第2話 旅立ち

 その後カールは近くの街に行くと育児書を何冊も買い、そこに記載されている赤子に必要なものを片っ端から買い込んでいた。さらにマリアナは各地の眷族たちに声をかけて、人間の子育てに詳しい者から知識を習得した。


「まずは乳を飲まさないとな」

「マリアナ、これを使うのだ」

「なんだそれは?」

「哺乳筒というらしい。この筒に乳をいれてから、端を咥えさせるのだ」

「ふむふむ。それで少しずつ流すのか?」

「そうだ。ここに、先ほど捕まえた鳳凰の乳を入れよう」

「おお、うまそうに飲んだぞ」

 二人はこわれものに触るようにおそるおそる授乳をはじめた。


「この育児書によれば、小さな歯が生え出したら柔らかく消化が良いものを細かくドロドロにして食べさせろ、と書いてある」

「ふむふむ。なら昨日のベヒモスの肉を滅茶苦茶に細かく切り刻んでから、コカトリスの卵を混ぜてドロドロにすればいいな」

「おお、やってみよう」


「この育児書によれば、子供は親と遊ぶことによって温もりを感じて健やかに育つそうだ」

「ふむふむ。ならば、我が背に乗せて大空を連れまわして遊んでやろう」

「儂は狩猟を教えて遊んでやろう」

「この育児書によれば、子供は知識や力を無限に習得できる可能性があるとのことだ」

「ふむふむ。ならば我は古代龍が使役する魔法の知識を伝授しよう」

「儂は、剣術の秘儀を伝授しよう」

「この育児書によれば、子供が動物と触れ合うことが情操教育に良いとのことだ」

「ふむふむ。ならば森の主の子供をもらい受けよう」

「おお、もうすぐ産まれる神狼フェンリルの子供だな。それはよいな」


 かくして、その赤子はシアと名づけられ、沢山の愛情をカールと古代龍マリアナから受けて健やかに成長をしていったのであった。


 フェンリルの子供は小太郎と名づけられ、毎日シアを背に乗せて広大な森を走り回っていた。シアはその艶やかな長い黒髪を背中にはためかせながら小太郎の背の上に立って、おもむろに飛び上がり、目の前にいる熊の背後に降り立つと慣れた手つきで軽く剣を振りぬいた。熊の首が地に落ちた瞬間には、シアはマリアナから教わった重力魔法で熊を逆さまにぶら下げると血抜きをはじめていた。

「小太郎、今日の晩御飯は熊のステーキだね」

「うん。楽しみだね~」

 そんな日常であった。


 シアはカールとマリアナが絶賛するほどの才能を見せていた。子供とは思えない身体能力はカールの剣技を余すところなく受け継ぎ、古代龍が驚くほどの強大な魔力から行使される魔法は人の領域を超え、二人を喜ばせていた。


 だが、シアが10歳になった時、突然カールが倒れた。

 自身の最期を悟ったカールはシアに告げた。

「シアよ。この大陸を離れて東の大陸へと旅立て。そしてこのタグを持ってクレインという名の男を探せ。有名な冒険者だからすぐにわかるはずだ。マリアナ……あとは頼む……」

 そう言い残すとカールは旅立った。

 このときはじめてシアは悲しみというものを知った。

 自身の中から果てなくあふれ出てくる涙と喪失感。

 その様子を見ていたマリアナがシアに告げた。

「カールは星詠みで死期がわかっていたのだ……」


 マリアナによればカールは元々冒険者というものだったらしい。だが、何度も殺されそうになり、徐々に人付き合いを避けるようになったカールは30年程前にこの森にやって来て、マリアナと意気投合しこの家を造り住み着いたのだという。


 そこまで語ったマリアナはシアを抱きしめていう。

「シアよ。カールがそなたの父であるように、このマリアナは母であり、この森はそなたが帰る場所なのだ」

 シアはマリアナを抱き返して言う。

「ありがとう、母さん……」

 そしてカールの亡骸を見て、

「ありがとう、父さん……」

 その後二人はカールの亡骸の横で三日三晩泣き続け、四日目に森で最も大きな木の下にカールの亡骸を埋めたのであった。


それから2年間シアはマリアナのそばで過ごしていた。

カールは東隣の大陸へと旅立てと遺言していたが、シアはマリアナを一人にすることができず、またマリアナもシアを手放したくなかったのであった。

 そんなある日、一匹の飛燕鳥が飛んできた。飛燕鳥は大きなツバメのような鳥で非常に早く飛ぶことが出来る。従順で賢いために遠方と連絡をとるために利用される鳥であった。カールが生きているときに何度か飛ばしているのを見たことがあったシアはマリアナを呼ぶと、二人で添えてあった手紙を読んでみた。すると、


「カールよ、まだ生きているのか?

 二年前にもらった手紙では息子のシアがそちらに行くからよろしくとあったがどうなっている?

急がないと入学の時期を逃がすぞ。

 まだ来ないということは、お前もまだ生きているってことだよな?

 もし、生きているならすぐに返事をよこせ。

 死んでいるなら、死んでいるなら……それでも返事を永久に待つさ。

 俺はお前が不死身だと信じているよ。

 返事を待つ。

 悪友 クレインより」


 その手紙を見て、シアとマリアナは顔を見合わせた。

 やがて、マリアナは意を決したように言う。

「シアよ。カールの遺言に従って旅立て。我はここに来てからのカールのことしか知らんが、向こうの大陸に友がいたようだ。その友にそなたの顔を見せてやれ」

「……母さん」

「シアの魔力量ならそのうち転移魔法を覚えるだろう。そうすればこの母にいつでも会える。それにな、シアを育てて思ったのだ。子は可愛いものだ。シアもつがいを見つけて子を作り、孫を見せてくれ。それには人の中で生きねばならん。旅立つのだ」

「……母さん」

 その日の夜、二人は寄り添うように眠った。


 次の日、旅立ちの準備を済ませたシアと小太郎をマリアナは背に乗せて飛び立った。

全く風を感じることも揺れることもない母の大きな背の上で、シアは眼下に広がる大きな海が煌めく様子を眺めていた。透き通る青い空が旅立ちを祝い、日の光がシアを導くかのようであった。やがて、マリアナは陸から離れた島へと降り立つ。


「シアよ。古代龍の姿で人里に近づくと皆が驚いてしまうのでな。母はここまでにするよ」

「母さん、ありがとう」

「いい子だ、シア。愛しているよ」

「母さん、俺もだよ」

 二人は互いに目に涙を浮かべながら別れを惜しんだ。

 そして、マリアナがシアの背をそっと押すと、シアは小太郎にまたがり、大空へと駆け上がると一気に大陸へと向かっていったのであった。

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