ガーデン 〜大学生活は異世界で〜

しえり

第1話 準備はお早めに

 俺が十歳の頃に祖父が亡くなった。老衰である。


 彼はほとんど一世紀を生き、孫は俺を含めて八人、ひ孫が十人、玄孫までいた。


 その彼は眠るように天に召された。祖母もその数ヶ月後に旅立った。


「寿命だから」


 親父は泣きじゃくる俺を、涙を浮かべて慰めた。


「なんで爺ちゃんは死んじゃったの」


 それは子どもの悲鳴として葬儀に集まった人々に伝わっただろうけど、俺は真剣だった。悲しいよりも先に、死の理不尽を嘆いた。


「みんな泣くし、寿命なんて嫌いだ」


 ならばどうする。やはり子どもというべきか、お医者さんだったら生死を克服できるだろうと将来の夢を医者に定めたが、勉強すれども中学を平均より少し上というくらいの成績で卒業し、今思えば不思議だが、科学者になろうとした。多分、死への別なアプローチの方法を選んだのだろう。


 が、これもすぐに諦めた。高校では文学部で本を読み漁り、この頃になると寿命なのだから仕方ないと諦めもつきはじめていた。


 しかし三年生になって進路を考えるにあたり、悪友が俺に一冊の本をくれた。


「きみ、寿命がどうこう言ってただろう? ほら、これ」


 それは「超常の生物」というインチキくさいハードカバーだった。付箋が何箇所かに貼ってあり、


「世の中には不老不死というものがある。それを研究すればいいじゃないか」


 そう言って、ドラゴンとか吸血鬼とか、そういう架空の生物のページを開いて見せてくれた。


「気持ちはありがたいけど、マジで言ってのか?」


 訊くと、大真面目である。


「私はね、こんなのが好きなんだよ。一緒に行こうよ」


 そして差し出されたパンフレット。国際異能研究所付属大橋おおはし大学という、これまでの人生で一度もきいたことのない学校のものだった。


「なんだよこの怪しさは。学内の写真、おいこれ……モザイクばっかりじゃねえか」

「アッハッハ! 奇抜でいいじゃないか。先輩からのメッセージもあるぞ?」

「なんの言語なんだよこれは。どうやって明朝体で印刷したんだ」


 グネグネと曲がる曲線は、世界のどこにもないであろう不気味さである。それがしっかりと文字として変換されているのがまた不気味だ。


「調べたら年に多くても十人くらいしか入学していない。試験はなんと面接のみ。どうだ、門は狭そうだけど勉強なんかしなくても良さそうじゃないか?」

「いや、俺は遠慮するよ。叔父さんが会社やってるからそっちに行こうと思ってるんだ」

「へえ、どんなとこ?」

「なんだっけな、微笑み金融、だっけな」

「……まあ、それもいいさ。わかった、好きにしろ」


 彼女は、黒辻くろつじ真紀まきはそう言って、俺からパンフレットを回収した。




 両親に叔父さんのところに就職したいと伝えると、親父は苦い顔をしながらも許してくれた。お前は要領が悪いから苦労するだろうけど、と心配された。

 母はもう少し叱るように、もう一度考えてみなさいと大学受験を勧めてきた。


 そんなこんなで進学か就職かの板挟みのまま夏になった。俺としては叔父さんに頼み込めば問題ないとタカをくくっていたが、なんとその叔父さんが逮捕された。


「あいつも要領が悪かったからなあ」


 親父はしみじみ言っていた。俺はなぜ逮捕されたのかを知りたかったのだが、


「経営がうまくいかないとそうなるんだ」


 と、よくわからない返答をされるだけだった。そんなわけねえだろうと心の中で毒づいたが、それにより事情が大きく変わってしまった。


「なあ黒辻」


 三年生の夏休み、遊び以外の予定をまったく入れていなかった俺は、夏休み中の登校日に声をかけた。帰り支度の手を止めて、彼女は気怠そうにハンカチで汗を拭った。


「どうした銀城。『ガーデン』か。もう読み終わったからいつでも貸せるよ」


 これは俺たちが愛読しているオカルトを扱う月刊誌のことであるが、そうではない。


「いや、あのな、お前が言ってたあの大学さ」


 すると彼女は目を輝かせ、鞄からまたあのパンフレットを抜き出した。


「行くか! やっぱり乗ってくると思ったよ! 私の占いは当たるんだ!」

「試験もないんだろ? 今からでも遅くないよな」

「おうとも、いやあ嬉しいよ! なぜって私だって新天地というのは心細いし、何よりこの」


 とパンフレットを軽く叩いた。


「よくわからんところに入学しようというのだからな」

「調べたんじゃないのか?」

「それがイマイチわからないんだ。パソコンができたばっかりの時期に作ったんじゃないかというくらいのホームページに、国際異能研究所というのも実に曖昧で、そういう施設がある、ということくらいしかわからないんだよ」

「……やっぱり、別なところを受験するよ」

「まあまあ、いろいろ取り寄せてはあるからさ、それを見てから判断してもいいだろう?」


 放課後に彼女の家にお邪魔して見せてもらったが、資料がまた婉曲な表現だけで項目を埋めた理解と解読に苦しむ内容のものばかりだった。


「これが読み解けなければ志願する実力なしという、我々の現代文の成績を試しているのかもしれないね」

「ヤダよそんなところ。試験で試せよ」

「面接だけだからこういうところで判断するんじゃないか?」


 それが済むとガーデンを貸してもらいその場で読んだ。


「長野の山奥で人魚の目撃情報だってさ」

「まあ、淡水にいてもおかしくはないからな」


 黒髪をポニーテールにし、すらりと伸びた手足は一見すると運動部のようだが、体育はあまり得意ではない。スレンダーといえば耳障りはいいが、彼女は時々自嘲するように「モノリスは私をモチーフに作られたのだ」と笑い、そして落ち込む。


「また異世界に行く方法が乗ってるぞ。これ先月もやってなかったか?」

「なんなら去年からもはや連載ペースでやってるよ」


 ご飯を食べていきなさいと彼女のお母さんが言ってくれたが、感謝しつつも断った。家に帰って一応の進路を決めたことを報告しなければならない。


「大学に行くのね! ……それ、どこ?」


 母は歓喜と疑問の間で揺れながらも、頑張りなさいと応援してくれた。頑張るも何も、試験もなければどんな面接が行われるのか想像もできない。高校では面接の授業を個別にやってくれるのだが、あたりさわりのないことしか行わないからぶっつけ本番といえる。


 夏休みが終わるまで、黒辻とはよく遊んだ。家に行ったり呼んだり、その中で彼女はどこからか有益な情報を持ってきてくれた。


「ネットで見たんだけど、どうしてこの大学を受験したか、それが質問の全てらしい」


 一日を費やした苦労に見合わないと落胆していた。


「パソコン得意なのか?」

「いや、普通だと思うよ。ネットサーフィンと、動画を見たりするくらいだし」

「ウォークマンに曲入れたいからやってくんない?」

「……いいけど、そんなのもできないのか」


 夏が終わり、冬になった。同級生たちは目の色を変えて、いやそれが普通なんだけど、俺たちは別な不安を掻き立てられていた。


「……おはよう」


 黒辻がやけに落ち込んでいる。珍しくはない、彼女はよくナーバスになるのだ。


「どうした。エアガンが壊れたのか」


 サバイバルゲームが好きな彼女は、小遣いをやりくりしてその装備を整えている。運動は苦手のくせに体を使うゲームは好んでよくやっている。


「いや、快調だ」


 じゃあなんで、と尋ねる前に、彼女はガーデンを取り出した。


「昨日発売だぞ。早いなあ」

「最後のページを見てみろ」

「いや、頭から読むよ」

「そうか。じゃあ、いつも通り読んでくれ」


 おかしな奴だとは思っていたが、いつにもましてそうである。休み時間を使って読み進め、昼休みにはもう終盤まで来ている。なんだか今月号はページが薄い。


「ついに異世界旅行が可能になったんだとさ」

「可能だとはずっと言っていたけどね。……はぁ」


 悲嘆に暮れるばかりで、ちっとも元気がない。先生に指名されたときなんか幽霊みたいに立ち上がってクラスメイトを怖がらせていた。


「あ、来月は雪男特集だ。恐ろしい世界の山脈も併せてやるみたいだし期待できるじゃ——ない、か……」


 巻末に、それはあった。


「再来月から、休刊、だと?」

「そう! そうだよ銀城ォ! おいなんの冗談だこれはァ! ガーデンだぞ? ガーデンだぞ!? どうして、どうしてなんだ、広めてはいけないものでも広めてしまったのか!?」


 あ、また黒辻が騒いでる。そんな教室の雰囲気を彼女は知らない。


「もちろん電話したさ。昨日にね。しかしお答えできないの一点張だ。ふざけるな、読者を舐めるな、ガーデンお前たちから得た知識で秘密を暴いてやろうか、ええおい!」

「あの亀の甲羅でやる呪術か」

「違う、遠見の法だ、指で輪っかを作って、こう、あっただろそんなの」


 あったような気もする。しかし一般家庭にはおろかデパートにもなさそうな品々が必要だったはずだ。


「ああイライラする! じゃあ私は大学生活をガーデンなしで過ごすのか? 絶対いやだ、いーやーだーぁあ!」


 机に突っ伏すと、肩を小刻みに震わせはじめた。いやあ、まさか泣くとは思わなかった。


「懸賞でもらったガーデンのベンチコート、やるよ」

「もう持ってる……」

「缶切りは?」

「それもある」

「じゃあ財布。人皮特集の時の」

「使ってるよ。牛革の高級そうな長財布が届いたときは失望したけど、使ってみると便利だな」


 あの雑誌の懸賞はほとんど応募者全員サービスみたいなものだから、俺たちはペアルックが容易にできてしまう。おそらくマグカップや靴べら、小物入れなんかはお揃いだろう。


 しかし慰めるためとはいえ、なぜ自分のものを差し出そうとしているのか。まあどうせ持っているだろうから平気だろう、じゃなくて、落ち込んでいるのだから立ち直ってもらいたいという人情によるものだ。


「魔除けの鍵付きキーホルダーはどうだ」


 鍵のストラップに鍵をつける発想はよくわからないが、ガーデン曰く、どこかの神殿を通るのに必須らしい。


「……それは欲しい。あの時の当選倍率は絶対におかしかった。十通も出したのにお祈りメールが来たぞ」


 一通でその狭き門を掻い潜ったことはあえて言うまい。


「ほい。やるよ」


 自分の家鍵からそれを外して渡すと、彼女は顔を上げ、赤くなった目を擦った。


「……画像で見るより綺麗だな」

「暗いところで光るぞ」


 便利だなと彼女は呟き、その場で鞄につけた。ありがとう、とかすれた声に、いいんだとだけ俺も呟き、ガーデンを頭から読み返した。

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