第51話 幕間
サルラードシティで起きた騒動は、ネットや伝聞を介して周辺都市にも伝わった。反体制派による事件として人々に語られ、日常を賑わす話題となった。だが数日も経てば人々の関心も薄れ、興味の対象からは外れていく。
今日も境域のどこかで事件は起きる。新しく起きた出来事に上書きされるようにして、人々の記憶からは忘れられていった。
ある通路を歩く者がいる。 その者は足音も鳴らさず、軽快な足取りで歩を進める。
通路の向かい側から別の者が歩いてくる。ぶつからないためにも、その者は端に避けて歩く。だが反対方向からやってきた人間は、視線を前方に固定させたまま、そこにいる者などいないように通り過ぎた。その者はそれを気にすることもせず、振り返らずに先へ進んだ。
同じように繰り返すこと数度。その者は一つの部屋の前にたどり着くと、扉のロックを解除して中に入った。
「お帰りなさい」
室内に入ったその者を、二つの人影が出迎えた。
その者は自身に施していた迷彩を解き、姿を露わにした。
「ただいま。よく俺が帰って来るって分かったね」
「あなたが帰って来るときは、いつも入退管理記録に改ざん痕が残ります。それが表れるのは一瞬ですが、あると分かれば馬鹿でも対応できます」
「それ、俺がいつ帰って来るか分かってなきゃ無理じゃない?」
「ええ、ですからここ数日、シキに不眠不休で当たらせました」
一人の少女が、チラリと斜め背後に視線を送る。そこにはブロンドの髪を束ねて丸めた、人形のように整った造形をした女が、慎ましく立っていた。
「えー、それはちょっと酷くない? というか彼女の役割はそこにないと思うんだけど」
「この子の役割は私の補佐と世話役全般です。だから本分から外れてはいません。第一、ここで彼女の力を発揮するような機会はそうそうありません」
少女は顔色一つ変えず、男へ反論した。シミひとつない純白の肌を持ち、青みがかった銀髪が腰まで伸ばされる。あどけなさを残す容貌は、外見に似つかない妖艶な色気を醸し出している。まさしく絶世の美を感じさせる少女。
だがその表情に、喜色の色は一切ない。真冬のような冷たさが宿っていた。
「そんなに俺が恋しかったの? 寂しくさせてごめんね」
男は少女の肩へ、親しげに手を伸ばす。しかし、その手は無情に撥ね退けられる。
「軽いスキンシップじゃないか。堅いなー」
「本気のお誘いなら付き合いますよ。ですが、そうではないのでしょう?」
冷たい視線が向けられる。流し目の気味の上目遣いには、男を惑わす色香が自然と滲み出る。
ただそれを見ても、男は小さく肩をすくめるだけで、色に惑わされる様子はまるでない。何の気も起こさず、微笑を浮かべたまま黙然と横を素通りした。
その対応に、少女の形のいい眉が僅かに歪む。
奥の座席に腰かけた男の前に、湯気の沸き立つ容器が出される。
「おお、ありがとね」
シキと呼ばれた女は、告げられた謝意に楚々とした態度で頭を下げた。
男は置かれたカップに口をつける。
「おや、ちょっと前より腕が上がってるね。もしかしなくても、俺がいない間に特訓でもした?」
「特訓とはなんですか。ただ技能データを取り込んだだけです。無駄な時間など浪費していません」
男の座る席からやや離れた場所で、少女が無表情に言葉を放った。
「風情がないなぁ。無誘導学習による個人の嗜好に合わせた手探りの自力習得も、指導育成の醍醐味だと思うんだけどなぁ。ねー、シキちゃん」
「いえ、私のために新たな知見を授けてくださったルクシア様には感謝しております」
「主人を立てれるなんて忠義極まってるなー。この調子でお願いね」
「はい。言われるまでもなく」
「シキ、下がってなさい。それ以上その男と話すと何をされるか分かりません。今もあなたの胸元をいやらしく覗いていますよ」
そう言われたシキは一礼すると、二人の会話を妨げないよう壁際に下がった。
「いや、全くの言いがかりなんだけど。俺は別に人形偏愛なんて性的倒錯は持ち合わせてないよ。そういう嗜好自体は全く否定しないけどさ」
「どうですかね。あなたの交遊関係を見るに、それも怪しいものですが」
「ええー、魅力的な女性がいるなら、是非お付き合いしたいものだけどなぁ」
男はわざとらしく庇を作り、視線をウロチョロさせた。戯けるような態度に少女は気色ばむ。
「相変わらず腹の立つ物言いをしてきますね、あなたは」
「君の反応が可愛らしくて、つい揶揄いたくなっちゃうんだよ。ごめんね?」
申し訳なそうな顔を作った謝罪に、少女は怒りとともに表情を消した。
「……まあいいです。それよりも、最近は随分と活発に動かれていますね。何をされているのですか?」
「うーん、内緒。と言いたいところだけど、君の後学のためにも一部分だけ話しておこうか」
男はもう一度喉を潤すと、カップを置いて話を始めた。
「動力球ってあるじゃん? 機械型モンスターの動力部。アレは魔力を生成する能力はないんだけど、保持することには優れるんだ。だから機械型のモンスターは、アルマーナが存在せずとも魔術なんかを扱うことができるわけで」
「それくらいは知ってますよ。それが何ですか?」
「その動力球はあるものを参考にして作られたんだけど、じゃあそれが何かは分かる?」
「
少女の回答に、男は「正解」と指を鳴らす。
クリエイトコアは膨大な魔力を生み出す器となっている。そして魔力は、人が定義付けたあらゆるエネルギーと互換性がある。
「コアから生み出された魔力を、変換機器に通し使いやすく洗練する。そうすることで過ぎた世界……サンナブルクの人々は、無限に等しい富を得ることに成功したんだよ」
素さえ供給すれば、高効率で莫大なエネルギーと、一部を除いたあらゆる物質を生成してくれる。
万能の創出器。先史文明が他とは隔絶した力を持ち得た理由だった。
「今回の目的はある遺跡。そこに存在する生産設備の調査だったんだけど、残念ながら期待していた物とは違ったんだよね」
やれやれと大袈裟に首を振る。その態度に、少女は冷たい視線を細めた。
「それが、サルラードシティで起きた事件の真相というわけですか」
「おや、気づいてたの?」
「あなたの悪巧みと行動予測。そこから活動範囲を絞り込めば、これもまた自然と導き出せます」
冷静な推測に、男は「やるねー」と上機嫌に褒め言葉を発する。それに少女の目元が僅かに緩んだ。
「ご褒美にもう少し話そうか。さっき話に上がったクリエイトコアには、主に二種類あるんだ。一つはプライムコア、今回の俺の狙いがこっちだったんだ。そしてもう一つはイミテーションコア。言うなれば紛い物だね。本物であるプライムコアを真似た手製品だ」
プライムコアを解析し、人の技術で人工的に再現した物。それこそがイミテーションコアだ。遺跡を管理する都市や一攫千金を望む探索者たちが、求めてやまない旧時代の遺産である。
「実を言うと、技術で言えばイミテーションコアの方が高度なものが使われている。再現不可能技術とされるのは主にこっちだ。逆にプライムコアの方は、簡単とまでは言わずとも、形にするのはそう難しくない。あくまで当時の技術先進国基準の話としてね。ただプライムコアは素材の確保がめちゃくちゃ大変という理由もあって、希少価値はこっちの方がずっと上なんだよ。俺が欲しがるのもそれが理由だ」
セイラク遺跡の迷宮は規模としては中堅程度であるが、最奥部のコアは本物という噂があった。今回はそれを確かめに行った。実際、迷宮に連結していたコアは、モンスターの生産含め都市部のエネルギー源を一手に引き受けていた大型コアであり、その護り手にも軍用機体が複数置かれていた。しかしその厳重の護りも、プライムコアに対するものではなかった。
「出力としては申し分ないし価値も高いんだけど、使い道が限られるのが難点だ。やっぱり本物は大都市か、最早一級遺跡でしか手に入らないのかもね」
「そのプライムコアの入手が、あなたの目的というわけですか」
少女は探るような口ぶりで問う。それに男は、意味深に笑みを深めただけだった。
これ以上この件から情報を引き出せないと感じた少女は、次の話、サルラードシティでの出来事について問い質した。
「今回の騒動、裏では全てあなたが手を回していたと解釈していいのですか?」
「いいや。俺はあくまで仲介と折衝を担当しただけだよ。たまたま俺が目をつけていた都市が、たまたま境域テロリストの襲撃候補に被ってて、たまたま特定災害モンスターが近くに住み着いていて、たまたま上層部の中に都市の評判を高めたい人がいて、たまたまそれらが同じ時期に重なった。俺はただその人たちの利害が一致するように、効用を最大化するように、俺に都合のいい範囲で調整しただけだよ」
「犠牲になった者たちはそこに含まれませんか。最低ですね」
その説明に、少女は辛辣な口調で言い放った。らしい反応に男は苦笑する。
「言ったろう? たまたま重なったんだよ。俺が何もしなくてもテロリストは襲撃を仕掛けたし、特定災害の討伐も行われた。もしかしたら、それで溢れ出たモンスターが思わぬ被害を出したかもしれないし、テロの犠牲者はもっと増えていたかもしれない。蝶の羽ばたきよろしく、俺の行動一つが無用な被害を拡大させたわけじゃないよ」
「別に言い訳する必要はありませんよ。責めてるつもりは微塵もありませんので」
言葉通り少女の顔に侮蔑の色は全くない。男は苦笑したままこめかみを掻いた。
「それにしても、テロリストどもはよく都市の犯罪未然防止システムを誤魔化せましたね。あれは表情の変化や身体的動作を完璧に操作できる、完全義体者にも対応可能だった筈ですが」
探索者協会の支部には高度な防犯システムが設置されている。高い攻撃性を持った人物や不審な挙動を見せる人物を、表層に浮き出た感情や脳波を解析してマークする。たとえ探索者が協会内で加害行為を試みても、システムが事前に検知し、その者を即時に無力化する。
少女の問いに、男は背もたれに体を預けて答える。
「それは少し違う。あのシステムは表層に浮き出た当人の思考を読み取ってるだけだからね。義体や盗聴防止者は、個別に厳重マークされてるに過ぎないんだよ。だから武器を構えようしただけなんかでもすぐに対処される。逆にハッキリと思考を読み取れる対象には、結構警戒が甘いんだ」
ただシステムも完璧ではない。仕組みがあるなら対策も打てる。
「だからこそ、二重思考を順位付けして階層仕込みを行えば、思考盗聴は意味を成さなくなる。沈んだ思考まではシステムも把握し切れないからね。彼らは連合の圧政から人々を解放する正義の味方と、都市に貢献する心正しき探索者であることを同時にこなしてるのさ。TPOに合わせて最優先される思考の順番を無意識下で切り替えながらね」
「そんなこと可能なんですか?」
「可能も不可能も、人は少なからず自身の記憶を改竄してるものだよ。人の記憶は曖昧で不確かで移ろいやすい。その特徴を利用すれば、自己都合的に記憶を捏造するのも難しくはない。整理に失敗すれば夢現の境を見失うように、自己矛盾状態を周囲に露呈することになるけどね。それとは全く違う方法だけど、俺も似たようなことはしてるし」
頭を人差し指で叩きながら男は言う。
「と言ってもこの方法も万能じゃない。もっと内部の重要施設には、個人の在歴読取とあらゆる探知機が完備されてる。限定的な性能だけど、こっちを突破するのは至難だよ」
「その言い方だと、不可能ではないということですか」
「どうだろねー」
言いはぐらかすように明言を避けた。少女は気にせず話を続ける。
「それを使い、手当たり次第に調べたら良いのでは」
「そうしたいのはやまやまだろうけど、在歴の読取機は非常に高価な上に簡単には動かせないんだよ。かと言って探索者たちを壁内にぞろぞろと招き入れるわけにもいかない。今のやり方が彼らにとって、ベストでなくともベターなのさ。そもそもからして、探索者という首輪の外れた武装勢力を放し飼いしてる時点で、一定のリスクは覚悟している状態にあるわけだからね。テロリストが多少オイタしようが、今更の話なんだよ」
そう言い切り、男はまたカップを持ち上げた。
「ここまでの話を聞く限り、一つ腑に落ちないことがあります」
「なにかな?」
「結局あなたはなぜ、外部の人間を使ったのですか? 単独で動いても問題なかったように思われましたが」
その疑問に「ああ」と返事した男は、中身を飲み干して、空のカップを机の上に戻した。
「一つは保険だよ。向こうの防衛能力は未知数だったからね。目を引きつけておく存在が欲しかったんだ。狙い通り、彼らは囮の役割をちゃんとこなしてくれたよ」
迷宮の守護者の戦力。探索者協会の発表では推定BBBランクと言われていたが、実際にそうであるかは確定できる状況にない。仮に遺跡側がそれ以上の戦力を有していた場合、不必要な損害を被る恐れがある。それを回避するため、境域テロリストという失っても構わない駒を、男にとって都合の良いように配置した。
「もう一つは撹乱もとい誘導だよ。ある日いきなり迷宮からコアが消えたらどう思う? 大騒ぎになるだろう。それは所轄都市の問題に留まらず、より上位の人間の目を引くことになる。それは良くない。だから別の実行犯を使うんだ。事実とは違くとも、そうと勝手に補完できるストーリーを作らせるためにもね」
そして計算通りに事が全て運んだ場合、全ての罪を被せるためにも外部の人間を用いていた。
「それと、特定災害の方ははっきり言っておまけだよ。アレがなくても俺の目的は果たせたけど、関係は深めて悪くないからね。あっちに軽い借りを作る機会があって、それを今回ついでに清算してもらっただけだ。結果的にその借りは、テロリスト連中に移る形になったけどさ」
「どんな借りだったんですか?」
「それは内緒」
少女は一瞬憮然とした顔になるが、それをすぐに引っ込めた。
目ざとくその反応を捉えた男は笑みを浮かべつつ、この先の予想を述べた。
「都市は施設の破壊と受けた損害の報復に動くだろう。まあ、事前に注視していたテロリストを何人か、見せしめ目的で捕縛か殺害するだけだろうけどね」
「その程度ですか」
「そりゃね。死人が出てれば別だけど、壁の外でどれだけ死のうと公的な被害者は0と記録される。遺跡でモンスターに殺されるのとなんら変わらない。そんなことでいちいち大げさに動いたりはしないよ」
「……相も変わらず、ふざけた対応ですね」
今度は嫌悪を隠さず、侮蔑のこもった声音で吐き捨てた。
そしてニコニコと見られてることに気づき、また色のない表情に戻した。
「結局、そのイミテーションコアとらは回収しなかったのですね。それだけでもかなりの価値があると思うのですが」
「まあね。だけどあれを取っちゃうと、辻褄合わせのためにあちこち奔走しなくちゃいけない。価値としてはプライムコアに劣らないけど、俺には必要ないものだから、持ち帰るデメリットの方がずっと大きくなる。お土産に欲しかったならごめんね」
「いりませんよ。と言いたいところですが、貰えるものならば欲しくはありますね」
現金な反応を見せる少女に、男は小さく苦笑した。
「それでは今回の活動は、あなたにとって全くの無駄骨だったというわけですか」
「無駄なことなんてないよ。失敗は成功の母。積み重ねが大事なんだよ。これでまた、俺の望む未来に一歩近づいている筈さ」
「気づいたときには引き返せない、破滅のルートを進んだだけかもしれませんがね」
「おっ、上手いこと言うね。そうなってないことを祈るしかないなー」
皮肉げに返された言葉を、男は愉快げな様子で茶化した。
少女は短く嘆息して、部屋の入り口へ向かった。
「聞きたいことはもういいの? 今なら舌が軽くなってるし、もう少し会話が弾むかもよ?」
「あなたの目的なら、いつでも聞かせてもらいたいと思っていますよ」
少女はやや眠そうに瞼を下げる。目元には少し涙が溜まっていた。
年相応の姿が見て取れて、男は顔に気のいい笑みを浮かべた。
「流石にそれは話せないかな。どうせいずれ全部知ることになるんだから、のんびり待ってなよ。俺の目的が達成されるまでさ」
「約束が果たされるならば、いくらでも待ちますよ」
そして少女は部屋から出て行く。その後ろにシキが一礼してから続いた。
一人になった室内で、男は背もたれに体重を預けたまま、張り付けていた表情を消した。
「……まだまだかかりそうか」
呟かれた声は、空気に融け入るようにして消えていった。
シンギュラーコード 甘糖牛 @aonashi3
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