第22話 踏み倒し

 最大チャージされた収束砲を撃ち放つ。発射された高エネルギーの魔力弾は、狙い違わずモンスターの巨体に直撃する。青白い塊が弾け、開放された衝撃にモンスターが大きく仰け反る。だが、着弾した箇所は体表が僅かに焼き焦げる程度だ。

 自身の持つ最大の攻撃方法でも致命傷は与えられない。それでもロアは止まらなかった。収束砲とは反対側に持ったブレードを限界ギリギリまで強化して、それをモンスターに向かって振り下ろす。武器強化されたブレードが、モンスターの体表を鋭く切り裂いた。

 しかし、長さが60cmしかない刃では、その数倍の体躯を誇るモンスター相手にかすり傷程度しか与えることはできない。少量の体液が飛び散るが、それだけで終わった。

 二度も自身を傷つけた新たな敵の存在に、モンスターの注意と苛立ちが向いた。ロアが二度目のブレードを振るう前に、モンスターの体当たりが炸裂する。強い衝撃がロアの体を襲い、意思とは無関係に地面を転がった。大音を鳴らして付近の建物に激突する。旧時代の技術でできた外壁に大きな亀裂が走った。

 頑丈な壁に叩きつけられ呻き声を上げるロアに、モンスターが更なる追撃を仕掛けようとする。一人の探索者を肉片に変えた鋭利な爪で、己の敵へトドメを下そうと迫る。

 目の前で振り下ろされようとする爪を、ロアは顔を背けず冷静に目を凝らした。それが振り下ろされる刹那、見切りを行い、ギリギリのところで攻撃を掻い潜った。そのまま間合いに入り、敵の顔に向かってブレードの刃を突き出した。眼球を貫かれたモンスターの口から、絶叫が漏れ出た。

 その隙に、突き刺したブレードから手を離してその場から離れる。そして片手で持っていた収束砲を両手で持ち直し、そこに限界まで魔力を込めていく。すぐに限界まで魔力がチャージされる。

 瞬間、ロアは頭の中で相棒に向かって叫んだ。


『ペロ! アレをやってくれ!』


 ロアからの要請に、ペロは即座に応じた。


『コード:リミットブレイク起動』


 起動句とともに、限界まで魔力が込められていた収束砲へ更なる魔力が込められる。最大を超えて限界を突破した収束砲を、ロアは目の前のモンスターに向かって構える。砲身からは青白い光が漏れ出し、許容過多のエネルギーが行き場を求めて荒れ狂う。それを強引に押さえつけて、狙いを定め、ついには開放した。トリガーを引いた瞬間、これまでの倍以上の大きさとなった魔力弾が発射された。

 当たるのに時間は必要としなかった。発射とほぼ同時に着弾した魔力弾は、内包した大量のエネルギーを一気に解き放ち、それが向けられた相手へ殺戮を齎した。着弾から一瞬で、モンスターの体表は爆発したように破裂した。着弾箇所の肉を大きく喪失させ、質量を減らしたモンスターの巨躯が派手に吹き飛ばされる。中型の車両並みの大きさを誇るモンスターの肉体が、激しく土煙を舞い上がらせて、地面の上に横たわった。

 肩で息をするロアは、地面に横たわる姿を見て、対峙したモンスターが死んだのを確信した。念のため存在感知でも確認し、完全に生命機能を停止していることを確認する。そしてそれを頭で認識した瞬間、体からドッと力が抜けるのを感じた。


『つ、強かった……。一瞬、マジで死ぬかと思った……』


 なんとかもぎ取った紙一重の勝利を、ロアは内心で噛み締めた。

 建物の外壁に叩きつけられた際、モンスターの攻撃を冷静に対処したかのように見えたロアだったが、あの場面はほとんど死を覚悟していた。死を覚悟していたからこそ、逆にあそこまで落ち着くことができた。

 戦闘の興奮が冷めやらぬロアに向かって、いつも通りの平静な口調でペロが言う。


『大袈裟ですね。私がいるんですから、そう簡単にロアが死ぬことはありませんよ』

『……どういう意味だ?』

『そのままの意味です。仮にあの爪攻撃をロアが受けても、私が瞬間的に魔力圧を高めていたので、あなたが即死する可能性は皆無でした』


 それを聞いて、ロアはなんとも言えない笑みを作った。そしてこの相棒はこういう相棒だったと、苦笑するしかなかった。


『それにしても……装備の限界突破だったか? あれ、凄い威力だったな』


 ロアがモンスターを一撃で倒した攻撃。それはペロのサポート機能の一つ、装備の制限使用の限定解除及び限界突破と呼ばれるものだった。

 ロアはその二つを混同しているが、今回ペロが使ったのは限界突破ではなく限定解除の方である。これは魔導装備の出力制限を任意で外すことにより、その性能を格段に引き上げることを可能とする、装備の最終武装形態と呼ばれるものだ。本来なら装備本体に搭載されていなければ使えないこれを、ペロは自身の能力で強引に使用可能としていた。

 限定解除後の装備性能であるが、これは最大で基の数倍の性能に達する。ただし、その強化倍率が高いほど装備の損耗は激しくなり、形状融解は早まることになる。倍率を低めに抑えれば、限定解除時間とその後の整備や修理次第で、一定の状態までは回復させることは可能である。しかし大抵の場合、装備の性能は以前よりも大きく劣化する。これは一度分解して再構成しなければ、決して元に戻ることはない。その場合、新しく買い換えるよりも多額の費用が必要とされる。そのためこの機能が使われるのは、大抵が装備を損耗させる覚悟で戦うときだけである。ちなみに限界突破した場合は絶対に修復不可能となる。限界突破から一定時間後、その装備の存在情報は全て失われ、完全なロスト状態と成り果てる。

 予めリミットブレイクについて知らされていたロアは、即断が求められる死線の最中で、これの使用を躊躇わなかった。躊躇えば死ぬと思っていた。だから限定解除の使用に関して後悔はしていないが、終わってみれば少し惜しい気もしていた。

 その感情が微妙に表情に現れて、ロアはボヤくように言った。


『……これもやっぱ、ブレードみたいにその内壊れるのかな』


 数百万相当の武器が壊れるなど想像もしたくないが、その時は自分の意思とは無関係に必ず訪れる。壊れるような無茶な使い方をしたのは自分であるが、それでもロアの心境は複雑だった。


『壊れない道具なんてありませんよ。もしその時が来ても、使用者の命を救ってくれたそれを感謝して見送ってあげてください。使い手にお礼の言葉の一つでも貰えれば、その道具にとっては本望と言えますから』

『……そうだな。そうするよ』


 ペロからの、なんとなく強い気持ちがこもったその言葉に、ロアは大きく頷いて了承した。


『それはさておき、その前にブレードも回収しないとな。あれは買ったばっかだし、まだ壊れて欲しくはないんだけど──』

『ロア避けて!』


 ペロから飛んだ唐突な警戒の声。ロアはそれを脳で処理し切る前に、頭部に大きな衝撃を受けた。瞬間、頭だけでなく胴体にも強い衝撃を浴びて、敢え無くロアの体は吹き飛ばされた。衝撃を受けたのとは反対方向にロアの体は転がった。


「おい! 体は攻撃するなって言っただろ! 壊れたらどうすんだよ!」

「別にいいだろ。一番のお目当てには当たってなさそうだしよ。それに強化服ならそう簡単に壊れやしないだろ」


 倒れたロアの方へ、二人の探索者が近づいた。両手に銃を構えた彼らは、ロアが助けた探索者たちだった。


「お、お前ら……マジでやったのかよ。ヤバいだろこれ……」


 助けられたうちの一人は、他の二人がしたことに対して慄きながら言葉を発した。


「なにビビってんだよ。別にヤバくねえだろこんなの」

「そうそう。目撃者が他にいるわけでもあるまいし、唯一の被害者はそこで死んでるしな。俺たちが口裏合わせればなんの問題もないだろ」


 救援要請を発した男たちであるが、初めは救援に来た探索者にモンスターを押し付け逃げるつもりでいた。問題なく倒せるほどの実力者だったならその限りではないが、助けに来た探索者は一人であり、それも明らかな子供であった。この時点で男たちは逃亡を選ぼうとした。しかし予想外にロアが善戦し、そのままモンスターを倒してしまった。それを見ていた男たちは、予想とは違った結果が訪れ呆気にとられた。だが、その思考はすぐに次の対象へと移った。すなわち救援報酬の支払いである。

 戦闘後、男たちはロアを観察した。観察して、相手に十分な余力がありそうなら諦めようと思った。自分たちが敵わないモンスターを一人で倒す相手とは、男たちも戦いたくなどなかった。しかし観察した結果、相手は満身創痍とは行かずとも、かなり消耗した状態であると判断された。目の前で見せられた高威力の魔力攻撃が、発動までに時間を要することは実際に見て知っていた。人間離れした身体能力も、モンスターの攻撃をものともしない防御力も、意識の外から不意打ちを浴びせれば無関係だ。だから男たちはそれを決行した。相手は一人であり、他に救援に来た者たちも存在しない。襲われる側の口封じさえしてしまえば、何の憂慮も問題も生まれない。

 報酬の踏み倒しと、強力な装備を手に入れる。二つの目的を達成するため、男たちは救援に来た探索者の殺害を目論んだ。

 ロアを攻撃した二人のうちの一方、陽気に話していた人物は、臆した一人に向かって鋭い視線を向ける。


「それともお前、協会にチクリでもやるつもりか?」

「や、やるわけねえだろ! そんなことしたら俺だって終わりだ!」


 臆した人物は慌ててその疑いを否定した。疑った方も「だよな」と言って笑い、また視線を前に戻した。

 男たちのチームが所属するグループにおいて、仲間への裏切りは決して許されない鉄の掟とされている。仮に臆した男がこの件を探索者協会に密告しても、仲間を売った事実により、彼は所属するグループから処断されることになる。それを互いに理解しているからこそ、相手の行いに疑念を抱いても、こうして背中を向けることができている。臆した男にとっても、別に見知らぬ探索者一人の命程度はどうでもいい。積極的に他者を害する気概はないが、やってしまったのなら、それは済んだものとして終わる話である。その程度の認識であり、仲間と言い争ってまで倫理を説く理由もありはしない。それに、これで救援に対する報酬も払わずに済んだと、少しだけ得した気分でもいた。

 男たちの中の一人が、倒れるロアのそばに落ちている魔力収束砲を拾い上げた。


「これがこいつの武器か。確かこうやって魔力を込めて──」


 一人がロアの収束砲を構えた瞬間、その首からは大量の鮮血が飛び出した。血液を首から撒き散らす男は、何が起きたかも判らず、意識を朦朧とさせて倒れた。男はその数十秒後、失血が原因で死亡した。

 その男を殺した人物、ロアは、魔力で強化されたナイフで一人の首を搔き切ると、自分を攻撃したであろうもう一人へ向かって疾走した。次の標的となった男は突然の事態に一瞬だけ硬直するが、何が起きたか瞬時に把握すると、仲間を殺した相手に向かって即座に手に持つ銃の引き金を引いた。

 男が持つ銃は、ロアやベイブが使っていたような低性能の普通品ではなく、Dランクのモンスターにも通じる威力がある強化銃と呼ばれるものだ。ロアが使う強化ブレードと同じように、魔力的性質を持たせて強化されたこの銃は、未強化のものより威力において遥かに優る。Eランク帯のモンスターなら、機械型でもない限り数秒でバラバラにできるほどだ。その火力がロアに向かって火を吹いた。

 普通の人間ならば一瞬で肉片に変えられる弾幕。それを、ロアは上昇した動体視力と身体能力で完全に避け切ってみせた。そのまま瞬時に距離を詰めて、防御が薄い首元へとナイフをねじ込んだ。武器強化されたナイフは、あっさりと男の頸椎を寸断した。そこでナイフは寿命を迎えた。

 柄ごとチリとなって消失するナイフに短く礼を言い、ロアは最後の一人へと無手のまま突っ込んだ。


 ロアが三人目と定めたその男は、目の前で起きている現実に思考が追いついていなかった。気づけば仲間の一人が鮮血を吹き出して倒れた。それを為したであろう人物は、自分たちを救出した探索者であり、死んだと思われていたその探索者が続けざまにもう一人も殺した。それは男の目ではほとんど動きを追うことができない、一瞬の出来事だった。

 二人の仲間が死んだところで、その探索者の視線が自分を捉えたのを男はなんとなく理解した。自分が次のターゲットになり殺されるのだと。それを理解した瞬間、男は無駄とは思われつつも、次に取るべき行動は一つしかないと悟った。自身へ殺意を迸らせる相手に対して、武器を捨てて膝をついた。


 予想外の行動を取られて、ロアの動きは停止する。殺意から一転、抱く感情は困惑となった。ただ相手の狙いがどこにあるかは不明だったため、警戒は続けながら近づいて、その場に置かれた武器を蹴り飛ばした。

 これからどうすればいいのか。それをロアが考えていると、男が唐突に大声を発した。


「お、俺はあんたに降参する! だから許してくれ!」


 発せられた命乞いを聞いて、ロアは不快感から顔を歪めた。


「……お前らは俺を殺そうとしただろ。なのに助けてくれってなんだよ?」

「俺は関係ねえ! やったのはあんたが殺した二人だけだ! 俺は本当に何もしてねえ!」


 男の言い分を正直に聞き入れるつもりはないが、ロアは倒れていたときにある程度男たちの会話を聞いていた。それで得た情報から、自分を攻撃したと思われる最も危険度の高い二人を先に排除した。だからおそらくであるが、目の前で膝をつく男の言葉は嘘ではない。

 そう判断したが、それだけで許すわけもなかった。


「やってないって、止めなかったならやったのと一緒だろ。第一、結局俺を攻撃した奴らを見逃してたじゃねえか。どの口でそういう事を言うんだよ」

「そ、それはそうだが……。だ、だけど攻撃はしてねえだろ! 殺すのだけは勘弁してくれよ!」


 必死で命乞いする男に、ロアも対応を迷う。殺していいとは思うが、無抵抗の相手、それも特に自分を攻撃したわけではない相手を殺すのは、心情的にも主義的にも躊躇われた。なにより一度こうして会話したことで、殺意は既に引っ込んでしまった。またそれを引き出して殺すというのは、ロアにはなかなか難しい選択だった。だから取り敢えず男を蹴り飛ばした。そうして相手が痛みに悶えている間に、急いで収束砲を拾いに行った。

 収束砲を拾ったロアはすぐに男の近くまで戻り、それに魔力を込めて男へ向けた。それを見た男は途端に慌てだす。


「た、頼む! 撃たないでくれ! 何でもするから!」

「なら端末を出せ」


 いきなりの要求に一瞬惚けた男は、すぐさま慌てた様子で懐から情報端末を取り出した。それを地面に置かせたロアは、足の裏でその端末を思っ切りに踏み砕いた。魔力で強化された脚力でも簡単には壊れないそれを、二度、三度と踏み続けて粉々にした。自分の端末が粉々にされるのを唖然として見ていた男は、それに向けていた視線をロアへと戻し、恐れのこもった眼差しで相手を見た。

 ロアは男の反応も気にせず収束砲を向け、次の指示を出した。


「行け」

「……は?」

「行けって言ってるだろ。お前にして欲しいことはもうない。だからさっさとここから消えろ」


 男はそう言われ、安堵から息を吐くと、蹴り飛ばされた自分の武器を取りに行こうとした。しかし、ロアはその行動を咎めた。


「武器を取るのは禁止だ。さっさと行け」

「なっ! ま、丸腰なんて無茶だ! モンスターに殺されちまうだろ!」


 ロアは静かに収束砲を男へ向ける。


「予備の武器があるだろ。それに魔術符も残ってる筈だ。これ以上ゴチャゴチャ言うな」


 ロアは大袈裟に手に持つ武器を揺らす。端的な指示と分かりやすい脅しに、男は後ずさりながら歯噛みする。だがこれを拒否しても殺されだけであると理解し、取るべき行動をすぐに決めて、急いでこの場から離れることを選択した。

 遠ざかっていく男の背中に警戒を続けていたロアは、その姿が完全に見えなくなると、ようやく武器を下ろして気を抜いた。


「……なんとかなった、か」

『なんとかしたんです、この私が。自分一人で解決したような言い方はやめてください』

「そんなつもりはないんだが……。まあ、今回は全面的に助けられたよ。本当にありがとうペロ」


 ロアからの感謝の言葉を聞いて、ペロは上機嫌に頷いた。

 ロアが男たちから攻撃を受けた際、ペロは瞬時に反応して魔力の強化を強めていた。まるで鎧を纏ったかのようにロアの身体を覆った魔力は、本来なら肉体を破壊する筈だった攻撃からロアの体を防護した。

 ただそれでも完全にとはいかなかった。頭部を確実に守るための魔力を厚くした分、胴体への防御が疎かになった。弾丸がロアの体を突き破ることこそなかったが、その内部には強い衝撃を残した。内臓を痛めたロアは、受けた苦痛と衝撃からすぐに立ち上がれなかった。それでもなんとか再生剤を飲み込んで、負傷した肉体を回復させた。

 そして完全に体を癒し切ると、機を見計らい、男たちへと奇襲を仕掛けた。


「まさか助けた側から攻撃されるとは思わなかった。完全に油断したな」

『普通は自分を助けてくれた相手が殺しに来るとは思いませんしね。恩知らずな悪党どもです』


 ロアにしても、男たちのとった行動は完全に予想外だった。

 しかし、同時に幸運だとも思っていた。今回殺し合うことになった男たちとロアとの間には、探索者としてはともかく、基礎的な戦闘力には大きな差があった。モンスターとの戦闘で強いと思わせた男たちの戦闘力も、近距離から奇襲を受けては十全に力を発揮させることはできない。足並みが乱れ連携のとれない三人を順繰りに撃破した。魔力の使用の可否も関係した。肉体強化を使えない男たちでは、使えるロアに近接戦闘で勝てる筈もない。だからまともな装備を持たない状態でも、三人という数で上回る相手に問題なく勝利することができた。

 もしもこれが自分のように魔力強化が可能であり、その実力に大きく開きがなかったのなら、死んでいたのは間違いなく自分の方である。だからこのタイミングで知れてよかったと思った。助けた相手に殺される可能性は、確かに存在するのだと。それを考えれば、今回のこれは対価に見合う良い経験だったかもしれない。ロアはそう前向きに考えて、自分を納得させた。


「まあ、それはもういいや。それよりも戦利品を清算しよう。ペロ、俺が殺した探索者二人は魔力に変換してくれ」


 モンスターを魔力に変換するような気軽さで、ロアはそれを要求した。ペロもそれに従い、二人分の死体を魔力に変えて取り込んだ。


「こいつらの持ち物は……後でいいや。それよりあっちのモンスターが先だ」


 ロアは自分が倒した大型のモンスターに近寄った。


「うーん……こいつって結構強かったよな。だったらこいつの拡錬石とかも、高く売れたりするのかな?」


 自分が初めて倒した大物だ。拡錬石だけでなく、遺骸そのものにもどれだけの値がつくか気になった。しかしあまり長く考えていても、モンスターの遺骸からは魔力が抜けてしまう。少し迷ったが、すぐに決断を下した。


「まあいいや。今回は結構魔力使ったし、こいつで補充しないとな」


 そう決めて、大型モンスターを拡錬石ごと魔力に変換した。その際にモンスターの頭部に突き刺したブレードを回収したのだが、刀身にはかなりの疲労が蓄積されていたようで、強度確認のためにその辺を斬りつけたらポッキリ折れてしまった。買ったばかりであるのに、もう壊れてしまったのを残念に思いながら、ロアは折れたブレードをその場で供養した。

 落ち込んでも仕方がないので早々に切り替えたロアは、次に殺した男たちの持ち物の確認を始めた。


「金は……全然ないな。財布に数万ローグぽっちか。二人ともそうだな」


 探索者は基本的に現金を持ち歩かない。多く稼ぐ者ほどその傾向がある。ただ現金には現金の使いどころがあり、特に壁外では個人間のやり取りでそれが顕著だ。中には実物の取引を重視するためわざわざ札束を持ち歩く者もいる。

 紙幣を自分の財布に移したロアは、続けて残りの物を確かめる。


「お、魔術符発見。でもこれなぁ、ベイブから手に入れたのもそうだけど、使い道ないんだよなぁ……」


 いざというとき持ってて得する魔術府であるが、今のロアはその恩恵に預かれていなかった。魔力による肉体や武器の強化は、使えるだけで中級探索者相当の実力があると見做される技能だ。それを使えるロアにとって、今回のような遺跡探索はともかく、これまでのEランク帯以下のモンスターが相手では、危機に陥るなどあり得なかった。そのためペロと出会ってからは、一度も魔術符を使う機会が生まれなかった。


「だけど今回みたいに武器を失う可能性もあるし、ちゃんと持ってた方がいいのかな? でも良い魔術符って高いんだよなぁ……。逆に安いのは役に立たないし」


 ガルディの店で最低ランクの魔術符を買ったことがあり、それに助けられた経験もあるロアは、保険のための魔術符を買おうと考えたことがあった。しかし結局買うことはしなかった。性能の良い魔術符は、ロアの想像を遥かに超えて高価だったからだ。高いものでもせいぜい数万から十数万ローグだと思っていたロアは、実際に専門店でその価格を目にしたとき、目が飛び出るかと思うほどの衝撃を受けた。自分が使っている強化ブレードを軽く十本は買える価格であったのだ。流石にそれは店で売っていた最高ランクの品物であったが、使い切りの魔術符一枚にそれだけの大金を費やすのは、心情的にも金銭的にも不可能だった。安いものなら買えると言っても、数万ローグの魔術符ではギリギリEランク帯のモンスターに通じるかどうか、その程度の威力しかない。魔力強化を使えばそれなりに楽に勝てる相手に、数万ローグも使って倒す気には到底なれない。だからロアは保険の意味があると思いつつも、これまで魔術符を買うことはしなかった。


「ペロはどう思う? こういうのあった方がいいと思うか?」


 困ったときの判断として、頼りになる相棒に意見を求めた。


『どちらでもいいと思います。費用対効果は悪いですが、持ち運びの利便性は優れています。魔力を必要としないのも魅力です。危惧があるとすれば、ロアにとって必要かどうか。その一点ですね』

「俺にとって?」

『はい。魔術符は先に述べたような利点はありますが、最大の欠点として込められる魔力と魔術の限界容量が存在します。魔術符は符という限られた容量に、魔力と術式の両方を詰め込んでいます。そのためとかく、使える魔術の強さの上限が決まってしまっています。符の素材を良質なものにすれば容量も増えますが、その場合の価格は跳ね上がることになるでしょう。余計に費用対効果は悪くなります。ですからロアの懐に見合ったものを買うことになるのですが、それだと今のロアには物足りない性能の可能性が高いです。買ってもやはり使い道はないかもしれません』


 ペロが言った通り、魔術符というのは費用対効果が非常に悪い代物だ。100万ローグするほどの魔術符でも、Dランク帯までしか有効ではない。そしてDランク帯のモンスターは、一部の希少な内部構造を持つモンスター以外、丸々無傷で持ち帰っても100万ローグの値がつくことはない。つまり、魔術符を使っただけで赤字が確定してしまう。ならばどうして魔術符は買われるのか。それは万が一に備えた保険のためである。魔術符は符という名の通り、重さも体積もほとんどない。つまりは荷物にならない。銃の予備弾倉や魔導装備の変換源などとはそこが明確に異なる。魔力がなくとも使えるというのも大きな要因だ。それらの理由から、探索者たちは保険の意味を込めて多くの者が魔術符を持ち歩く。駆け出し時代に助けられたという理由から、御守り代わりに持つ者たちも中級以上の探索者の中では珍しくない。

 ロアの場合は、今の実力に資金力が追いついていないのが問題だった。ロアの愛用しているブレードの価格は10万ローグほどだ。仮にロアが今の実力に見合った保険として魔術符を買うなら、最低でも100万以上のものを買う必要がある。しかしそんな高価な魔術符を買うよりは、その金で装備を充実させた方がいい。そちらの方が総合的な実力は大きく上昇する。そしてそれだけの装備を手に入れたロアなら、保険として必要となる魔術符の性能は更に上がってしまう。今度は数百万以上のものを買う必要が出てくる。そのイタチごっこもいずれは止まることになるが、その時には最早、魔術符自体がロアの実力に見合わなくなってしまう。仮にロアの実力ではなく懐に見合うものを無理に買っても、いざというときの保険として役に立たないだけである。買う意味自体がなくなってしまう。

 ペロからそんな理屈を聞かされ、ロアは難しい顔を作って唸った。


「うーん……やっぱ足りないのは金か。でも金があったら高い装備を買った方がいいと。判断付かんな。他の奴らはどうしてんだろ?」


 並みの探索者は、ロアのように急激なスピードで強くなったりはしない。地道に経験を積んで、ようやく中級探索者になるものである。だから保険として買った魔術符が無駄になることはそうそうない。そこら辺の事情がロアと他の者とで異なっている。


『迷うなら買わないで良いのでは。無理して買うよりは、やはり装備を充実させるのが一番でしょう』

「それもそうだな」


 特に無理してまで用意しようとは思わなかったので、魔術符は買わないと結論づけた。

 それからある程度戦利品の選り分けも終わったので、ロアはこの場を離れることを決めた。


「銃とか惜しい気はするけど、俺には必要ないし持って帰らないでいいか。売れば高そうだけど、殺した相手の持ち物を売ったら俺が殺したってバレそうだしな。でも折れたブレードの代わりが手に入ったのは運が良かったかな?」

『それを言ったら襲われたのが不運ですね。救援報酬を貰えたなら、ノーリスクで100万ローグが手に入ったたのですから』

「それはまあ……言わないってことで」


 Dランク帯最上位のモンスターからの救援報酬なら、それだけで100万ローグを貰えてもおかしくはない。結果としてそれは踏み倒された形になるが、その代償は命で支払わせた。それに殺した相手の持ち物を全て合わせれば、100万ローグは優に超えていたかもしれない。その全てを持ち帰ることはしなかったが、殺した分と合わせて、取り立てには十分であるとロアは判断していた。


「じゃあそろそろ帰るか。ここら辺は今の俺じゃキツいって判ったし、今回の目的はもう果たしたってことでいいだろ。あっ、思念話に戻すか」


 当初設定した目標は達成できた。色々と不測の事態もあったが、結果としては概ね満足できるものだった。ただのGランクでしかなかった自分が、高価な装備に身を包んだ探索者でも勝てないような、強力なモンスターを討伐できた。その確実な成長は、このネイガルシティでの最後の探索に相応しい内容であった。

 一人満足げでいるロアに、ペロはその話題を切り出した。


『ロアが満足そうで良かったです。それで、そろそろ教えてもらえませんか。どうして唐突に、モンスターに突っ込むような行動を取ったのですか?』


 その問いかけに、ロアは緩ませていた表情を硬直させた。そしてすぐにそれを渋いものに変えた。顔にしわを作り、言いたくなさそうに口を開閉させた。

 なかなか答えずにいるロアへ、先んじてペロが己の予想を述べた。


『昔のことでも思い出したんですか?』

『……そんな感じだ』


 ロアからの答えに、ペロは『そうですか』と相槌を打って、それ以上の追及はやめた。追加の質問が飛んでこなかったので、ロアは緊張を解くように息を吐いた。そのまま誤魔化すように話題の転換を図り、さっさと遺跡から帰還するのだった。



 ペロは、ロアが何かを隠しているのを知っていた。その何かまでは不明であるが、それがロアの思想や行動指針に大きな影響を与えていると判断していた。

 そう予想していたペロであるが、その何かを知ろうとすることはなかった。ペロにとってそれは、とりわけ重要ではなかった。ハッキリと、どうでもよいことだった。

 他者に虐げられ劣等者として生きてきたのに、他者を助けることへ人並み以上の執着を見せる。命をかけて助けた相手であっても、敵対したのならば躊躇いなく排除する。そんな本来なら歪とも言える一面も、ペロにとっては大した問題ではなかった。

 唯一重要な事柄は、ロアという存在そのものだ。生き方も、行動原理も、価値観も、思想基盤も、人間性も、そのどれもが対象そのものと比べれば瑣末事に過ぎない。所詮はただの付属物として、それ自体に価値を見出してはいない。

 ロアにとって唯一絶対の味方は、彼の全てを受け入れ肯定していた。それはそう造られた被造物だった。

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