第13話『小千谷十五人斬り』

 悪い報せはいつも鳩が知らせる。

 上杉景勝が膝下、真田昌幸は巻かれた短冊を広げながらみっしりと書かれた文字に再度目を通し、ひとつ深く頷くと大殿へと差し出す。


「羽柴の犬が生きておったか」


 真田昌幸――漆手衆を囲っているのは、子の信繁ではなく、父である昌幸の方である。あくまで真田の忍者なのだ。そんな漆手衆が、柳生宗章を魚沼の北で発見したという情報である。


「猿らが仕留めたと聞いたが、手練れなのか、若輩組が未熟なのか」

「手練れなのでしょう。どこぞが仕掛けた羽柴坊の件、指南役の某を一刀のもとに斬り捨てたとか」


 眉間の皺が深くなる。

 豊臣の権力内で絶大な力を持つ上杉景勝のトレードマークである。先代上杉謙信があまりにも偉大すぎたために、次代を担うそのプレッシャーから刻まれていったとのもっぱらの噂だ。

 軍神である上杉謙信の後を継いだ景勝にとって、豊臣家を継ぐ可能性がある羽柴の小倅――のちの小早川秀秋となる少年に思うところが多いのは事実だ。


「力を握るのは、上杉であらねばならん」

「は。――」


 昌幸は頭を垂れる。

 秀吉亡き後は、徳川との真っ向勝負になるだろう。

 豊臣の跡継ぎの首根っこを押さえつつ、他の権力者の弱味を握らねばならない。強味である軍備を支えるが必要だ。そのためには『藤四郎』が必要だ。


「奪われるわけにはいかぬな。手はいくつだ」

「ふた組衆が七とひとつ」


 二人部隊ツーマンセルが八つ、一六人の刺客である。

 とりわけ暗殺よりも真っ正面からの闘争殺戮に長けた組であり、忍術剣術に秀でた一団であり、戦乱戦国を体験した老獪な戦人たちである。

 このふた組衆が年老いた旧漆手衆であり、佐助ら現漆手衆の親世代となる。つまり、世代で昌幸配下と信繁配下と分かれているのだ。


「柳生か」


 徳川の匂いを感じる名前でもある。

 磐梯山の向こう側には、徳川の検地が進んでいるという。


「米沢か。儂を北に押し込める算段か」

「殿。――」

「総出で仕留めろ。馬も槍も使え。これは戦である」

「戦でございますか」

「戦だ。着込めよ」


 鎧を、着込み帷子かたびらを着けろという指示である。

 合戦の備えだ。


「もう備えております」

何処いずこだ」

「小千谷にて」


 存分に仕るだろう。

 逃げ場のない山間の丘である。

 柳生宗章の命運、ここに尽きるや。


 真田昌幸は真新しい短冊に素早く筆を走らせる。

 配下を呼び、鳩を飛ばせに向かわせる。


「昌幸。――」

「は」

「坂戸の城、懐かしいのう

「……懐かしうござるな」


 上杉平定までの遠い流れを思う。

 ともに蒼空を眺めつつ「遠くへ来ましたな」と呟く。「ああ」と追従する景勝の脳裏に、老いた秀吉の姿が去来する。


「柴田の残党、役に立つか」

「尽、お見せいたしまする」


 廊下を歩く足音。先ほどの手の者が戻ってきたのだ。

 無言で平伏し、昌幸に巻紙を渡し、去っていく。


「いかがした」

「殿。――」


 新たにもたらされた短冊に目を落としたまま、昌幸は絞り出すように口を開く。


「太閤の参内が決まりましてございます」


 参内とは帝への拝謁である。豊臣秀吉が官位を得たことで成された箔である。その際には、それなりに箔のある太刀を佩くしきたりがあるのだ。


「ぼろを纏う公家であろうと、伝来の宗近を佩くだろう。それと同等か、上回るか、あの華美好きの太閤が選ぶとすれば」

「やはり一期一振かと」

「で、あろうな。――」


 悪い報せはいつも鳩が知らせる。








 柳生宗章は、戦場をそれほど知ってるわけではない。剣術家として研鑽を積んできたものは多くあれ、戦場で役立てられたものは少なかっただろう。宗章はその中でも役立てられた内のひとりであったのは確かだ。

 馬上にて思い出す。

 個人と個人、また個人と多数が戦う剣術家が強さを発揮しても『武芸』として見られる。いくら強くとも、見事でも、芸事のひとつとして過小評価される。大家の殿にお目見えして召し抱えられたとしても、「大将が学ぶは、いっとき生き残る武術。敵を倒すのは配下の仕事である」と、こうなる。あくまで剣術は武芸である。

 この戦国末期までは。


「空気に殺気が満ちておるな」


 懐かしい空気だった。

 正々堂々とした武人の殺気だ。死者の放つ生者の気質だ。

 武辺者。武者、とりわけ甲冑武者に対して剣術が役に立たないものであると、ほぼ全ての武将が熟知しているだろう。この時期までの常識である。武者には、集団での礫、槍と弓矢、鉄砲であたるものである。

 鉄砲というものが登場してなお、その常識の隙が埋められることはなかった。


 小千谷に集いし荒武者たちよ、心した方がいい。

 刀剣がこの数百年千変万化に研鑽されていきなお戦場の武器として使用されているのを。武士が主武器として必ず携える理由を。

 戦の内、白兵戦を担う刀槍の技術にこの数百年、はたして進化があるやなしや。

 その答えは柳生宗章が知っている。


戦馬いくさうまを軽んじるわけではないが、おまえはここで待っていてくれ」


 柳生宗章は、下馬する。

 目下には草地が広がっている。先に進めば、待ち伏せしてるものと、後ろから挟撃しに来るものと、この丘平野で戦うことになるだろう。

 午後の四時過ぎである。暗くなるほんの少し前。

 戦いは、始まれば十分もかからず終わるだろう。


 ひとり相手に長い時間を掛け、受けたり弾いたりして仕留める剣術では、甲冑で刀刃を防御する武者の攻めには勝てない。

 そう思う者たちしかいない。


「これは弟にも教えたのだが。――」


 平野はずれまで馬は避難させた。

 宗章は陣が張れるほどの丘をひとり進む。踏むは乾いた土と、草。


「刀槍、刀刃の下は地獄だ。が、前に出ればそこは極楽」


 立ち止まり、初代兼定の柄を引き寄せる。

 遠くにぎらりとした銀の輝きが紅い陽を弾き返し、馬蹄を鳴らしながら迫り来る。赤い鎧の騎馬。

 甲冑と帷子を着込んだ、赤供えの荒武者。真田の甲冑に身を固めた、漆手衆の老獪な忍者たちだ。戦を生き延びた、戦うことに長けた生き残りたちだ。剣術家何する者ぞ、押しつぶしてくれる。そんな気迫が背後からも聞こえてくる。


「死兵となる。生き残ればアラ不思議とな」


 プッン、と鯉口が切られる。

 ゆっくりとした無音抜刀。体側にぴたりと抜き身を充てながら、鞘兼定の鞘を立てるよう後ろに回す。腰の防御のためだ。脇差しはやや深く柄を下げる。腕の邪魔にさせぬ為だ。


「仕掛けてくるなら相手をするが、こちらから仕掛けることもある」


 前から六騎、背後から八騎、二人一組の部隊ツーマンセルである。互いの前後左右を守りあう相克防御の小陣だ。忍者は両利きである。刀槍を振るうに左右は関係がない。

 奥の一騎は首魁であろうか。


「柳生新陰流、柳生宗章。お相手仕る」


 蹄土蹴る騎馬に向かい、兼定を左肩に担ぐよう構えて疾駆する。

 ぎょっとした一団だが、面頬から放たれる戦の気迫は増すばかりだ。馬で蹴殺しにかかる勢いを躱しながら、同時に繰り出される剛槍をふた振り前に出て入り込み際、右拳を内から切り飛ばしている。


 着込みと甲冑の境目である。槍の柄諸とも打ち払われた拳が血を引いて宙を飛ぶ。「ぎゃあ」という呻きを背後に聞き抜けながら走り抜ける。馬の勢いを背後に、ヒョイと鉤縄を投じて騎馬をひとり引っかけて落とす。


 だが、さすが漆手衆。足から着地し鋭い突きを見舞ってくる。

 宗章、小手を撃ちながら接近し首の隙間に兼定の切っ先を突き入れて大きくねじり上げる。両頸動脈を抉り飛ばされ、血泡の呻きを上げてひとりが斃れる。


 拳を飛ばされた男が相棒の仇を討たんと雄叫び上げて引っ返す。

 死角となる相手右へとするりと入り込み、切っ先を突き上げるよう鐙の隙間から内股を刺し貫く。確かな手応え。刀を寝かせて馬の勢いで抜くや、バシュウと盛大に血が噴き出す。すぐに気を失い、落馬、首を折り絶命する。


(なお騎馬で来るか、下馬するか、それとも)


 矢が飛来する。

 弓で来た。


 宗章は一所に留まらない。しかし小千谷を抜ければ宗章の勝ち、転じて彼らの負けである。足止めの矢だが、しかし宗章が向かうは彼を円陣に包囲しようとするその一画である。


 包囲されて矢を射かけられれば、ひとたまりもない。

 斜線を下に向けられるよう標的を中央に据えんとする動きと、受けよう躱そうとする標的の守りの心があれば合致しなければ成し得ない。そう、標的がつねに命を投げ出さずに差し出し、前に出続けるならば成立しないのだ。


「えいやあ」


 弓を引き絞りつつある対手の馬の足を切り飛ばす。軽く刃を当てるだけだが、それで馬は用を足せなくなる。体勢を崩した騎馬を引き、その身が地に落ちきる前に首を捻折り屠る。


 矢が、同時ではなくばらばらに飛んでくる。番えるタイミングもばらばらであり、十人以上が一個の生き物のように機能し始めた証左であった。

 ただこの一個の生き物には十以上の命があるのだ。


(半分は馬を捨てるか)


 射線に交われば同士討ちになる。しかも、それを厭わぬかと思えばそうではなかった。

 赤備えを身に纏ったことで、忍者が武者になったのだ。

 装備によって、やれることが定まってしまったのだ。

 精神が居付くと、悲しいかな、自分が思ってる自分とはほど遠いものに変生してしまうのだ。


「武者として死にたいのか」


 そんなことを思う自分自身、剣者であっても難しい話を嫌い、弟に総てを押しつけるように逃げた自分はどうなのだ。

 雑念を払うように棒手裏剣を放つ。


 包囲陣が形成されそうになるたびに、宗章はその一画を崩して斬っていく、折っていく、悉く一撃で殺していく。

 そう、勝負は一瞬で決まる。

 戦場の活殺剣は、死が最も近くなる漆膠しっこうの間合いで決めるものだ。数百年を掛け、進化し続けた剣術、武術というものの発露は相手の死により確かめられる。


 宗章はただただ前に出る。

 間合いに入り、攻撃を殺し、あるいは活かし、塗漆ウルシニカワのように肉薄し仕留める。

 武術家は前に出る。

 ただそれだけが奥義であった。

 活殺自在にまで至るには、それこそ場数が必要だった。

 宗章は武者修行でそれを行い、弟の宗矩は理詰めと本格の稽古で研鑽した。その結果が、これである。


 太刀を担いで打ち込むは、甲冑――自分の兜の立物を避けながら刀刃を振りかぶる際の倣いであるが、鋒が自分の後ろへと流れるということは相手からも遠くなるということだ。

 宗章はその距離の遅さがあれば、相手の遅れ、そのぶん前に出て撃ち込んでいる。当たらぬなら、いくらそれが威力のためとはいえ、惰性と筋力と加速に期待したものであればあるほど、術から離れていく。


 甲冑そのものも、当たるに任せた防御に隙を突かれるものである。

 対甲冑闘法が研鑽され尽くしたこの戦国末期でさえ、組み討ちは最後の最後といわれている。それ以前の刀槍による殺傷方法は言うを待たない。


 故に、戦場に於いて術を駆使できる者の強さは、相手が術中に填まっていれば填まっているほど発揮される。


 ずいとばかりに踏み込み、草摺を捲り上げて股間――大腿動脈を抉る。

 忍緒しのびお喉輪のどわの隙間から首を貫く。

 じゅうじゅつで背後に回り盆の窪を抉り斬る。

 篭手の継ぎ目を撃ち手首を斬割する。


 狙うところは、鎧甲冑の鎧甲冑故に甘くなる部分である。

 付け入る隙は多い。

 あまりにも多い。


 武者として死にに来た漆手衆郎党は、いかにも武士らしく武者らしく散っていく。


 ついに、最後のひとりである。


「見事」

「ひとりは逃すさ」

「ありがたく」


 最後のひとりが息絶える。宗章は貫いた兼定を抜き、酒で刀身を洗い流し、袖で水気を拭う。

 死したは十と五人。馬も二、三斃れた。


 宗章の荒い息が落日に併せ、ようやく収まっていく。

 彼の馬が、とことことやってくる。他の馬に促すように首を巡らせると、何頭か連れ立って南へと歩き出した。


「俺を責めぬのか」


 馬はいななきひとつしない。

 戦馬であった。

 宗章はその背に跨がると、鐙を入れる。

 こんどはひと度で馬は走り出す。

 北へ。

 小千谷を抜け、目指すは長岡である。





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