1-6

「ホテル…?」


「はい。夢のような空間を提供する『ほてるいちょう』です」




お団子頭の男が心なし自慢げに胸を張ります。ふふん、と鳴らした鼻息のせいかほんの少し顔の紙が浮き上がりました。




「名づけが安直なんだよなァ……」


「何かおっしゃいました?支配人」


「いンや、なぁんにも」


「山本さま、お荷物はありませんか?お運びしますよ」




そう言われてずい、と両腕を差し出されますが、今山本さんが持っている荷物と言う荷物はせいぜいポケットの中の財布ぐらいです。


大丈夫だ、と首を振ると男は「かしこまりました」といって頷きました。


この男、ひとつひとつの動きが硬くてどこかぎこちなく、一昔前のロボットを彷彿とさせます。




「支配人」


「あいヨ」




男の呼びかけに答えた支配人は何気なしに、右の手のひらをくるりと天井に向けました。


ぽう、っとその手のひらが光ったかと思うとそこには真新しい木の板が乗っていました。




「これは一体…?」


「鍵ですよ、お部屋の」




支配人の手からひょいと木札をとった男は、何でもないようにそう言います。


改めてみれば、木札にはこれまた達筆な「落葉」の字が書かれていて、居酒屋なんかでよくある靴箱のカギに似た雰囲気があります。


とはいえ、やはり「ホテル」「お部屋」ということはここに泊められるということなのでしょうか。予想外の事態に山本さんはおろおろとするばかりです。急いで帰らなければいけない理由も明日の予定もありませんが、分からないことが多すぎるのです。




「こちらですよ」




そうこうしているうちに、男はさっさと部屋の反対側へと歩いて行ってしまいます。部屋の反対側には戸のない出入り口があって、薄暗い階段がちらりと見えています。山本さんは慌てて男の後を追いました。


階段をのぼり、踊り場をひとつ経てもう一度階段をのぼり。


そこには堂々とした障子戸が構えていました。




「ここが落葉の間、山本様のお部屋になります」




「失礼しますね」と声を掛けて男はがらりと戸を引きます。鍵だといっていた木札を使ってる素振りはありませんでした。


首を傾げつつ部屋に足を踏み入れた山本さんは、視線をあげて思わず感嘆の声を漏らしました。




部屋は一面畳張りで、部屋の中心にはこじんまりとした机とその上に置かれた湯飲みがあります。部屋の左側にはひとつふすまがあり、どうやら違う部屋に続いているようです。もしかしたら風呂やトイレに繋がっているのかもしれません。


部屋中どこも綺麗に磨き上げられていて、部屋自らが光を発しているようにすら見えます。


ですが、山本さんの目を真っ先に引いたのは美しい畳の向こう、大きな窓の外の景色でした。




窓の側へと近づけば視界いっぱいに広がる、暖かな黄色。


その正体はすっかり紅葉の時期をむかえた大きなイチョウの木でした。


頭を窓にこすりつけるようにして下の方を覗き込めば、これまた一面を黄色で染められた、こんもりと落ち葉の積もる地面が見えます。


ひらひらと風に遊ばれつつイチョウの葉たちがあちらこちらで舞い落ちていく様は圧巻の一言に尽きます。


はて、外で見たイチョウはまだ青々としていたが、それにここは2階のはずなのにやけに地面が近いな、と山本さんは思いつきましたが深く考えないことにしました。


もう、支配人の手のひらから木札が現れたときから明らかに非科学的なこの場所の正体や理由を考えるのは諦めたのです。それに、科学的なアレコレを考えるより今のこの景色を愛でている方がずっと有意義に思えるのでした。




「気に入っていただけたようでよかったです」




背中にかかった起伏のない声ではっとします。




「あ、すみませんなあ。説明を邪魔してしもうて」


「いえいえ。説明することなどあまりありませんし。問題ありませんよ」


「そうですかな…?」




山本さんとしては一から十まで説明してもらいたいところではありましたが、彼が言うならそうなのだろう、と口をつぐみました。




「ここは山本様のお部屋ですから。大抵のことは思えば叶います」


「思えば、叶う…?」


「はい。鍵をかけたいと思えば山本様以外の誰もこの部屋に立ち入ることはできませんし、湯呑をもって茶を飲みたいと思えば茶が湧きます」


「茶が……」


「お風呂に入りたいと思ってそのふすまを引けば、風呂もでますよ。


あとは…そうですね、庭に出ても構いませんがあまり遠くへ行かない方がいいかと思います。帰れなくなるやもしれません」




淡々と告げられた恐ろしい話に、山本さんは肝に銘じておこうと喉を鳴らします。


それにしても、望めばなんでも叶うとは。まさに『夢のような空間』です。


山本さんはぐるりと部屋を見渡しました。殺風景だがどこか温かい部屋。すっかり気に入ってしまいました。




「では。分からないことなどあれば先ほどの階段を下りてきてください。私か支配人かのどちらかがいると思います、たぶん」


「あ、ちょっと待ってくだされ」




カクカクとしたお辞儀をして部屋を辞そうとした男を慌てて呼び止めました。


「はい」


「貴方の名前を聞いてもよろしいですかな?」


「ああ。申し訳ありません。


 __イシ、とお呼びください」


「いし?」




石橋さん、だとか石谷さん、という名前なのだろうか?と山本さんは思いました。あだ名と考えるとまぁありがちにも思えます。


けれど仮にもお客様と呼んでもてなしている相手にあだ名を教えるとは、やっぱり奇妙というか浮世離れしている人です。




「イシさんですな。呼び止めてしまってこちらこそ申し訳なかった」


「いえ。それでは」




今度こそ男_イシは相変わらず硬い動きで部屋を出ていきました。

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