第32話 お節介

『ここに来たはいいけど、こっからどうしようか……』


 取り敢えず探索者協会まで来たロアだったが、中に入ると次の行動を決めかねていた。

 ここへ赴いた本来の目的として、サルラードシティ特有の情報を集めようと考えがあった。だが普通、そんなのは情報端末で済ませるものである。一端の探索者歴はそれほど長くないとはいえ、その程度の常識はロアも身につけている。それを理解した上で来たわけだが、実際にその場に来ると気兼ねする気持ちが強くなった。周囲にいる探索者たちは自分よりも明らかに強く、手慣れている。この都市の平均的な実力を考えるのであれば、ロアはまだまだ下っ端と言える部類だ。何も知らなかった頃ならともかく、Eランク探索者になった自分がそのような無知な行動を取ってもいいのか。知らない土地ということもあって、次の態度が決め切らないでいた。


『そうは言っても、行動を起こさなければ前には進みません。進むにしろ引くにしろ、踏ん切りをつけてさっさと決めませんと。宿無しになって困るのは自分だってことは、あなたも分かっているでしょう』

『そうだよな……』


 今日か明日にでもまともに稼ぎを出さなければ、待ってるのは野晒しでの路上暮らしだ。生まれ育ったネイガルシティならともかく、初めての土地でそれは勘弁願いたいロアは思った。自身の安全を確保する意味でも、なんとしてでも屋根の下での暮らしは維持したい。文明的な生活を手放したくないという本心も多分にある。ここで立ち往生していても、事態は何も改善しない。ペロの言う通り、何かしら行動を起こすべきだった。

 覚悟を決めたロアは、受付の人間がいる場所を確認すると、他の探索者がいるのにも構わずそこへ向かおうとした。


「お前さん、見ない顔だな?」


 しかし、その行動を言い止める言葉が近くから聞こえた。足を動かそうとしていたロアは、聞こえた声に反射的にそちらへ振り返った。

 ロアが振り向いた先には、都市迷彩の被服を纏い背中に銃を背負った、探索者然とした格好の男が一人いた。男の視線が自分を捉えていることを確認したロアは、他に該当の人物がいないのかを確かめてから、その男に対応した。


「もしかしなくても、俺に話しかけてるよな?」

「そりゃそうだろ。俺が空気に話しかける、特異な趣味を持っているように見えるか?」

「俺の言葉に反応しなかったら、そう判断してたかもな」


 その返しに「言えてるな」と男は小さく笑った。男とは対照的に、見知らぬ人物に話しかけられたロアは、表情を崩すことなく真顔で言葉を切り出した。


「それで、あんたは誰で、俺に何か用なのか?」


 自分より格上かもしれない探索者。身につける装備からそれを見て取ったロアは、平常心を乱さず、落ち着いた声音で相手へ問いかけた。その問いに男は口元を緩ませると、大袈裟に親指で自分を指し示し、名乗りを始めた。


「俺の名前はルーマス。探索者ランクはDDDだ。お前が見ない顔だったもんで、こうして話しかけさせてもらったってわけだ。よろしくな」


 自己紹介を終えると同時に、ルーマスと名乗った男は軽くウインクしてみせた。

 相手のランクを聞き、ロアは自分の見立ての正しさを実感する。そして、誰かを思い出させる気の良さに、内心で警戒度を上げた。数日前に、他人を信じようとして痛い目を見たばかりだ。その記憶も新しいのに、見ず知らずの他人をあっさり信用するほど、ロアも学習しない人間ではなかった。


「話しかけるのが用だって言うなら、それはもう果たしただろ。俺はやりたいことあるから、会話はこれで終わっていいか?」

「いやいや、どう考えてもそんな流れじゃないだろ。ここから更に会話が発展する流れだったろ。ってかこっちが名乗ったんだから、そっちも最低限のマナーとして名乗りくらいしようぜ」


 相手が勝手に名乗ったならともかく、自分から何者か尋ねたわけである。それ故、確かにそれは礼儀に欠ける行いと思い、ロアも自分の名前を告げることにした。


「俺の名前はロアだ。ランクはE。これでいいか?」


 礼儀は果たした言わんばかりに、ロアは相手に背中を向けようとする。

 それをまたルーマスが呆れ顔で呼び止めた。


「おいおい、そう釣れない態度をするなよ。 お前、ここに来たばっかでこの辺のこと全然知らんだろ? せっかくだから俺が色々と教えてやるぜ?」

「……さっきも思ったけど、なんで俺が他所から来たって分かったんだ? まさか、ここに来る探索者の顔を全員覚えてるってわけじゃないよな?」


 ルーマスの言葉に反応したロアは、踵を返すのを中止し、再び相手に向き直る。相手が興味を見せたのを認識すると、ルーマスはまた親指を立てて、ある方向を指差した。


「まっ、その辺りも含めてあっちで話し合いと行こうぜ」


 結局相手の思惑通りの形になったかと、ロアは内心で嘆息した。反対の意思を示さないのを同意と受け止めたルーマスは、軽飲食のできる雑談スペースの方へ歩を進めた。相手が誰だろうと、情報が手に入るならこれはこれで都合がいいかと、ロアは仕方なくそれについていった。




「お前、何か頼むか? 奢ってやるぞ」


 席に着いたルーマスは、第一声にそう口にした。それを聞いていたロアだったが、そちらには気を向けず、周囲を動き回る機械に視線が釘付けになっていた。まるで無機機械型モンスターのような形状をしたそれらが、胴体部から伸びるアームに盆を持って、他の人間が座る机に食べ物の入った容器を運んでいた。

 そのなんとも奇妙な光景に、これが何かをペロに聞こうとした。


「ネイガルシティじゃ、自律型ロボットを見ることはなかったか?」


 その言葉に、向いていた意識が吸い寄せられる。向かい側に座る男の顔を見た。


「……なんで、俺がネイガルシティ出身だって判ったんだ?」


 僅かに警戒感を滲ませて、ロアはそう尋ねた。自分がこの都市に来て、まだ二日も経っていない。出向いた場所だって、宿を除けばここが二箇所目だ。知る機会など、あってないようなものである。それなのに、目の前の男は自分の情報を持っている。突然に話しかけて来たことといい、明らかに不自然に過ぎた。

 それらの事実から導き出される答え。ロアは、この男が自分の敵ではないかと警戒を募らせた。

 そんなロアの内心は知らずといった様子で、ルーマスは手元で自分の情報端末を操作する。その間も、ロアは眼前の男から視線を外さなかった。

 やがて作業が終わり端末を机上に置くと、ルーマスはようやく口を開いた。


「まず、お前が余所者だって気づいたことについてだが、これはなんてことのない簡単な話さ。お前の見た目が幼くて、一人だったからだよ」


 聞きたいことはそれではないが、話の腰を折るのも悪いので、黙って相手が話すに任せた。ロアが黙って聞く姿勢を見せたので、ルーマスも先を口にする。


「探索者ってのは流動的な存在だが、拠点を頻繁に変えることはそれほど多くない。遺跡の攻略情報やモンスターの強さ、そこに滞在する探索者の情報や築き上げた人間関係。別の都市に移住するとなると、そういうのが一旦リセットされることになる。だからトラブルだったり、実力に合わなくなったり、総合的な損得勘定が損に傾きでもしない限り、他所に拠点を移すことは基本ないもんだ」

「……それと俺の話がどう関係するんだ?」


 話の繋がりが見えてこず、ロアは眉間の皺を深くする。


「俺も含めてそこそこ長くこの界隈にいる奴らは、意外と同業連中のことをしっかり見ている。可能性の話として、俺たちは都市の外では殺し合いの関係性に発展するかもしれない間柄だからな。神経質な奴なんかだと、新顔を発見するたびに協会の探索者ページでそいつの実績や戦歴を確認することもある。そこまではいかなくても、強そうな奴や目立つ人間なんかは、大抵が記憶に留めようとする」


 自動ロボットによって飲み物が一つ運ばれて来る。それを一瞥して、ルーマスは話を続けた。


「お前の場合は後者に該当する。ソロで子供の探索者なんて悪目立ちしない方がおかしい。実年齢を誤魔化していそうなら一層な。そういうのは結構早く、探索者の間で共有されたりするもんだ」


 そこで一旦会話を区切ると、ルーマスは運ばれてきた飲み物に口をつけた。肝心の疑問には答えてもらっていないが、ひとまずそれは置いておき、会話の流れで湧いてきた新たな疑問を口にした。


「だからって、いちいち他の探索者のことなんか調べるもんか? 普通にやってたらまず会わないと思うんだが。覚えるだけ無駄じゃないか?」


 容器から口を外したルーマスは、眼差しに真剣みを湛えて口元を緩めた。


「そう考えるってのは、まだまだ初心者の発想だな。仮に同じ都市に同業者が千人いたとして、そいつらはただの千人じゃない。自分を殺すかもしれない千人だ。他人の実力を気にする必要のない強者でもない限り、そういうのを軽視した奴から死んでいく。探索者ってのはそういう稼業だ」


 そうしてまた、飲み物に口をつけた。ロアはその話を聞き、口内の唾を飲み下した。

 遺跡での戦闘。オルディンたちとの殺し合い。モンスターの群れに追われ、魔神種に攻撃された時。そのいずれにおいても、確かに自分は死にかけた。それは実力不足も原因であるが、最大の要因は己の認識の甘さに他ならない。

 一度だ。たった一度死ねば、それで終わりなのだ。探索者とは、命とは、そういうものだ。

 膝の上に置いた拳を強く握る。自分はまだ探索者としての自覚も、覚悟も、全く足りていなかった。そのことを再認識した。

 脅すようなことを言ったルーマスは、自分の言葉で身を引き締めた様子の相手を見て、表情をフッと緩めた。


「まっ、そうは言っても、実際にそこまでの準備や警戒をしてる奴はほとんどいないと思うけどな。そもそもどうやったって、事前に得られる情報には限度がある。それに囚われて相手本来の実力を見誤ったら本末転倒だ。だからほどほどにな。じゃないと四六時中他人を警戒して、身動きが取れなくなっちまう。重要なのは目先のことに囚われない。そういうことだ」


 それを聞き、ロアは体の強張りを解いた。なんにしても、まだ自分は生きている。生きている限り、やり直す機会も学ぶ機会もいくらでもある。遅すぎるということはない。

 自分の認識を改め、椅子に座りなおしたロアは、話を先に進めるため元々の疑問を再度口にした。


「なら、俺の出身地が分かった方は?」

「さっき言った通りだよ。目立つ奴が現れたら、そういう情報はすぐ共有されるってな。これ見ろよ」


 ルーマスは懐から情報端末を取り出すと、それを操作して机の上に置いた。差し出された端末の画面をロアは凝視する。そこに写っていたのは、見間違いようもなく自分の姿だった。それを目にしたロアは、いつ撮ったのかと、ルーマスの方を軽く睨みつけた。


「言っとくが、これを撮影したのは俺じゃねえよ。ここを見ろ」


 ルーマスが指で画像の上部分を指し示した。そこには『外から探索者っぽいガキが歩いて来た。アホなのかこいつ?』と文字が添えられていた。見ず知らずの他人にアホと形容されたことで、ロアは少しだけ不満げな表情を作った。


「……なんだよこれ?」

「これはネット上の匿名掲示板だよ。不特定多数の人間が情報を書き込んで話題にするんだ。ここサルラードシティ含め、どこの都市にもこういった独自のコミュニティが存在するもんだぜ。知らなかったか?」


 知らなかったロアは、憮然とした面持ちで顔を逸らした。

 苦笑したルーマスは、机上に置いた端末を指で叩きながら自身の考えを述べた。


「これを撮った奴は、おそらく都市外縁部に居を構えてる探索者グループの誰かだろうな。あそこは探索者を生業とする人間が多い。そんな奴らの近くで、車両ならともかく徒歩で都市を出入りしてりゃ、そりゃ目立つ。そんで目立った人間は、見事に暇つぶしのタネにされるってわけだ。お前がネイガルシティから来たって判断したのは消去法だ。お前が来た方向には、ネイガルシシティとオルハマシティしかない。だがオルハマはここと同程度には発展してる。探索者のレベルもな。だからお前くらいのガキが低ランク帯の装備を身に纏って来るなら、ネイガルしかない。そう判断したわけだ」


 表情の険を取り、ルーマスの解説を大人しく聞いていたロアは、勝手に撮られた写真について対応策をペロに聞いてみた。


『こういうのって、なんとかすることできないか?』

『波動系統の紋章魔術が手に入れば迷彩効果で姿を消せますよ』

『……つまりは無理ってことだな』


 シンプルな回答に、ロアはあっさりそれを諦めた。

 Eランク探索者になって、ロアはこれまで数百万の大金を稼いできた。それなのに、未だ紋章魔術の入手は如何ともしがたい状況にある。情報端末で調べてみたこともあったが、入手場所は先史文明の遺跡と、それだけしか書かれてはいなかった。ならば金で手に入れられないかとそちらも調べはしたが、最低購入価格は億を超えるらしいという不確かな情報しか手に入らなかった。その金額と内容を見て、どう考えても手に入るわけはないと、諦めざるを得なかった。

 内心の会話など露知らないルーマスが、相手の様子を見て会話を続行する。


「まあ、匿名と言っても都市側には情報筒抜けだから、あまり過激なことは書き込めない。デマだって普通に転がってる。でも軽く雑談を交わして、情報のやり取りを行うには優れてる。お前もこれから行く都市では、最初にそういう専用のコミュニティを探したほうがいいぞ。その土地固有の諸問題が簡潔に知れるからな。トラブルを避けるツールにはもってこいだ。知らない損より知った損ってな」


 そう言い締めて、ルーマスは端末を懐に仕舞った。そしてまた一口飲み物に口をつけると両腕を机の上に置いた。


「んで、どうして徒歩なんかで来たんだ?」


 それが本題とでも言わんばかりに、ルーマスはやや前のめりの姿勢をとった。


「別に大した話じゃない。金がないから歩いて来ただけだ」


 誤魔化すこともないので、ロアは正直に答えた。

 その答えを聞いて、ルーマスは一瞬呆けた様子を見せると、すぐに小さく笑い声を上げた。質問に答えたのに笑われたことで、ロアは仏頂面を作る。


「……あの写真見たならそれくらい分かるだろ。笑うことかよ」

「いやいや、俺もそうかもしれんとは思ってたよ? でもまさか、真顔で言われるとは予想してなかった。悪い悪い」


 すぐに笑い声を引っ込めたルーマスは、再び口元に笑みを浮かべた。


「しかし、よく無事にここまでたどり着けたな? 見たところ、お前の装備じゃ結構厳しいと思うんだが」

「全然無事じゃない。途中でモンスターに襲われて死にかけた。なんとか逃げられたけど、あんな経験はもうこりごりだ」

「そうかそうか。まあ、逃げる足は探索者にとって装備と同じくらい重要だからな。無事に離脱できて結構なことじゃないか」

「ああ。もう二度と山の中なんか横切ったりしないよ」


 発した一言に、ルーマスは僅かに目を見開いた。


「ん? お前まさか、モンスター地帯を横切ってきたのか?」

「たくさん出るとこだろ? そうだよ。めちゃくちゃ大変だった」


 最大で二桁に上る数のモンスターに追いかけられる。その経験は、ロアにとっても半分トラウマに近いものを与えていた。当時の光景を思い出して、思わず顔をしかめた。

 相手の表情から真実だと判断したルーマスは、眉根を寄せて若干の苦笑いを作った。


「……本当に、よく無事だったな?」

「だから無事じゃないって言っただろ。化け物みたいなモンスターに襲われて、マジで死にかけたの」


 再三の発言に対して、ルーマスはいよいよ呆気に取られたようなポカンとした顔を作った。先程からコロコロから変わる表情に、ロアは内心で少し可笑しく思っていた。


「まさかお前、特定災害モンスターに手を出したのか?」

「特定災害……? なんだよそれ?」


 聞き慣れない言葉だったので、ロアは怪訝な口ぶりで聞き返す。その反応を見たルーマスは、今度は可愛そうなものを見る目で相手を見た。


「……そんなんで本当によく生き残れたな」

「別に戦ったわけじゃないから。遠くから攻撃されただけ。で、その特定災害って一体なんなんだよ?」


 堂々とそれについて聞くロアの姿に、ルーマスはこれ見よがしに大きくため息を吐くと、呆れ気味に答え始めた。


「簡単に言うとだな……特定災害モンスターってのは、探索者協会によって指定された、常識に当て嵌まらない規格外のモンスターのことだよ」


 モンスターと呼ばれる存在は、通常遺跡などの一定範囲を越えて大きく動くことは少ない。人や他のモンスターとの争いなどで受動的に動かされることはあっても、積極的に縄張り移動を行うことはないとされている。だから遺跡奥地や境域の内側に深く入り込まなければ、強力なモンスターに出くわすことはほとんどない。それが探索者間での常識となっている。

 しかし、その常識が当て嵌まらない例外も存在する。それが特定災害モンスターだ。協会の定めたモンスターの出現予測を覆し、境域を彷徨う流浪災害の一種であるこれは、境域に住む者たちにとって破滅を齎すイレギュラーとなり得る。


「たまにこいつらが都市を襲撃して、緊急強制依頼が在住してる探索者に発布されるんだ。主戦力は壁内の防衛軍だが、協会に所属してる探索者も当然駆り出されることになる。本人の意思問わずだ。だから特定災害の情報は必ずどの探索者も注視する。そいつが都市の近くを通るってだけで、逃げ出す準備を済ませるためにもな」


 特定災害に指定されるモンスターの中には、多くの低脅威度モンスターを連れ歩くものも存在する。大小を問わなければその総数は千を超えるときもあり、露払いも兼ねて多くの探索者が参戦させられることになる。

 これは緊急強制依頼となり、拒否すれば探索者資格の失効など、重い罰則が課される。それは上級探索者にしても例外ではない。

 そのため探索者たちは、都市や協会よりも早くに特定災害の情報を入手し、状況によっては逃げるかどうか即時の決断を迫られることになる。依頼が正式に出される前ならば、契約違反とはならないためだ。

 もちろんその場合、協会からの信用評価は大きく落ちることになるが、依頼受諾不可の体面だけは整えることができる。その際は依頼の拒否のため、所持する情報端末を破壊することは忘れてはならない。

 そんな探索者の世渡り術も一緒に聞かされたロアは、それを聞き終わり微妙な心境になった。化け物のようなモンスターと戦いたくないという気持ちは理解できる。自分もその力の一端に触れてわかったが、アレはまさしく災害と呼ぶに相応しい怪物だ。とても普通の人間が対抗できる存在ではない。

 だがそれにしても、探索者が真っ先に逃げるというのは如何なものなのか。正義や弱者の味方を気取るわけではないが、武力を持った人間が誰より早く逃げようとする。その思考や行動が、ロアには受け入れ難いものだった。

 それが顔に出たせいか、反応を見たルーマスは苦笑する。


「まあ、これはあくまでそういこともあるって程度の話だよ。都市防衛戦は危険は大きいが、その分見返りも大きい。強力なモンスターは都市が対応してくれるから、そこまでデカい危険があるってわけでもない。都市が探索者を多く死なせれば連合からの評価は落ちるし、探索者からの信用も失うことになる。だから強制依頼って言っても、無謀な戦闘を強要されることはまずない。だから信用や稼ぎ時を放り出して逃げる奴は基本いないよ」


 それを聞いてロアは表情を緩ませた。別に他人の行動をとやかく言う気はなかったが、それでも抱いた不快感のようなものが取れた気がした。

 そしてふと、次の疑問が浮かんできた。


「あれ? それじゃあ俺が攻撃された奴は? あれは緊急依頼とか出されないのか?」

「いいや、依頼は出されてるよ。だが緊急性は無いから、通常の討伐依頼だな。受けるかどうかは探索者当人の意思に委ねられてるってやつだ。ここの普通掲示依頼にあるから自分の端末で確認できるぞ。一応ランク制限はない無制限依頼となっているが、俺に言わせればあんなのを受けるのは、自殺志願者か身の程を知らない馬鹿だね」


 教えてもらったロアは、自分の端末からサルラード支部の境界ページにアクセスする。いくつかある討伐依頼の中で、それと思われる依頼はすぐに見つかった。

 その依頼内容と達成報酬を見て、ロアは驚愕で大きく目を見開いた。


「討伐成功報酬……30億ローグ!?」


 300万でも3000万でもなく、30億という数字に、ロアは驚きを隠せなかった。

 ペロに会って一人前の探索者になってから、ロアは以前とは比べ物にならない大金を手にするようになった。とんでもなく高値に思える装備や薬を自分で使用してきたし、それを巡って殺し合いすら行ってきた。金銭に対しての耐性は着実についてきている。しかし、未だ数百万という金額は大金であるという認識を持っている。そんなロアにとって、30億という金額はあまりに現実味がない数字だった。

 同時にこうも思った。これだけの大金が手に入るならば、怪物相手だろうと命を賭ける対価には充分ではないかと。

 底から生じてきた欲により、ロアの思考がある方向に傾きかけたとき、自分を現実に引き戻す声が聞こえてきた。


「お前、この額は妥当だと思うか?」


 発したのは対面に座っていたルーマスだった。急激に現実に引き戻されたロアは、自分が欲に囚われたことを恥じ入りつつ、その質問に受け答えた。


「……当たり前だろ。30億ローグだぞ。300万ローグの……千倍だぞ」


 一瞬計算ができず言い淀んだが、答えをなんとか自力で導き出した。改めて考えてみても、とんでもなく高額な報酬である。 どうしてこれだけの依頼が未だに放置されているのか不思議だった。

 一度冷静になった頭で考えてみたロアは、なんとなくその理由を察することができたが、いまいち納得はいかなかった。


「そうだな。ある意味でお前の意見は正しい。普通探索者ってのは、モンスターを狩るだけで金を貰うことはないからな」


 一般に探索者の稼ぎというのは、倒したモンスターの素材や収集した遺物の売却額となる。要人警護や輸送護衛で稼ぐ者もいるが、実際の成果を持ち帰られなければ収入はゼロである。つまりただモンスターを倒しただけで金になるというのは基本的にあり得ない。しかしそれには例外が存在する。それがモンスターの賞金首制度だ。個人や組織などが、探索者協会を通して特定モンスターの討伐に賞金をかけことがある。その理由は様々であるが、該当の賞金首モンスターを倒すことで探索者は初めて素材以上の金を手に入れられる。だから探索者にとって、討伐依頼は少額でも受けるに損の無い依頼となる。

 特定災害モンスターなどはその筆頭である。境域の流通を妨げ都市を滅ぼし得るこれは、存在が確認され次第、近場の都市が排除のため賞金をかけるのが通例となっている。


「だったらどうしてこんなに美味しい依頼が放置されているのか。言っちまうと、倒せる奴がいないからだな」

「いないって……Aランクみたいな上級探索者なら倒せるもんじゃないのか?」


 ロアが腑に落ちない理由はこれだった。ルーマスの言った通り、探索者がモンスターが討伐しただけで金銭を得ることは普通ない。だからこそ、賞金のかかったモンスターは探索者の間で奪い合いとなる。

 そして今回の対象は30億の大物だ。もちろん魔神種の怪物具合は知っているが、30億という大金を目の前に吊るされて放置されている理由が分からなかった。


「確かに、Aランク探索者なら討伐できるかもな」


 思いのほかあっさりと、ルーマスはロアの疑問を肯定した。しかし直後に、「だが、そんな簡単な話でもない」と否定するように言葉を繋げた。


「Aランクってのは一度の依頼や探索で、当たり前に数千万、数億を稼ぐような連中だ。それも、十分な安全を考慮に入れた上でな。だがそんな奴らでも、特定災害ってのは死ぬ可能性が出てくる。何十億っていうクソ高い装備を失う可能性もな。お前が仮にAランクだったとして、安全に数千万稼げるのに、 命や装備を賭けてまでそんなモンスターと戦いたいか?」


 ロアはその問いに首を振って否定する。先程は金に目が眩みかけたが、何十億ローグ積まれようと死ぬかもしれない戦いに身を投じるのは嫌だった。労せず数千万を稼げるなら尚更だ。


「だろ? 誰にとってもそうなんだよ。割りに合わねえんだ。だから都市が出したこのやっすい懸賞金じゃ、誰も討伐しようとはしないんだよ」

「安くはないと思うが……」


 金のために命を捨てるのは嫌だが、流石に30億が安いとは思えなかった。

 そんなロアの持っている価値観を、ルーマスはバッサリと否定する。


「いや、安いよ。お前も近場で見たなら分かるだろ? アレがマジもんのバケモンだって。普通あのクラスのモンスターなら、懸賞金は100億を超えるもんだ。なのに都市は緊急性や実害の有無からそれを安く抑えている。これじゃあ誰も討伐しようなんて気にならないだろうさ。モンスターハント専門の賞金稼ぎだって、割りに合わない仕事を無理に受けることはない。待っていれば勝手に都市が報酬を釣り上げてくれるからな。焦って動く必要は誰にもないってわけだ」


 説明を聞いて、都市や探索者が積極的に魔神種を討伐しない理屈は分かった。しかし、それだけでの理由では納得できないこともあった。


『なあペロ。こいつの言ってることおかしくないか?』

『おかしい、ですか?』

『だってそうだろ? ペロの時代だと当たり前に魔神種は倒されてるって話だったのに、Aランク探索者でもその子供? の魔神種に勝つのは難しいって言ってるんだぞ。おかしいだろ』


 探索者のランクは最高でAランクである。これは探索者協会でも秘匿されることなく公にされている事実だ。すなわちAランクとは、最も強い探索者と言えることになる。そのAランクでさえ、魔神種の未成熟個体に手こずるとルーマスは言っている。それがロアには不可解に感じられた。

 抱いた疑問を、ペロはあっさりと解消する。


『ああ、それは当然ですよ。だって人が戦うことは少なかったですから』

『どういうとだ?』

『なんてことのない話です。魔神種すら討伐可能な兵器を造って、それを代わりに戦わせていただけです。だから人間がわざわざ強くなる必要性はあまりなかったんです。もちろん魔神種を倒せる人材自体はちゃんといましたけど』


 話を聞いて、ロアは『ああ、なるほど』と納得することができた。

 ロアはこの説明で納得したが、ペロの考えは正確には違っていた。ペロは探索者自体が、それほど強力な武装勢力ではないとの認識を持っていた。体制側が武力を独占するのは支配維持のセオリーである。現代ではその常識が一部破られているが、全てを手放して支配が確立するなどあり得ない。都市の抱える戦力が探索者側を上回っていることは容易に想像できる。

 その予想を、ペロは敢えて伝えることはしなかった。これはあくまで旧時代の技術と遺産を、現代の人間がペロ基準で活用できることが前提となっているからだ。今の段階では現代人がどれほどの文明を築いているか不明瞭である。魔神種に十分な対抗ができることも考えられるが、そうでないことも考えられる。探索者が体制側に匹敵する戦力を持っているかもしれないし、持っていないかもしれない。それらは可能性として語ることはできるが、確定や断定などには程遠い状況にある。それでも聞かれれば自身の予想を述べはするが、不確定の情報をロアに与えて、後に命取りの判断を生み出すきっかけを作るつもりは、ペロには毛頭なかった。

 相棒の思考など知らないロアは、話の中で生まれた危惧を口にした。


「だとしても放置していて大丈夫なのか? そいつがこの都市を襲うことだってあるかもしれないだろ」

「だろうな。都市側もそれを予想してるからこそ、静観の構えを示しているのさ」


 予想とは違う答えが返ってきて、ロアは「どういうことだ?」と何度目かの問いを発する。襲われるのが分かっているなら余計に早く倒すべきだと思った。

 ロアの疑問に、ルーマスは「いいか」と指を一本立てた。


「倒すだけならサルラードシティだけでもそれは可能だ。防衛軍には強力な装備も実力者も揃ってる。例え特定災害だろうと、中堅都市に属するここが敵わない道理はない。だけどな、それだと旨味がないんだ。ハッキリ損の方がデカいと言っていい。討伐のために軍の主力を向かわせれば、その間都市の防衛が疎かになる。それで敵対勢力に襲われて被害を出せば、運営者の責任問題にまで発展する。それだけじゃない。向かわせた戦力が損害を受けることも十分にあり得る。なんたって敵地はモンスターのパラダイスだ。並行してそいつらの相手もしなくちゃならない。そうして無事に特定災害の討伐に成功したとしても、得られるのは心の安心とモンスターの素材だけ。代償に失うのは、金と物資と人材と信用とその他諸々だ。わざわざ出向くにはあまりに損の方が大きい」


 一度区切ると、今度は反対側の人差し指を立てて揺らした。


「だけど防衛戦になれば話は変わる。特定災害がこの都市を襲えば、協会や探索者を強制的に巻き込むことができる。防衛にかかる費用も連合が一部負担してくれる。総算としてはそれでも赤字は免れないが、大きな人的、物的損害は避けられる。出て行くのはほとんど金だけだ。反対に得られるのは、特定災害を難なく退けられる強い都市という評判だ。こういう信用ってのは実際の結果でしか得られない。俺たち探索者にとっての実績や戦歴みたいなもんだな。あるのとないのじゃ、多方面からの信用評価が大きく違ってくる。そういうわけで、都市が積極的に討伐に動くことはないってことだ」


 そう言って残りの指も開くと、小さく肩を竦めた。


「ルーマスって、そういう事情に詳しいんだな」

「まあな。これでも中級探索者だ。低ランクよりもその辺の情報は入手しやすい。それに情報は大事だ。なんたって命にかかわるからな。収集には余念がないのさ」


 中級探索者の実力の一端のようなものを聞けたロアは、「へー」と感心するように相槌を打った。

 そこでロアは、話に一区切りついたと判断して、自分の端末を使い時間を確認した。時刻はまだ正午手前だ。もう少し話していても時間はありそうだが、行くのは初めて訪れる遺跡である。余裕を持つためにも、会話はここらで切り上げることにした。


「悪いなルーマス。話はここまでだ。色々と教えてくれてありがとな」

「ん? 何か急ぐ用事でもあるのか?」

「ああ、俺はもともとこの辺の遺跡やモンスター情報を集めるために来たから。この後すぐに遺跡へ行くつもだったんだ」

「そういえばお前、Eランクだったな。だったら一応挑戦資格は満たしてるのか」


 その発言の意味が分からず、ロアは「ん?」と反応する。


「ここの遺跡は挑むのにランク制限とかあるのか?」

「いや、全部じゃないが……って、そうか。お前迷宮のことも知らないのか」


 初めて聞く単語に、ロアは今度こそ首を傾げた。

 首を傾げるロアに、ルーマスは「よし」と笑みを浮かべて立ち上がる。


「俺がお前の遺跡探索を手伝ってやろう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る