第4話『その太刀、兼定』

 昼までぐっすり寝たあと、宗章は軒先で少年と話していた。


「ばかだなあ、お前は。そんなことは関白さまや石田殿にはお見通しだ。宗章がうまくいけば相手側の力を削ぐ、うまくいかなかったらじっくり攻める、現にどうとでも捨てられる私の手の者を厳重を旨とする刀蔵の護衛にした時点でてのひらの上というわけだ」

「面白くありませんなあ」


 小早川屋敷である。

 柳生宗章はここに厄介になっている。世話になっているというよりも、厄介になっているという表現が正しい。なにせ、宗章が「殿」と仕えている羽柴秀俊――のちの小早川秀秋ともども世話になっているのがそもそもの厄介事なのだ。


 柳生宗章は、剣術とは別個の、家格としての柳生の没落によって「これ幸い」と、戦ではなく武者修行に出た柳生の中でもかわりものであった。

 やることなすこととぼけてはいるが、剣を取れば実に真っ当正直な男で、義を見てせざるは何とやら、善良なものへの優しさを忘れず、さりとて邪悪な奴らからは遠慮なくかっぱいでいくという太い男でもあった。


 そんな男が、斬っても襲ってもいいような悪い奴と当たらぬ日々の中、飢えに飢えた中で倒れた際に出会ったのが、この羽柴の小僧っ子であった。


 のちの小早川秀秋、このとき満6歳である。この六歳児と肩を並べて中屋敷離れで餅を頬張る宗章は、もともとこの六歳児を守るためにここに居るのだ。

 そもそも、もともと、なぜならばという流れを追うには、この『小早川秀秋』という少年から柳生宗章の軸を徹さねばならないことになる。


「出立はすぐか」

「殿のご無事が確保できる明日以降ですかな」


 少年は、もともと関白である豊臣秀吉の甥であり、先年養子となった。未曾有の大権力者の跡継ぎ候補である。これだけで命を狙われる必然が生まれる。事実、彼に取り入ろうとするものと排除せしめんと動く者たちの確執によって、その命が刀刃の下に曝されたことは十指に余るほどだった。

 先年、ちょうど具合良く武者修行の旅に出ていたこの柳生宗章が、聚楽第におけるちょっとした政争のとばっちりから少年の命を救ったのが交流の始まりであった。

 そんな、なんのこともない政治の営みの中で出会ったこの主従は、気心が知れたのか実に体よく政治に利用されるようになった。


 少年のいまの家である羽柴家は、近々に取り潰しが決まる流れであり、その次に身を寄せるのは、この筑前の雄、小早川家という段取りがほぼ決まっている故の預かり。つまりは厄介事にほかならない。


 跡継ぎ候補というエサ。

 それを守る番犬。


 それがこの少年と武士の簡単な経緯である。

 頼れる大人として宗章を信頼する少年。

 そして、幼いながらも豊臣のために身命を賭すいじらしい少年を守りたいと思う大人。

 そんなふたりであった。


「おそらくだが、死体を持って帰った武士もののふは、真田信繁のぶしげ殿だろう。越後と聞いてピンときた」

「誰でござる」


 のちに真田幸村となる名高い武者を知らぬあたりに「ほんと剣没頭の――」と六歳児に呆れかけられた宗章であるが、「まあ誰でもよかろうですわ。行って、引っかき回して、何かしらを得て、殿が世継ぎになれる足がかりを作る。それがこの宗章の――いまの望み故」と首筋を撫でる。


「世話を掛けるな、宗章」

「なんの、飯を食えるのは殿のおかげです。飢え死にせずに済んだ恩は終生忘れませぬ」

「大福ひとつで――ひとつではないな、下女らへの土産をぜんぶ喰ったなお前は。武芸者は道々、生きるため喰っていくのも修行のうちだと聞くぞ」

「だから殿の側にいるのではないですか」

「こやつ」


 呆れた少年は自分の餅もくれてやることにした。


「ふつかほど遅らせよ。真田どのは明後日あたりに国元へと帰るはずだ。先に帰らせた方が面倒事が増えていいからな」

「もっと子供らしいことを考えたらいかがですか」


 差し出された餅をつまむ。


「まわりは、子供でいさせてくれなんだ。お前といると気が楽だ」

「殿」

「私より子供だからな」


 違いない。宗章は餅を飲み込む。


「では、私は行く。せいぜい、引っかき回してくれ。関白さまの眼鏡に適う働きをして、楽をさせておくれよ」

「承知仕った」

「こういうときだけ礼儀正しくしおって」


 笑い声を遺し、少年は共連れで去っていく。

 やることがあるのだろうが、宗章に政治は分からぬ。

 わかるのは、今の餅から少年の命を狙うものがこの屋敷にもいるという事実だけであった。

 そっと口から、餅に練り込まれていた豆の皮を出す。

 薄皮、甘皮といわれる薄い膜である。


「これは羽柴の家の味ではないな」


 ぴんと弾いて捨てる。

 宗章は刀の大小を差し、通用門から小早川家をあとにする。門番は渋い顔だが、文句は言わない。


与蔵よぞうという小者がいただろう。どこに行った」


 ふと宗章は通用門を閉めかけた門番に聞くと、「先ほど使いに出るっていって、まだ戻ってきておりませんな」という応えに「左様か」と返し、すたすたと裏通りへと向かう。遅滞はなかった。


 永平寺から南に進み、名も知れぬ古刹、その崩れた山門と倒壊しかけた白壁の側まで来ると、鬱蒼とした藪の隙間から古寺のあれた境内を覗き込む。


「おお、いるいる」


 ふと笑って宗章はまたも常の歩みで山門をくぐり、雨風も凌げぬであろう堂内へと踏み入った。

 埃と酒と、饐えて垢じみた――嗅ぎ慣れた臭い、血だ。


 今しがた斬り終えたであろう与蔵の骸が転がっている。手を差し出して死んでいるのは、仕事の代金を受け取ろうとした矢先に即死させられたからだろう。その顔は薄ら笑いすら浮かべている。


 その死体の奥、ばちあたりにも蓮台の前で猿ぐつわを嵌めた女の股の間に割り込むように袴をずらし圧しかかる男と、着衣の隙間から乳房を揉む男――与蔵を斬ったのはこの男だろう、血刀納めず床に転がしたままだ。


 そんな男らが泣きじゃくる女を陵辱しながら、間近までやってきた宗章にようやっと気が付いた。


「なんだ貴様は」


 誰何の声に、宗章は抜き撃ちで応えた。

 腰間ようかんから真一文字に奔った白刃は、乳を揉んでいた男の頭蓋を刎ね飛ばし、両手を添えて斬り下ろされた一撃が腰を振っていた男の首を盆の窪から喉仏まで斬割した。


「柳生宗章」


 即死させたあとに名乗る。

 猿ぐつわを嵌められた女の顔に脳髄がびしゃりと滴り、胸元は首からの大出血で真っ赤に染まる。勢いで抜けた男根からびゅくびゅくと粥のように大量の白濁液が噴き出しているのは、断末魔のようなものだろう。


「酷い有様だな。おい、大丈夫か。いかん、気を失ったか」


 女に声を掛けるが、手間を掛けたくなかったが故に一息で殺したた手前、やりすぎたなと顎を掻く。

 そして、宗章は背後に静かな重い気配を感じ、振り返る。


「柳生と言ったか」

「柳生宗章と言ったんだが。お主は。――」


 長身痩躯の男だった。金で雇われたような食い詰めた風貌だが、恐らくはどこぞの家臣だろう。正統な戦働きを学んだものの面構えだ。

 少しは強そうなやつがやってきたなと、宗章は破顔した。


「仕掛けてくるなら相手をするが」


 双手で右肩に担いだ太刀をやや背中側に寝かせるように構え、宗章は聞く。与蔵の死体を挟み相手との距離はおよそ10メートルと少し、間合い六間といったところだった。

 仕掛けるには遠く、死体が邪魔をしている。

 この死体がなかったら男は宗章に気配を殺して不意打ちを食らわしていただろう。しかし、彼の接近に気が付いていた宗章の様子を見、しかも「柳生」と名を聞いたことで、仕掛けぬことが吉と出たことを知る。


「仕掛けぬなら見逃すか」

「うム。それもしがたい」

「なぜだ」

「お前もやりたがってるからさ」

「是非もなし」


 男も笑う。

 どのみち、女の口を封じなければいけないからだ。

 ならばこの男も殺さねばならない。

 死んだ男らが色欲にかまけて口封じを遅らせていなければ、彼は姿を現さなかったであろう。


「まあ、そのあたりはどうでもいいのさ。――」


 宗章はひょいと与蔵を跨いで彼我の距離を詰める。


「備えている相手に抜き撃ちは効かぬよな」


 男も刀を抜く。

 互いに自然八双。

 左側面を誘いにし、顔の右で切っ先を上に刀を構えている。

 男の刀の刃まっすぐ宗章を向き、切っ先はやや後方に寝ている。威力はすさまじいことが窺える。

 宗章の刀はやや鎬地を見せ、切っ先は垂直に構えられている。ゆるりとした表情は、蓮の台から降り立った仏のような表情だ。


「う。――」と男。


 熱く冷たい殺気が交差する。

 じりと詰めあう彼我の間合いが、ついに踏み込めば当たる一足一刀の間合いにまで迫った。


 す――。

 呼気か、吸気か、宗章の首筋に恐ろしくはっきりとした隙が生じた瞬間、男は誘い込まれるように斬りかかっていた。


「えい」


 気迫一閃、太刀の銀光が宗章の袈裟に斬り込まれると見えた瞬間。


「えいやぁ」


 寸前で撃ち込まれた宗章の斬撃が男の刀刃に被さるように撃ち込まれ、弾き落としながら切っ先を彼の頭蓋へと叩き込んでいた。

 男は即死しながらも「見事」と呟き頽れた。


「すまんな、死ぬわけにも負けるわけにもいかなんだ故、撃たせて討ち取った。しかし思いのほか早かった。こちらも合撃がっしうちで迎えるしかなかったわ」


 今になって脂汗といったところだ。

 宗章はそのまま女に活を入れて目を覚まさせ、猿ぐつわを解いてやり、男らから剥ぎ取った着物を羽織らせる。


「落ち着いたかね」


 女は頷いた。面倒くさいので詮索はしなかったが、であろう。気付きたくもないが、羽柴や小早川のだ。

 台所を預かる者のひとりだろう。


「若い頃から、『家の味』を守るよう厳しき躾けを受けていたのは分かる。だがな、一見無意味な家の味というものには、大きい意味がある」


 息を呑む子女に宗章は続ける。


「女の戦いは厨にある。その家で生まれた子が強く育つために、口に入る者は徹底的に吟味される。過去、血道や卒中が多かった家では塩気は薄味になる、ビワを食って死んだ子が居る家はそれを下卑た喰い物だと過剰に忌避してでも家の味・しきたりとしてこれを遠ざける。これを理由を言葉で告げずに厳しく口中の舌でのみ伝えるのはなぜか」


 問うた宗章は子女の背を優しく叩く。


「口にすれば悪用する者が現れるからだ。よいか、ずんだは今後、小早川家の味ではなくなる。よいな。――」


 この者の身の振りは殿に任せるとして、宗章は死体の着物で刀を拭い、立ち上がる。納刀の前に、己が太刀『初代兼定』へと目を落とす。

 重ねという、刀刃の厚さは7ミリを超えている。この厚さがなければ、相手の攻撃を受け落としながら斬り込む強靱さに不安が出る。

 しかも相手の刀刃が目前に来るまで待てる目と心胆がなければ、逆に打ち落とされて死んでいるのは彼であっただろう。


 生き残れば、アレま不思議の闘争の世界であった。


「これで、誰ぞの思惑の一個は潰えたか。これで慶しとするか。うむ、屋敷まで送ろう、なに、悪いようにはせぬ」


 宗章は四つの死体を遺し、女を連れて古刹をあとにした。

 泳がせていた与蔵は自業自得ではあったが、可哀想なことをしたなと少し思うも、仕方がないと諦める。


 彼の心は、もう越後へと飛んでいたのだ。

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