4 青年は聞く

 紅騎士団の新人ルイーゼ・スミスが、単独でメデューサに立ち向かい肩を負傷するという無茶をしてから二週間ほど。


 聞いたら、肩の怪我は毒が全身に回るのを防ぐため、自分で火薬を乗せて爆破させたものらしい。改めてめちゃくちゃな奴だ。

 王宮の医務室へ運ばれた彼女は全治一ヶ月を言い渡され、訓練を休み療養することになった。本人はそろそろリハビリを始めたいとこぼしていたが、肉体仕事である騎士という職業柄、万全の状態に戻るまで下手なことはしない方がいい。そう説得して、彼女のために食堂から夕食を部屋まで運んだり、新しい包帯をもらってきたりしていたら、ある日ルイーゼに言われた。


「もしかして、あの時のこと気にしてる?」


 ……バレていた。


 だって気にするだろう。仲間に斬りかかったんだから、本当はもっと厳しい処罰を受けたっていいはずだった。

 それを、ルイーゼの証言でメデューサの邪眼に操られたための不可抗力だと認められたのと、あの後ルイーゼがハネルと名付けた羊の上で目を覚まし、地上に出て、街をパトロールしていたクラリス団長に発見されてから、事態の報告と地下通路の道案内をしたことで事件解決に役に立ったとされ、多少のあれそれは帳消しになった。


 俺としては「多少」で済まされることじゃないと思うのだけれど、たしかに俺と戦ったことより、メデューサに襲われた方がルイーゼにとっては大ごとだっただろう。そんなこんなで、俺ひとりが中途半端な罪悪感を抱えたまま、この事件は解決した。


「もー、そんな気にしなくていいのに。昨日のデザートのゼリー、ちょっと多めだったけど、あれオリバーのしわざでしょ」

「う。それもバレてたのか」

「罪滅ぼしの方法がやけに可愛いというか、なんというか。ふふ」


 笑うルイーゼに、俺は肩を落とした。

 正直、ルイーゼと戦っている最中の記憶はあまりない。操られている時の俺がどんな様子だったかルイーゼから聞き出そうとしたりもしたが、彼女は「目が白く発光してた。あれ、あんまり似合ってなかったよ」とかいうどうでもいい情報しか教えてくれず、「覚えてないならその方がいい」と言うばかりで、俺も諦めた。


 でも、うっすらと察している。

 メデューサの邪眼は、人間の中にあるネガティブな感情を増幅させ、心を不安定にすることで相手を操る力を持つ。つまり、もともとネガティブな感情なんか持たないような、突き抜けて純粋かつ善良な者……言い換えればお気楽者には、その力を発揮できない。

 そんな奇跡みたいな人間が現実にいるのかというと、クラリス団長がその奇跡の例だ。普通の人間はメデューサと対峙する時に、目隠しをしたり、特殊なメガネをしたり対策をするのだが、クラリス団長はその必要がないため、怯まずガンガン攻撃できる。本当に何者なんだよ、あの人は。


 つまり、メデューサの邪眼は、火種がないと効果を持たない。俺がルイーゼに剣を抜いたのは、俺の心に、ほんのわずかであっても、彼女に対して負の感情があったからだろう。そこをつけこまれたのだ。

 きっと俺の殺意は本物だった。


「まあ、まあ、深く考えないで。これから同期として一緒にやって行くんだから、乱闘のどさくさにフレンドリーファイアくらいあるかもだし、お互い様だよ」

「どうしてそんなに達観できるんだよ……。ああもう、どうして俺は紅騎士団なんか入っちまったんだ」


 自分が死ぬのはまだいいにしても、他人の足を引っ張るくらいなら、俺はこの実力者集団から抜けた方がいいんじゃないか。

 本気でそんなことを考えるくらいに落ち込んできた俺に、ルイーゼが気を遣って話題を変えようとしてくれる。


「えっと……。そうだ、前から疑問なんだけど、なんでオリバーはそんなに、自分は紅騎士団にいるはずじゃないって思うの? 勝ち抜き戦で優勝したんでしょ。不正行為もしようがないし」

「不正はなくても、神様のいたずらってのはあるんだよ」


 俺は、運で試合に勝ってきた経緯をルイーゼに話した。自分から言いふらす気はないけれど、知っている奴はたくさんいるし、今更隠したいとは思わない。


 もちろん、実家にもそのいきさつは伝わっているはずなのだが、のどかな領地に似合わず出世願望ばりばりの成金一族である俺の家からは、俺が紅騎士団入りした途端に手紙を送ってくるようになった。

 「実力不足なんてどうでもいいから、上の家の人間に取り入っておけ!」という内容の手紙を十通も二十通も受け取ると、さすがに気が滅入る。「王女殿下も騎士団にいるらしいが、いい仲になれそうな気配はあるか」などと書かれていた手紙は、見つかったらいろいろな人からリンチにされそうだったので、ハネルに食わせて証拠隠滅した。ハネルは実にしぶしぶといった様子で、その手紙を腹におさめてくれた。


 ルイーゼがハネルと名付けたあの羊は、毛を刈られた後で、なぜか騎士団が引き取ることになった。今回の事件で俺をクラリス団長たちのもとへ運んだ「お手柄羊」ということで、飼い主に王宮から謝礼が入った代わりに、記念として騎士団がもらい受けることになったのだ。ハネルの世話係は当然のごとく俺だった。なんでだよ。


 一通り俺の事情を聞いたルイーゼは、ぶつぶつと何かを呟いていた。


「巨大な剣を担いだ男……花瓶……カンニング……。まさか……?」


 そして、少し固まってから、ぐわっと頭を抱えて悶えだした。


「うわ、最後の奴はともかく、他の人たちに申し訳ない……! でももし、オリバーがその人たちと戦ってたら負けたかっていうと、そうでもない気がするし」

「お、おい、どうした? 何で急に錯乱してるんだ?」

「むしろ逆に考えれば、オリバーは本来ならカンニング野郎に負けて紅騎士団にいなかったってことだ……つまり、そうなると……」


 ルイーゼはふいに沈黙した。本格的に彼女の情緒が心配になって、俺が顔を覗き込もうとしたら、がしっと手を掴まれたので驚いた。

 ルイーゼはにっこり笑って、握った手をぶんぶん振った。おい、動かしてるのは怪我してない方の肩だよな?


「オリバー・グレイくん。私たち、仲良くしようね」

「え? ああ、うん、仲良くできたらいいな」


 二度目の友好の握手を済ませて、ルイーゼは「信頼できる人を見つけたぞ! やったあ!」とガッツポーズをしていた。

 なんだかよく分からないが、ルイーゼが元気になったので、よかったことにしておく。


 頼みごとがあったらなんでも言ってくれ、と伝えてから、ルイーゼの部屋を出た。

 差し込む光が暖かな昼下がり。宿舎のラウンジへ向かうと、今日が休みなこともあって、暇を持て余した者たちがたむろしている。先輩になるにつれて、下宿暮らしになったり家庭を持ったりして宿舎を出ていくため、団のみんなで集まるのは食事の時くらいで、休日にラウンジにいるのはだいたい同期の新人騎士しかいない。


「よお羊飼い君、これからハネルの散歩にでも行くの?」


 そんな風にからかわれるのも慣れたので、俺は「はいはい」と適当にいなして、コーヒーを一杯頂くことにした。

 実を言うと、羊の世話はそれほど苦ではない。ハネルは生意気な性格だけど、落ち込みがちな俺をもふもふセラピーで励まそうとしてくれる。そういえば、俺が昔騎士になって守りたいと思っていたのは、夜道を移動してオオカミに狙われる羊飼いと羊たちだったなとか、ふとそんなことを思い出した。


『あなたは何になりたいの』

 どこで聞いたのか、誰かの声が耳の奥で響いた。


 物思いに沈む俺の肩をぐいっと掴む手があって、俺は振り返った。


「パトリック。鍛錬から戻ってきたのか?」

「そ。これ、来てたよ」


 渡された封筒に、俺は苦笑いする。


「俺の実家もうるさいな」

「嬉しくないのかい? こまめに連絡をくれて、いい家族じゃないか」


 ソファの一つに腰掛けて、パトリックは上着を脱いだ。いつも身だしなみに気をつけているパトリックは、自主鍛錬の後でもまったく服を乱していない。むしろ、そういった自分の美意識を保つためだけに、マチルダ副団長の過酷な訓練も耐え抜いている節がある。


「少なくとも、紅騎士団入りしたぐらいで期待をかけてくれるキミの家は、ボクにしたら田舎にふさわしい能天気さだよ」

「またそういうこと言うなって。お前んとこもしょっちゅう手紙をよこすじゃないか」


 俺がパトリックの手に残された封筒を指さしてやると、彼は興味もなさそうに「ああ、そうだね」と呟いてテーブルに投げた。


「ところで、キミはずいぶんあの木こり娘と仲良くなっているみたいだけど、どういうつもりだい。強いの? 彼女」

「俺は負けたよ。メデューサも一体倒したみたいだ。すごいよな、いきなりの実戦で。今回の事件でクラリス団長たちからの覚えもいいし、まさしく期待の新人ってとこだろう」


 実際、紅騎士団でのルイーゼの評価は、戦いの何たるかを知らない田舎者から、実戦にも怯まず、クラリス団長への忠義に篤い騎士らしい若者という好意的なものに変わってきている。


「ふん。馬鹿馬鹿しい」


 露骨にパトリックの機嫌が悪くなった。俺は、面倒なことを言ってしまったかとうっすら後悔した。

 こいつもルイーゼと同様、性格が掴みづらい変な奴だ。騎士としての在り方や、上流階級の作法にうるさい一方で、紅騎士団の騎士らしく実力重視の傾向を持ち合わせている。そして、自分より優れた人間が現れることに敏感だ。そのため彼にとって、木こり然とした振る舞いを正さないわりに戦闘に強いルイーゼは、どうにも気に入らない存在らしい。


「だいたいメデューサを倒したと言っても、とどめを刺し忘れて、結局復活させてしまったじゃないか。事件への貢献という面でも、せいぜい地下道と広間の発見くらいで、肩の怪我は完全に無駄骨だろう。名誉でない負傷は騎士にとって恥だ。あんな村人、紅騎士団にはいらない」

「落ち着けよ、パトリック。紅騎士団にふさわしいかどうかは、俺たちが決めることじゃない。俺はルイーゼをいい奴だと思うけどな」


 そんなことを話しながら手紙を開くと、また他人には見せられない内容がずらずらと書き連ねられていたので、俺はみるみるうちに無表情になった。「またハネルに食べさせないと……」と小さく呟くと、横からパトリックが「じゃ、これもお願い」と未開封の封筒を押し付けてくる。


「おい。読まなくていいのか」

「こんなもの、真面目に相手するだけ無駄さ」

「お前の親父さんからなんだろ」

「あの人に対しては、こっちは思い入れのかけらもないのでね」


 想像以上に冷え切った言葉に肩をすくめる。複雑な家庭事情は、特に名家では、珍しい話でもなんでもない。おまけにパトリックの出自を考えると……。


 そうは言っても、読まれることもなく処分されてしまう手紙は、なんだか寂しい。パトリックから受け取った封筒をそんな風に思って眺めていたら、差出人の名前にふと目がいった。

 俺は首を傾げる。現アーバスノット家当主は、こんな名前ではない。


「ローレンス・アーバスノット……?」


 その名前を聞いた途端、パトリックが急に立ち上がった。あまりに勢いがあったので、周囲でくつろいでいた同期たちもびっくりして、こちらを見た。

 パトリックは俺の手から封筒をひったくり、封を切りながら俺を睨んで言った。


「この手紙を家畜なんかに食わせたりしたら、キミを八つ裂きにして殺すからね!」


 ええ……お前が渡してきたのに……。

 理不尽な仕打ちにあっけに取られている俺をよそに、パトリックは熱心に手紙を読み始めた。同期たちは顔を見合わせて、俺のところへ寄ってきた。


「おう、パトリックの奴はどうしたよ」

「普段はいけ好かないくらい余裕綽々のくせに、あんなに取り乱して」

「いや……俺もよく分からない……」


 返事をして、そっとパトリックの様子をうかがう。

 見たところ、その手紙は柄もついていない小さな便箋たった一枚で、家族間で交わされる手紙にしては素っ気ない印象だった。封蝋がアーバスノット家の家紋だったのを見ると、個人の手紙というより、公的な連絡なのかも知れない。


 そんなものをあっさり捨てようとしていたパトリックにも驚くが、次の瞬間、もっと驚くべき情報がパトリックの口からもたらされた。


「婚約……? 兄上が?」

「おっ。いい知らせじゃないか。なんだ、様子がおかしいから心配したぞ」


 俺は安心して彼の背中を叩いたが、パトリックは目を見開いたまま呆然と呟いた。


「兄上が婚約……? なぜ?


 ……クラリス王女殿下と?」




 その日の宿舎は夜が更けるまで大騒ぎになり、特に先輩たちが夕飯を食べに来てからは阿鼻叫喚の様相を見せた。

 ちなみに翌日、このことを教えると、ルイーゼはその場で気絶した。


 その時に治りかけていた肩を強打したため、完全回復するのはさらに先に伸びることになった……。

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