アスランの遺物

@yaanaa

第1話「その日」

 自分の体より一回りほど大きいサイズの棺の中に横たわる私を、長い黒髪を垂らした綺麗な女性が見つめている。

 暗くて表情は良く見えないが、私の頭を優しくなでるその左手からは温かな慈愛を感じることができる。


 この人はいったい誰だろう?


 私はこの人を知っている。知っているはずなのに、思い出せない。

 

 思い出そうと、必死に記憶の引き出しを開けようとしてみるが、建付けが悪くなったように、その引き出しは素直に開いてはくれない。


 「ーーーーーー、ーーー」


 女性は何かを私に言うが、その台詞はまるで白で塗り潰されてしまったようにかき消されてしまう。

直後に棺の扉がガチャリと閉ざされ、あたりを緑色の光と金色の液体が満たしていった。


*   *   *


 目を開けて最初に視界に入ってきたのは、木造の家の天井だった。


 ゆっくりと首を横に傾けてみると、水が入った桶が置いてあるテーブルと、白い花がいっぱいに積まれているバスケットが上面に置いてある、腰の高さほどのタンス、そしてその向こうに、誰も寝ていないもう一つのベッドが見て取れる。


 上手く力が入らない体を何とか動かして、上半身をゆっくりと起こしてみる。


 私が寝かされているベッドの横にある窓から外を見てみると、温かな陽光が農場に日光を浴びせているのが見えた。


「ここは・・・?」


 思わず疑問が声となって口から出る。


 すると部屋の隅の扉がガチャリと開き、おそらく私の面倒を見てくれていたのであろう人物がその姿を現した。


「(目が覚めた?)」


 歳は10代前半くらいであろうか、決して高くはない身長と、くりくりと可愛らしい大きな藍色の瞳が、その幼さを際立たせている。


 その少女は部屋に入るなり、私の知らない言語で私に何かを語り掛けると、ベッドの近くまで歩み寄り、手に持っていた布をタンスの上の桶の水に浸す。

 すると、ベッドの縁に手をかけて身を乗り出し、その布を私の首元に近づけてきた。


「っ・・・!」


 しかし私は、反射的にその手を跳ね除けてしまう。


 その表情から悪意のようなものは感じられないため、危害を加えようとしているのではないのは分かっていたが、それでもこの訳の分からない状況で、知らない人間に体を触られるということに、反射的に拒否反応が出てしまった。


「いや、その・・・」

「(大丈夫よ、体を拭きたいだけだから)」


 少女は一瞬戸惑ったような顔をしたが、それでもすぐに元の優しい表情に戻り、私の首元や腕を布で拭いてくれる。


 手を跳ね除けてしまった罪悪感が心を満たし、不安も合わさって惨めに泣き出しそうになってしまった。


「(これでよしっと!)」


少女は私の体を拭き終わると、再び布を桶の水に浸し、洗い始める。


いろいろ聞きたいことはあるが、言葉も分からないし、そもそも今の状況のすべてが分からないから、何から聞いていいかもわからない。


私が分からない尽くしで困惑していると、少女の方から私に言葉をかけてくれた。


「(あなた、名前は?)」

「・・・?」

「(名前よ、な、ま、え)」


 何かを問われていることは分かるが、何を問われているかは分からない。初対面のこの状況で人が人に問うものと言ったらなんだろう。


 ・・・名前だろうか?


「・・・・・カナン」

「(そう、私はイルゼよ、よろしくね、カナン!)」


 少女は明るい表情でそう言い、タンスの上に置いてあるバスケットから白い花を何本か持ち出すと、それを桶の中の水に浸してかき回し始める。


すると次第に水は泡立ちはじめ、部屋は花のいい香りで満ちた。


「(あなた、肌が褐色だけど・・・・帝国の人?)」

「・・・・?」

「(やっぱり、言葉が分からないのね・・・)」


 少女の問いかけの意味が分からず私が首をかしげていると、少女は落胆したのだろうか、小さくため息をついて桶を持ち上げると、くるりと背を向けて扉の方へ向かう。


「あ、待って・・・」

「(まだ安静にしててね、ご飯できたら持ってくるから)」


 不安になった私が少女に声をかけると、それに反応して少女は一瞬立ち止まってくれたが、何かを言い残して部屋を去ってしまう。


 一人残された私は少女の後を追うため、体を何とか起こしてベッドから立ち上がると、足の力を振り絞って歩みを始めた。


 歩き方を思い出すのに少し時間がかかったが、それでも次の一歩を踏み出す頃にはもう自然と足が動く。


 私は部屋の隅の扉を開け、拙い足取りでゆっくりと部屋を後にした。


*   *   *


 短い廊下をゆっくりと歩いていくと、その先には台所とダイニング、玄関が一体になったスペースが広がっていた。


 台所では2人の女性が料理をしており、さっきの少女はそのうちの1人の、少女によく似た金髪の女性の側で料理の手伝いをしている。


 私は声をかけようかとも思ったが、忙しそうな3人の様子を見ていると、邪魔になってしまうような気がして声が出なかった。


 私が壁に手をついて3人を眺めていると、少女が私の存在に気がつき、一瞬怪訝な表情を向ける。


「(あ、安静にしててって言ったのに・・・)」

「(あら、目が覚めたのね、ご飯はまだできてないから座ってゆっくりしてていいわよ)」


 少女が何かを言うと、続いて側の金髪の女性が優しい口調で私に語りかけた。


 その優しい表情からは私に対する気遣いを感じることができるが、やはり何を言っているのかは分からない。


 私が言葉を理解できずにただ立ち尽くしていると、少女が私の手をとって、ダイニングのテーブルまで連れて行き、椅子に座らせてくれた。

 

 どうやら、「座っててくれ」と言われたらしい。


 私を椅子に座らせると、少女は私の対面に着席して、私のことを指差す。


 私がキョトンとその指先を見つめていると、少女ははっきりと、私が聞き取りやすい発音で、言葉を発してくれた。


「(あなたは、カナン、私は、イルゼ)」


少女は私を指差して私の名前を呼ぶと、続いて自分を指差してそう言った。

どうやら名前を教えてくれているようで、正しい発音までは真似できないが、どうやらこの子の名前は、イルゼ、というらしい。


「・・・イルゼ?」

「(そう!そうよ!私はイルゼ!あなたはカナン!)」


少女、イルゼは目をキラキラさせて、嬉々とした表情で私を見ると、次いでイルゼは後ろを振り向き、台所で料理をしている2人を順番に指差す。


「(ローザ、テア)」


2人の名前だろうか。

赤毛の女性がテアで、金髪の女性がローザというらしい。


「(ローザ、お母さん、テア、メイド)」


続いてイルゼは、もう一度順番に2人を指差して、名前の後に単語を付け足して私に伝える。

おそらく、2人の役柄を教えてくれているのだろう。


金髪の女性、ローザはイルゼによく似ているから、おそらく母親、しかし、赤毛の女性、テアの役柄が、今の私にはいまいち理解できない。


だが少なくとも、今の会話で(お母さん)という単語が「母親」を意味する単語だということは分かった。


この調子で単語の意味を理解していけば、彼らの言語を理解できるようになるかもしれない。


目覚めてから不安しかなかったが、この小さな少女、イルゼの気遣いのおかげで、希望が少し見えてきたような気がする。


落ち着いた私は、ほっと胸を撫で下ろした。


*   *   *


 夕暮れ時、日が間も無く沈むという時間になると、ダイニングの後ろの扉ががちゃりと開き、外から1人の男性が家に入ってきた。


 大柄のその男性は靴の泥を払い落とすと、腰に下げている剣を外して戸口に立てかける。


 逆光でその顔はよく見えなかったが、扉が閉じられ、被っていたフードが外されると、イルゼと同じ金髪と藍色の瞳を持った顔が確認できた。


「(おかえり、お父さん!)」


 イルゼがその男性に声をかけ、濡らした布を手渡す。

 外見の特徴がイルゼと一致していることから、おそらく父親だろう。

 

 とすると、今のイルゼの言葉は、帰ってきた父親にかける労いの言葉である可能性が高い。


 そう、例えば「おかえり、お父さん」とかだ。


 私が言葉の分析をしていると、顔を布で拭いた男性が私の方を見る。

 強面ではないが、大柄で強そうな男性と対面したことで警戒心が刺激され、私は背筋が一瞬ピンと伸びてしまった。


「(目が覚めたのか)」


 低く落ち着いた声で男性は私に語りかける。

 しかしまだ私はまだその単純な言葉すらも理解できないため、何も返すことができなかった。


「(彼女はカナン、言葉が分からないみたいなの)」

「(そうなのか・・・・出身はわかったのか?)」

「(ううん、まだ何も、でも悪い人じゃないと思うわ)」

「(帝国人かもしれない、油断はするなよ)」


 2人が私を横目に見ながら何かを話している。

 雰囲気からして父親はどうやら私を警戒しているらしい。


 当然だ。言葉も違う、肌の色も違う、そんな人間がいきなり家に転がり込んできたら、むしろそうした方がいい。


 ・・・・そういえば、赤毛の女性、テアは、どうやら人間ではないようだ。

 見た目こそ人間と酷似しているが、よく見たらテアの耳は緩やかに尖っていた。

 人種?が、イルゼやローザとは違うらしく、同じ異民族同士、この先分かり合えることがあるかもしれない。


 私が少し怯えたような表情で父親を見ていると、イルゼが父親を指差して、名前を教えてくれた。


「(アドルフ、お父さん)」


 単語と単語の節目を分けてしっかりと発音してくれたおかげで、また一つ知っている単語が増える。

 私は今までの会話で得られた単語を組み合わせて、何とか文章を作り上げると、それを下手な発音で口に出してみることにした。


「(アドルフ、私は、カナン)」


 椅子から立ち上がって、左手を胸元に添えながら、丁寧に頭を下げる。

 右手を相手に見せて武器を持っていないというアピールをしつつ、右足を軽く曲げて、相手に対して自分は下の立場であるということを伝える。


 なぜだか分からないが、自分が名前を名乗るという場面では、こういう風にするのが自然なような気がした。


「(カナン!すごいわ!ちゃんと喋れてる!)」

「(・・・・・よろしく)」


 私が彼らの言語を話したことに驚いたのだろうか、少しの沈黙の後、イルゼは嬉々とした表情でそう言い、父親、アドルフはその挨拶に対して返事をしてくれた。


 少しでも警戒心を解いてくれればいいが、果たしてどうだろうか。


「(さぁ、ごはんにしましょうか)」


 私がアドルフへ挨拶をしていると、ローザが皆に声をかける。

 どうやら夕飯が出来上がったらしい。


 イルゼは椅子を引いて私に座るよう促すと、私の隣に腰を掛け、自分の小皿にテーブルの真ん中に置かれた大鍋から器用に料理を盛り付ける。


 私にも小皿が与えられてはいるが、自分から取りに行く勇気は湧かなかった。


「(カナンも、遠慮せず食べなさい)」


 次々と自分の分の料理を小皿によそい、美味しそうに食べる皆を眺めていた私に、対面に座っているローザがそう言った。

 何と言っているか分からないからどう返していいのかもわからないが、おそらく「食べなさい」的なことを言われたのだろう。

 でもそんなことを言われたって、さすがに遠慮してしまう。


「(私がよそってあげるね!)」


 私がもじもじとしていると、イルゼが私の小皿に料理を盛り付けてくれる。

 獣肉と根菜の煮つけ料理だろうか。豊かなスパイスの香りが忘れていた空腹を呼び覚まし、お腹からぐぅと音が鳴った。


 目が覚めてから今までいろいろありすぎて忘れていたが、そういえば私はすごくお腹がすいていたんだった。

 

 長い間何も食べていなかったのだろうか。今にでも目の前の食事に下品にかぶりつきたい衝動が、沸々と湧き上がっていくのを感じる。


「(ほら、食べて)」


 イルゼが私に食べるよう促す。


 気付けば、ローザもテアもアドルフも、食事の手を止めこちらを見つめていた。

 私はフォークで獣肉の煮つけを突き刺し、自分の口の中へ運び入れる。

 ジューシーな油とスパイスの風味が口いっぱいに広がり、一気に張っていた気をほぐしていった。


「美味しい・・・」


 目が覚めてから何もかもが理解できないことばかりで不安だったが、この料理が美味しいということだけは、今明確に理解できる。


 それだけでこれ以上ないほど私は感激し、同時に安堵感を覚えていた。


 私は脇目も振らず、一心に料理をパクパクと口に運び続ける。

 品を欠いている自覚はあったが、それを気にしていられるほどの余裕は今の私にはなかった。


「(そういえばカナン、あなたはどこから来たの?)」

「・・・・?」


 私が料理を口いっぱいに頬張っていると、ローザが私に何かを問いかけた。

 当然、何を問われているかは分からないので、私はただ疑問符を浮かべるしかない。


「(どうしてあんなところにいたんだ?)」

「・・・・?」

「(あそこはまだ未開の地だ、しかもまさか、まさかあんなところに人がいるなんて思わなかったぞ?、教えてくれ、あそこにどうやって入ったんだ?)」

「・・・・・えっと」

「(アドルフ、まだ無理よ)」


ローザに続いて、アドルフも私に何かを問う。

その表情が真剣であったため、私は少し戸惑ってしまったが、理解できていない様子の私を見て、ローザがその流れに終止符を打ってくれた。


「(ごめんなさいカナン、言葉が分かるようになったら、また教えてちょうだい)」

「(・・・・・)」


 ローザは優しい口調で何かを言うと、再び料理を食べ始める。

 アドルフも少し疑いに満ちた表情で私を見た後、食事を再開した。


 どうやらアドルフの疑いはまだ晴れていないらしい。


 今はまだ信頼を得られないかもしれないが、私が言葉を話せるようになって、会話を重ねていくうちに、彼の私に対する警戒心は次第に薄れていくと信じよう。


*   *   *


 夕食を終えると、私は目が覚めた部屋に戻り、例の白い花で泡立てたお湯で濡らした布で体を拭いて、汚れを落とす。


 目が覚めた時にイルゼもやっていたが、白い花の花びらの部分を茎からちぎりとってお湯に溶かし、手で軽くかき回して泡立てると、それが洗剤の役割を果たすようだ。


 花の甘い香りと温かいお湯の感触が心を癒す。


 ある程度体を濡らしてから、乾いた布でお湯を拭きとっていると、コンコンと扉がノックされた。


「(入っていいですか?カナン)」

「・・・?、・・・はい」


 私が布を広げて前を隠すと、少しだけ扉を開けてテアが部屋に入ってきた。

 テアは後ろ手に扉を閉め、手に持っていた寝間着だと思われる服をテーブルの上に置くと、それを指さす。


「(これ、着る)」


 テアは指をさしながら(これ)と言ったあと、着る動作をしながら(着る)と言った。

 私は示された通りに用意された服に袖を通しながら、テアの発した言葉を真似る。


「(着る)?」

「(そうです!)」


 テアはニコリと笑ってそう言った。(そうです)という言葉は何度か聞いたことがあるが、今までの使われ方からして、肯定を意味する言葉なのだろう。


 新しい言葉を教えてもらったことへのお礼を言いたいところだが、あいにくまだ「ありがとう」を何と言ったらいいのか分からない。


 今までの会話を遡ってそれらしい言葉を探してみるが、やはりまだ今の私にはその語彙が無かった。


「・・・ありがとう」


 とりあえず私は自分の言葉でお礼を言い、軽く頭を下げる。

 するとテアは、そんな私を見ながら少し考えるそぶりをし、思いついたように手を叩いた。


「(ありがとう?)」

「ん・・・?」

「(ありがとう)」


 テアは同じ言葉を繰り返し言って、私と同じように軽く頭を下げる動作をする。

 どうやら私が言いたいことを察して、その言葉を教えてくれたらしい。


 なるほど、お礼を言いたいときには(ありがとう)と言えばいいのか。


 私はそれを理解すると、立ち上がってテアの手を取る。


「(ありがとう!、ありがとう!)」

「(はい!)」


 服を持ってきてくれたことと、言葉を教えてくれたこと、二つのことに対してお礼を言うと、テアはさっき教わったばかりの、「肯定」を意味する言葉を私に返してくれる。


 目が覚めてから初めて、まともに会話ができたことに感動した私は、今日一日で一番明るい表情になった。


「(それでは私も)」


 私が喜んでいると、テアはそう言ってもう一つのベッドに腰を掛ける。

 首の後ろに手を回してエプロンを外すと、そのままするすると服を抜いで体を拭き始めた。


「あ、ちょっと・・・・」


 裸を見られることには慣れているのだろうか、テアは私がいる前でもお構いなくその艶やかな白い肌を露出して、器用に布で体を拭っていく。


 服を脱ぎだしたあたりで外に出ていこうかとも思ったが、完全にタイミングを逃してしまった。


 目のやり場に困った私は、ベッドの上でくるりと後ろを向いて、正座をしながら月明かりに照らされた夜の農場を眺める。


 今夜は満月だから、暗い夜でも外の様子がよく見えた。


 農場の向こう側にも何軒か家が見えるが、その先は緩やかな上り坂になっていてその先を見通すことはできない。


 明日は外の様子を見てみようかなと思ったところで、優しく後ろからぽんぽんと肩を叩かれた。


「(もういいですよ)」


 そこにはメイド服から寝間着に着替えた姿のテアが立っていた。

紐で纏めた綺麗な赤毛を肩からおろしたその姿は、なんだか色っぽく見える。


「(そろそろお休みしましょう)」


 テアはそう言うと、丸テーブルの上の蝋燭を吹き消し、ベッドに横になる。


 私もベッドに体を倒し、毛布を肩までかけて、目をつむった。

 

 長い間眠っていたのだろうけど、目が覚めてから今までいろいろありすぎて、もう結構くたくただ。


 そういえば、私は目が覚める前、どこで何をしていたんだっけ・・・?


 思い出そうと記憶を遡るが、疲れているせいだろうか、追憶の道は、まるで霧で覆い隠されたように途中で途切れてしまう。

 

 まぁいい、とりあえず今日はもう寝て、明日もう一度状況を整理しよう。


 そこで私は意識を現世に引き留めていた手綱を手放し、深いまどろみの底へ沈んでいくのに身を任せた。

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