第10話【悪役令嬢の密偵】

 ナアロゥプの街中の、ひときわ広大な敷地の中に建つ邸宅があった。漆黒の新古典様式とも言うべき建物で、見た目いかにも〝悪い人〟が住んでいそうな屋敷であった。その屋敷の中に風のような早足で人ひとり、吸い込まれるように入っていった。


 こんこん、とドアをノックする音が二回。

「エリタスお嬢様、ただいま戻りました」

「あら、ルゥン、お帰りなさい」

 一見メイド風のなりをした女が部屋の中へと入り、一見お嬢さま風のなりをした少女が迎えた。一見メイド風の女の髪型が金髪の切りそろえたおかっぱ頭なのはともかくとして、一見お嬢さま風の少女の髪型は。屋敷の形状から部屋の中の調度品から、どこをどう見てもこの髪が場違いに浮いている。しかし少女の精神は世界に馴染んでしまっているらしく、一見メイド風の女もまるでそれが当たり前のようにやり取りが始まった。


 まずメイド風の女が口を開いた。

「あの男は明日街に入るようです」


「明日? じゃあ今はどこ?」お嬢さま風の少女が尋ね返す。

「城外の森の中です」


「やだ。魔物が出るのに、」


「もういません。この近辺についてはあの男が狩りつくしてしまったようです」


「あら、頼もしいこと。間違いなく〝無双〟ってことね」


「〝無双〟です。あの男は〝無双転生者〟で間違いありません」


「そうでなくてはこのわたしを守れなくてよ」満足そうにお嬢さま風の少女は言った。しかしメイド風の女は表情も変えず、

「心配性ですね」と、ややもすると揶揄するようにも聞こえることばを発した。


「当たり前でしょ。フォーエンツオラン家は恨まれてるのよ。その家の一人娘のわたしはどう考えても〝〟なポジションにいるんだから」


「何度聞いてもよく分からない概念です。その〝悪役令嬢〟というのは」


「ガイネンじゃないの。そういう役回りなの! どれほど守ってもらってもまだ安心できない。くらい造らないと!」


「時に、その無双転生者について、エリタスお嬢様のお耳に入れておかなければならないことが二つほど」


「なによ?」

 ここで恭しくメイド姿の女が挨拶のポーズをとった。

「少しばかり庶民のことばで失礼します」

「で?」

「あの男、さっそく女を連れています」

 優美に振る舞っていたお嬢さま風の少女が、突然がばと椅子を倒しかねない勢いで立ち上がる。ほとんど同時に「はぁっ⁈」と突発的に飛び出したような声。

「——それでひとけの無い森の中で——、」と少女は早くも独り合点し喋り出していた。

「なにぶんにも〝無双転生者〟です。人格面に期待するのはいささか無理があるかと」


「そういえばルゥン、あともうひとつあるのよね?」


「はい。あの男間違いなくっています」


「え? るってまさか、っていうかやっぱりその女と⁉ あなた見たの⁉」


「わたしも育ちは良いとは言えませんが、そういうゲスな趣味はありません。ただ、今現在やっている最中という可能性はありますが。わたしが言いたいのは、わたしと同類だということです」



 一瞬お嬢さま風の少女の表情から気が抜けた。

「あなたと同類ってつまり、〝殺し〟の経験があるの? 魔物だけじゃなく人間も?」


「はい」


「アブナい奴よね、」


「危ないです」


「それであなたの考えは?」


「買いです」


「つまり無双さんは自分の都合での〝殺し〟ではないのね?」


「鋭利な刃物を手に取り背後からひと突きすれば〝殺し〟なんて誰にでもできますからね。この〝殺し〟は手練れの冒険者から仕掛けられたその後の結果です。人の形をしていても迷い無く撃てるんですから〝買い〟です」


「珍しく饒舌ね」


「あ、いえ。そういうわけではありません」


「何か気になるの?」悪戯っぽい笑みを浮かべながらお嬢さま風の少女が訊いた。


「そういう趣旨ではありませんが、あの男、防御のことがからっきし頭の中に無く、攻撃に全振りなんです。今回一瞬でも迷っていたら能力的に無双なのに死んでいた可能性もありました」


「ふうん、それでどうしたいの?」


「エリタスお嬢様はあの男を雇いたいのですよね?」


「当然よ」


「なら徹底的に教えたいです。いえ、教えなければなりません。でなければエリタスお嬢様の護衛につかせても、ものの役には立ちませんから」

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