5.2章 十二試艦戦の構造審査

 昭和13年7月に、二回目の木型審査が実施された。機首の形状は風洞試験の結果により変更されている。カウリングの形状変更、プロペラスピナの追加、胴体側面の推力排気管の追加、潤滑油冷却器の空気取り入れ口と排気口の変更、過給器への空気取り入れ口のカウンリング前縁への開口、水平尾翼の位置変更と垂直尾翼の後退と形状の変更が行われた。


 相当風洞試験を行ったようである。実質的に私の未来の記憶にある零戦22型相当の機体の外形となり、加えて五式戦に類似の側面型の推力排気管を追加して、滑油冷却器の形状も変更した外形となった。プロペラ翅も我々が開発した幅広型になっている。


 十二試艦戦の次の開発ステップとして、昭和13年12月になると実機の構造部が完成して、実際の機体による構造審査が行われた。海軍として、この機体の開発符号をA6M1と決定した。昭和14年1月になると航空廠において、実機の強度試験や振動試験、風洞試験が開始された。航空廠でも風洞試験によりきりもみ特性なども試験して、一次審査で指摘された尾部の形状も改善していて問題ないことを確認した。


 さて、この時期に私はぜひやらなければならないことがあった。金星の振動解析時に仕事を一緒にした松平技師は、十二試艦戦においては機体の振動試験を担当していた。彼のもとを訪ねて振動試験の状況について確認する。まずは、発動機に関する話題から話す。

「お久しぶりです。A6M1の発動機の振動ですが、何か問題は見つかっていますか?」


「金星に関しては、試験時に私も参加して、実際に飛行試験を繰り返してきました。しかも、その結果に基づいて対策したので、もう心配はしていませんよ。A6M1で採用予定の恒速プロペラについても、金星に取り付けて飛行試験をしていますよね。そちらの試験で問題ないのですから、連生振動の問題も残っていないでしょう。加えて、三菱にとっては金星50型は三菱自身の開発エンジンなので、九六式陸攻で飛行試験した時の内容も三菱は知っています。今回のA6M1において、発動機関連部は最も実績がそろっている部分と思いますよ」


 目的の翼の振動につい聞いてみる。

「翼の振動についてはどういう状況なのかな? A6は構造の軽量化には相当程度、注意を払ったと聞いています。強度や振動の観点からは、軽量化が行き過ぎると危険になりますよね」


「静的な翼の強度については、三菱と我々の計算結果を照合していて、今のところ問題ないと判断しています。まあ、重りを使った強度試験で、それも証明されると思っています。それよりもフラッターによる振動については、慎重に審査する必要があります。この機体では、最も振動の発生しやすい補助翼についてはマスバランスを取り付けて、重量の釣り合いを完全にとっています。実験により実物の翼の振動試験で共振周波数を計測しています。実際に飛ばすことはまだできないので、振動試験用の模型を作ってフラッター特性の試験をまさにしている途中です。今のところこの機体は、500ノット(926km/h)程度までならばフラッターは発生しないと思いますよ」


 いやその試験の結果が間違っているんですよ。実物と似せただけでは、風洞模型の試験としては不十分なのですよ。力学的にも、重量分布でも実物と相似となる模型で試験しないとダメです。私は、A6M1の試験時に発生する2度の墜落事故を知識として知っている。奥山操縦手と下川大尉の事故だ。その原因についても、マニアとして本で読んだ知識がある。自分の知識もフル活用してこの墜落事故をなんとしても防ごうと決意していた。


 私は、自分の未来の記憶を基にして、実際にフラッター問題の解析を行い、結論を出した人物を今までも探していた。実際に問題を解決した人物であれば、必要な情報を与えれば、今回も問題を解決できるはずだ。航空廠側の人員は、私の記憶では苗字に”松”の字を有する航空廠の人物だった。すなわち、私の目の前にいるこの人物がこれからフラッター問題を解明するのだ。更におぼろげな記憶では、東大の教授が振動試験の知識を与える人物として登場していた。事前に東大に人脈のある三木技師に振動解析に詳しい教授を探してもらった。私が探していた振動の専門家は、東大航研のは岩本修平という教授だと判明した。


「実はその振動模型に関してですが、もっと精度の高い試験用の模型について、いろいろ知見のある東大の先生を知っているのですよ。私もまだ会ったことはないのですが、いろいろ文献を調査していて、数少ない振動の専門家の一人を発見したのですよ。一度、ぜひ会って意見交換してください」


「まあ、その先生の研究がどこまで役に立つかわかりませんが一度会ってみましょうか」

 松平技師は、振動の専門家という言葉に反応した。ある程度、興味を持ったようだ。


 3日後、私と松平技師、彼の下で振動模型を製作している田丸技師が東京帝国大学航空研究所を訪れた。面会の相手は岩本教授だ。


 挨拶も早々に、松平技師から振動の試験方法について説明を行う。もちろんA6M1のことは伏せておいて、航空機一般について、振動試験として実施している方法を説明する。さっそく岩本教授が意見を述べてくれた。


「翼の強度試験と振動周波数の確認だけでは、これから航空機の速度がどんどん高速化すると全く不十分です。軽量化した翼に対して、高速での安全性を確保するためには、風洞を使用して動的な振動試験が必要になると考えています。まだ世界的にもこの分野には、確立された手法はありません。アメリカのように実物が入るような巨大な風洞があれば、片翼だけでも風洞に入れて実物で試験するのが最も手っ取り早い。縮小模型で試験するとなると、構造的に実物の構造と同じになるように作成した模型では不十分です。まず、重量分布が実物と同じになっていないと振動に対する特性が違います。更に強度についても、実際の翼で強度が強いところは強く、弱いところは弱く作成しないと実物を模擬した振動の試験となりません」


 松平技師がちょっと反論する。

「先生の意見では、模型を作るための工数が実際に実物を作成するのとほとんど同じになってしまいますよ。もう少し簡易的な模型で試験が可能になりませんか?」


「模型の部材は、木材を使ってよいと思う。それで部材の強度に実際の部品と同じ程度の差異を持たせるのだ。重量の分布については少量の粘土などを重りとして、実物の重量分布に近づくように取り付ける。模型で試験するときの風速が、実際にはどれだけの速度に該当するかの計算は、似た計算を一度しているが、君たちの振動試験に合致するように私の方で換算式を考えてみよう。数日あれば結果を出せると思う」


 松平技師もこの教授の知識に感心したようだ。

「先生、どういう振動模型を作成したらいいのか、私たちが作成している模型の図面を明日にでもお持ちします。その図面を見て具体的に変更する部分を指摘していただきたいと思います」

 松平技師と模型を作成する部下たちは、それから1週間、東大航空研に通うことになった。


 昭和14年2月になると、松平技師から大至急来てくれとの連絡があった。

「岩本先生の意見も採用した振動模型で、試験ができるようになった。既に航空廠の上の方には報告済みだが、A6M1の翼は、今まで想定したよりもかなり低い速度でフラッターが発生すると言わざるを得ない。我々は、300ノット(556km/h)程度の速度でフラッターが発生すると思っている。すぐにでも翼を強化しないと、墜落事故が発生する恐れがある」


 目の前の風洞に翼の模型が設置されている。片翼の実機に類似した骨組に紙を表面に貼り付けている。風洞を稼働させて、風速を次第に上げてゆくと翼が揺れ始める。補助翼はぶるぶる震えている。単純な上下振動ではなく、翼全体がうねるように捻じれる振動が発生している。振動模型によるフラッターが私の目の前で発生している。


 松平技師たちは、既に実験を繰り返してより正確なデータを取得していた。松平技師が三菱側に連絡したので、一人の技師が駆けつけてきた。名は曽根技師という。A6M1の構造設計全般をやってきた堀越技師の片腕だ。彼は、自ら振動模型の風洞試験のデータを確認すると、ことの深刻さをすぐに察したらしい。


「すぐに翼の強度を改善する設計をしなければなりません。工場では既に3号機までの機体が組み立ての最中です。とにかく実験データを見せてください」


 私から曾根技師をなだめる。

「まず落ち着いて。既に組み立てしている機体は完成するしかないと思う。それらの機体には、実験データから安全な速度範囲を指定して超過禁止速度を示すことになる。また、補助翼の振動により、周辺部には疲労が蓄積するから、すべての機体は強化した補助翼とする必要があるだろう。マスバランスの強度も強化が必要だ。翼の強化は内部の部材と外板の厚さも強化するのか、それとも外板の厚さのみを増して凌ぐのか方針の決定が必要と思う。ここには電話もあるので、堀越さんと相談してほしい」


 実験状況を聞いて三木技師も駆けつけてくる。彼にはフラッター発生の危険性については、あらかじめ話してある。

「実験の状態を見ると補助翼振動が翼全体の振動に波及しているようにも見える。翼の振動は複合的な要因だろう。エルロンのフラッター防止策はよく考える必要があるだろう。私なら、フリーズ式エルロンの前縁部に重りを入れてバランスさせる。そうすれば外部のマスバランサーは不要になるはずだ、しかも翼弦方向のバランスだけでなく、翼幅方向も重量が偏らないようにすれば、エルロンの捻じれ振動も抑制する効果が得られるはずだ」


 1週間後に、三菱から当面の改善案について、飛行機部に報告がされた。翼については、外翼部の縦通部材を強化する。更に翼の外板厚を見直して一部の板厚を増加する。補助翼は既に金属張りとすることを決定していたが、加えてマスバランスを補助翼前縁への重り内蔵型として、バランス重りは翼幅方向にまんべんなく配置する。


 1号機から3号機までは、強化策は間に合わないので、一部のみの外板厚を増加する変更を行った。更に補助翼を強化型に変更した。速度制限は、当面330ノット(611km/h)とする。翼の強化策をすべて折り込んだ機体の速度制限は、当面360ノット(667km/h)とする。翼の強度の増加については継続して改善して、速度制限はもっと高速にする予定とのことだ。


 想定以上に早く対策が決まったことに私は少し驚いていた。これで、墜落事故で史実のような犠牲者が出るのは防げたはずだ。

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