分かりませんでした。


「おっ、素直な気持ち、言えるようになってきたじゃん?」

「だから、全然何のことだかオレにはわかんないんだって」

「わかんない、ってことを、わかんないって言えるのは、賢い子だよ」


 賢い、と言われると、ちょっと抵抗してしまいたくなります。そんなことないよ、って。


「俺もな、大事にしている人間とは、対等なやり取りをしたい人間なんだよ」

「それは、つまり?」

「お前とも、対等なやり取りを望んでいる。三歳のときのお前が、言葉を使って、俺に行動で示させたように」

「それは……オレ、無意識だよ?多分」

「だから、感動したんだよ。そういう風にしか生きれない、俺と同じタイプの人間だって知ってさ……」

「伯父さん……?」


 伯父の瞳が、血のように、赤くドロドロとした色を帯びてきました。


「……悪い」


 伯父は、左手で両目を押さえました。


「それは、なに?色が……」

「ああ、たまーになるんだよ。それ以上は聞くな」

「はい」


 聞くな、と言われたので、もう自分からは聞きませんでした。


「そうじゃなかったな。俺なんかが育てたから、お前はそういう性格になった。絵理子に任せてたら、なんていうか、情操教育ってやつ?ちゃんとできてたかもしれない。ごめんな」

「オレは、伯父さんに育てられて幸せだよ。だからそんなこと言わないで」


 自分を育てたことを、どうしても後悔して欲しくなかった。だからオレは、言葉と目線で、必死に彼に訴えかけました。

 おそらく、伯父は解ってくれました。こんなことにはなったけれど、当時の美しい伯父と甥の関係は、今でもきちんと守られています。

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