第22話「ねんね、しよ」





 第二十二話『ねんね、しよ』





「……うっそ~ん」



 豊穣の女神『パイエ』は眼前のバケモノを見て絶望した。


 一目見ただけで分かる格の違い。


 手を伸ばせばそこに居るはずの存在、なのに、その存在の大きさが把握出来ない、相手との距離が測れない。


 惑星の頂点に君臨する創造神ですらここまでの存在感は無い。


 恐怖と緊張で一時停止する女神パイエの思考に、神界の御伽おとぎ話に登場する怪物が不気味にい寄る。



『その神、触れるから



 それを思わす何かが眼前に居る、失禁不可避。


 何故私を、何故ここに、何の為に?

 女神パイエは嗚咽おえつを漏らす。


 そもそも、どうやれば『女神が創造した魔道具に腕を突っ込み、他所の神域でくつろいでいた女神の髪を掴んで引きずり出す』などと言う荒唐無稽な無茶が出来るのか。


 女神パイエの脳裏に再び不吉な存在の名が浮かぶ。


 もう間違い無い、コレは……



 ……不可触神だ。



 気が遠くなる女神パイエ。

 まだ触れてもいないのに理不尽だと涙が溢れる。


 しかし、バケモノは彼女の絶望など気にしない。


 彼女が纏っていた白い神衣、身に付けていた神器、一瞬と言う時間を感じる事も無く、それらはバケモノの足元に置かれていた。


 白磁のように滑らかで美しい肌を晒し、豊満な乳房をバルンバルンと揺らしながらおびえる豊穣の女神。


 輝く碧眼から涙が止まらない、妖艶な肢体の震えが止まらない、未来への警鐘が鳴りやまない。



「あらイザーク、その人が女神様?」



 項垂うなだれて恐怖に震えるパイエの耳に、まだ幼さの残る優し気な女性の声が届いた。


 パイエは恐る恐る顔を上げ、声の方へ視線を向ける。



「ヒィィ」



 豊穣神パイエ、本日二度目の絶望に変な声を出す。


 それは仕方のない事。


 知らぬとは言え、不可触神の母を見た結果なのだ、どうしようもない。


 無敵の不可触神が最優先保護対象として強化し続けている存在なのだ、どうしようもない。


 呼吸が不規則になる女神パイエ。


 眼前の不可触神バケモノには劣る、しかし、自分には勝っている、遥かに凌駕している、微笑みながらこちらへ向かって来るその少女は明らかに格上、不気味で異常な存在だ。


 何故、自分がこんなバケモノの巣に拉致されたのか、その理由が分からない。


 分かるはずもない、不可触神イズアルナーギは特に何も考えていない、思い付きだ。


『あ、ボクならつかまえられる』そう思っただけだ。

 即ち、幼児の気まぐれ強制拉致、それが真相っ!!


 そうとは知らぬ女神パイエ、折れそうな心を女神の矜持で支えつつ、この無慈悲な拉致の理由を探す。


 自分を囲む不可触神眷属に怯え、近付いて来る不気味な少女におののき、両眼を忙しく動かしながら必死に熟考する哀れな豊穣神。


 その時、パイエの両眼は不気味な少女の後ろを歩く驚愕の存在をとらえた。


 何年も何年も、毎日毎日、信念と情熱を以って只管ひたすらに純粋な信仰を自分に捧げた存在。


 最後に見たのはその存在が老衰で死期を間近に控えた頃。


 だがしかし、パイエの両眼に映る美丈夫は、老いたその存在の若かりし日を思わせる容姿。


 かつて自分が加護を与えた人間、覚えのある魔力の波長……



「モッ……コス」


「お久しぶりです、女神パイエ」



 以前と変わらない、いや、以前よりも更に深い慈愛を秘めた微笑みを浮かべ、その信念と情熱をより一層磨き上げ、偉大なる不可触神の絶対的な狂信者と言う神官の極致に至ったモッコス。


 現状のモッコスが一人居れば、十万の信者が捧げる無粋で不純な信仰心ではなく、その数倍は価値の有るあつく純粋な信仰心を得られるだろう。


 女神パイエは困惑する。


 数か月前、モッコスが献じる自分への綺麗な信仰が消えた、与えた加護も消えた、信徒としての繋がりも消えた、死後の魂も見つけられなかった。


 死んだと思っていた、魂は邪神あたりに狩られたのだと思っていた。


 惜しいとは思った、しかし、それだけ。

 家畜しんじゃは幾らでも居る、増え続ける、痛手ではない。


 だが、間違いだった。

 モッコスを使徒にして延命させるべきだった。


 女神パイエはモッコスを見つめる、既に人間ではない、使徒だ。不可触神の眷属だ。バケモノの家族だ。


 その内包する神気は亜神を凌駕している。


 繋がっていなくても分かる不可触神への篤い信仰心、純粋な信仰。


 自分も加護を与えた身として、大切に念入りに育てていれば、彼はこれに近い存在に至れたかもしれない。自分の右腕として支えてくれたかもしれない。


 豊穣神を奉ずる大神殿の神官達に、これほど清らかで純粋な信仰心を心に宿せるだろうか?


 いな、否である。


 豊穣の女神パイエは思い出す、モッコスに神託を与えた日の事を。


 寂しそうに、悲しそうに、苦しそうに神託を聞いていたモッコスの顔を思い出す。


 少数でも信心深い清らかな信者を否定し、信心浅く心ににごりを持つ多くの家畜しんじゃを選んだ自分に、その信念を穢され嘆く老神官の泣き顔。


 自分は間違っていたのか……


 心の濁りを持つ多くの人間を救う為、それも救済だ、そう、決して間違いではない、なのに何故悲しむのか、あの時パイエは老神官に聞いた。



『あなたが自らの利を第一とするからです』



 涙を流し、神託の間を去る老神官がポツリと言った。

 女神パイエは鼻で笑って老人の諫言かんげんを聞き流した。


 神の慈悲は無償ではない、利を第一にして何が悪い?


 神が利を求めて何が悪い……


 その思考が読まれたのか、眼前のバケモノが告げる。



「虫が好き」



 何を言っているんだコイツは……

 女神パイエは困惑する。


 イズアルナーギは『ボクはむしをつかまえたい』と言ったに過ぎない。


 モッコスがクスリと笑って答えた。



「イザーク様はオモチャ以外特に興味を持たれません、そのオモチャもご自身で拾ってこられる、利を他人に求めない。ご自身への信仰も無頓着、我々は困っているのですがね、与えられるばかりで」



 そうだそうだと頷く神域の住民。

 不可触神に対する信仰心はどれも美しい。


 女神パイエは何かがストンと胸に落ちた。


 果たして、豊穣神としての自分は、いったいどれほどのモノを信者に与えてきたのだろうか……


 人々に加護を与え、その土地を豊かにし、そして……


 それで……


 それ以上に信仰心を求めた。




 不可触神がその手を伸ばす。


 不可触神は女神に興味が無い、問答は不要、知りたい事は自分で学ぶ、欲しいモノはその手で掴む。


 砂まみれの小さな手が、玉の汗を浮かべる女神のひたいえられた。



「ん、ねんね」



 女神パイエの意識は途切れ、暗い世界が彼女を覆う。



 日本で暴れる勇者ユウトの終わりは近い。







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