第3話 キスの練習


「あの、佐伯くん。私の練習相手になってくれないかな?」


 何の? 

 そう思う前にこうなった経緯を遡らなくてはならない。

 俺はカースト最下位として他人から見劣りされる存在だ。

 そんな俺に対して唯一の強みが発覚する。

 それは練習相手として都合がいいと言う点だ。

 練習相手といえば踏み台としての立ち位置になってしまうが、その相手が俺であることは相手にとって害にならないことを指していた。

 俺はハンバーガーショップでアルバイトをしている。

 バイト代を稼いで趣味に使ったり将来の投資として隙間時間を利用して働いていたのだ。

 店長からは顔が悪いと言うことでカウンターは最初から外され、裏方のハンバーガー作りに関して顔は関係ないのでそこをメインで任されていた。

 バイト先でもカースト最下層の扱いを受けることはしばしばある俺だが、そんなことを気にしていては生きていけない。

 そんな中でバイト先にいる大学生の遠山梓とおやまあずさは綺麗で美しい先輩である。

 彼女がシフトに入ると忙しくなるほど、売り上げに大きく貢献する。

 バイトリーダーとして任されることもあり、店には欠かせない存在に俺も一目を置いている。


「お疲れ様です。お先に失礼します」


「お疲れ、梓ちゃん。佐伯くんもこの時間に上がりだったよね?」


「あ、はい……。お疲れ様です」


 店長は遠山先輩のついでのように上がりを告げた。

 事務所の休憩室で着替えを済ませた直後である。


「あ、佐伯くんも今、上がり?」


「はい。お疲れ様です」


 バイト上でしか遠山先輩とは会話を交わさない。

 そもそもカースト最下位の俺が遠山先輩のような人気者と仲良くすることは不可能なものである。

 事務所内で二人っきりだとしても『お疲れ様』と言う挨拶のような会話以外に交わすことはない。

 気まずくならないようにさっさと事務所を出ようとした時だ。


「ねぇ、佐伯くん。この後、何か予定ある?」


「いや、このまま帰るだけですけど」


「そう。少し、時間あるかな?」


「えぇ。暇です」


 そう言って俺は何故か、遠山先輩と事務所を出て近くの喫茶店に足を運ぶことになる。


「そういえば、こうして佐伯くんと喋るのは初めてだったかな」


「そうですね。あの、どうして俺を誘ったんですか」


「そんな身構えないでよ。別にただ相談に乗ってほしいかなって思って」


「相談? 俺に?」


「別に誰でも良かったんだけど、佐伯くんがたまたま都合良かったってだけで別に深い意味はないからね」と遠山先輩は念を押すように言う。


 まぁ、俺じゃなきゃいけない理由はないことはよく分かった。つまり都合のいい存在として目を付けられた訳だ。


「実は私、堀田ほったさんと付き合っているんだよね」


 堀田さんとは同じ店で働くマネージャーを務める先輩だ。

 イケメンで真面目で仕事もよく出来、頼れる先輩で遠山先輩とお似合いの存在である。

 仲良さそうにしていることは知っていたが、付き合っているとは初耳だった。


「そうなんですね」と、興味のない反応をする。


 変に興味を持てば気持ち悪がられると思ったからだ。


「それで恥ずかしいんだけど、付き合ってから堀田さんにあることを言われて気になってしまって」


「あること?」


「私、キスが下手らしいの」


「キスが下手?」


「自分ではよく分からなくてどう直せばいいか分からないの」


「そ、そうなんですか」


「そこでお願いなんだけど聞いてくれるかな?」


「は、はい。なんでしょうか」


「あの、佐伯くん。私の練習相手になってくれないかな?」


「は、はい?」


「その、キスの練習相手に」


「キ、キスですか?」


「うん。練習して上手くならないと相手に悪いし、いいように直したいんだよね」


 え? 俺が遠山先輩のキスの練習相手?

 少し理解をするのに時間が掛かった。

 と、言うことはあの美人の遠山先輩とキスが出来ると言うことか。そんなことがあってもいいのか不思議でならない。


「あ、あの。それは構わないんですけど、どうして俺なんですか?」


「練習相手として罪悪感がない相手だと思っただけ。ごめんね。なんか都合の良い相手みたいに言っちゃって」


「全然構いません。俺でよければ練習相手を務めさせてもらいます」


「ありがとう。ここだと人前になるから私の車に移動しようか」


「は、はい」


 俺は遠山先輩の車の助手席に座る。

 そしてキスの練習が始まろうとしていた。


「じゃ、私がいつもどんなキスをするか評価してくれるかな?」


「は、はい。お願いします」


 遠山先輩は俺の頭に手を回して顔を近づけた。


「佐伯くん。失礼します」


 遠山先輩は目を開けたまま唇を尖らせて押し付けるようにキスをする。

 おまけに息を俺の口の中に押し込む形になる。

 キスの経験がない俺だが、キスとは優しく興奮する行為だと思っていたが、遠山先輩のキスは不快感を覚えた。

 綺麗で美しい遠山先輩の印象とは違い、キスの時はブサイクな顔にギャップを感じた。

 バイト先では完璧の印象でしかないのだが、このような形の遠山先輩は少しポンコツに思えた。


「ど、どうかな?」


 キスを終えた遠山先輩は感想を求める。


「ど、どうと言われても」


「お願い。正直に感想を聞かせて。じゃないと私のためにならないから」


「じゃ、正直に言いますけど、少し不快に感じました。と言うよりも二度としたくないと感じました」


「やっぱりそうなんだ。ねぇ、もっと具体的に教えて。そしてどう直せばいいかアドバイスしてくれるかな?」


「分かりました。一気に言っても混乱すると思うので少しずつ直していきましょう」


「よ、よろしくお願いします」


 こうしてバイト終わりに遠山先輩とキスをする日課が増えた。

 その度に俺は優越感に浸るような日々を送ることとなる。


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