9日目 女神救出戦
砂漠の遥か下にジェシカの存在を確信し、足元をひたすら殴り続けて掘り進んだ俺は、遂に硬い土にぶつかった。
今までの砂とは触感が全く違う、意図的に固められた土になっている。
2,3発本気で殴りつけたら、罅が入り穴が空いた。
中からは話し声が聞こえる。間違いない。ここにジェシカがいる。
砂漠の表層から5m程掘り進んできたあたりで、上手く穴を開けないと陽の光が入らなくなってしまう。
俺は昨夜の敗北の二の舞を演じないよう、巣の中にも日が入るように広範囲を殴って穴を空けて回った。
そして太陽の力を存分に握り拳へと込めて、足元をぶち破った。
固くなった土の中へ滑り落ちると、そこは広いドーム状になっていた。
足元に明かりを灯したジェシカと、巨大な虫が向かい合っていた。
「ジェシカ生きているか!? 助けに来たぞ!」
俺は地面に着地するとジェシカに向かって叫んだ。
俺の鬼気迫る声に反応して、虫とジェシカがこちらを見る。
命からがらで逃げ回っていたようには見えない。
「ハーヴィ、待ってたよ」
ジェシカが、こちらに向かってヒラヒラと手を振る。
「なんだ。急いで追いかけてきたのに余裕そうじゃないか」
「この“アリジゴク”が見た目によらず知性的でね。私の話し相手になってくれたの」
名前まで聞いているのか。
相変わらずジェシカのコミュニケーション能力の高さに、俺は若干恐怖を覚えた。
この巨大で凶暴な虫とも仲良くなれるのかよ。
「グブ。お前がこいつの護衛か。昨日やられたのに態々殺されに来るとは、頭のオカシい野郎だ。グブッ、我にとっては好都合だ」
ジェシカの言う通り、この虫は言葉が通じる。確かに知性を感じるな。
俺はより一層警戒を強めた。
ここまで強大な生き物が頭も良いなんて、ただの獣を狩るのとは危険度がまるで違う。
「態々こんな砂の中まで迎えに来たんだ。うちの女神様を返してくれるか?」
「グブブブブブ。そういう訳にはいかない」
虫は心底愉快そうに笑っている。何が可笑しい。
「こいつと我は契約を交わした。お前を倒せば、我の仲間を探す旅を手伝うと。お前が来るのを楽しみに待っていたのだ」
ジェシカを見ると俺の目線に返事をするように、片目を瞑り、わざとらしく微笑みを飛ばしてくる。
話の流れはわからないが、ジェシカは自分の命を守るために、この虫を上手く言い包めたのだろう。
「なるほど。ジェシカ、とりあえず俺はこの化物を殺せば良いんだろ?」
「……そうだね。私を助けてもらえるだろうか、“英雄”ハーヴィ殿」
マミラリアを真似た声色を使い、俺に助けを乞う。
しかも俺と虫の戦いに巻き込まれないように、距離を取っている。
焦ってここまで追いかけてきた割に、飄々としていて少々腑に落ちないが仕方ない。
ジェシカはこういう女だ。
そして、俺は自分の仕事をしなければならない。
「昨日のリベンジ・マッチだ。この糞虫野郎。ぶち殺してやる」
「グ、何度でも同じ事だ。今度こそ食い殺してやろう」
俺は砂の中で、巨大な虫“アリジゴク”と対峙した。
砂の下の巣の中は、虫の巨体が収まってなお広々とした空間になっていた。
この虫が暴れまわるスペースもあり、外壁は強固に作られている。
そして、天井には俺が開けた、大きな穴がある。
直径5m程の穴を開けたので、巣の中へは日の光が注ぎ込み、俺に力を与える。
昨日とは違う、万全の状態だ。
負ける気がしない。
俺は背に背負った槍を両手に持ち、虫に穂先を向け腰を落として構える。
砂漠の村の戦士達の見様見真似だ。
俺に槍の腕はない。
しかし、細かな技術が求められる相手にも思えない。
虫は俺の様子を伺い、一定の距離を保っているようだ。
伸びた尾は、ゆっくりと左右に振られて、俺を狙っているようにも見える。
こいつの武器は尾と顎だ。それ以外に攻撃手段はない。
足は6本全て、自重を支えるために地面へ張り付いている。
砂を泳ぐ速度は速いが、駆け回るのが得意そうには見えない。
顎か尾か……俺はどちらが来るか対応するために、待ちの姿勢を決め込んでいた。
「グブッ、威勢がいいのは口だけか」
虫は何が楽しいのか、グブグブと笑う様に息を吐きながら挑発をしてくる。
「お前をどう殺してやろうか考えていたところだ」
そして、両者対峙の均衡が破られた。
虫が巨体に見合わぬ素早さで、俺に走り寄る。
バカでかい顎と顔を突き出し、挟み潰そうとしている。
俺は、それに反応し屈んで避けた。
顎は俺を磨り潰すつもりで風を切りながら挟むが、狙いが消失し、空振って、交差し十字を描いた。
「くらえ!」
俺は手に持った槍を、虫の巨大な顔に目掛けて突き出した。
虫の目を狙って突き出すが、寸での所で躱される。
上手く躱されてしまったが、虫はその巨体故、俺が近くにいるのを認識できていないようだ。
頭を左右にブンブン振りながら、追い払う様に顎を振り回す。
頭は駄目だ。動きが早くて捉えられない。
槍の扱いに関しても素人なので、そもそも狙いが上手く定まらない。
俺は目を突くのを諦めて、大きく動かない胸を狙う。
胸は分厚く硬い甲殻に覆われているが、マミラリアから貰った『生涯一個の棘』を使った槍は、俺の力に応えて抉り込むように突き刺さる。
グエエエェェエ!
虫の慟哭が巣の中に響き渡る。
どうやら痛覚があるようだ。
まるで怪我をするのが生まれて初めてのように、槍の痛みに喘いでいる。
虫は胸に槍を突き刺したまま、体当たりを繰り出してきた。
俺は後方に弾き飛ばされる。
太陽の加護の力があるので、昨日と違い踏ん張りが効く。
俺は弾き飛ばされたものの体勢を崩すことなく、両足を地面に付けて着地し、虫を見据えながら立った状態を維持した。
距離を取った虫は、得意の尾のぶん回しで追撃してくる。
単純な質量は、圧倒的に虫が有利だ。
ウェイト差を利用して俺を壁に叩き付け、押しつぶすつもりだろう。
2度と食らうか!
俺は両手を広げて、轟音を鳴らしながら接近する尾を抱え込んだ。
勢いを両足に込めて、腕力で相殺する。
昨日と違い、尾を両腕で抑え込み、僅かに後進したものの、立ったまま耐えることが出来た。
絶好の位置だ。
俺の頭上に太陽の光が燦然と輝いている。
まるで、目の前の怪獣との大立ち回りを、ショーアップするスポットライトのように。
太陽の加護の力を全て腕と足に注ぎ込み、虫の尾を振り回す。
「うおおおぉぉおおお! ぐぅおおおお」
どちらが化け物か分からない。
俺の口から獣めいた雄たけびが轟く。
両手に抱えた尾を力任せに振り回して、虫の体が持ち上がる。
虫を持ち上げハンマー投げの要領で、俺を中心に1周半回転させた。
全長7~8mある巨大な体が持ち上がるのだ。尋常ではない遠心力が虫にかかる。
「グッ、グッ、グッゥゥ」
虫から軋むような声が漏れ出たのが聞こえた。
宙に浮いた状態に慣れていないだろ? 吹き飛ばされる側の気持ちを思い知れ。
尻尾を抱え込み1周半振り回した後、背後の壁に叩き付けた。
虫は壁に張り付いた後、重低音を響かせて巣の床にずり落ちる。
俺の開けた天井の穴から、砂や固形化した土が巣の内部に降り注ぐ。
「ちょっと、あんまり巣を壊さないでよ! 生き埋めにされちゃいそう!」
ジェシカが身の危険を感じて叫ぶ。
今の俺は脳内麻薬が分泌し、周りの状況は全く見えない。
こんなもんじゃ、あいつは死んでいない。
床に這いつくばった巨虫は、足をカサカサと動かして地面を探す。
多少ふら付いているが、ひれの様に広い足で地面を掴み立ち上がった。
グブグブと空気の漏れるような音が耳を打つ。
無機質な黒一色の目は、俺への確かな恐怖を感じている。
半ば破れかぶれになりながら、顎を俺へ突き出す。
嚙み殺そうとしているのだろう。
俺はあえて顎の攻撃を避けずに、両手を目の前で立てるように盾にして、体を一本の柱の様に固めた。
迫る大顎は、昨夜不意打ちを食らわせた時以上の力で、俺の体を挟む。
虫は俺の胴体から上下に真っ二つにするつもりだ。
しかし、昨日の時点で俺は理解していた。
こいつの顎の力では、俺を殺すことはできない。
あえてこいつの攻撃を食らったのは、俺の限界がどこにあるのか知りたかったからだ。
俺は、閉じた両手を思いっきり開き、顎から自由に動けるだけのスペースを膂力のみで作り出す。
俺の腕を通して、巨大な顎から細かな振動が伝わる。
虫の動揺か、過負荷による軋みか分からないが、虫の顎は限界に来ている。
顎の攻撃から悠々と抜け出し、右側の顎に狙いをつけ、拳で打ち抜いた。
パキッ! と乾いた木の枝を手折るような音が響く。
俺の殴った右側の顎は、虫の頭から分離し、巣の床に千切れて落ちた。
「グォォオオオオオオオ、イデェエエエエエ」
虫は、再度痛みに喘ぎ暴れまわる。
折れた顎から緑色の体液が溢れ出す。
乾いた音で折れた割に、中身は肉と血がぎっしりと詰まっていたようだ。
「お終いだ。お前は俺には勝てない。俺の方が強い」
虫の武器である長い尾も、強靭な顎も俺には通用しなかった。
戦闘中に対峙した俺には、虫の感情が伝わってきた。
こいつは途中で俺に恐怖を抱いていた。
自分より強い生き物を見たことが無かったのだろう。
驚きと動揺、不安と恐怖が順繰りに虫の心に宿ったようだ。
俺は一思いに止めを刺すことにする。
胸には槍が刺さったままだったので、引き抜いた。
顎と同じく緑色の血が噴き出した。
そして、槍の刺さっていた場所を目掛けて、力の限りぶん殴る。
5発殴った所で胸を中心に、胴体と頭が生き別れになった。
血は抜けきってしまったのか、これ以上噴き出すことはなく、巣の床へ緑色の絨毯を敷かれたように、浸み込んだ。
「グッ、グッ」
驚くことに虫はまだ生きていた。
意味のある言葉を発しないが、何かを喋ろうとして、擦れる様な音を出し、呼吸を繰り返していた。
見た目通り、タフさは尋常ではない。
「ハーヴィ、お疲れ様」
遠くで俺たちの戦いを見守っていたジェシカが、俺に近寄ってくる。
「待たせたな。これで護衛の役目を全う出来ただろ?」
「流石ハーヴィ! かっこよかったよ! 絶対助けに来てくれるって信じてた! ハーヴィの事を使用してるからね」
大立ち回りを特等席で観覧していた女神様は、勝者を称える拍手をした。
そして、血塗れになった床を踏みしめて、ジェシカの体よりでかい虫の顔を覗き込み、声を掛ける。
「……折角出会えたのに縁が無かったね。残念ながら一緒に旅をするのは出来なくなっちゃったみたい。貴方が次生まれ変わる時には、群れを作る生物に生まれて、気の合う仲間たちと旅が出来たら良いね」
声を掛けるジェシカは、まさしく慈悲深い女神のようだった。
美しい女神だ。
砂の中、一条の光がジェシカを射し、黒色の眼とジェシカを照らし出す。
まるで神話の一幕だ。
この死を見守る女神から追悼の言葉は、この虫に届いただろうか?
そして巨大な虫は、呻き声すら上げるのを止めて、全く動かなくなってしまった。
ジェシカは、息絶えるまで虫を見届けた。
「ジェシカ、もしかして情が湧いたのか?」
「そうだね。ストックホルム症候群かも知れないなぁ。このアリジゴクは、可哀想な生き物だったよ」
俺たちが暴れた影響もあり、天井から砂が流れ落ち続けている。
この巣は、いずれ完全に砂で埋まってしまうだろう。
そして俺ら以外に、この巨大な虫がここに孤独に生きて、孤独に死んだことを知るものはいなくなる。
「バイバイ“アリジゴク”……貴方は嘘が分かるって言ったよね? ハーヴィに勝てれば一緒に旅をしようっていう約束は嘘じゃなかったよ。本当に貴方と旅をしてもいいと思っていたんだ」
ハーヴィが負けるとは思わなかったけどね。
最後に、ジェシカは、独り言のように呟いた。
俺とジェシカは“アリジゴク”の堀った穴を辿り、地上に向かい歩き出した。
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