二章
第29話 都市を出て
境域。それは広く境界線を引かれた、閉ざされた地域の俗称である。その内部には先史文明と呼ばれる、旧時代に築かれた数々の遺跡が存在する。そして遺跡の内部には、数多の富と叡智が眠っているとされている。そこを守護する
旧時代の遺跡に赴けば、必ずそこを護るモンスターと遭遇することになる。しかしモンスターと呼ばれる怪物が彷徨くのは、何も遺跡と呼ばれる限定された領域だけではない。その外にも広くモンスターは住み着いている。境域とは、まさしくモンスター住まう地なのである。
それは人類が確保した支配地域である、特定制圧領域圏の内側でも同様だ。人類が築き上げた居住地の外では、モンスターは当たり前に闊歩している。それはつまり、都市の影響範囲から外れれば、いつモンスターに襲われてもおかしくはないことを意味する。
ネイガルシティを出立し、徒歩で次の都市へと向かう一人の少年ロアにとっても、それは例外ではなかった。
「くそっ! なんなんだよもう! ふざけんな!!」
大樹が犇めく薄暗い山の中を、不満を叫びながらロアは疾走している。叫びながら走るロアの背後には、彼の倍以上の身の丈がある怪物を含め、大小様々なモンスターが列をなして追走している。途中、怪物同士が互いに争いちょくちょく列から外れていく光景も見られたが、ロアの後ろには常に複数体のモンスターが付き纏っていた。
「あーもう! まただよ! いい加減にしろよ!」
前方に新たなモンスターの姿を見つけたロアは、もう何度も繰り返してきた事態に、この先に起こるであろう展開を容易に想像することができた。
前方のモンスターは、自らの近く寄ってくる小さな人間の姿を発見すると、それを追う複数の同類などを意に介さず、自らの本能のままに襲いかかった。それを予期していたロアは、その毛むくじゃらの生き物が突っ込んでくるのに合わせて、タイミングよく横に跳んで回避した。標的を捉え損なったモンスターは、そのままロアとすれ違い後方へと抜けていった。
なんとか新たなモンスターをやり過ごしたロアは、避けた際に少しバランスを崩してしまう。それでもすぐに態勢を立て直し、再び全力疾走の構えをとろうとする。しかしそこに、迫っていた一体が追いついた。無防備な背中へ向けて、牙を剥いた怪物が飛びかかる。
戦うつもりのないロアは、モンスターへの対応を余儀なくされて軽く舌打ちする。背後にいる相手の動きを存在感知で捉え、振り向きざまに腰のブレードを一閃した。抜くと同時に魔力で強化された刃は、飛び込んできたモンスターの前足を一本切断する。牙をスレスレで回避しながら、カウンターで機動力を奪ったロアは、ブレードを振った勢いを利用して横に転がった。
そしてそこからすぐに立ち上がり、またモンスターがいるのとは反対方向に走り出す。獲物が逃げ出したのを見て、奪い合いで争っていたモンスターたちは、また一塊になって追走を再開する。
命がけの追いかけっこの最中、どうしてこうなったのかと、ロアは数時間前に自分が取った選択を後悔していた。
ネイガルシティからロアが目指している次の都市まで、距離にして軽く百キロ以上があった。それを情報端末から知り得ていたロアは、引き落とした地図と続く道を頼りに、順調な足取りで歩を進めていた。
都市の外はモンスターの出現地帯であると言っても、そうそう頻繁に遭遇することはない。特に都市間の流通経路となっている場所は、モンスターの出現率が比較的低い所が選ばれている。その道に沿って歩けば、滅多にモンスターと出くわすことはない。
ただしモンスターには遭わずとも、無法者までそうとは限らない。モンスターが少ないということは、そこでの潜伏に適していることを意味する。彼らは大抵そんな道に罠を仕掛けて、集団で待ち構えていることが多い。しかしそれにしても、遭遇する可能性はやはり低い。都市間の移動において、その障害となるモンスターと無法者の存在は、全ての都市で共有された既知の内容である。それに対抗するための護衛は当然どこも用意している。強力な護衛が乗っている、或いは乗っているかもしれない車両など、無法者といえど襲おうなどとは考えない。徒労になると解って待ち伏せる者など少ないのだ。
そのため、境域での移動で最も警戒すべき対象はやはりモンスターとなるのだが、それを深く考えない愚か者も中にはいる。遺跡で先史文明の強力な兵器群を相手に戦ってきた探索者たちは、そこで手にした自負と自信から、遺跡の外に出現するモンスターを軽視する傾向がある。全体としては少数でも、そう考える者たちは決して少なくない。実際、それは大きく間違ってはいないとされている。
だが、どこにも例外は存在するものだ。それを甘く見た者の中のごく一部は、自らの身をもってそれを思い知ることになる。
当初道なりに進んでいたロアは、出立二日目にして、道程の三分の一ほどを踏破していた。大型の車両によって均された平坦な道は、徒歩で進むのにも適している。モンスターに遭遇することも、ましてや無法者に襲われることもない好調な旅路は、事前の認識とは違う意外さをロアに与えていた。
長閑な道のりについ気を抜きそうになるロアだったが、それで痛い目を見たのはつい一昨日のことである。ここは危険地帯であるとの認識を堅持し、疲れ過ぎないよう適度な警戒を心がけて進んでいた。
二日目の夜。情報端末で明日以降の道程を確認していたロアは、その地図を見てあることに気づいた。都市へ続く道が、途中から大きく逸れていたのである。
直進するならそうかからず到着する筈なのに、どうしてわざわざ回り道を取る必要があるのか。疑問に思ったロアは、そこに何があるのかを調べることにした。調べた結果、その地帯はモンスターの住処となっていることが分かった。
それを知ったロアは、少し悩んでからそこを横切って行こうと考えた。近道を選んだというよりも、モンスターを倒すことを目的としてだ。
オルディンたちとの戦闘時、ロアは大量の魔力を消費した。そこにはペロがロアを守るために使用した分も多く含まれており、戦闘前と比べて貯蔵量は二割以下にまで減っていた。数回程度の戦闘なら問題ないが、もしもということもある。己の不安を解消するため、ここで魔力の補給を行おうと考えた。幸運と言うべきか、その地帯に出現するモンスターのランク帯も、自分が倒せるレベルだと判明していた。
ロアは道先を変えて、モンスターの住処に進路をとった。
森林地帯に足を踏み入れた初期の頃は、ロアも大して苦労することなく進めていた。遭遇するモンスターは強くてもEランク帯がせいぜいであり、強敵と感じるものは全く出なかった。数の多さに手を焼かされることはあったが、存在感知を使って索敵すればそれも回避できた。出現するモンスターは生体型だけであり、危殆なくモンスターを倒し、順調に魔力を補給することができていた。そのせいで引き際を誤った。
順風だった風向きが変わったのは、周囲の景色が変わり始めたのに気づいてからだった。
『なあペロ。なんかこの辺の木って、これまでのより大きくなってないか?』
自分の周りに生えている木々。それがこの地に入ったときより太くなっていることに気づいて、ロアは自分の疑問の正しさを相棒へと確かめた。
『ええ、確かにそうなってますね』
『やっぱりそうか。なんでこうなってるんだろ?』
外縁からここまで徐々に変化していたせいで、気付くのが遅れたロアは、今更になってそんな疑問をこぼした。
『この辺りは入り口より魔力濃度が高いですからね。木々も頑強に育っているのでしょう。意識して存在感知を使ってみれば、あなたもそれに気づける筈ですよ』
そう言われて存在感知を使ってみれば、確かに木々や地面に宿る魔力量が多くなっているのが感じられた。それは世界が色づき強く流動するような、なんとも不思議な感覚だった。
『こういう場所では比較的出現する魔物も強いです。モンスターについては知りませんが』
いつもとは違う不可思議な感覚に身を委ねていたロアは、相棒から不穏な一言を聞かされた。それを問い詰める間もなく、感知圏内には新たなモンスターの姿を捉た。
数は一体だった。そめため反射的に狩ろうとロアは考えたが、即座にその行動を停止させた。なんなとなく感じられた相手の強さが、これまで戦ったモンスターとは違うと判断されたためだ。
『これ……Dランク帯はありそうか?』
出現するモンスターの強さがここから一段上になった。
それを把握したロアは、撤退の二文字を頭に過らせた。しかし少し考え、引かずに戦うことを決めた。強くなったと言っても、所詮はDランク帯である。以前の安い武器ならともかく、あれから新調した装備を使って負けるとも思えない。相手から感じる気配も、Dランク帯最上位には劣っている。感知圏内にいるのは一体だけ。
総合的に判断して、ここで引く理由は見当たらなかった。
ブレードを鞘から抜いたロアは、気配を消しながらそのモンスターに近づいた。
『……分かってはいたけど、実際に見るとやっぱでかいな』
近くで見るモンスターの体格は、巨漢を思わせるほどの図体をしていた。自分よりも大きな体躯を持つモンスターに、ロアは少しだけ怯みをみせる。太く高く成長した木々のように、この地に住まうモンスターも巨体だった。
『うーん、こうして見ると魔物なんですがね。でもやはりこれはモンスターと。どういうことなんでしょうかね』
独り言のように呟きを発する相棒の言はスルーして、ロアは機を見計らう。そして相手の死角を取ると、一息に木々の間から飛び出した。気配を感じさせず突然現れた敵に、モンスターは意表を突かれ身を竦める。
隙を見逃さず、ロアは相手の頭部に向かってブレードの刃先を突き込んだ。魔力で強化された攻撃は、あっさりと相手の肉体を貫いた。後頭部にまで刃を貫通させたモンスターは、そのまま力なく崩れ落ちた。
隙をついたとはいえ、思いのほか楽に倒せたことをロアは意外に思う。
「Dランク帯だと思ったけど、そうでもなかったか? ……倒した後だけど、討伐強度チェッカーを使ってみるか」
自分の判断の正確さを確認するため、今しがた倒したモンスターの討伐強度を調べることにする。
「ええっと……ストライプエイプ、討伐強度は16。やっぱりDランク帯か」
自分の感覚の正しさを実感して、ロアは安堵した。
「でも、その割には楽勝だったな。一体だけだったからか? いや、武器が良かったからか?」
『その二つも要因としてありますが、あなた自身が強くなっているのが一番だと思います』
「俺が強くなってる?」
三日間に三度も死にかけた自分がどうして強くなってるのか。怪訝になるロアへ、ペロがこれまで黙っていた事実を交えて説明する。
『魔力強化の長期間の使用により、あなたの肉体に魔力が徐々に馴染み始めています。それで基礎的な身体能力が向上して、相乗的に強化具合も上昇しているのです。今のあなたの肉体は、私と出会った頃よりも丈夫で頑強になっていますよ』
「そんなことがあるのか?」
『はい、例えるならこの辺りの自然と同じことが、あなたの身にも起こっているということです』
それを聞いて、なるほどとロアは納得した。そしてそのことを自覚し、なんとなく感じていた身体の好調さの理由にも思い当たった。
「だからこうしてたくさん歩いても全然疲れなかったのか。急に体力ついてなんか変だなとは思ってたけど、そういう理由があったんだな」
都市を出立してから、自分の感覚でかなりの長距離を移動したのに、あまり疲れがないことを少しだけ不思議に感じていた。自分が多少なりとも成長したとは考えていたが、それには明確な理由があったのだと理解した。
ペロに頼らない部分でもちゃんと成長している。それを知ったロアは、僅かに気分を弾ませて、巨木が立ち並ぶ山林の中をより奥へと進んでいった。
「なんでこんなにしつこいんだよ!」
選択の結果、ロアは多数のモンスターに追い回されることになった。
疎らに生息していたモンスターの中で、ロアは孤立していた個体のみを狩るようにしていた。初めは問題なく好調に行えていた狩りだったが、それは急に終わりを迎えた。潮目が変わったのは、後方のモンスターの存在に気づいたときだった。存在感知に、避けた筈のモンスターが複数映ったのだ。
それに気づいたロアは、辺りに隠れてやり過ごそうとした。だが、モンスターたちは明らかに狙いを持って動いていた。身を隠したにもかかわらず、すぐに居場所が見つかり襲われた。
始めのうちは返り討ちにしようと考えたロアも、モンスターの数と強さを思い知ると、すぐにそれは悪手であると悟った。応戦の構えから打って変わり、逃げに転じることにした。肉体強化を使い、周囲の地形を利用して山中を逃げ回った。
しかし、相手はここを根城とするものたちだ。容易に撒くことはできず、それどころか途中に現れるモンスターまでも追加で引き連れる羽目になった。撒いても撒いても次から次へと現れるモンスターに、心底うんざりとして、ロアはただひたすらに逃げ続けた。
『それにしても、これだけ魔物に似たモンスターが群生しているのは驚きますね。外敵たる人類がいないことで増えたのでしょうか。しかしこれは拡錬石を持ってるんですよね。自動守護存在だとしたらそれはおかしいですし。うーん、不思議です』
『考察はいいからなんとかしてくれ!』
抱いた謎に対して呑気に思考を巡らす相棒に、声を出すのも辛くなってきたロアが必死に助けを求める。
ただ助けを請われたペロは、緊張感を感じさせない口調で答えるのみだ。
『なんとか言われましても、現状は逃げるのが最良ですからね。ロアが頑張ればなんとでもなりますよ』
『それはそうだけど、そういうことじゃなくて……ん?』
苦悶の表情を浮かべて走っていたロアは、急に背後から迫る圧力が弱くなったことに気がついた。思わず背後へ振り返ってみれば、変わらず自分を追って来るモンスターはいるが、一部はある所で止まっていた。止まったモンスターたちは、その場所からロアを睨みつけるように窺っていた。
『なんか急に襲ってこなくなったぞ……?』
まるで自分と相手がいる位置の間に一本の線が引かれているように、そのモンスターたちがこちら側へ来ることはなかった。加えて追ってきたモンスターの中で、特に強そうな部類のものだけが足を止めていた。
背後からの圧力が大きく減ったことで、危機は脱していなくとも、ロアは少しだけ気を抜きそうになる。
『まあ、楽になるならそれも──」
『いけませんロア! 今すぐここから離れて!』
「うわっ!」
いきなりのペロの叫び声と、急に体がある方向に進み始めたことで、ロアは思いがけず驚きの声を上げた。その動きは以前の動作誘導とは比べものにならず、全力でペロによって動かされていた。自分の身体なのに自分以外に動かされている。そんな違和感も気にならないほど、相棒から伝わってくる焦りは本物だった。
走る途中、無意識の操作から意識的な動作に切り替えたロアは、唐突なペロの焦りに感化されて、慌てふためきながら疑問を叫んだ。
『なんなんだ!? なんかあったのか!?』
『説明はあと! いいからあそこ! 飛び込みますよ!』
見れば前方の地面には大きな裂け目が存在していた。そこを跳び越えろではなく飛び込めという指示に、ロアの頭には一瞬だけ躊躇が過ぎる。だが迷う暇なく相棒の言葉を信じ、その中へ身を躍らせた。
裂け目の幅は数十メートルに及んでいた。そして深さはその倍近くはあった。予想外の深さに、ロアは思わず死を覚悟した。
ロアが死を覚悟するタイミングで、ペロが身に纏う魔力を大幅に上昇させた。体を包み込むような可視化するほどの膨大な魔力は、ロアから落下死の可能性を完全に取り除いた。
これなら死なずに済むかもしれない。生と死の感覚を高速で往復したロアが、そんな安心を抱いた瞬間。
──それは訪れた。
まずロアが感じたのは強烈な光だった。瞬間的に視界が強く照られされるのを、強化された視覚ではっきりと感じ取った。膨大な光量があたり一帯を覆い尽くし、周囲は白一色に塗り潰される。猛烈な眩しさにより、ロアは反射的に目を閉じた。
ロアが視界を閉ざした直後、間髪入れず体はとんでもなく大きな衝撃に襲われた。谷底へ落下中だったロアの体は、その衝撃をもろに浴びて、飛び込んだのとは反対側の岩壁へと強く叩きつけられる。ただ普段よりも何倍も強く纏った魔力により、外的な負傷だけは免れた。しかし間を置かず、三度目のそれがロアの肉体を襲った。
次に訪れたのは熱だった。空気中の水分を余さず蒸発させるようなとんでもない熱量が、ロアの体を焼き尽くさんと覆った。経験のない熱さに、耐えることも、抗うこともロアにはできない。そのまま自分を侵す正体不明の何かに為すがままに蹂躙されて、ただただ重力の赴くままに自らの体を委ねた。
意識を喪失しかけながら落下したロアは、自身に訪れる柔らかい衝撃を感じ取った。それと同じタイミングで、体中を冷たい何かが包み込むのを知覚する。
その熱とは異なる心地よい感覚に身を任せ、ロアはひたすらに谷の底を流された。
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