第90話 素人のいる旅路
国境都市キフェルへの旅路は大変だった。
街と街の移動に馬車しか使ったことのない旅の素人を二人連れて歩くことは、非常に動きを鈍くした。
サイダルからツカサを連れて移動したラングが、その足を遅いと叱ったり、もっと早くしろと急かしたりしなかったことが、どれだけ優しいことだったのか身に染みた。
初日以降ルフレンにはいつもの馬具を着け幌馬車を引いてもらい、ツカサが都度ヒールをかけてルフレンを癒した。エレナとジェシカ、大人二人までなら良いものの、クロムまでがバテて乗り込んでしまえば重量オーバーだ。幌馬車に荷物がなく、空間収納に荷物を入れてあっただけマシだ。
ラングはルフレンの体力を注視し、ある程度の疲れが見えるところで小休止を小刻みに取った。
キフェルまでは地図上だと徒歩で十二日の距離だ。
エレナ曰く、この距離でも少し危ないらしい。
「ジュマの前々回の
夕食を取りながらエレナはぽつりと語りだした。
「あの時はジュマの街に防衛を敷くので精いっぱい。近隣の村や街のことは考えていられなかったの」
ジュマの街とダンジョンの間に突貫工事で小さな砦が築かれ、出て来る魔獣をとにかく狩り続けた。だが、魔獣の全てがジュマを目指しはしなかった。小さなものや中型は列を離れ、森に入ってしまったものも多かった。そうした魔獣は近隣の村を襲った。たまたまそこに冒険者がいればよかったが、居ない場合は逃げるしかなかった。
「気になってたんだけど、魔獣って人を食べるの?」
ツカサが尋ねれば、エレナは頷いた。
「肉食は食べるわよ。だから狼系が森に行ってしまった時にはもうね、慌てるどころじゃないわ」
実際、そうした魔獣で壊滅した村が多かったらしい。距離にして徒歩十八日の村や街は被害に遭っている。
だから、キフェルも絶対に安全とは言えないのだそうだ。
「とはいえキフェルは国境都市、他の街に比べれば備えは堅いはずよ」
「それに、今回の
肉を齧り、パンを齧り、せっせと食事をしていたアルが言う。
「王国軍と冒険者がどれだけの連携をとって、防衛を出来るかだけど。王都自体はでかいし城郭も立派だったし、門を死守すれば中は大丈夫だろう。王都を目指さずによそ見する奴をどうするか、どれだけの戦力を割けるかだな」
話しぶりだと王都の中は安全で、外は危険と言っているようなものだ。
クロムとジェシカは不安げに顔を見合わせている。キフェルまでと言ってしまった手前、そこも安全ではないと言われれば不安にもなるだろう。
運が悪ければ国境を閉じられてしまう危険性もある。
「まずは道中が安全であることを祈るだけだな」
食事を終えたラングが食後のお茶に取り掛かる。
未だ困惑を浮かべたままのクロムとジェシカにもお茶を配り、全員を見渡した。
「いざという時の話しをしよう」
ツカサも姿勢を正した。
「考えたくはないが、もし魔獣に襲われたら、の場合だ。私とアルが基本的には対処する。クロム、ジェシカはツカサのそばへ、エレナは適宜判断で構わん。ツカサは遠慮をせずに魔法を使え」
「了解、当てないようにするね」
「言うようになって」
アルに小突かれ、ツカサも笑う。クロムたちの不安顔は変わらない。
「心配するな、ツカサは見た目よりも役に立つ。いざという時が来ないようにはするが、その時はツカサの指示に従え。でなければ身の安全は保障が難しい」
「わ、わかりました」
釘を刺され、クロムは何度も頷いた。
ツカサは任されることは嬉しかったが、同時に怖くもあった。ラングの信頼を裏切らないで済むか、いざという時に正しい判断ができるかどうか。その背中に人の命を背負うということの重大さをひしひしと感じていた。
ラングが常に背負っていたものを、少しだけわかったような気がした。
「今日の不寝番は三人で回すぞ」
「それなら、ツカサを休ませてあげて。私は馬車に乗って移動させてもらうから、そこで仮眠もとれるもの」
「ありがとう、エレナ」
いいのよ、と微笑んだエレナに同じように微笑み返す。
「ツカサ、寝る前に話しをしよう」
食事の後片付けを他の人に任せ、ラングに呼ばれ少し離れたところに移動する。
緊急事態が続いていることもあって鍛練は軽い基礎のみやっているが、会話のために呼ばれたのはこの道中では初めてだ。
ラングは愛用の三脚コンロを取り出すとクズ魔石に火を点け、小鍋を置いた。
赤ワインを注ぎいつもの手順でホットワインを作り、ツカサと自分に注ぐ。
「すまないな」
ホットワインを啜っているところに言われ、驚いて唇を火傷した。
「急にどうしたの?」
「出来れば安全に移動をしたかったが、巻き込ませたと思ってな」
「ダンジョンブレイクのことなら、別に俺たちのせいじゃないから仕方ないよ」
「それはそうなのだがな」
肩を竦めるラングに苦笑を返す。
甘い香りのするホットワインはラングの味だ。ほっ、と息を吐く。
「ラングでも後悔はするの?」
「いいや、しない」
はっきりと言われて目を瞬く。先ほど謝って来たのは後悔したからではないのか。
問えば、今回は答えが返って来た。
「今回、私が単独行動をすると言ったことが初動を遅くした一端だと責任は感じているが、目的は達したので後悔はない。だが、お前に安全な道を行かせる方法があったことは確かだ。そのことを申し訳なくは思っている。己の行動に責任はとる」
「うーんと、つまり、後悔はしてないけどカバーはするって感じ?」
「そういうことだ」
「わかりにくいんだからなぁ、もう」
ツカサは笑ってしまった。
「同時に感謝している。お前が
「あれはアルが助けてくれたからって言うのもあるよ」
「余計な行動をせず、私の合流を待ったのも良い判断だった」
「それもアルが提案してくれて、俺は何も…」
「アルからは、お前がよくやったと聞いている」
え、と驚いてコップから顔を上げ、ラングを見る。
「お前も、よくやった」
ラングに褒められると鼻の奥がツンとする。なんだか目頭が熱くなってしまって、慌ててコップに視線を戻した。アルもまた、ツカサの在り方を褒めてくれていたのだと聞いて、恥ずかしいやら嬉しいやら変な気分だ。
「ツカサ、いざという時の話しをするぞ」
「わ、わかった」
不意に切り替えられ、ツカサも深呼吸をしてラングを見る。
「エレナの話しから
「うん、王都がどれだけ魔獣を狩れるかわからないけど、周囲に散らばることはわかった」
「お前はいざとなれば、エレナと共に真っ直ぐ前を見て進め。行先は覚えているな?」
「スカイ王国フェヴァウル領、イーグリス…渡り人の街」
「そうだ。私は状況により魔獣を引きつけて別の道に逸れて行く。アルもそうするだろう。その時、わざわざ説明をしている暇はない」
「うん、想像は出来る」
「迷うな、悩むな。お前のここまでの経験を信じろ」
肩に手を置かれ、ぐっと掴まれた。
マブラで慰められた時と同じ温もりが優しかった。
「わかった」
シールドで見えないラングの視線を確かに受けて、ツカサは頷いた。
ラングはそれを受けて一つ頷き、手を退けた。手の退いた肩を自分で握り締めた後、ツカサは殊更に明るく言った。
「ねぇ、このホットワインの材料教えてよ」
ラングはもう一度作ってくれて、ツカサはそれを大事に空間収納へ仕舞い込んだ。
―― 翌朝、早い時間帯に行動を開始した。
エレナが眠らせてくれたおかげで快調だ。速足で幌馬車について行く。
道をすれ違う人が居ればアルが声を掛けて注意を促した。冒険者はマジェタを目指す人が半々、商人は全員が道を引き返した。旅人や近隣の村人、街人も同様に自分の故郷へ注意情報を慌てて持ち帰った。
すでにギルドからギルドへ連絡が入っていればいい。もし入っていない場合に備えたに過ぎない。王都の対処が上手く行き近隣に被害がなければ、大袈裟な話しをした冒険者、というだけだ。
「人の命より重い物はないからな」
アルは前だけを見ながら真剣な声で言った。
その通りだと思った。
強行軍な日程にジェシカが少し体調を崩したが、概ね問題なく進むことが出来ていた。
しかし、キフェルまで半分と言った所で一行は思いもよらぬ人物に遭遇することになった。
「あれ? ツカサじゃん! お前もマジェタ出たのかー!」
【レッド・スコーピオン】のシュン、あの青年が数人の女性と共にキャンプエリアで焚火を囲んでいた。
休もうとしていた気持ちがすぐに立ち去りたい気持ちに変わる。ラングを見れば同じ気持ちらしく口元が僅かに不機嫌に歪んでいる。ラングは御者席のエレナを振り返った。
「…ジェシカは疲労がたまったせいだと思うわ。ツカサに定期的にヒールを使ってもらえれば、少しは楽になると思うけど」
「厳しいと思うか? 女のことはよくわからん」
「出来れば、揺れない状態で休ませたいけれどね。ここで休んだら逆に疲れそうだわ」
「同感だ」
へらへらとしたシュンの笑顔に頭痛を感じた。
それよりもなぜここにいるのか?
「【レッド・スコーピオン】は王都マジェタの専属じゃないの?」
「そうだぞ?」
「
「そんなの、当然だろ」
その言葉に首を傾げれば、至極当然と言った顔でシュンは言い放った。
「逃げて来たんだよ」
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