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目を見開いた山本さんは慌てて身を翻そうとしましたが、その直前。


真っ黒だと思った大口の中にぽつりぽつりと明かりが見えることに気が付きました。


数メートル程の十分な距離を保ち、しばらく待っても大口が動かないことを確かめると、山本さんはそっと近くに寄って中を覗き込みました。




やはり、ぽつりぽつりと等間隔にまるで道を示すかのように橙色の灯りが灯っています。




「これは……一体全体どういうことなんだかなあ」




地面に落とすように呟いた山本さん。


その声には明らかに抑えきれない喜色がのっています。


何度も言うようですけれど、彼はちょっと楽しい気分になったせいで少年の心をほんの少し蘇らせていました。それがむくむくと膨れ上がり囁きます。『冒険しようぜ』と。




山本さんは、大口の縁に手をかけて恐る恐る足を踏み出しました。






大口の中は不思議としか言いようのない雰囲気でした。外から見ていたより中は暗くなく、足元もしっかり見えます。ただ、踏みしめる地面がふわふわとしていてなんとも不安定なのです。甥っ子の付き添いで昔入ったエア遊具の内部を思い出します。


道を照らすのは、外からぽつりぽつりと見えた灯り___壁にずらりと並んだ提灯なのですが、これがまた奇妙です。お祭りで見るような紅白の提灯があるかと思えば、どこかの家紋が入った白黒のものもあり…とにかくてんでバラバラなのです。しかし中で灯っている光は揃って橙色の柔らかなもので、それらに照らされた道はどこか少年時代の夕暮れの帰り道を思い出させます。


キョロキョロと忙しなく首を回しながらおっかなびっくり足を進めていた山本さんは、進行方向の少し遠くが明るくなっていることに気が付きました。




「あそこが出口だろうか」




ふんわふんわと揺れる地面を蹴るように山本さんは足を勧めます。


心持ち早まった足取りで進んだ山本さんがたどり着いたのは、暖かな灯りを漏らす障子戸でした。


山本さんは、ひとつ、大きな深呼吸をしました。ドキドキと高鳴る胸を抑えつけ、おそるおそる障子に手をかけます。




かたり、


小さな音を鳴らして、戸がゆっくりと開かれました。






「ようこそいらっしゃいました」




湧き水のように冷たく澄んだ男の声が、山本さんの頭を突き刺します。


山本さんはハッとして顔を上げました。


そこには提灯同様暖かで幻想的な灯りに包まれた和室が広がっていました。


部屋全体は入口から横に広く、山本さんの正面にはいくつかならんだ同じ造りの本棚と文机が見えます。


敷き詰められた美しい畳に置かれた使い込まれていることが分かる飴色の文机。その前に、男は立っていました。




「久方ぶりのお客様です。どうぞゆっくりしていってください」




山本さんは思わず「ひぇっ」と小さな悲鳴をあげました。


身体の前で手を組んだ男はこちらに話しかけているのでしょうが、何故かピクリとも動きません。抑揚のない淡々とした喋り口もまるで作られた人形のようで、かなり大きな体格も相まって妙な威圧感があります。


それになにより、その頭。


男はすっぽりと顔を覆うお面のように、薄っぺらな紙を紐で頭にくくりつけているのです。表情はおろか今話しているのが本当に彼なのかどうかさえ判別ができません。


不審な男の登場に動揺を隠せない山本さんに、書生のような服装に身を包むその男は靴を脱いで畳にあがるよう勧めました。


操られるかのようなカクカクとした動作でそれに従った山本さんの目は、今更ながら男の独特な髪に釘付けになります。




顔の面に気を取られていて気が付きませんでしたが、男の髪は黒一色でなく、鼠色と黒色が混じりあったまだら状という、これまた不思議なものです。短い髪を後ろに撫で付けているのかなと思っていましたが、彼がようやく動き出しくるりと後ろを向いたことで、長髪を後頭部でお団子状にまとめているのだとが分かりました。(同時に精巧につくられた置物ではなかったことも分かって山本さんはちょっと安心しました。)




山本さんが特徴的な男の髪を観察しているうちに、振り向いた男が「お客様ですよ。起きてください」と左方向に向かって何者かに淡々と呼びかけました。


もう一人いるのかと、男の視線につられるように部屋の左奥を覗き込んだ山本さんは目を落っこちそうなほど見開きました。




「起きてください。寝汚い」


「……ウーン」




2人の視線の先で、机に突っ伏していた体勢からもぞもぞと上体を起こしたのは、なんとも珍しい瑞々しい緑の髪をした男でした。




「…全く。君はその"汚い"を余計に強調するのをやめた方がいいネェ。普通に傷つくからサ」


珍しいその髪はもちろんのこと、眠たげに沈んだ鋭い目や通った鼻筋など、こちらはもう一人とは違う方向で精巧な人形かと疑うような美丈夫です。




「お客様はこちらにどうぞ」




ゴキ、ゴキッと音を鳴らして首を伸ばしながら苦言を呈す緑髪の男をさらりと無視して、部屋の中へ進むようにと山本さんに促すお団子頭の男。


話を完全に受け流された張本人はひょいと肩をすくめるばかりです。




癖のある緑の長髪を無造作におろしていて、着物もえりもとが少し乱れています。今の今まで寝ていたのでしょう、顔にかかった髪を退かしついでに手櫛を通そうとしていますが、引っかかるのかすぐに諦めてしまいました。髭は剃られているし整った顔も相まって不潔な印象はありませんが、怠惰な印象が拭えない、そんな男です。


お団子の男も只者でない雰囲気を醸し出してはいますが、こちらはまた別格。これまでの不可思議な状況に加え、明らかに「ヒト」の枠組みを外れている人物の登場に、




「はあ………」




とうとう山本さんは空気の漏れたような声を零しながら腰を抜かしてぺたりと座り込んでしまいました。

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