幸せな自殺のススメ
やすなり
私と少女
第1話 私の死に場所
一定のリズムを保った海の唄声は、どんな歌よりも私を穏やかにしてくれる。
その唄声を聴くだけで、私の心は溶かされて、まるで恋をしたかのような心地になる。
それは私が人の歌声をあまり聞かないからか、海の唄声だけを特別に感じているだけかもしれない。けどそれは別に変なことだとは一度も思ったことはない。
魅力的な唄は「波」によって唄われる。「波」は今は一定のリズムを保っているけれど、それは二度と同じものにはならない微妙な変化をしながら、永遠に「波」はウチ続ける。
絶えず変化し続けながら…過去に囚われず前へ進んでいこうとする、その声音が私に勇気を与えてくれる。
死ぬのなら海で死にたい
こう思い始めたのはいつだったかなんて、そんなことは忘れた。
ただ、私が海に惹から始めたのは中学生の頃に読んだ「ウミノシンピ」と言う本だったはずだ。
「ウミノシンピ」に書かれていたのはなんら大したことのないことだったように思えるし、今となってはなんと書いてあったか曖昧だけれど、中学生と言う当時の私の好奇心を駆り立てるのには十分すぎたものだったと思う。
「ウミノシンピね、」
なんとなく今広がっている光景は、神秘とは程遠いように思えたので口元で呟く。
今は夜である。
私たちが日頃惹かれている青い海のカゲはなく、底にあるのは黒く、暗く、そして深い海だった。
青く、どこまでも私たちを受け入れてくれるほどの雄大な海は、今や恐怖の対象だ。
おまけに今日は曇っているので星や月のカゲも無い。
だが私は夜の海も好きなのだ。
皆が知らない一面、私だけがこの一面を知っているつもりになれる……やはりこれは恋なのだろうか。
「海、君が好きよ」と、告白しても帰ってくるのは淡白な「波」の音。それがどうしようもなく心地いい。
私をフッテくれる海が好き。
なんだがポエムみたいで恥ずかしくなり、はっと我に返る。
私は今まで防波堤の上で缶ビール片手に海を眺めていたらしい……らしい、と言うのはなんだが今までは夢心地のような気がしたからだ。アルコールのせいだろうか。
そこでふと、気づく。
私が見ていた海の一遍より右、かなり右の方に人?のようなものが見える。
なぜ、かなりの距離が離れているのに気づいたかというと、簡単な話色が目立っていたからだ。
暗い夜の海にぽつんと白斑点が一つ。
黒い画用紙の上にある白い点は、まるでそこで「生まれた」かのように佇んでいた。
「何してんだろ」
こんな時間に、って今何時だっけか。と思い携帯を見ると「8月3日水曜日 3時7分」。
うーん。幽霊?
私は幽霊なんて信じないけれど、こんな時間にそれを見てしまったら誰だって最初は幽霊疑うだろうんじゃなかろうか。
じーっと見つめているとその白い斑点は前へ、前へと動き始めていた。
まるで海に帰るように
私は本能的にまずいと思った。あの白い斑点が見間違えじゃなかったら?幽霊でなかったら?人間だったら?
…………死のうとしていたら?
ちょいちょいちょい、何してくれてんの!
私はたまらず走り出していた。
私が死ぬ予定の海で私より先に死のうとするなんて、ありえない。
夜の空気に混じった潮臭さを肺いっぱいにして走る、今まで一番の全速力で走る。
私の片思い、想い。それが誰かに取られてしまう、嫌だ。嫌だ。嫌だ。
こんな感情になるなんて私はおかしいと思うけど、初恋相手が私の眼の前で知らない人と「まぐわろう」としているのを黙って見過ごすわけにはいかない。
走り続けていると、白い斑点に近づいてきた。よく見えないが、人型のように見える。
そう思うやいなや、私は海へ入る。
浅瀬からどんどん深い所へ……
海は怖い。表面を見ている分には美しいし好きと思えるけれど、飛び込んでみると底が見えなくて、当然地面なんかとは程遠い。足がつかないのは何よりも怖い。
「ちょっと!なにしてんの!!」
声を海の奥深くまで届かせるかのような大きな声がした。今の声が私のものなのかは分からない。
とりあえず後ろから抱きしめるようにして捕まえ、足がつく所まで引っ張る。
白い斑点の正体はやはり人であった。
抵抗されるかなとも思ったけれど、案外素直に引っ張られてくれた。
「ちょっと、なにしてんのよ!」
「…………お姉さん誰?」
「誰?じゃなくて」
「私は死のうと思ったの」
その言葉を聞いた瞬間、ここの奥底からふつふつと湧いてくるこの感情の名前を私は知っている。と同時に、これを今ぶつけたところでどうにもならないことも知っていた。
だから私が今かけるべき言葉は…何?
「なんか色々話したいことはあるけど、とりあえず私の家に来て」
暗くて顔なんて見えないが、触れている感じだと多分女の子だなぁと思う。
こくりと頷いたように見えたので、さっさっと家に帰ることとした。
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