5-1 村娘の遭遇
スコーン。スコーン。
気持ちいい音が裏庭に響く。私は木を切る音が好き。斧を振るっていると、頭がだんだんすっきりしていくような気がする。
最後の薪を切り終えて、私はぐっと伸びをした。肩をぐるぐる回して、動きの具合を確認する。よし、完全復活だ。
では……。私はきょろきょろと辺りを見渡し、手頃な木を見つけると、幹に足をつけて、力いっぱい斧を振り上げた。
「婚約ってなんなのさああー!」
叫びと一緒に木は倒れた。はあ、と息を吐く。どうして自分がこんなに動揺しているのかも分からない。
だって、婚約って。クラリス様が? 誰と?
いや、それ以前に……逆行する前の世界では、クラリス様は婚約者なんていたのか? そう、たぶん私が混乱しているのはその点だ。なんかもっと別の原因がありそうだけど、とりあえずはそれだ。だって、クラリス様は王女という立場上、簡単に結婚相手を探すことができないはずだから。
セント=エルド大王国において、王女もしくは王子は、非常に特殊な存在だ。そもそも王が世襲でないため、彼ら彼女らは必ずしも次期国王ではない。しかし、銀の瞳を持つ者は、即位中の王が子供をもうけた時にしか生まれないこともあって、やはりこの国で二番目に高貴な人間でもある。国王として予言者の力を授けられると、代償としてなのか、子供が出来づらくなることも珍しさの理由だ。そして生まれた子供は、たいてい王となるに十分な占星術の才能を持っている。
確約していない次期国王。そう目されるのが、クラリス様の置かれた王女という立場だ。
もしかしたら、国王とならずに臣籍降下するかも知れない。その時はもちろん、縁を持ちたいという名家はたくさんあるだろう。
しかし、王になれた場合、子供を残せるか分からないから、結婚にそもそもメリットがあるのか。……でも、万が一、銀の瞳の子供が生まれたら。その子を王に据えて、自分たちの一族が操れるようにできたら……。
などなど、複雑すぎる事情がクラリス様の結婚には関わっているのである。
なんて、知ったような口ぶりで説明してみたけど、大半はオリバーからの受け売りだ。彼は、こういった上流階級特有のドロドロした内情みたいなものが苦手なようで、自室療養中にため息をつきながら教えてくれた。
「クラリス団長も大変だよなあ。今は亡き王配殿下の実家からも、小さい頃にはよく洗脳まがいのことをされかけたって言うし。それを女王陛下は全力で防いでいたんだと」
「へえ。なんだ、クラリス様はよく陛下の呼び出しをすっぽかしてるイメージがあったから、お母上とそれほど仲が良くないのかと思ってたけど、愛されてるのね」
「いや……。こんなこと言うと不敬だろうが、現女王エリザベス陛下は、王都の名門ド・バーグ一族の出身でさ。あそこは血統主義の意識がすごいから、よその家に大事な銀の瞳の子供をとられるのが我慢ならないんじゃないかな。邪推かも知れないけど」
素直に親子の絆を認めることもできないアッパー・クラスの事情、恐るべし……。
「あとは普通に、クラリス団長は美人だし、お近付きになりたい奴はゴロゴロいるな。もし団長が国王にならなくても、それなりの特権と家の名前は与えられるだろうから、実家を継げない次男坊三男坊は、玉の輿狙ってる連中もかなりいるよ」
「そうなんだ。ところで、オリバーはまさかそんなこと考えてないよね?」
話の流れで、あくまでさらっと聞いたはずだったのだが、オリバーは一瞬だけ視線をさまよわせた。私は叫んだ。
「嘘でしょ! オリバー、あなたは慎ましやかな羊飼いじゃなかったの!」
「だから俺は羊飼いじゃないって! 違うから! そんな恐れ多いこと企んでたら、俺、袋叩きにあってなぶり殺しだぞ!」
そして俯いたオリバーは「それみろ、選民意識だけは高い田舎の老人どもめ……息子に自殺行為をさせようとしてるのが分からないのか」とぶつぶつ呟いていた。なんだか大変そう。入団試験の件といい、オリバーは他人や運命に振り回されやすい苦労性らしい。
そうそう、私にとって最大の朗報が、彼オリバーについてだった。と、いうのも、どうやらオリバーが入団試験を突破した過程に、がっつり私が介入していたらしいので、オリバーは逆行前の世界では紅騎士団にいなかったことになる。つまり、オリバーは私と同じイレギュラーな存在で、クラリス様の処刑にも関わっていない、信頼できる相手だと判明したのだ!
それを知って、私の中で勝手に彼への好感度が上がった。私たちは一蓮托生の仲間だ。ともに頑張っていこう、同志よ!
そんなことを思い出しながら、切り倒した木の片付けをする。こうして出来た薪は、街へ売りに行っていいらしい。
こんな小金稼ぎをしているのは私くらいなものだけど……。実は、まだ切った薪を保存してあるだけで、街へ行けてないんだよね。ハネルを追いかけた時に判明したけど、私は都会の中では方向音痴みたいだし。
オリバーに相談しようかな。それに、もっとクラリス様を囲む王宮の情勢について教えてもらわないと。薪を担いで、私は宿舎に戻り、彼の部屋のドアをノックして「オリバー、ちょっといい?」と声をかけた。
しばらくして、部屋のドアは開いたが、現れたのは別人だった。プラチナブロンドの髪に碧眼。整った顔立ちだが、私を見下ろす視線はきつめだ。私が目を丸くしていると、相手は言った。
「……部屋、間違えてるんじゃない?」
「え?」
私はドアの横にある名札を確認した。本当だ。私からオリバーの部屋を訪ねたことがあまりなかったから、うっかりしてしまった。
「ごめんなさい、オリバーはもうひとつ向こうの角だったね。ええと、パトリックくん?」
「木こり風情が馴れ馴れしく呼ばないでくれるかな。ボクのことは様付けにするか、呼び捨てにするかのどちらかだ」
上から目線の言い方にカチンときたので、私も少しむすっとして「じゃ、パトリック」と呼んだ。しかし、相手はなぜか得意げな顔で「それでよろしい」と言ったため拍子抜けだ。掴みづらい人だな……。
「で? オリバーに何の用事?」
「……あなたに言う必要はないでしょ」
「ふうん。ところで、その薪、どうするの」
パトリックは、私が担いだままの薪を指差して聞いてきた。
「街に売りに行くつもりだけど」
「はあ? 紅騎士団の騎士が? 街で薪を売るの?」
「何か問題でも? マチルダ副団長の許可は取ってるよ」
「給料はちゃんと出てるだろう? それともキミ、貧乏なの?」
はい? ほぼ初対面で、そこまで他人に言われる筋合いはないんですけど。
まだ会話を始めて数分しか経っていないのに、パトリックという人間への印象がどんどん悪くなっていく。ええ、あなたのようないいところのお坊ちゃんほど、自由に使えるお金はないですよ。でも、騎士の理想は清貧でしょう。何か文句あるっての。
「たしかに、騎士は節制と倹約が基本だ。しかし、同時に誇り高い存在であらねばならない。間違っても、町人たちに薪を売って卑しい賃金をもらうようなことは、してはいけないんだ」
「なんですって。薪売りは別に卑しい仕事じゃないよ」
「森の木こりにとってはそうかもね。だが、キミは騎士だ。少し自覚が足りないんじゃない」
私たちは睨み合った。まったく価値観が合わない。その時、唯一「なんなんだコイツ」という思いだけは、お互い共通していただろう。
そこへ、「おーい」と聞こえてくる声があったので、私たちはそちらを向いた。
「ルイーゼ……と、パトリック?」
私を探していたらしいオリバーは、私の話し相手が誰なのか気付いて、怪訝な顔をした。険悪な雰囲気を察してか、オリバーは気まずそうにしながら言った。
「あー、とりあえず連絡だけど、ルイーゼ、マチルダ副団長が呼んでる。王宮の中庭に来いって」
「えっ、王宮に?」
急な呼び出しの上に、今まで行ったことのない王宮。少し気後れしてしまうが、上官の命令とあらば急いで向かわなければ。
私はすぐに頭を切り替え、オリバーに礼を言って、宿舎を飛び出して行った。背後でパトリックに「何あの娘!」と騒がれている声がしたが、構っていられない。
王宮は王都の中心にあり、紅騎士団の宿舎はそこから少し離れているものの、非常事態が起きたら瞬時に王宮へ駆けつけられる距離にある。
入り口の広い庭園を抜けて、渡り廊下を横切ると、王宮の中庭に出る。そこのベンチにマチルダさんとクラリス様がいて、私の姿に気付くと立ち上がって手を振ってくれた。
「ルイーゼ。急に呼び出してすまない」
「あっいえ! 全然大丈夫です! 何の御用でしょうか」
直立不動で聞いた私を、マチルダさんがクツクツと笑った。
「別に使いっ走りにやろうなんて考えてないから、楽にしてろよ、新人」
「ここで話すのも何だから、いったん室内に移ろうか」
慣れた様子で庭を歩いて行く二人について、おずおずと白亜の宮殿へ入る。長い大理石の廊下と、ちらっと見えた煌びやかな広間。ここは生活区域なのか、召使いやメイドが急ぎ足で通っていくが、みんな背筋がぴんと伸びて気品を崩さない。
そしてクラリス様に気付くと、脇に退いて礼をする。マチルダさんは鷹揚に手を上げてそれに応え、クラリス様は一人ひとりに挨拶をしながら通り過ぎた。私は、いちいち会釈を返しているうちに、頭がふらふらしてきた。
客間の一つに案内された時には、ちょっと目眩がしていたのでソファで休憩させてもらった。そんな私をマチルダさんは呆れたように見た。
「騎士のお前は、並の使用人より上の立場なんだから、もっと堂々としろよ。ただ、メイド長と侍女、執事は王宮内では騎士より地位が上だったりするから、すれ違う時には敬礼すること。コックは……地位的には同等か下だが、毒なんて入れられたら一発アウトだからな。よく尊重するように」
すらすらとマチルダさんが語る王宮のマナーをなんとか覚え込む。これから警護など王宮での仕事もあるだろう。この雲の上のような世界にも慣れていかなければ。
侍女の人が運んできてくれた紅茶を飲んで、クラリス様が「さて」と話を切り出した。
「まず、怪我の具合はどうだ。訓練でも支障はないか」
「はい、斧を振るえる程度には回復いたしました」
「それはよかった。君がいつも裏庭で木を切っているのを見て、楽しそうだなーって思っていたんだよ」
見られていたのか! ちょっぴり恥ずかしくて顔を赤くした私に、マチルダさんが「環境破壊にならない程度にしておくんだぞー」と気怠そうに忠告した。
「では、以前も事情聴取に協力してもらったが、今回はさらに詳しく聞きたくてな。メデューサたち……現在、牢に収監してある三体のメデューサと、君が倒した擬態の能力を持つメデューサについてだ」
私はうなずいて話を聞いていた。
遠くの地にいるはずのメデューサが王都にいたことや、王宮の地下に爆薬を仕掛けられたこともそうだが、あの事件における最大の問題は、メデューサがあれほど大量の火薬をどうして持っていたかということだ。
火薬の製法は、王宮の学者と技術者たちに独占されており、門外不出だ。それは民衆に余計な武力を与えないためで、管理も大変なので大量生産もされていない。それなのに、どうして辺境の地に住むメデューサが火薬の製法など知っていたのか。
「何度か尋問をかけたが、メデューサたちは口を割らない。また、王都の地理など知らないはずのメデューサが、あれほど正確に地下通路を掘り進められたのも不思議だ」
メデューサたちは、おそらく擬態の能力を持つ彼女が人間に化けつつ先導し、王都の付近までやって来て、街の外れから穴を掘って侵入したと推測されている。普通だったら数年はかかりそうな果てしないその作業を、メデューサたちはその剛腕を駆使して、数ヶ月で達成させたらしい。なんという執念……。
「ま、自然に考えて、黒幕が別にいるんだろうぜ」
マチルダさんの言葉に、クラリス様もうなずいた。
「ああ。それも王都の人間……加えて、王宮に通じた人間である可能性が高い」
ええっ。それってやばいんじゃないの? 王宮の誰かがメデューサと手を組んでいるってこと?
「そこでだ。ルイーゼ、ほんのわずかな情報でもいい。私たちが来るまで、メデューサと対峙していて、見たことや聞いたこと、気付いたことを教えてくれ」
そう言われて、私は左上に視線をやって考える。もうかなり記憶が薄れてしまったけど……。
「……『あの方』? メデューサたちが、『あの方』の指示には従わなければって言ってました」
朦朧とした意識の中で聞いた会話を思い出した。漠然とし過ぎているし、バタバタしていた前回の事情聴取では言わなかったのだ。クラリス様はふむ、と口に手をあてた。
「やはり、誰か司令塔がいる訳だな」
「それでなんか、『あの方』の指示では、王都の陥落とかよりもクラリス様を誘い出すことが最優先だったみたいで……死んだ『擬態』のメデューサが、私に化けて、クラリス様を探しに行こうとしていたんです」
「なるほどなー。たしかに姫さんなら、部下に化けられたりしたら、簡単に油断しちまうな」
マチルダさんに責めるような視線を向けられて、クラリス様は頬を撫でながら目を逸らした。引っ掻かれた傷は、もちろん今ではすっかり治っている。
「少し席を外すぞ」と部屋を出て行ったクラリス様を見送って、私はマチルダさんに言った。
「油断していても、クラリス様はすぐに反応して首を切ったじゃないですか。メデューサが私に化けたところで、どのみち倒されてましたよ」
「ホントはそれも失敗なんだよ。姫さんはな、あのメデューサも生かしてやりたかったんだ。手加減ができなくて切っちまっただけさ」
えっ、そうなの? どうしてクラリス様は、あんなに自分に憎悪を向けてくる相手でも、殺したくなかったんだろう?
だって、どう見てもメデューサがクラリス様に対して持つ憎しみは尋常じゃなかった。それに、あの擬態のメデューサに対しては、私が個人的に気になることもあるんだよね……。
考えにふける私を見て、マチルダさんは「そういう人なんだよ、姫さんは」とため息と共に言った。
「実は、お前にもうひとつ聞きたいことがあったんだ。収監してある三体のメデューサの処遇について」
「ああ。私、てっきり既に殺されているかと……」
「普通ならそうだ。だが、さっき述べたような疑問が解決していないため、情報をもらすのを待っているのと、姫さんが積極的にあれを殺さないでいるよう働きかけているのさ」
「えっ! どうしてですか?」
「それは……」
マチルダさんが何か言いかけた時に、部屋の扉が開いて「戻ったぞ!」とクラリス様が帰ってきた。
私は、クラリス様に直接質問しようと思ったが、クラリス様の後ろから部屋に入ってくる人物を見て、ぽかんと口を開けた。
「お、姫さん、そいつも連れてきたのか」
「ああ、ちょうどいいところに通りすがってな! 説明は彼の方が上手いだろうし」
クラリス様が連れてきたのは、一人の男性だった。流れるような銀髪に、儚げな容姿。見覚えがある、どころではない。
この人は——。
「師匠?!」
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