第3話 フェネオリアの王都オルワート
朝食を済ませて六時間ほど、昼を過ぎた辺りで列に並んだ。
朝から少し曇天で嫌な予感はしていたが、移動を始めてからしばらくしてぱらぱらと降られてしまった。
ここでの生活で未だに慣れないのはこの雨だ。十七年、快適なところで生きて来たので雨も上手に防ぐ手立てが色々ある。ただ、ここでは撥水の良いマントを着て雨風を凌ぐしかない。大きな傘のようなものがあればルフレンも濡れないのにと思う。
幌馬車は乗り口も幌を下げて中に雨が入らないように、御者席も折りたたんであった屋根を少し伸ばす程度。進行方向から雨が入るのに困り、カーテンみたいに布をかけられるよう少しだけ工作をした。湿気が籠ると苦しいので、時々ツカサは風魔法と氷魔法を組み合わせ、涼しい風を幌馬車の中に吹かせた。うたた寝をしていたエレナの表情が不快感から柔らかいものに変わりほっとする。
ヴァロキアでは雪に降られたが雨は無く、フェネオリアは雨がそれなりに降る地域で必要な備えが違う。ガルパゴスではどのような備えが必要なのか、よく調べてから国境都市を出ようと決めた。
列に並んでしばらく、順番が来たのでツカサはエレナの商人カードと併せて三枚を門兵に差し出した。
パーティ名を見てちらりと見上げられたので笑顔を返しておく。
「入門税はいくら?」
「一パーティ銀貨三枚、商人は二枚です」
「ありがとう、はい、銀貨五枚。ここでの宿はどうやって割り振っているんだ?」
「あ…、入ってすぐのところに案内所があります。だいたい、そこで宿を聞いて移動するか、先に確保するかです」
「わかった、ありがとう」
礼を言って馬車を動かし、案内所のそばの広場にルフレンを促す。
「エレナ、エレナ」
「あら…いやだ、私眠っていた?」
「少しだけね、今オルワートに入ったから宿を決めて来るよ」
「えぇ、わかったわ。馬車は見ておくわね」
「頼んだ」
エレナが起床し御者台の方のカーテンを開けて頷いたのを確認し、ツカサはシャドウリザードのマントを被り直して雨の中を案内所へ走る。
王都マジェタがそうであったように、ここオルワートも入ったところで決められるらしい。あの時はラングがしれっと賄賂を渡していたな、と思い出して笑ってしまう。
「お次の方どうぞ」
女性に声を掛けられフードを外し、カウンターへ向かう。
「どうぞお掛けになって」
「椅子を濡らしてしまうから、気持ちだけ受け取っておくよ」
前の冒険者がどっかりと座ったのだろう、椅子は濡れて泥も付いていたので丁寧に辞退する。言い回しが丁寧だったことが好感だったのか、女性は列を整えていた男性スタッフに声を掛け、椅子を拭くように指示をした。
そこまでされれば座らない訳にもいかず、ツカサはシャドウリザードのマントを広げて腰かけた。
「失礼しました、改めましてオルワートへようこそ」
「ありがとう、【異邦の旅人】のツカサだ。幌馬車を停められて、馬番がいる宿が良いのだけど空きはあるか?」
「いくつか該当の宿はございますが、お部屋は何部屋でしょう?」
「二人一部屋あればいい、二人部屋がなければ三人でも四人でも構わない」
「それでしたら【浮草の宿】へご案内します。確保しますのでお待ちを」
「もし可能なら…」
ツカサはそっと女性の手を取った。
「食事の美味しい宿だと、とても嬉しい」
にこ、と頑張って微笑めば女性は少しだけ顔を赤くしてくれた。
手を離すときにしっかりと銅貨を五枚握らせておいた。女性はさ、っと手を膝に戻した後、わかりました、と笑顔を浮かべた。
「ではお食事が美味しいと評判の【乙女の水瓶】へ確保を連絡しますね、空きは…三人部屋になりますので少し金額はかかりますが」
「問題ない、そこで頼みます」
二人旅になってから朝食は必ず宿でとるようになった。
エレナが朝出歩くことは少なく、ツカサは決まった時間、決まったコミュニケーションを心がけるようになった。防犯と有事に備えて同室で過ごすようになったことも大きい。片方が起きればもう片方も起きるのだ。生理現象や若さゆえの欲求はこっそりいろいろしているとだけ言っておく。
その点男部屋は楽だった。なんとなく察するものがあって自然と一人になれるタイミングもあったし、ラングはイメージが沸かないがアルは同じだろうと思えばこそ、変に気を遣うこともなかった。
エレナはツカサにとってそういう対象ではないから良いものの、この世界でどうやって発散すればいいかをもっとはっきり習っておけばよかったと思う。
「お待たせいたしました、お部屋が確保できたのでこちらの名刺を持ってお伺いください。場所はこちらです」
「あ、ありがとう」
物思いに耽っていて少し反応が遅れてしまった。
先ほどの件は酒場か、宿か、同性に尋ねてみようと思った。
「エレナ、お待たせ! 雨も降ってるしさっさと行こう」
「おかえりなさい、手続きまで頼めるかしら」
「いいよ。…もしかして、調子悪い?」
「かもしれないわ、少しだるくて」
雨に降られてしまうこともあったし、湿気を感じすぎるのも体に悪いと聞く。故郷では気圧で酷い頭痛を感じる人もいたのだから長雨は良くないのだろう。エレナももう四十七、近々四十八になる。この世界では冒険者としても商人としても、すでに引退している年だ。
ラングほどのテントがない事が悔やまれる。
ルフレンも雨に濡れて体が冷たい。早く移動しなくては。
ツカサは御者席に戻るとルフレンに頼んで移動を始めた。
「宿に入ったらしばらくゆっくりしよう。俺、情報集めたりするのはもう出来るからさ。前に話したっけ、俺マブラで思い切り倒れちゃってラングに怒られたことあるんだよ」
「ラングから聞いたことがあるわ、あなたは無理を我慢する変な癖があって、大変だったって」
「厳しいなぁ師匠は。でも、うん、だから、今はゆっくり休んでおこう」
「ありがとう、ごめんなさいね」
「謝らないでよ、
振り返らずにそう声を掛ければ、少しだけくすんとくぐもった音が聞こえた。
「いやだわ、泣きそう」
「雨の音で聞こえないよ」
ツカサは言いながら、自分も少し目頭が熱いことは言わなかった。
―― 宿はとても綺麗だった。
雨が降る中でも白い壁は、そういう色をした石を積んで造られているからだろう。
馬番にルフレンを頼み、馬具はその場で空間収納にしまった。
馬番が驚いた顔で見て来たので腰のポーチを叩き、マジェタのダンジョンで手に入れたんだと大ウソをついておいた。あそこは実際に収納付きのマジックアイテムが落ちるので誤魔化すにはちょうどいい。
エレナの調子が思わしくないのでツカサは手続きの前に部屋へ案内を頼んだ。
宿の人もそれを推奨し、エレナを横抱きに抱いたツカサを連れて部屋に通してくれた。
「何か温かいものをお持ちしておきますね」
「ありがとう、よろしく頼む」
ツカサはついて来ていたメイドの人に礼を言って、案内をしてくれた男性と共にカウンターへ戻った。
手続きはスムーズに済んだ。三人部屋をじっくり腰を据える為に一ヵ月間。エレナの様子を見ていた宿の人も安心したように頷いていた。なんとも人の良い宿に来れたものだ。
食事はエレナの分は全てつけた。ツカサは朝食のみ、昼、夜は臨機応変にすることにした。エレナも食べられなければ空間収納にしまってしまえばいいし、部屋にクッキングスタンドがあったので暖炉で調理も出来る。
エレナが食べられるものを自分で作りたい時に宿の厨房を借りられるか尋ねれば、時間帯は限られるが良いと許可も得た。暖炉で足りなければ借りることにしよう。
「あと、薬屋はどこにある? もし医者なんか居たら嬉しいんだけど」
「地図を書きましょう。医者は…王城のみになりますので、民間の薬師が対応することになります」
「それでも有難い、頼むよ。あと今夜は俺も宿で食事をとるからつけておいてくれ」
「すぐにご用意します、お食事もかしこまりました」
ツカサは手早く書かれた地図を受け取ると、礼を言ってシャドウリザードのフードを被った。
体力があってよかった。走り続けても息が上がらない。
これは師匠の訓練があったからだ。
ツカサは人混みをするすると抜けて、目的の薬屋まで全力で走った。
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