第57話 潮騒の邂逅 <ラング・アルside>



 あっという間に一か月の滞在を終え、一行はアズリアを目指して出立した。


 斡旋事業に食材と売り物の補充、ルノアーは最終日まで忙しくしていたが、若さのなせる業だった。

 ラングとアルは肉はダンジョン、野菜は八百屋、アルに使った青いポーションの補充などを行った。潜り直したダンジョンでちゃっかり癒しの泉エリアの水も確保してきた。


 雪が降らないだけで空気はまだ冷たいが、先を行く商人の轍が道を教え、魔導士が行けば雪は溶かされている。ルノアーの新しい馬車は難なく進むだろう。

 馬の体力を第一に考え、小休憩は多め。夜の不寝番は三時間ずつでしっかりと睡眠をとる。

 鈍行だったはずが予定よりも早い日程で中継地点の街クトーヴァを越え、国境都市ジャンヴェードへ到着した。


 堅牢な国境の砦は、いったい何を危惧して造られたのだろうか。


 ずしりと重い岩がこれでもかと積まれた城郭、厳重な身分証と荷物のチェック。

 国境に勤める騎士たちは規定通りの動きで人々を調べていく。


 門が近づけばルノアーは緊張が強くなった。

 手綱を握る手が震え、生唾を飲み込む回数が増える。


「そう怖がるなよ、やばい荷物はないだろ?」

「も、もちろんです」

「では堂々としていろ、怪しく見える」


 ラングが馬の鼻面を撫でて宥め、前を行く。

 アルはルノアーの鼻をつんつんして揶揄い、また警護に戻った。


「私は馬じゃないです!」

「あはは!」


 緊張が解けてようやく背筋を自然に伸ばすことが出来た。


 手続きはさらりと終わった。

 ベアドラドの毛皮など、高価なものがあったことにはひと悶着あったが、【異邦の旅人】のギルドカードがここでも効力を発揮した。

 アズファルではサスターシャの流布のおかげで随分助けられた気がした。


 国境都市ジャンヴェードの中にも門がある。

 その門を越えれば噂だけはたっぷり聞いているアズリアだ。


「…準備はで念入りにするか」


 城郭を見上げてラングが言えば、アルは頷いた。


「だな。あれから二年近く、どうなっているか情報も欲しいし」

「あぁ」


 相談をしていると宿の仲介所へ行っていたルノアーが戻って来た。


「お待たせしました、冒険者向けの宿で十二日間、二部屋で確保出来たので行きましょう」

「任せる」

「ありがとな!慣れてきたんじゃないか?」

「はい!おかげ様で!」


 十二日間の滞在はルノアーの商売と補充のためだ。冒険者向けの宿の利便性と安さにすっかり慣れたルノアーは、宿での手続きもスムーズだった。

 ラングとアルは宿で少し休憩をした後、早速散策を開始した。ルノアーもついてきた。


 国境都市ジャンヴェードは緊張感のある街だった。


 アズリアという大国との境界だからか、騎士の数も多く、隊列を組んで街を見て回っている。

 家々もまた堅牢で木窓も二重だ。ピリピリとした空気は今すぐにでもアズリアとの戦争がはじまりそうだが、年がら年中こんな状態らしい。

 二年と少し前、海の向こう側の国に戦争を仕掛けたことも大きいのだと、食事処の女将がぼやいていた。

 夕飯はラムチョップとマッシュポテト、固い麦パンに野菜スープだ。

 ラムチョップを齧り、アルは尋ねた。


「ルノアーはあの戦争、なんか知ってる?」

「いえ、アズファルは隣ですが我関せずを貫きましたから。そのあとの海路規制が大変だったと聞いたくらいで」

「輸出入について規制されたと聞いたが」

「そうなんですよ。師匠はスカイの品物も扱っていたので、海路規制当初は危なかったんです。そこからマイロキア方面のやり取りをしてどうにか」

「良くも悪くも商人が一番、戦争の煽りを受けるよな」


 そうなんです、とルノアーは大きく頷いた。


「お二人はアズリアの王都まで行かれますよね、その後のご予定は?」

「スカイに行くんだ。アズリアの港を目指すよ」

「あぁ…アズファルやマイロキアで船を探さなかったのは正解です」

「何かあったか?」

「坊主の言う通り、正解だな」


 後ろの席からパァン、とトランペットを吹いたような抜けの良い声がかかった。

 ラングとアルが振り返り、ルノアーは二人の間から声の主を覗く。


「アズリアの連中は港町にこれでもかってくらいを放ってる。二年経った今も虎視眈々、自分らを差し置いて儲けようとするのを許しちゃいねぇ」


 後ろ頭を向けていた男が振り返る。

 バンダナに前髪を突っ込み、薄い眉と切れ長の眼、ぱっと見の印象は悪いが見慣れれば男前だ。

 薄い唇をにっと横に笑わせて、心底楽しそうに目を細めた。


「あの国はイカれてて、見てる分には飽きやしねぇ」


 周辺でひそひそとした声が響く。アズリアとの国境であるこの場所で、彼の国を大声で貶すことが賢明な話題とは思えなかった。

 だがそう言い捨ててしまえるほどにはのだろう。


「未だに他国に対して牽制を行っているのは眉唾ではなかったのだな」

「おうよ、なんならこすっからい手で戦争をして他国を吸収してやろうとしてるぜ」


 ざわ、と食事処がざわめく。

 ラングは少しだけ周囲に首を巡らせた後、男にシールドを戻した。


「事の真偽は置いておいて、さすがに不謹慎ではないか?」

「俺には関係のないことだからな」


 ぐびりとエールを飲んでコップを差し出す。


「情報料、タダじゃねぇんだぞ?」

「こちらにエールを」

「スマートだな、気に入った!」


 ラングは逡巡も見せずに女将に依頼し、男は大声を上げて笑った。

 エールを受け取るとそれもまた一気に飲み干し、テーブルに叩きつけた。


「スカイに行きたいんだってな?」

「そうだ」

「ならアズリアの港はヴァンドラーテを目指せ」


 ラングは僅かに首を傾げた。


「そこでめぐり合わせが良けりゃ、良い船に乗れるぜ」


 にんまり、と言った音が似あう顔で言い、男はぱっと席を立って店を出て行った。

 男の背を追うように数人が席を立って店を出た。


「わざとだな」

「え、何がですか?」


 ラングの呟きにルノアーが首を傾げる。

 アルはルノアーに内緒話の手を形造り、耳を寄せることを要求した。


「俺たちスカイに行くって話をしただろ」

「はい」

もアズリアの草だったんだろうさ。引き受けてくれたみたいだ」

「え…! じゃ、じゃあ、助けに…?」

「手練れだ、問題ない。出るぞ」

「は、はい」


 ラングが席を立ち、アルが続けて席を立ち、ルノアーが慌ててついていった。

 寄り道せずに真っ直ぐ宿に戻り、ルノアーはおやすみと部屋に押し込められた。

 じっと窓の外を見ていたらラングが宿を出て行ったので何故か嬉しくなって笑ってしまった。


「口ではなんと言ってても、ですよね」


 その後をついて出て来たアルがルノアーの部屋を振り返り、ばちりと目が合う。アルはにやりと笑って先を行ったラングの方を指差したので、また笑って軽く手を振った。

 ひゅっと息を飲むような冷気を感じたので慌てて窓から離れ、布団に潜り込んだ。帰ってきたら怒られる予感がしたが、知らぬ存ぜぬを通すことを心に誓った。


「脅かしてやるなよ」


 笑みを含んだ声で言われ、ラングは足を止めた。


「首を突っ込み過ぎると早死にするだろう」

「はい、はい。行こう、行こう。あれから二十分は経ってる、腕はたつだろうから大丈夫だとは思うけどさ」

「手助けよりは会話が目的だ」

「それは任せる」


 歩きから徐々にスピードを上げ、路地裏に回り込んで屋根の上に飛び上がる。


「気配を覚えているか?」

「一応、でも、見つからないな」


 屋根の上を行きながら気配を探る。独特な気配だったが街の中に感じられない。

 もしや既にアズリア側に行ったのだろうか。


「…戻るぞ」

「そうだな」


 一時間ほど飛び回ったところでそう決着し、ラングとアルは宿へ足を向けた。

 果たして信用できる人物なのかはわからなかった。


「面白い匂いがしていた男だったな」

「あぁ、それは潮のにおいだろ」


 ラングの呟きにアルが答える。


「もしかして海って見たことない?」

「ない」

「おお! じゃあきっと楽しいぞ」


 宿を正面に見ながら道を行く。


「どこまでも広い青い海は、怖いけど気持ちがいいぞ。慣れないと独特のにおいがするけど」

「ではあいつは海に関わる男なのだな」


 ぎしぎしと音を立てて階段を上がり、ふとラングは振り返る。


「ヴァンドラーテを目指すぞ」


 リーダーの言葉にアルは笑って了解、と応えた。



「―――また暴れて来たのか?懲りないな」


 黒い後ろ髪をちょろりと結んだガタイの良い部下に声を掛けられて、後ろ手にひらひらと応える。手は鮮血に染まり、暗闇で切れ長の、琥珀の目がぎらりと光った。


「おう、まぁ面白いように釣れてくれたからな、かかった魚はきちんと捌いて片さにゃならんだろ」


 けたけたと笑う声に盛大なため息が零れた。止めたところでこの男は聞きはしないのだ。

 言って聞くような男ならついて来てはいないだろう、と自身の心がよくわからない肯定を見せた。


「今回は何をしてきた?」

「面白そうな奴がスカイを目指してた」


 ガタイの良い男の横からさっと小柄な少年が出てきて、手拭いを差し出す。

 悪ぃな、と受け取って手を拭い、短剣を拭い、真っ赤になったそれを捨てる。


「それで、なんて言って炊きつけた?」

「そう睨むな。ヴァンドラーテを目指せって言っただけだ」

「拠点を教えたのか」

「だーから、睨むなって!」


 咎めるような声色に舌打ちをして、バンダナの男はガタイの良い男を睨み付けた。


「アギリット、俺のやり方に文句あんのか?」


 ざぁ、と海が荒ぶるような音が聞こえた気がした。

 荒れ狂う波のような威圧を感じてガタイの良い男はス、と礼をした。


「そうではない、ただ、そこまでするような相手なのかと問うただけだ」


 はぁ、と力を抜いたような息が目の前の足の人物から聞こえた。それを合図に顔を上げる。


「その価値がある面白い奴だと俺が判じた。それで十分だろ」


 どすどすと不機嫌な足音を立てながら先を歩く男の後をついていく。


「そうだな、船長」


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