第16話『月と狭間の銃弾』

 戦国の世。刀槍、弓、武器の如何にかかわらず、いかに強く、いかに便利に、武装した人間を楽に殺せるか――という研鑽がなされてきた。

 刀剣は平安の昔から素肌よりも甲冑武者を相手に鎧を滑らせ隙間を穿てるよう、造りやきっさきを変えてきた。大鋒、猪首鋒、刀剣の顔たる鋒――それは変化著しいものがあった。

 槍、鉾。大身のものもあれば、柄の長さなどいちばん変化が大きかったのは長柄武器かもしれない。短槍から集団合戦で使う超長尺のものまでさまざまである。

 そして銃。いわゆる『種子島』と呼称される火縄銃。こちらは個々の変化よりも口径を大きく砲とするか、数そのものを増やすかに大普請した。


 ダァン――――――――――――。


 小雨降る渓谷、痩蛇徹やせへびどおしに、火薬の炸裂音が響き渡る。

 その初撃で柳生宗章が死ななかったのは、単なる幸運であった。

 小雨故に深編笠をかぶっていたこと、その傘に調理用にもなる鉄鉢を仕込んであったこと、その丸みが銃弾を貫通させずに受け流したこと。その幸運である。


 武器の進化の中、種子島――火縄銃にも、異様な発達を遂げたものがある。

 痩蛇徹の北、名もなき古墳が鎮座する小山の中腹。そこにその武士はいた。雨と日差しをよける陣笠を深くかぶり、蓑を背に、草木を自然に組んだ屋根の下、じっと胡坐を組んでいた。

 その手にしているのは、火縄銃である。

 火縄は細く煙を上げており、熾火の先は切られた火蓋。そこからも、濁った煙が漂っている。同じく、銃口からも。

 銃口。

 そう、銃口こそが異様であった。通常は二尺ほどの銃身バレルであるが、八尺はある。超長銃身の先、その銃口からホフッ……と濁煙が立ち上る。


 狭間筒はざまづつと呼ばれるその火縄銃は、長距離狙撃特化の武器であった。その殺傷有効射程は300メートルを超える。

 武士は標的が落馬ではなく着地したのを見るや、二発目を装填し始める。

 演武のように胡坐をかいたまま重心のある中ほどに左手を添えると、ぶんと振り回し銃口をヒョイと引っ掴み、ひょうたんから充填した火薬をたっぷりと注ぎ、十もんめ――2センチ近い直径の弾丸をゴロンと詰め落とす。

 小脇に寝かせてある八尺の詰め込み棒を手にこれを突き固め、ぶんと振り回し――。

 射撃の体制。

 銃身は床几に似た支えでぴたりと宗章に狙いを定めている。

 早い。

 すべてがひと拍子で遅滞がなかった。


 痩蛇徹。左右は岩を切通した痩せた蛇が通ったかのような隘路。

 距離は二町、一二〇間。230メートルほどである。

 その中間で、宗章は撃たれた。

 撃ち下ろしという飛び道具有利の死地である。


 進むも、退くも、速射にも長けた武士の腕ならば、二発ずつの射撃を許すであろう。その自信はあった。必ずそうするであろう。宗章が馬に乗ろうとするなら、もっと撃てる。

 突破しても、痩蛇徹の出口から雑木坂を駆け上がっても一発は撃てる。東西に逃げるならもっともっと撃てる。

 退けば、上杉の後詰勢が討手として駆けつけるまでの時間稼ぎをすればよい。さらに撃って足と息の根を止めるだろう。


 宗章。一瞬、意識が飛んでいた。体が倒れつつあるときに意識を取り戻していた。足から着地し、砕け削れた鉄鉢ごと深編笠を投げ捨てる。

 馬の尻に平手をかますと、戦馬はいななきあげて駆け出した。

 南にである。


「引き返したか、勘のいい」


 北に抜けようとしたら、馬を盾に狙撃手に肉薄しこれと渡り合うつもりだったが、馬に逃げられては仕方がない。


「お相手仕る。――」


 宗章は無刀、無手のまま、走らず、止まらず、堂々たる姿で滑るように古墳丘へとまっすぐに進んでくる。

 そのネコ科の動物のような柔軟性と敏捷性を兼ね備えた正中線の揺れなき歩みに、狙撃手はぞっとした。産毛が逆立ち、ここで自分の人生がおわるかもしれぬ予感に息が止まる。


 しかし、銃撃に対して正面、完全正対で姿をさらし、歩いてくる。

 その姿が恐ろしい。

 狙撃手はさらに戦慄する。対手の――すでに獲物ではない――宗章の表情である。

 頤を軽く上げ、半眼で、リラックスの極致にいるような半開きの口。

 雲の上を滑りゆく仏のような顔。


 この頤をやや上げ、耳と鼻の平面ラインを水平にすると、広い視野を確保することができ、目も楽に脱力できる。ふと遠景を望むよう上げ、耳と鼻を結ぶカンペル平面を水平に半眼となる目付(ものの見方)を、武術の世界では『遠山えんざんの目付』と呼称することがある。


 視野の解像度を上げる目付に付随し、脳を脱力し、その情報処理に充てる。

 状況という情報に対し術理から導き出された対応を技という。

 技を即座のひと拍子で体現させるためには、肉体の脱力が必須である。


 狙撃手はつまり、宗章が脱力しているのは、そこから発揮されるすべてのエネルギーが自分を殺すためだけに向けられる事実を正確に把握したということである。

 対手である宗章にも、狙撃の確かさから対手の技術すべてが達者であると伝わっている。


 基本、結局のところ、刀槍の類であれ銃弾であれ素手であれ、当たれば死ぬのだ。

 武士はそのための技術をそうと信じ実現させるために術を学ぶ。

 命や健康を損なう威力を、命や健康を損なうように、相手にいかにして接触させるかを突き詰めた技術体系が武術なのだ。


 いかにして接触させるか。

 転ずれば、いかにして接触させぬか。


 仕掛ける射手は有利である。音が聞こえたときには銃弾は対手の肉体に到着しているのだ。狙いは過たぬ。的の広い胴に喰らわせることも可能だ。

 対応させられる宗章は不利である。察知した瞬間に死ぬ公算が高い。ゆえに、相手の心胆を感受し、狙いを定めさせ、躱さねばならない。受けたら死ぬからだ。


 感受するための、脱力。後の先に徹する宗章。

 察知させぬための無心。先の先に徹する射手。

 これはそういう戦いであった。

 正対して走らぬのは体勢正中線を崩さぬためである。

 胡坐で撃つのもまた体勢ねらいを崩さぬためである。


(息を吸ったか。吐いたか。――止めたか)


 ダァン――――――――。


 互いに思った瞬間、宗章は右足を斜め前に踏み出して入り身となって躱す。

 心臓のあった位置を空を押しのけ銃弾が突き抜けた。

 そしてまた、宗章は正対し歩き始める。狙える場所を広げ、誘いの手を増やしたのだ。狙うのも、躱すのも、あそびがあるほうが迷い、しかし決断しやすいものである。

 心胆の戦いでもあった。


 狭間筒が、ぶんと回る。装填、狙う。

 宗章がするすると歩む。脱力、窺う。

 すでに双方脂汗である。

 呼吸が乱れる。乱れるとすべてが狂う。

 狙いは外れ、感受は狂う。

 速射、即撃ちの類はできなかった。

 一方的に狙うよりも、はるかに心魂が摩耗する。

 狙われるほうも言うを待たない。


(こたびはチト違うぞ。――)


 ダァン――――――。


 互いが思った瞬間、宗章は前方に駆け出していた。つられて、射手は撃たされてしまった。宗章の誘いが功を奏したかに見えたが、ただ、射手は火薬の量を意図的に減らしていた。遅い弾速、落ちる軌道、重き銃弾は宗章の脇差の柄を粉々に打ち砕いていた。そのままナカゴに当たりわき腹を浅くかすめて肉を飛ばす。

 宗章は衝撃で転倒し、射手はぶんと銃を再装填する。

 構え狙い、そして立ち上がり完全正対。

 距離は詰まれど、元の状況である。

 違うのは、双方の心胆。


 撃てて、二度。

 駆けて、二度。


 宗章は呼吸を落ち着けるように、鼻から吸って大きく口から吐き出す。

 射手はじっとりと尻にたまった汗を拭うよう身じろぎをする。

 互いの隙をも察知しあい、気力の充実を図る。

 小雨はもう、止んでいる。


(いいや、三度)


 ダァン――――。


 双方、あるいは片方がそう思った。

 射手は狙わず撃った。しかし的には入っていたため、読み切れなかった宗章は大きく左前に前転しこれを避けた。

 ぶん。だだっ。かつん。

 射手は再装填する。これであと二度、撃てる。

 宗章が疾く駆ける。のたれるが如く、駆ける。


(見えたぞ)


 ダァン――。


 宗章が思った瞬間、射手は撃たされていた。

 姿が視認できるということは、情報が増えるということだ。誘いも感受も、密度が上がる。銃弾は駆ける宗章には当たらなかった。

 ぶん。

 再装填の気が焦る。

 かつん。

 狙う。

 ――そのときであった。


 ひゅんと、古墳坂を駆け上がる宗章と銃口の間に、月が見えたような気がした。

 射手は一瞬、その月に見とれてしまった。

 投げ打たれた脇差の刀身であった。

 沈みゆく太陽の光を受け、南に浮かび上がる三日月のような残影を引き、初代兼定の偽物が射手の陣笠を削るように断ち割った。


「きたぞ。――」


 ダァン。


 宗章の背後で銃口が火を噴いた。

 火縄とそこの間に立って、憔悴しきった顔で笑う。

 観念したかのように射手は自分の首をぺちぺちと叩く。さあ、殺せ、という態だ。

 刀を抜いて戦うそぶりはなかった。

 銃を持ったまま死にたかったのだろう。

 それがよく分かった。

 わかったからこそ、宗章は太刀を抜き、射手が隠し持っていた火薬袋へ突き刺して、その中に酒を注ぐ。


「死ぬと仕込んだ火口が火をつけて、ドカンだ。そうはいかない。忍者みたいなまねはさせられんさ。いずれまた戦場で会おう。生きてたら。ああ、そうだ」


 ヒュンと銀光一閃、火縄が切り飛ばされ、濡れた地に落ちジュっと消える。


「武士がまげを切られたようなものだ。通してもらうよ」


 いつのまにか坂の下には馬が来ていた。宗章は脇差の刀身を拾い、鞘に戻し、降りていく。

 射手は無言で馬に乗って去り行く背中を見送る。


(…………撃てる)


 と思った瞬間、遠い背中越しに宗章が笑って振り返るのが見えた。

 完敗であった。




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