9日目 砂の中①

 巨大な虫に攫われたジェシカは、ハーヴィの読み通りすぐに食い殺されることはなかった。

 どれ位移動したのかわからないが、砂の中を掻き進みながら虫は、自分の巣へと戻っていった。


 ジェシカは一晩中体を丸めて、砂の圧力と、顎の圧力に耐えていた。

 ジェシカの纏うマントを模した一繫ぎの簡易的に見える服は、耐久性、耐刃生、耐摩耗性に優れる高度な技術を用いて作られた素材だ。

 温度調節も可能であり、砂漠を旅するために作られた魔法のような装備である。


 しかし、ジェシカ自身はか弱い女性のため、いくら装備の耐久力が高くても、一晩中砂を掘り進めるのに耐えるのは意識が持たなかった。


 ジェシカが目を覚ますと、そこは一面暗闇だった。

 目を開いているか閉じているかも分からない光の全く射さない漆黒の世界である。

 

 まだ生きている。


 起きた直後に感じたのは、自身の生存であった。


「グフフ、目が覚めたようだな」

 声が聞こえる。ジェシカは周りを見渡すが、視界は全く無いので、何も見えない。

「そこに誰かいるの!?」

 

 ジェシカは声を上げて、警戒する。

 腰に下げた水筒に手を伸ばし、底を時計回りに半周分捻る。


 水筒は明かりを灯して、暗闇の世界を照らし出した。

 最大の光量まで調節したので、暗闇に目が慣れていたジェシカは、しばらく光を直視できないでいた。


 薄っすら目を開けるとそこには、昨日野営地を襲撃した巨大な虫がこちらを見下ろしている。

 

 デカい。

 

 発達した顎はジェエシカの身の丈よりも長く、それに伴い頭もデカい。

 体は昆虫にしては長く、巨大な顎を持ったカマキリのような体をしている。

 羽はないが、その分大きい体を支えるに足る強固な足が6本胸・腹・腰から生えている。

 

「グフ、グフ。俺の言葉は理解できるか?」

 

 発声に雑音が多く、酷く聞き取りづらいが、確かに砂漠の村の民と同じ言葉を操っていた。

 

「……貴方の言っている言葉は分かる。私を攫ってどうするつもりなの?」

 すぐに食料にされるわけではない。

 眼前の巨大な虫から知性とコミュニケーションを取ろうとする意思を感じる。

「ここは我の巣だ。そして、お前は我の獲物だ。グフ。しかし、すぐに食べるつもりはない」

 

 圧倒的な暴力で襲いかかってきた虫は、巣に戻ってからは理性的であった。

「じゃあどういうつもりで私をここに連れてきたの?」


 言葉が通じるなら、交渉の余地がある。

 ジェシカは自身の戦闘力には全く自信がないが、交渉力は秀でている自負がある。

 まずは相手の目的を探るために、情報収集を始めた。


「グググググ。お前は我と話をするつもりがあるらしいな。嬉しいぞ。我はここで生まれて以来、自分以外の仲間を見たことがない。餌しか生きている物を見たことがないんだ」

「それで? 私に仲間になれっていうの?」

「違う。我に外のことを教えてくれ。グフグフ。我はもっと色々な事が知りたいんだ」


 ジェシカは心底驚いた。

 この化け物は、高度な知性を持っている。

 そして、他の同族と群れを作る生態ではないようだ。


「貴方に言葉を教えたのは誰なの?」

「攫ってきた緑色の髪を持つ“ヒト”だ。だが、アイツらは我を恐れるか襲いかかるだけで、まともな会話な会話にならなかったがな。大体が叫ぶか、逃げ出そうとするか、命乞いをするか、武器を手に取り襲いかかってくるだけだ。グフフ。しかも弱い」

 

 何度も何度も巣に連れ込んだので、アイツらが話す言葉を覚えてしまった。

 そう虫は語った。

 

「アイツらが何を言っているか分かってきたら、ふと我は不思議に思った。アイツらは群れで行動することが多い、同じような奴らが2〜3人で歩いている。ググ、グフ。しかし、我はいつも1人だ。そして、我はアイツらを食べ物だと感じる。群れではない」


 俺の群れはどこにいるのだろうか?

 世界のどこかには、俺と同じ仲間がいるのではないか?

 

 擦過音混じりの言葉で、虫が語り続ける。

 

「我の縄張りより遠い場所には、我と同じような奴がいて、そいつらと群れを作り、語り合う事ができるのだろう? もっと広い世界を調べなければならない。そのために、攫ってきた"ヒト"に話し掛けて、知っている事を喋らせる」

 

 しかし、今の所成果が出ていないようだ。

 ふと巣の中を見渡してみると、骨になった死骸が山積みにされていた。


 そして、比較的新しい死体も積まれている。

 おそらくマミラリアの村の民だ。服や飾り物が似通った見た目をしている。


「なるほど。マミラリアが言っていた被害者の数と、討伐した獣の巣にあった被害者の数が合わなかった理由が分かったなぁ。今更だけど。貴方も村の人を襲って食料にしていた訳ね」

「グ? 何を言っている?」

「いや、なんでもない。こっちの話」

 

 さて、理性はあれど人喰いの化け物に違いはない。

 ジェシカはどのように、この眼の前の巨大な虫から生き延びるを考えた。

 この虫の興味のある話を続けて、生き延びるしかない。


「貴方がなぜ“ヒト”の言葉を話せるのか分かった。そして、話しかけた理由も」

 ジェシカは虫に語りかける。

 自分の命を賭した会話が始まる。しかし、得意分野である。


「残念だけど私は、あまりこの“砂の世界"の事を知らないの。私は別の世界からやってきた異世界の人間だから」

「どういうことだ?」

「この世界とは遥か遠くに別の世界があるの。そして私と貴方を殴ったあの男は別の世界からやってきた。目的は貴方と同じだよ。この世界の事をもっと調査するためにね」

「……グフグフ。興味深いな」

「それは良かった。この世界の事はあまり知らないけど、この世界の人が知らないことだったら沢山知ってるよ。貴方が興味を持ちそうな事もね。気が済むまで話してあげるから、すぐに私を食べないで欲しいなぁ」


 虫は、ジェシカにとっては幸いなことに、“ヒト”を2人平らげた直後だったので、腹は減っていない。

 むしろ知識欲が刺激されていて、ジェシカの話を楽しみに待っていた。


 ジェシカはこの虫に語り続けなければならない。

 自身が殺されないように虫の興味を引ける話を。

 ふと、“楽園”の昔話で、似た逸話があるのを思い出した。


 ジェシカは、傲慢な王様に夜話を聞かせるシェヘラザードのように、千夜一夜物語を語り始めた。

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