第12話 グラック&カバック
「5万ローグ……マジか……」
渡された五枚の紙幣に視線を落としたロアは、それを手にしたまま呆然と呟いた。
一端の探索者となってからの初めての遺跡探索。それを無事に終えたロアは、都市への帰還が遅くなったのでその日のうちに買取所へ行くのはやめにした。残り少ない手持ちを使い、用心のために借り受けた安宿の一室で一夜を過ごした。そこで目覚めを迎え、探索での疲れをほどほどに癒したのを実感しつつ、手に入れたものを売却するため探索者協会の買取所へと赴いた。慣れない場所と探索者の多さに緊張しながらも、なんとか買取を済ませることに成功したロアは、そうして手に入れた金額が一度の成果としてはこれまでの稼ぎを遥かに超えていたため、無意識の内に心の驚きを声に出してしまった。
金を受け取ったならさっさと立ち去れと、受付の人間から丁寧な口調で促され、ロアは唖然としたままとその場を立ち退いた。そしてそのまま我に帰ると、周囲を警戒するように睥睨して、慌てて紙幣を懐へとしまった。
『そんなに警戒しなくても、ここにいる者なら誰も襲いやしませんよ』
相棒の言葉にロアは耳を貸さない。ロアの経験ではたとえ数百ローグであろうと、隙を見せれば集るか奪うかされてきたのだ。ましてや今懐にあるのは、5万ローグという自身ですら初めて手にする大金だ。これを狙って周囲の人間が強盗に転じるなど、己の常識に照らし合わせれば当然のことだった。
警戒心丸出しで懐を庇っている相棒の姿を、ペロが呆れた様子で注意する。
『ここにいるのは最低でもロアと同じかそれ以上の探索者ばかりなんですよ。そんな彼らがあなたの持つ端金なんて狙う筈がないでしょう。少しはちゃんと現実を見てください』
『で、でも……』
『そうして過剰に警戒すればするほど、他の者の興味を引くことになりますよ。相当貴重な品か大金を持っているかもしれないとね。それが嫌ならもっと堂々とすることです』
言われてロアほ体の力を抜いた。5万という大金が理由で襲われるならともかく、持ってもいない物が原因で襲われるのだけは真っ平御免だった。
そうして周囲へ気は配りながらも、なるべく普段の姿勢を意識して、ロアは買取所から立ち去ろうとする。ペロが言った通り、特に他の者から絡まれることもなくあっさり人の波を抜け出せる。そのことを少し意外な気持ちでいながら買取所の外へ出た。
買取所を出た後もしばらく警戒していたが、やはり尾けられている様子はなかった。
『……本当に5万も持ってるのに誰も襲ってこないんだな。いやでも、俺に気づけないほど高度な尾行を……』
『そんな実力者なら余計に襲う理由がないでしょう。本当にお馬鹿ですね』
淡々と正論を突きつけられ、そこでようやくロアも気にするのをやめた。言われてみて、それもそうだと納得するしかなかった。他の探索者は自分よりも装備が優れた者たちばかりなのだ。そんな彼らがわざわざ5万ローグという金額を奪いに来るなど、普通に考えれば確かに有り得ないことだった。
『そっか……そうだよな。どうせ襲うなら、もっと金持ってそうな奴を襲うもんな』
ロアは自分の一張羅を見て思う。劣化が目立つ使い古された上下は、とても大金を持っている者の服装には見えない。探索者かどうかも怪しいほどだ。流石にこんな格好の者をわざわざ襲おうなどと誰も思わないだろう。
ロア自身もそろそろ買い換えたいとは思っているが、丈夫な繊維はまだまだ服としての機能を果たしている。結構な収入が入った今でも、そこにお金を費やすのは無駄使いに思われた。
『いえ、この際ロアは服装を新しく買い換えるべきです』
しかし、ペロからは全く正反対のことを推奨されてしまう。それにロアは反論する。
『別にいいだろ。まだ着れるんだし。それより他のことにお金使った方が──』
『いいえ、ロアは服装を軽視しすぎです。人の第一印象は見た目から始まるのです。そこに力を入れなくてどうしますか』
『……どうしたんだ急に?』
今まで一度も話題に上らなかった趣向の話を聞かされて、ロアは普通に困惑した。
『急にではありません。私は常々思っていました。どうして私の相棒は浮浪者のような見窄らしい格好をしているのかと。そんなのは私の相棒の格好に相応しくはないのだと。それでもあなたの懐事情を考えてこれまでは躊躇していましたが、収入が得られたならば話は別です。ロアは今すぐにでもそのすすけた襤褸を買い換えるべきなんです』
捲し立てるように告げられた内容を聞かされて、ロアは空いた口が塞がらない。
そんなロアへ、ペロは現実的に考えられる利点からも衣服の買い替えを勧める。
『私の言った内容は冗談半分ですが半分は本気です。これからは手に入れたお金はどんどん道具類や装備品に費やす必要があります。服の買い替えはその第一歩です。流石に今回の収入程度で十分なものを揃えられることはありませんが、今の防御力皆無の貧弱な着衣よりは遥かにマシです。前の買取所の男も言っていたでしょう。遺跡へ挑む前に自分にできる最大限の準備をしろと。あなたは今の自分がそれをできていると思いますか?』
ペロからの指摘に、ロアはふるふると首を横に振った。
『そうでしょう。だったらどうするべきか。自ずと選択肢は一つに定まるものです』
『そうだな……』
今度は縦に首を振ったロアは、懐にしまったお金がそこにあるのを確かめる。そして自分の記憶とペロの案内を頼りにして、ある場所へ足を向けるのだった。
『ここがグラック&カバックか……。爺さんの店とは大違いだな』
目の前にある探索者向けの専門店を目にして、相棒にだけ聞こえる声でロアは呟いた。
『そりゃこんな店があるんなら、誰も爺さんの店なんか来ないよな。俺だって金あるならこっち来るもん。ってかここ俺入ってもいいのかな。入り口で止められそうなんだけど』
人が出入りする入り口らしき場所の付近には、武器を持った警備員らしき者が配置されていた。その分かりやすい犯罪抑止効果に、ロアは渋い顔で不安を露わにした。
『先程も言いましたが、こういうのは堂々としていれば問題ありません。不審な動きを見せるのは逆効果です。それに紹介した者の言を信じるならば、ここは初心者御用達の店の筈です。見た目で侮られるとしても、入店を拒否されることはまずないと思います』
『そういえばそうだったな……』
自分のランクを知った上で紹介された店であるのだ。ならば門前払いされることはないだろう。そう考えたロアは意を決して、ペロのアドバイスに従い堂々とした足取りで店へと向かった。
入り口の前に来たとき、横から警備の者の鋭い視線を感じたが、特に見咎められることはなかった。無事に入店を果たした。
『ふぅ……緊張した。心臓に悪いな全く』
心臓の音を早めながら店の中へ入ったロアは軽く悪態を吐いた。
そして前方に広がる光景を目にして、感嘆の声を上げて驚き入った。
『……すごいな。どんだけ物があるんだ。いくらなんでも多すぎだろ』
軽く百人以上は入りそうな店内には、通路用のスペースを空けつつ所狭しと陳列棚が並べられている。そこに乗せられた品々の種類や数は、ロアが知っている雑貨屋のものとはまるで異なる。探索者協会とはまた違う、商店特有の魅力ある空間が広がっていた。
それを目にしたロアは呆気にとられるも、通行人の邪魔になると思ってすぐにその場を移動する。物珍しそうにキョロキョロと辺りに目をやりながら、売られている品物を順々に確認していった。
そうしてロアが一通り確認したところ、この場に売られている物の多くは探索に役立ちそうな道具類ということが分かった。求めている物は見当たらなかった。
『うーん……手足に着ける物や布そのものはあるけど、服っぽいのはないな。というか武器もない。ナイフはあるけど』
『ここは雑貨や消耗品の類が売られているだけで、身に纏う防具類や武器などは上の階にあるようですね』
『上……? ああ、二階ってことか』
ペロの発言を聞いて、ロアは自分が勘違いしていることに気付いた。外から見た店の大きさを考えるに、一階部分だけで内部が全て埋まるなど有り得ない。複数のフロアに別れていると考えるのが自然だ。しかし己の狭い見識と、物の多さという未体験を味わったせいで、その事に気付くのが遅れてしまった。
自分の間違いを自覚したロアは、店内に置かれた案内表示に従って、上階へ行くための自動階段を見つけた。そこを登って二階までやってくることで、ようやくお目当ての品を見つけられた。ロアの視界には多種多様な衣類や履物など、探索者が身につける被服が数多く映っていた。
早速ロアは多くの被服に囲まれた道を、商品やその値段を意識しながら見て回る。被服は装着品としての機能事に分けられて置かれ、棚に陳列された物から目立つように壁に掛けられた物まで存在している。中には下着の役割を果たす衣類も売られていた。
フロアの奥の方には厳重なケースに保管されている物まであった。しかし、それら高級品は値段を見ただけで自分には全く手が届かない物だとわかったので、その場で眺めるだけに留めた。
一通り見終わったロアは、自分の手持ち資金でも問題なく手が届くコーナーまで戻ってきた。
『資金は約5万か……。大金だと思ってたけど、こうしてみると全然そんなことなかったな。探索者ってめちゃくちゃ金かかるんもんなんだな』
比較的安価な部類として置かれた衣服を前に、ロアは内心で愚痴をこぼした。
売られている品々の中には、一つだけで所持金を上回るような物も当たり前に存在した。ほんの数時間前までは手にしたことのない金額に動揺し、狼狽えていたのに、今となってはそんな気持ちなどとっくに冷め切ってしまっていた。どれが性能として優れているかより、値札を見ながら手持ちと相談するのが優先される状況だった。
『裏を返せば、それはその分稼げる稼業とも言い換えられます。それに物の本質はそれそのものの価値よりも、使い手にとってどれだけ有用であるか。それこそが重要とされるものです。獣に金貨は持ち腐れというやつです。今のロアにとって役立つ品であるなら、安かろうが高かろうがどっちでもいいのです。そしてそんな私はプライスレスです』
『……それもそうだな。ペロの言う通りだ』
上を見ればキリがない。大半にとっては大金と呼べる額でも、一部の金持ちには取るに足らない端金ということも世の中にはままある。それは今の自分にも言えることであり、特別当てはめる意味はないと感じた。
それからペロとあれこれ相談を重ねて、見事に一時間に満たない時間で稼いだ金を全て使い切るのだった。
昨日の稼ぎと元々手元にあった所持金。そのほとんど全てを費やして装備を揃えたロアは、次はガルディの店へと向かっていた。
早急に現在の金欠状態から抜け出さなければ、また以前の路上暮らしに戻ってしまう。それは甚だ遠慮したいほど心身ともに肥えてしまったロアであるが、物事には順序があると、消費した物資の補給に余念がなかった。グラック&カバックでも必要とする品は揃えられたのだが、ガルディの店の方が質はともかく価格は安い。加えて新しい装備を数少ない知人に見せびらかしたい気分だったので、わざわざ街の反対側にまで足を運んだ。
「ガルディ爺さん着たぞー」
「『着たぞー』じゃねえだろ。毎回お前は……ん? その格好どうした?」
いきなり欲しい言葉を貰えたことで、よくぞ聞いてくれましたとばかりにロアは胸を張った。
「まー、俺ももう一端の探索者だからな。自分で稼いだ金で買ったんだ。凄いだろ?」
言いながらロアは両手を広げ、自分の衣服を自慢するようにガルディへと見せつけた。
ロアが買ったのは、探索者用戦闘服の上下とソックスにコンバットブーツだ。戦闘服は戦闘と付いているが、普段使いでもいいほどの着心地がある。その分耐久性などは値段相応の低さであるが、これまでロアが着ていたものとは比べ物にならない機能性を有している。戦闘服を選んだ後は、ペロの勧めもあり靴を買うことにした。こちらも遺跡などの瓦礫が多く荒れた地でも問題なく歩け、負担を軽減してくれる効果がある。この先さらにモンスターとの戦闘が多くなるロアにとって打って付けの代物だ。そんなブーツに合わせて内履きも勝った。これらが5万を少し超過して揃えた、ロアの新装備だった。
新しい装備を見せつけて得意げに言い放つロアに、ガルディは呆れたような視線を向けた。
「凄い凄い。で? その一端の探索者様が、こんな寂れた雑貨屋に何の用だよ」
「何の用って、他にもう少し何か言うことあるだろ。その服似合ってるぞとか、すごいカッコいいなとか、そんな感じの」
「バカなこと言ってねえで、さっさと用件を言え」
欲しかった言葉は貰えたが、期待していたほどではなかったことで、ロアは拗ねたように唇を尖らせた。
「……買い物に来たんだよ」
短くそれだけ答え、いつものようにナイフの入った箱を漁った。
そんなロアの態度に苦笑したガルディが、その背中に声をかける。
「そんなもん別の店で済ませりゃいいだろ。なんでまだここに来んだよ」
「そんな金はこれ買うのに使い切ったよ。……だからもう金欠」
ガルディの指摘どおり、わざわざこの店に来る理由はなかったので、ロアは少しだけ言い淀んだ。それを誤魔化すように、普段よりも若干雑に買いたい物を台上に置き、更に注文を加えた。
「携帯食料もよ……七日分くれ」
保険の意味も込めて少しは資金を手元に残そうかと思ったが、既にこれまで経験がないほどの散財をしている。今更そんな備えも無意味だろうと思い、ロアはこの場で稼いだ金を使い切ることにした。これで文字通り素寒貧状態になったが、昨日の稼ぎを考えればそれで思い沈む必要はない。減った分はまた稼げばいいのだと前向きに思考した。
「金持ってんだろ? だったらこんな栄養しかない安物の合成糧食なんか買わずに、もっと美味いもんでも食いに行けよ」
「そんな金は装備に使ったからないよ。それにこれだって……慣れればまあ、不味いと感じないこともなくはない」
食べた時の味を思い出して、ロアは途中で言葉を言い淀んだ。
ロアにとって食事と言ったらこれである。安く手に入って栄養価が高い。数えるのも馬鹿らしくなるほど常食している。しかしどれだけ口にしても、未だその味には慣れていない。食べる間は無心で噛み砕き、すぐさま嚥下するだけである。だから一応不満はあるし、これ以外の食事にも興味はあるのだが、自分はまだ駆け出しの探索者であるという認識が邪魔をしていた。食事に金を費やして、装備を整えるのが遅れることだけは避けたい。そんな思いがあった。
また、特に食事を改善する必要がないとも感じていた。ガルディの言った通り、この携帯食料は栄養価が高い。つまりはこれだけ食べていれば充分に生きていける。風呂付の宿のように、一度でもその贅沢を味わっていたのならともかく、生憎と今のロアは食べる悦びを知らなかった。それを改善させる立場にあるペロも、食事という生物固有の生命維持活動には無頓着であった。明らかに毒物や体に悪いものを口にしていれば別だったが、栄養食としての側面も強い携帯食料にダメ出しすることはなかった。それらの事情もロアが食に拘らない状態に関係していた。
食への関心を全く向けないロアが、買い物の精算をしながらすでに今日の遺跡探索に思考を割いていると、やにわに柔らかな雰囲気を発したガルディが言葉を紡ぎ始めた。
「まっ……お前さんが上手くやれてるようでよかったよ。独り身の奴は早死にしやすいからな。大抵ろくすっぽ稼げずに、そのまま死んじまうもんだ」
「……」
「お前さんくらいの子供が、『俺は成り上がるんだ』って揚々と出て行って、もう二度と帰ってこない。そんなこともこの世界じゃしょっちゅうだ。また来ると言いながら、それが最後の会話になることもな」
表情に哀愁を滲ませて語るガルディの様子は、自分の知らない年寄りじみた老人の姿だった。重みを感じさせる人生の先輩の言葉を、ロアは静かに聞いていた。
「だからよロア……お前、死ぬんじゃねえぞ。何が何でも生き残って……俺なんかよりもよっぽど長生きしてくれよ」
「……ああ」
ロアは短くそれだけを答えた。本音の部分ではいつ死ぬかなんて自分にも分からない。それこそ今日明日にだって死ぬかもしれない。そう考えていた。それでも、その考えを目の前の老人に告げられるほど、鈍感ではいられなかった。
ロアの返事を聞き、ガルディはその本音を見透かしたように苦笑した。そして一拍おいて、いつもの粗野で野放図な調子に戻り、嫌らしく笑みを浮かべてみせた。
「そいつは良かった。お前さんがいなくなると、ウチの常連が一人減っちまうからな。もっともっと稼いで、この店の売り上げに貢献してもらわねえと。ブハハハ!!」
「……色々と台無しだよ」
癖のある老人の様相に、なんとも言えない気分になりながら、曖昧に笑うしかないロアだった。
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