第47話 名亡実存
(任務の遂行を優先するなら、とっくに引き上げるべきなんだがな……)
探知機に移るモンスターの反応。それを目印に追跡しながら、ルーマスは思考を巡らせた。
(顔を見られた以上は生かして返すのも都合が悪い。確実に殺せそうな状況なら余計にな)
探索者登録した際に、身体的特徴を含めた全ての個人情報は、都市と連合側に把握されている。仮にこのままロアを見逃すことになれば、この先ずっと犯罪者として生き続けるか、全くの別人に生まれ変わって生きていかなければならない。反体制派に与した時からそうなることも覚悟していたが、ならずに済むならそれに越したことはない。身分秘匿任務での貢献度が高いという自負もある。今の自分を捨てるつもりはなかった。
(チッ……強化薬の効果が切れ始めたか。仕留めるまでギリギリ持ちそうなのは幸いだが、合流は無理かもしれないな。色々言い訳を考える必要がありそうだ)
もういつ防衛軍が迷宮内へ突入して来てもおかしくはない。それまでに決着をつける必要があるのは当然として、その後の都市への釈明と任務失敗の言い訳。両方への対応を迫られることに、ままならないなと、胸中でため息を吐く。
(……考えても仕方ないな。それより今は、奴を殺すことに集中するべきだ)
数度の付き合いしかない相手を脳裏に浮かべる。
恨みはない。怒りもない。任務の障害のために、必要だから殺す。
この道を選んだ者として、ルーマスは静かに殺意を漲らせた。
(こっちの動きにはもう気づかれてるだろう。だったら小細工を講じても意味はない)
理由は不明であるが、情報戦では完敗した。その事実に基づいてこれからの行動を組み立てる。殺せる算段はついた。あとはそれを的確に実行するだけで決着する。
考えをまとめ終えたルーマスは、戦闘音に導かれるようにしてそこへたどり着いた。通路と通路の合間に存在する、部屋と呼ばれている空間。予想通り、ロアとモンスターの姿はその中にあった。
モンスターが二つの頭を交互に繰り出し攻め立てる。高速でしなる首は、無軌道に方向を変えて四方から襲いかかる。それから逃れるため、ロアは機動的な動きを行って相手の背後や側面を突いて回る。一撃自体の傷は浅くとも、積み重なれば致命傷と変わる。たまに苛立ちの混じった咆哮を浴びながらも、強力なモンスター相手に怯みを見せず、果敢に攻め続けていた。
(DDDランク帯と互角にやり合うか。もはや驚きはないが、最後まで俺の予想に収まらない奴だったな)
その才能を少し惜しく思いながら、ルーマスは部屋の入り口付近から、視界を封じるためのスモークを投入した。勢いよく吐き出される煙は、瞬く間に広がり部屋の中に充満する。同じようにして、所持する全ての魔力拡散粒子を放出した。閉鎖空間に閉じ込められた粒子は、外気の影響を受けないため部屋内に滞留する。部屋にいる両者の動きに戸惑いが混じった。
(これで奴の感知能力は喪失した)
魔力の操作は身体から離れるほど繋がりが弱くなる。身体に近い肉体強化の無効化はできずとも、周囲を把握するための存在感知を維持するのは難しい。相手の索敵を乱すための一手。これから行う攻撃を当てるための布石を打った。
ルーマスは一丁の短銃を取り出した。
(まさか、これまで使わされることになるとはな)
装填弾。中に魔術が込められた、探索者の奥の手の一つ。対防衛軍のために用意されていた切り札を、出し惜しむことはせずここで使用する。
白い煙の先に、場の変化など物ともせず戦う二つの影が見える。ルーマスはその戦いを、発動した存在感知でもって把握していた。空間に満たされた魔力拡散粒子も、自分にだけは影響を及ぼさない。相手の姿を正確に見据え、狙いを澄ませた。
絶えず動いていたロアの動きが、攻撃に転じるとき一瞬だけ止まる。薬物と魔力により強化されたルーマスの知覚能力は、生まれた隙を見逃さず捉えた。
「終わりだ」
装填弾の撃ち出しに特化した専用銃が、銃口から弾丸を射出した。亜音速に近い速度で、モンスターと対峙するロアの背中へ迫る。撃った瞬間、ルーマスは己の勝利を確信した。
『その攻撃を待っていました』
ロアは頭の中で、その一言を聞いた。
ペロは深度の深い存在感知で、相手が装填弾か、それに類する何かを所持していることを見抜いていた。オルディンたちとの戦いでは、装填弾という飛び道具により、初めて支援対象に深手を負わせることになった。強く反省したペロは、酷似する特徴を記憶し、二度と不意を打たれないよう認識を厳に戒めた。
生かした反省が、逆転の一手として打たれる。瞬間的に超高密度に高めた魔力が、物理干渉能力を発揮して弾丸に接触する。装填弾は着弾した際の衝撃が発動の引き金となる。裏を返せば、空気の抵抗程度の圧力では魔術が起動することはない。
極限の一秒の中、一分の狂いもない魔力操作が、装填弾の弾道を捻じ曲げた。
強引に軌道を物理誘導された弾丸が、付近にいたモンスターへ直撃する。着弾とともに込められた魔術が起動する。瞬間、着弾箇所から一定を範囲として、モンスターの胴体が消失した。
視線の先で起きたあり得ない現実を理解して、ルーマスは激しく瞠目した。その彼へ向かって、モンスターが倒れるのと同時にロアは床を蹴り出した。
それを己の感知能力で悟ったルーマスは、不意打ちが失敗したショックを強引に切り替えた。そして己の思考を加速させ、限られた時間の中で取るべき行動を取捨選択する。相手の反撃に対して、二発目の装填弾を込める時間はない。選択を絞ったルーマスは短銃を捨てると、ブレードを取り出し正面に構えた。
視界は未だ白く染められている。目視は正常に働かない。しかしルーマスの存在感知は、その中を動く存在を正確に捉えていた。正面から突っ込むことはしない、回り込むような動き。距離の関係もあり、探知機で探るよりも明瞭に感じ取れた。
右から来るのを察知したルーマスが、挙動を悟られないよう虚の情報を折り混ぜる。体の向きを僅かに左に動かした。直前に遭遇した不可解な事実から、ルーマスは相手が感知能力を喪失していないことを見抜いていた。理由は分からない。だが修羅場をくぐってきた彼の直感は、それが正しいことを確信していた。
狙い通りそこを好機と捉え、相手の動きが加速した。ルーマスはタイミングを見計らい、間合いに入るタイミングに合わせて、右腕だけを勢いよく振り切った。
僅かに遅れて顔も振り向く。直後、その表情が驚きで染まった。
彼のブレードは、空中に漂う煙だけを切り裂いていた。上下に割れた白煙の中から、身を低くしたロアの姿が現れ出た。
目を見開く相手へ向けて、ロアはブレードを斜め下から振り上げた。斬れ味の増した刃が、人体にしかと食い込んだ。鋭利な斬撃は身を守る防具ごと、相手の肉体を断ち切った。
斬られたルーマスは、手元からブレードを取り落とした。そのまま体を支える力を失い、背中から床に倒れ込む。深く裂かれた傷口からは、真っ赤な流血が溢れ出した。
腕を下ろしたロアは、息を切らせ、横たわる相手を見下ろした。
『……手応えの割に出血が少ないな』
まず抱いた感想がそれだった。その疑問をペロがすぐさま解消する。
『着込んだ強化服による延命措置機能です。傷口を圧迫して止血しているのです』
『……首を斬った方がいいか?』
『いえ、延命措置も不完全です。動力部が破損しているため、この重症ではどのみち死にます』
『そうか』
死に体に追い討ちをかける必要はない。そう判断し、ロアはようやく口を開いた。
「言い遺したいことはあるか?」
最後の義理である。せめて、今際の際の言葉だけでも聞き届けようと思った。
「……殺そうとした、相手に……やさしいな」
口から泡の混じった血を吐き出しながら、ルーマスは弱々しい声で言葉を吐き出した。
「なら、あいつらをたのんでいいか……」
「誰のことだ?」
「このまえ、あったろ……おれの、おしえごの、ガキどもだ……」
呼吸音はどんどん弱くなっていき、連られて声も小さくなる。
「まだ、ここに……いるはず、なんだ……」
その言葉に、ロアは信じられないものを見るような顔を作った。
「お前、本気で言ってんのか?」
発した問いに、ルーマスの瞼が小さく動く。そのまま力なく笑った。
「ああ、そっか……そうだった……おれゃ、やっぱ………」
そこで言葉は途切れた。天井を向いた瞳から光が失われていく。存在感知はまだそこに命があることを示している。だがそれも時期に消えるだろう。小さな灯火が、だんだんと縮んでいくのを感じ取れた。
ロアは感知を切った。自分の中で、目の前の男は既に死んでいる。完全に燃え尽きるのを見届けようとは思わなかった。
目線を落としたまま、ペロに話しかける。
『最後、ルーマスの動きがおかしかった。何かしたのか?』
『はい。相手の感知能力を逆手取り、あなたの姿を幻視させたのです』
視界不良の空間の中で、存在感知を頼りに戦っていたルーマスの知覚を、ペロは偽の情報を生み出すことで錯覚させた。存在感知なら欺かれることはない。その誤認を突いた。
『……分かってたけど、俺一人じゃどうしようもならなかったな』
『仕方ありません。あなたと彼らでは、経験も年季も装備も全然違います』
慰めの言葉がかけられるも、ロアはそれで納得することはできなかった。
命のやり取りの結果である。どちらが死のうと結果論だ。でも、自分はペロという規格外の力を借りている。いるを前提に戦っても、いなければどうなってたかを、どうしても考えてしまう。ペロの有無が殺しに繋がったのか。釈然としない思いを抱いた。
そしてとうとう、ルーマスの亡骸が迷宮に吸われ始めた。
『彼の身体を魔力に変換しますか?』
『……いい』
『放っておいても迷宮に吸われるだけですよ?』
『それでも、いい』
相棒の提案を、ロアは頑なに拒んだ。特別な理由があったわけではない。ただそこにもう彼を存在づけるものが何も無いとしても、何かを感じずにはいられなかった。それだけの曖昧な理由だった。
そんなロアの感傷を、ペロは否定する気はなかった。言われた通り、魔力に変えることはしなかった。ルーマスの亡骸は、迷宮に沈むように消えていった。
そして視界が完全に晴れる。迷宮特有の、冷たく無機質な姿が戻ってきた。
戦いが終わったことを実感したロアは、ひと息つこうとして──。
「サルラードシティ防衛軍だ。そこを動くな。動けば攻撃する」
いつのまにか、周囲を数人の武装者に囲まれていた。いずれも顔は見えず、感情は窺えない。だが身にまとう装備と気配は、明らかに並みの実力者ではないのを確信させた。
戦闘後で気が緩んでいたとはいえ、近づかれたことに全く気付けなかった事実に、ロアは緊張から生唾を飲み下した。
動けないロアとは対照的に、その者たちは確認を進めた。
「生体反応と魔力パターンから照合、ID確認。Dランク探索者ロアと判断」
「話にあったやつだな」
それで敵意がやや薄れる。しかし警戒は解かれていない。
攻撃態勢を維持したまま、防衛軍を名乗る者たちの一人が問いを発した。
「襲撃者の一味と交戦したか?」
「……ああ」
「人数は?」
「二人だ」
簡潔な質問にロアは淡々と答える。
「記録装置のデータはあるか? あるならこちらで預かる。提出してくれ」
面倒なので大人しく従う。慣れない手つきで記録装置のデータを取り出し、その場から放り投げて渡した。
データを解析する間も警戒されるのは変わらない。ロアは終わるまで憮然と立ち尽くした。
「む、データが記録されていないな。どういうことだ?」
「……そんなこと俺に言われてもな。この間買ったばっかなんだが」
「予備はないのか?」
「無い」
発言に、相手の雰囲気が変わる。対応を間違えたのかと、ロアは顔をしかめる。
だが、会話していた人物が手を挙げたことで、それは収まった。
「まあいい。ご苦労だった。あとはこちらで対応する。即刻地上に戻ることを推奨する」
それだけを言うと、その者の姿が消える。続くような形で、取り囲んでいた者たちの姿も見えなくなった。現れたとき同様、存在感知を以ってしても、気配はまるで辿れなかった。
『今のが迷彩ってやつか。お前でも気づかないなんてな』
『いえ、気づいてましたよ』
あっさりと言い放つペロに、ロアは不満げな顔を作る。
『……ならなんで教えてくれないんだよ』
『教えれば反応してしまうでしょう。向こうに明確な害意があれば別でしたが、今のロアの索敵能力で相手の迷彩を看破するのは不可能です。無用のトラブルを回避するためにやむなくです』
そう弁明されてロアは溜飲を下げた。
そして意識を首元の情報記録装置に向けた。
『不良品だったのかな』
『いえ、記録装置のデータは私が破壊しました』
またしてもさらりと言う相棒に、今度は困惑を抱いた。
『……なんで?』
『私の存在を悟らせないためです。見る者が見れば不自然さは見て取れます。それでどうなるものかは不明ですが、面倒事の種は撒かないに限ります。編集する時間があるなら別でしたが』
『ああ……そういうことなら仕方ないか』
何はともあれ、ここですることは終わった。ロアは疲れた足取りで迷宮を後にした。
『先ほどの探索者、無理やり拘束した方が良かったのではないですか?』
迷宮内を移動する途中、ロアと遭遇した防衛軍の部隊が、発声を介さない通信で会話を行っていた。部下からの問いに、隊長を務める男は足も止めずに応じた。
『最近、制圧済の区画に高値の遺物が出たと噂になっただろう』
『……確か、5000万ローグの値がついたとか。それが何か?』
『それを発見したのが先ほどの探索者なのだが、協会はその遺物を1000万ちょっとで買い取ったそうだ』
買い取られた遺物は、個人や企業向けに売りに出されるか、そのまま協会が運営する競売にかけられる。ロアが売った宝石は、買い取られたあと競売に出品され、買値の四倍以上の値がついた。価値さえ認められれば個人が直接出品することも可能であるが、ロアはそのための申請をしなかった。そのためこういう形となった。
探索者協会による遺物の買取は、総合的な資産価値を見出すものであり、コレクター的価値はさほど考慮されない。ロアが説明を受けた際、そういった意味も含めて専門の鑑定屋を紹介されたのだが、ロアは込められたニュアンスに気づけなかった。どこで売るか、どうやって売るか。それによって遺物の価値は大きく変わってくる。その知識も探索者にとって重要な技能であった。
『話は理解しましたが、それとこれと何の関係が?』
『言いたいことは分かる。だが多角的に考えて、あそこで身柄の拘束にこだわる理由もない。相手にしても、これくらいの埋め合わせはあっても良いと思ってな』
地上にいる探索者たちから聞いた話と、遠方から確認できた何者かとの戦闘。そして間近で確認した事実と本人から受けた印象。わざわざ危険を犯して迷宮に突入した事実を考えれば、ロアが襲撃者の一味である可能性は残っている。しかし総合的に判断すれば、やはり低いと言わざるを得ない。低い危険を案じて確保に人員を割くよりは、味方の応援に向かい、残存する敵の殲滅に向かった方が組織としては望ましい。それでも確実な任務遂行を考えるなら、拘束した方が確実性は高くつき、万が一の事態は避けられる。どちらをとっても間違いではない。
その判断を分けたのが話に出した内容だ。都市に利益をもたらした探索者に無碍な対応を行い、無意味に反感を募らせる必要はない。顔も名前も割れている相手を過度に警戒し、無用な手間を取る有益性は乏しい。任務の遂行を最優先する状況ならば尚更だ。
その判断理由を聞き、隊員の一人も納得した。
『無駄話はここまでだ。都市に徒なす叛徒どもを殲滅するぞ』
音も姿もなく、部隊は迷宮の闇に溶けるように進行した。
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