第8話 今日から一端

『大分様になってきましたね。これならそろそろ遺跡に挑んでもいい頃合いかもしれません』


 訓練開始から二十日が経った頃、ペロは唐突にそんなことを言い出した。以前言われたことを思い出したロアは、いつかのように発言に対して疑問を抱いた。


『なんでだ? まだ一ヶ月も経ってないと思うけど。俺の時間感覚がおかしくなったわけじゃないよな?』

『ロアの感覚は至って正常ですよ。ただ私の想定よりも成長目覚ましいので、それに適宜調整を加えてこれからの予定を早めようと思ったのです』


 ペロの出した一ヶ月という期間は、ロアが魔力に慣れるための最低限の時間だった。取り敢えずそれだけの時間を魔力に触れさせれば、ロアの肉体にも十分に魔力が馴染む。後は実戦で自分のサポートを実感させながら成長させればいい。ペロはそんな展望を持って計画を立てていた。

 しかし、その計画は前提が間違っていた。ロアは魔力に対して高い適性を持ち、自分が教える技術をみるみる内に吸収していった。当初ペロが想定していた能力を、訓練開始から数日目の時点で満たしていた。

 当初の想定が大きく外れたことで、ペロはこれからの予定を変更せざるを得なくなった。その結果、余った時間を身体的な基礎能力の向上に割り当てることにした。元々こちらはほどほどで済ますつもりであった。モンスターとの戦闘を重ねれば自然と体力は身につき、身体能力は向上していく。訓練を課す意味は大してない。だが先の理由により時間的な余裕が生まれたことで、予定より長い時間を基礎体力の向上に当てられた。今では魔力強化を使わずとも、フォレストウルフくらいなら余裕を持って倒せるようになっていた。


『てっきりフォレストベアも倒せって言われると思ったけど、いくらペロでもそこまで常識知らずじゃなかったか』

『流石に私でもそんな無謀なことはさせませんよ』


 笑いながら言うロアの言をペロは否定するが、内心ではロアの成長に驚かされっぱなしであった。

 ペロにとって魔力を使わずにモンスターと対峙するのは、自殺に等しい危険な行為との認識がある。本来ならそんな危ない真似を支援対象にさせるつもりはなかった。だが、思いのほかロアが近接戦闘に高い適性を持っていたため、ついでにいくつかの確認を行うため、一度だけやらせてみることにした。その結果、ロアは余裕を持ってモンスターを倒すことに成功した。

 ここまではペロにも想定内だった。想定外だったのは、そのときのロアの身体能力が間違いなく出会った頃よりも上昇していたことだった。本人にその自覚は無かったが、成長を最も近くで見てきたペロにとっては明らかだった。

 魔力による恒常的な身体能力の強化というのは、ペロが生まれた時代では当たり前に存在していた現象だ。魔力を扱う人間が長期間魔力で肉体の強化を行うと、肉体がその強化状態を記憶するように、纏っていた魔力を取り入れることがある。そして魔力を取り込んだ肉体は、以前よりもずっと強靭で強固なものへと成り変わる。ロアの体に起こった変化もこれと同じものだった。

 そのこと自体への疑問はペロにもなかった。いずれはそうなるだろうとも予期していた。しかし、それが訪れるのが早すぎたのだ。通常は、最低でも同じことを数ヶ月は続けなければ、この常態的な強化は起き得ない。それをロアは、僅か二十日ばかりで達成してしまった。ペロにとってこれはどう考えても異常な事態だった。

 その異常を、ロアに気取らせることなくペロは対応していた。今すぐ知る必要はない内容だと判断したためだ。これを伝えることで、ロアを必要以上に増長させる結果になるかもしれない。そうはならずとも、ペロですら原因の不明である出来事が自分の身体で起きている。そう不信感を募らせるかもしれない。そんな風に思われ不安がらせても、得のないことだと判断した。だからある程度経過を観察し、折を見てまとめて伝えようと考えた。


『でもようやくか。思ったよりは早かったけど』


 ペロの隠した内心などは露知らず、ロアは顔を綻ばせる。

 遺跡への挑戦。それは自分が探索者になったときから、あるいはなる前からずっと夢に描いていたことだ。その挑戦資格を、他でもない世界で最も信頼する相棒から与えられたのだ。一人の探索者として、また一人の人間として、ワクワクしない筈がなかった。




 都市へ帰還したロアは、一番に探索者協会の買取所へ向かった。倒したモンスター素材の買取をしてもらうためである。相変わらずそこに拡錬石は含まれていないが、それでも宿にすら泊まれない自分にとっては結構な収入になる。ロアは訓練で倒したモンスターの遺骸はなるべく持ち帰るようにしていた。

 いつも通り買取所の前へ来たロアは、その入り口付近に見覚えのある男たちがいるのを目にした。それに嫌な予感を抱きつつ、それでも中へ入ると、案の定というべきか、そこにはあまり会いたくない人物の姿があった。向こうもロアの姿を見つけると、気安い様子で話しかけてきた。


「おお、ロアじゃないか。いやあ、お前とこんな所で会うなんてな。珍しいこともあったもんだな」


 わざとらしい口調で大袈裟に偶然を主張する男に、ロアは軽く溜め息を吐いて対応する。


「珍しいわけないだろエルド。普段お前がここの買取所を使わないことくらい俺だって知ってる。絶対狙ってやっただろ」

「軽い冗談だよ。冗談。そんなマジになるなよ」


 ロアにエルド呼ばれた少年は調子よく笑い、馴れ馴れしい態度でロアの肩に触れようとする。だがすぐに顔を顰めて後ろへ手を引くと、急に声のトーンを落とした。


「……お前めちゃくちゃ臭いぞ。最後に風呂入ったのいつだよ」

「俺が風呂なんて贅沢できる訳ないだろ。宿にすら泊まってないんだぞ。それくらいお前も知ってんだろ」


 ロアの答えに、エルドは顔を少し険しいものにして押し黙る。

 そして、すぐに当てが外れたとばかりに舌打ちした。


「おいおい、俺がわざわざ会いに来たと思えば、お前まだそんなレベルか? どういうこったよ。お前が新人の試しを突破したって言うから来たのによ。全然変わってねえじゃん。こりゃベイブをヤったってのも嘘か……」


 ベイブの名前が出たことで、一瞬だけロアが顔を顰める。その変化をエルドは目ざとく捉えた。


「お? そっちは本当っぽいな。じゃああれか。拡錬石だけをどこかに隠してるっていうのもマジなやつか。それなら未だに路上生活してるってのも頷けるな。換金せずに溜め込んでるってこったろ」


 続く言葉にロアがより一層嫌そうに顔を歪めたことで、エルドは得意げになって自分の推測の正しさを実感した。正確にはロアが顔を顰めたのは、エルドとの会話自体に嫌気がさしたからなのだが、内心の心情までは汲み取りようがなかった。


「これなら俺がこんなショボい所まで来た甲斐があったな。おいロア、お前俺たちのチームに入れよ」

「やだね」

「……は?」


 ロアが即座に否定の言葉を返したことで、エルドは呆気にとられて間の抜けた声を漏らした。そんなエルドの反応を興味なさげな目で見るロアは、自分の目的を果たすため会話を終わらせようとする。


「話は終わりか? それなら俺はお前の後ろに用があるから」


 ロアは固まったエルドの横を通り過ぎようとする。それを見たエルドは反射的にその肩を掴もうとするも、嫌そうな顔をして躊躇した。それを横目にしたロアは、たまに水浴びはしてるのにそんなに臭いのかと、内心で少しショックを受けた。後で風呂付の宿に泊まることを決心した。

 ロアはカウンターの前に来ると、その上にいつものごとく背負い袋から買い取り希望のものを取り出した。


「今日も拡錬石は無しか。ちょっとくらい金に変えた方がいいんじゃないか」

「いいよ。別にそれ以外でも十分金になってるし」

「そうですかい」


 通いになったことで、受付の男と軽口を交わせるようになったロアは、いつも通り素材と引き換えに金を受け取ろうする。すると受付の男がいつもと違う反応を見せ、思い出したように声をあげた。


「あー、そうだ。お前に渡しておくもんあったわ」


 そんなのあったかと首をかしげるロアに、受付の男は奥から一枚の小さなカードを持って来た。なんだか自分には縁のなさそうな存在を目にして、ロアは少しだけ緊張する。

 男はカードをロアの前に置いて、それについての説明を始めた。


「これは探索者の登録証だ。これを持ってようやく探索者って認められるもんでもある」

「ん? 前にここで似たようなの貰ったけど」

「それは仮のやつだ。こっちが本物。これは見習い同然のGランクを卒業して、Fランクに昇格した奴だけが貰えるもんだ。簡単に無くすなよ。どっちも初回は無料だが、仮の方と違ってこっちは再発行に10万ローグ掛かるからな」


 10万という額を聞いてロアの体が強張った。今までそんな大金を見たことも持ったこともない。その大金と同等の価値をいきなりポンと渡されて、動揺しない筈がなかった。

 ロアの反応を見て、男は小さく笑う。


「まあ、あんま心配すんな。これは登録した本人しか使えない。だから例え盗まれたって再発行の手間以外に害はない。嫌がらせ以外で盗まれる心配も必要ない。それに再発行しなくたって、ここの利用権まで失うわけじゃないからな」


 それを聞いて、ロアは安心するように息を吐いた。同時に疑問に思った。


「だったらこれって、何のためにあるんだ?」

「そうだな……色々あるが、一番は金の管理のためだな。探索者ってのは、一回の稼ぎが数百万を超える奴も当たり前にいる。そんな奴らがいちいち現金で金を渡されても手間なだけだろ。だからこのカードに金の残高を記録して、いつでも引き出せるようにするってわけだ」


 いまいち理解しにくい話も、ペロに解説されてようやく理解する。そして新たに抱いた疑問も口にした。


「それじゃあカードを失くした場合はどうなるんだ? これがなかったら金は引き出せなくなるのか?」

「いいや、その場合は協会で再発行を申請すればいい。登録者情報自体はどこで登録しても、全ての協会関連施設で共有されるから問題はない。精々再発行の手間と金が掛かるだけだ」


 男の説明を聞きなるほどと納得するとともに、ロアはやっぱりこれは今の自分にとって用がないものだと認識する。

 ロアの胸の内を察した男が、苦笑しながら説明を付け足した。


「確かにFランクの新米にはほとんど必要ないものだが、都市や協会には一定ランク以上にしか使えない施設や入れない場所も存在する。加えて受けられる恩恵も上へ行くほどどんどん増えていく。お前に成り上がるつもりがあるなら、せめてそれくらいは覚えておけ。それと再発行の件だが、再発行した場合は口座から勝手に金が引かれるからな。口座に金のない場合は協会からの借金になる。返さないと本人に対して差し押さえが実行され、身柄を強制的に確保される。借金返済まで強制労働コースだ。稼げる奴には大したことじゃないが、絶対に忘れるなよ」


 最後に怖い話を聞かされたことで、ロアは口元を引きつらせてカードの再発行はしないことを心に決めた。そんなロアの様子に、苦笑を浮かべていた男は口元の笑みを消すと、表情を神妙なものに変えた。


「最後にこれだけは言っとくぞ。お前はこれからここ以外の買取所を使うようにしとけ」


 唐突な話の転換に、ロアは当然のように首を傾ぐ。


「なんでだ?」

「細かいのを足せば色々あるが、お前がもう一端の探索者と言えるからだ。ここは基本的にGランクの見習い程度が集まるような所で、Fランク以上の奴らは卒業する場所だ。だからお前にはもう分不相応と言える所なんだよ。まっ、実力に自身のねえ奴は未だにここで粋がってたりするが……俺が見る限り、お前にその必要はない」


 自分が今までいた場所からの卒業。その事実を他者から告げられる。それは強くなるのとは別に、確実に前へと進んでいるという実感を改めて感じさせるものであった。


「あとはそうだな……他の所にいる連中と自分のレベルの違いを、実際に体感するためって意味もある。お前も遺跡に挑むつもりなんだろ。だったら知っとけ。自分より遥かに高価な装備に身を包んだ奴らでも普通に死んでいく。あそこはそういう場所だってな。そんで自分が最大限出来る準備を怠らないようにしろ。先達者に学ぶことを心掛けろ。その意識がお前の命を一日でも長く繋いでくれる。それでも死ぬときは死ぬが、それはもうツキがなかったから仕方ないって諦めろ。第一その時にはもう手遅れだしな」


 そう締めくくって、男は冗談っぽく肩を竦めてみせた。ロアはそれを見て苦笑いを浮かべ、説明や助言をくれた男へ礼を言った。


「色々教えてくれてありがとう。今までそんな好きじゃなかったけど、お前も割といい奴だったな」

「うるせえ。お前も無愛想なクソガキだったろうが。こんだけ教えてやったんだ。簡単に死ぬんじゃねえぞ」


 憎まれ口を叩く受付の男に、ロアは笑いながら別れを告げた。そうしてここを最後に見納め用とぐるりと視線を回して、自身を睨みつけるエルドの姿を発見した。

 一瞬目が合ったが、それを見なかったことにして、ロアは入り口へと早足で向かおうとする。しかし、その前には当然のようにエルドが立ち塞がった。


「俺の話はまだ終わってねえよ。なに勝手に帰ろうとしてんだ」

「いや、終わっただろ。お前こそ終わった話を続けようとするなよ」


 ロアとエルドは互いに、相手に対する負の感情を込めながら睨み合う。


「ランクが並んだくらいで俺と対等になったつもりか? 俺はもう遺跡に入ってる。遺物だって持ち帰ってる。ようやくFランクになった程度のお前とは違うんだよ」

「お前のランクなんか知るかよ。それと探索者としての成果を自慢したいなら他の奴に言ってくれ。そんなの自慢されたって、俺はお前のこと褒めたりしないからな」


 その言葉にエルドが屈辱で表情を歪める。自分だけが探索者のランクや実績を意識していると、そうロアに指摘されたと感じたためだ。自分よりも格下の探索者に侮られたと思ったエルドは、本来の目的も忘れ、半ば無意識に腰の武器に手を伸ばしかけ、


「おいガキ。俺は親切だから警告してやるが、それを抜いたらぶっ飛ばすからな。それと、お前も先輩探索者なら新人の門出くらい祝えるようになれ。下ばっか見てると上には行けねえぞ」


 が、途中でそれをやめた。ここが探索者協会の施設内であると思い出したからだ。エルドは受付の男へ不満が向きそうになるのにも堪え、顔に険しさを残したままロアに向かって忠告する。


「お前……俺の誘いを断るってことは、オルディンさんのグループに喧嘩を売るって意味でいいんだな」

「いいわけないだろ。なんでそうなるんだよ。レイアからの誘いもちゃんと断ったのに、なんでこういうことになるかな」


 相手するのにも疲れたと言わんばかりに、ロアは大げさに溜め息を吐いた。自分の挑発に対して、あくまでやる気のない様子を見せるロアに、エルドは気を削がれ舌打ちして踵を返した。


「……お前がFランクに昇格したことと、俺の誘いを断ったことはしっかり伝えておくからな。あとレイアさんの名前を馴れ馴れしく呼ぶんじゃねえ」


 そんな捨て台詞を残して、エルドはこの場から立ち去った。それを見送ったロアはホッと一息つくと、頭の中で不満を吐き出すようにボヤいた。


『ベイブといいエルドといい、なんでこう俺に絡んでくるんだよ。前ならともかく、今の俺って結構強くなったと思うんだけどな。弱いから絡むのは分かるけど、強くなったのに絡むってどういうことなんだろうな』

『あなたが強くなったことを知らないからでしょうね。あるいは強くなったことで、ようやく他人に興味を持ってもらえる存在になったと言えましょうか。いても気付かれないよりはマシではないですか?』

『俺としては、厄介事が減るならそっちの方がいいけどな。でもこれも、強くなったからこそだってことで、前向きに考えるとするか』


 そう相棒と語り合いながら、ロアは長い間通った買取所を後にするのだった。

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