第五章 夜空が降った日②
そんな町には娯楽施設と言える場所が小さなゲームセンターやコンビニ、本屋、喫茶店、図書館、銭湯くらいのものしかなかった。昔からいる者たちには充分な施設ではあったが、年若い者たちには満足できないというものもいた。
そこで狸町長は隣町から続く大きな道路沿いの空き地を整備し、休憩所を設けるという当時では画期的な施策に乗り出したのであった。パーキングエリアとなるそこでは都市では当たり前にある大手ショップや飲食店、カフェなどが参入を果たした。成果は上々で、町人たちからの評価も良かった。
若者はそこへ遊びに行ったり、小遣い稼ぎに出かける者も多かった。
由実も姉弟を連れて何度も出掛けた。時には松村を始めとした「都市経験のある知り合い」に連れられて外の空気に浸る時も多かった。
小杉が由実を誘って何度もそこへ出掛けようとしたが、その度に彼女は丁寧に嫌ですと断った。
町はこれを機に外付き合いを見直すこととなった。
お洒落な店が増えた。夜遅くまで営業するコンビニが増えた。町の外と中の出入りが激しくなった。
とある海の噂を信じて訪れた愚者が消息を絶った。激しくなった人の波に揉まれて有耶無耶になった。
町は田舎と呼ばれるほど不憫ではなくなった。それこそ、どこにでもある海沿いの町としてあっという間に変化を遂げてみせた。
そこに住むのではなく、立ち寄るだけの人が増えたことで町はいっそう賑やかになった。町にはきらびやかな明かりが灯され続けることになった。
それでも、町の何処か一角では薄暗いままの場所がそのまま残された。どれだけ変わっても、かつての面影は町の中を徘徊し続けた。それは通り過ぎるだけの人には気づかれないものであり、長く居ればいるほど感じてしまう違和感である。
彼らは町に居続けた。
町にはいくつか絶景スポットなるものが存在した。そこは大抵安易に人が訪れない場所でもあった。
海がよく見える灯台の下。岬の一角。新しい橋の下。古い橋を渡る手前。検問跡。行方不明者が後を絶たない岩礁から程近い砂浜。由実の住むアパートがある丘の辺りもそうだったかもしれない。
いずれの場所も共通しているのは、どこからも空がよく見える、星がよく見えるということであった。
その場所には印がされている。
何かが這ったような、引き摺った、引き摺られたような跡が地面に残されている。そんな場所には人は決して訪れない。どんなに景色が美しくとも、地面が歪んでいては立っていられない。
何かで掻きむしったような跡が壁に、柱に残されている。そんなものが残っていれば、人は不気味がってそこから立ち去っていく。
何も残されていない。何かが、誰かがいたはずなのにその痕跡が全くない。それはナニカが何かの意思をもってなにかで消し去ったということ。人は無意識にそこを避けるようになる。
それらの場所は他の場所とは違う特別な何かがあった。だから誰も手を加えることなく、昔からの姿をそのまま残していた。
唯一手が加えられた灯台は、触れてはいけないことを示すいい例となったのだろう。
あの町長がどうしてそうなったのかは、知っていたとしても誰も口を開くまい。
だからこそ、それらの場所ではなおさら天がよく見えた。見えるように遮るものがなかった。
そこから見えるものは空なのだろうか。
とても美しい空が見える。とても綺麗に夜空が見える。
そして何より、そこからは海が見えた。
そこから見えるものは空と海なのだろうか。
彼女はそこからいつも見ている。
空の下に広がる海を。海の中に浮かぶ自らの故郷である島を。
そこから見えるものは空と海と、その島だけなのだろうか。
井ノ上由実という少女は、何年も、何十年も。もしかしたら数百年もの間、同じようにそこから故郷に帰ることを夢見てそれを見続けているのかもしれない。
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