第85話 足止め
レターセットをもらって、ツカサは机に向かっていた。
気が付いた時からスマホを使っていたツカサは、リアルタイムのSMSやSNSでのやり取りに慣れている。こうした時差のあるツールを使って書くのは初めてと言って良い。
日記は自分の感じたことやあったことをつらつらと書けばいい。だが、手紙をどう書けばいいのだろうか。
ツカサはしばらくペンを彷徨わせた後、助けを求めてエレナの部屋のドアを叩いた。
「手紙の書き方?」
楽な格好に着替えて寝る準備をしていたエレナは快くツカサを招き入れてくれた。
就寝前のティータイムだったのだろう、ツカサにもお茶を淹れて要件を聞き、小首を傾げた。
「うん、俺手紙書いたことなくて、どんなこと書けばいいのかわからなくて」
「そうねぇ…」
エレナも意識して書いたことはないのだろう。ツカサの隣に腰かけて頬杖を突く。ふわりと石鹸の良い香りがして顔を逸らした。何度目かの自問自答だが、熟女趣味ではないはずだ。
「とりあえず、ここまでの道のりを書いてみたら?ロナもツカサがどうやって冒険しているのかは知りたいと思うの」
「道のりかぁ」
「そう、例えば、無事に着きました、道中はこんなことがあって…、みたいに。
「うん、そうだね」
「それだけの手紙はとても急を要しているようで、心配になるものだわ」
確かに自分がロナからそういう手紙をもらったら居ても立っても居られないだろう。
相手に心配をかけないように、近況を書きつつ、要件もいれる。
「難しいね」
「ふふ、書き慣れない内はそうでしょうね」
くすりと笑う音が優しくてツカサは笑って返した。
「でも、おかげで書けそう。ありがとうエレナ」
「どういたしまして。あまり遅くまで掛からないようにね」
「うん、気を付けるよ」
淹れてもらったお茶を手にツカサはおやすみを告げてエレナの部屋を出る。ラングとアルの部屋に戻れば槍の手入れをするアルと、双剣の刃を研ぐラングが手入れ談議に花を咲かせていた。
「へぇ、じゃあその砥石はダンジョン産なんだ?」
「あぁ。摩耗が無くて助かっている。不思議なことに刃の方も削られないようだ」
「なにそれめちゃくちゃ良いじゃん。貸して」
「自分のを使え。お前の槍は一体型なのだな」
「ケチ! おう、その分手入れは楽だけど、指引っ掛けるところ間違えると飛んでく」
「無様な姿を見せるなよ」
「厳しいーってツカサおかえり」
「ただいま」
応えて机に座り直す。
「どこ行ってたんだよ?」
「エレナのところ。手紙書いたことなかったから」
「そうなんだ。ツカサは短剣の手入れしないのか?」
「武器屋で聞いたら、魔法が使える短剣は魔力を込めればいいんだって言われた」
「へぇ! 初めて知った」
その反応のあと、アルは油を馴染ませた布で槍を磨きだしたのでそれ以上の会話はないのだろう。ラングは双剣の手入れから短剣とナイフに移行し、黙々と作業を続ける。
サーサーという砥石の音と、ギュッギュッという布で磨く音を聞きながらツカサはペンを持った。
―― ロナへ
久しぶり、元気にしてる?
そっちは無事にジュマに着いたかな。
俺は今王都のマジェタにいるよ。無事にここまで来れた。
道中、ここに来るまでも、まぁ無事かな。
キャンプエリアで土風呂作ったらいい感じに収入になったから、ロナも練習がてら土魔法でやってみるといいかも。
ラングが言ってたけど、目的があれば上達が早いんだって。
実は、手紙を書くのが初めてで何を書いていいのかわからないんだ。
次の手紙からはもう少し、慣れて来ると思う。
王都マジェタのダンジョンに入って、ミノスの肉をたくさん稼いだよ。ここは採掘が出来たりして、ジュマやジェキアとはまた違うダンジョンだった。
それから、【レッド・スコーピオン】ってパーティがクランを組んでボス部屋攻略に挑んだみたい。
ジュマからの通達を、攻略の後を追わせないためだって思ったらしくて、言いつけを破ったらしいんだ。
もしかしたらダンジョンブレイクが起きるかも。
俺たちはそれに巻き込まれる前にマジェタを出ていくよ。
次は国境都市のキフェルに向かう。そこからフェネオリアに入るんだって。
フェネオリアで街を調べたら、次の手紙で行先を知らせるよ。
また手紙書きます。
―― ツカサ
「ふぅ」
「レターセットは余っているか?」
「あ、うん」
いつの間にか手入れを終えたラングが同じテーブルに着く。
レターセットを分ければさらさらと手紙を書き始めた。宛名を覗けばカダル宛てだ。インクペンの使い方が上手く、綺麗な字で羨ましい。
「何書くの?」
「ジュマのダンジョンに出来るだけ籠れ、と」
「どうして?」
「考えろ」
ツカサはむすりとしながらもその答えを探す。
ダンジョンに籠れ、ラングがわざわざそう言うからにはそれ相応の理由があるはずだ。
今回手紙を送るのはやはり
書いた手紙を折りたたみ、封筒に入れる。のりが無くて困惑していたら、ラングが横から手を伸ばし封筒を持って行った。
部屋にあった手持ちランプの蝋をぽたぽたと垂らして、最後にナイフの柄でぎゅっと押した。所謂封蝋というやつだ。
ラングも書き終えていたらしく、同じように封をした。
「宿に預けて来る」
「ありがとう、よろしく」
ラングが引き受けてくれたのでツカサは風呂に入ることにした。アルはツカサが湯を沸かすのを待っていたらしく、次に入ると言い槍の手入れを続行した。
陶器製の風呂と自前の大き目のたらい風呂を出し、両方にたっぷりのお湯を沸かし体を三回洗う。癒しの泉エリアでたまに体を拭いたが汚れはたまる。石鹸がまともに泡立つようになってからざばざばと流した。
お湯に浸かり体をしっかり温めて、ラングに教わったマッサージで自分を労わる。お湯が汚れたような気がしたので、出る時に全て替えておいた。アルにも湯を抜いておいてもらった方が良いだろう、ラングが入る時にもう一度沸かしてあげよう。
アルはツカサが出ると入れ替わりでいそいそと風呂場へ向かった。風で髪を乾かしているところにラングが戻った。ざば、と水音がして状況を把握したのだろう。
「私の時も頼む」
「うん、もちろん」
短く会話をしてツカサは先ほどの件に戻った。
ラングがなぜ、ダンジョンに籠れと手紙を書いたのか。
マジェタの
ふと気づいたのは、ジュマでの
「そうか、ジュマのダンジョンに籠っておけば、召集されない?」
気づいたように顔を上げれば、ラングがツカサを見ていた。
「マジェタの
「そうだな」
「だから、もし、下層に籠って誰かが呼びに行かなければ、【真夜中の梟】は知らないで済む」
「あぁ」
「それでラングはダンジョンに籠れって書いたんだ。【真夜中の梟】が呼ばれない為に」
「選ぶのは奴らだがな」
ラングの手紙は提案をしただけで、決めるのは【真夜中の梟】だ。
ただ、少なくとも巻き込まれる期間は短くて済むだろう。
「そういう手段もあるんだね」
「上手く行くかはわからん」
「あーさっぱりした!ツカサありがとうな!」
ばたんと大きな音を立てて湯気を纏ったアルが出て来た。
「お湯抜いたからさ、悪いけどラングの沸かしてやってくれる?」
「あ、助かる。言おうと思ってたんだ」
「ダンジョン帰りはなー、やっぱりな、うん。ツカサとエレナに感謝」
苦笑を浮かべたことから、アルもツカサと同じ状態だったのだろう。
ツカサは三回目の湯を張り直してラングに声を掛けた。
「お待たせ、沸いたよ」
「ありがとう」
武器類を全て空間収納に仕舞い、ラングが風呂場へ向かう。
「明日は朝が早い、先に寝ていろ」
「はぁい、おやすみ」
「了解、んじゃお先。おやすみ」
「おやすみ」
ぱたんと静かな音を聞いて、ツカサはベッドにもぐりこんだ。
ダンジョン帰りの体に柔らかい布団は心地良く、すぐに眠りに落ちていった。
――― 翌朝、ツカサは思ったよりもあっさりと目を覚ました。
就寝したのが二十一時頃だったことを思えば、六時に起きたのは寝過ぎなのかもしれない。
昨晩宿に朝食を頼むのを忘れていたが、今朝出ると伝えていたこともあって人数分用意されていた。こういう気遣いは嬉しい。
初めてこの宿で食事をするがとても美味しかった。
少し固めのロールパン、固焼きの目玉焼き、ソーセージにサラダ、コーヒーがついているので故郷のホテルの朝食と似ている。
もちろん、街に出て食べる朝食も美味しい。排ガスがないので朝の空気も美味しいのだ。
「食事中に失礼いたします、【異邦の旅人】の皆さま」
声を掛けて来たのは初日以降顔を合わせていなかった
「何か用か」
ゆっくりとコーヒーを飲んでいたラングがそう問えば、妙に
「本日お出でになると伺いまして、ギルドからの伝言をお伝えに参りました」
「伝言だと?」
「はい、【異邦の旅人】が戻ったら、宿から出すな、と」
言われた言葉の意味が分かりかねてツカサは首を傾げる。
「どういうこと?」
「さぁ、何をされたかまでは存じ上げませんが、冒険者ギルドの命令ですので」
楽しそうな声色にツカサは不快感を露にした。それでは、とスキップまがいの足取りで立ち去る男性の背中が見えなくなるまで睨みつけてやった。
「あの人、この宿の跡取りなんですって」
コーヒーで一息ついていたエレナが言う。
「私は一番宿にいたでしょう? いろいろ聞いたのよ」
聞けば、少し外に出て戻ってきたら部屋のドアを開けようと躍起になっていた姿を見たり、鍵魔法がかかっているとわかれば鍵魔法使いを連れて来て無理を言っていたり。馬番がまともだったからよかったものの、ルフレンにいたずらしようとしていたり散々だったらしい。
エレナが宿に居るようにしていたのはそのためでもあったのだ。
「言ってくれればよかったのに」
「ダンジョンに行く前にラングも宿の人によく言っていたし、ツカサとアルは初めての場所を楽しみたいと思って」
「それはまぁ、うん、ありがとう」
エレナは以前に王都を訪れ、街を見て回ったことがある。その分の経験を今回はツカサとアルに譲ってくれた訳だ。ダンジョンも十年前の記憶なので不安があったが、変わっていなくて安心したらしい。罠が無ければ、なんて言っていたのも記憶が他のダンジョンと混ざっている不安からだったそうだ。今になってその発言の真意を知ることになった。
「宿のオーナー自身は、いつかまともになってくれることを願っているらしいけれど、あの分では無理でしょうね」
ばっさりと切って捨てたエレナに苦笑する。あのドラ息子が運営を一手に担ったら、すぐに落ちぶれて行くだろう。それを防ぐためにあの仕事のできる男性が全面的に管理しているのだ。
いっそあの人に譲ってしまえばいいものを。
「ギルドから待機命令が出てるってのは本当なんだろうか?」
疑問を呈したのはアルだ。
もしかしたら嫌がらせかもしれないとも考えている。
「流石に宿の風評に関わることはしないとは思うが」
「やりかねないわよ、ああいうタイプは」
「ギルドに聞きに行ってみる?」
「いや、もし本当に待機命令が出ているなら、顔を出すのは不味い」
ふむ、と一拍全員が考え込んだあと、ラングが席を立った。
「他の宿の者に聞いてこよう。お前たちは部屋に戻っていろ」
「了解」
「任せるわ」
「ラング、俺も行く」
ツカサは慌ててコーヒーを飲み干して立ち上がり、そのあとを追いかけた。
カウンターには昨日と同じ女性がいた。視線に気づいてこちらを見ると、穏やかに微笑んだ。
「おはようございます、お食事はお済ですか?」
「あぁ」
「ではご出立を?」
「その件で聞きたいことがある」
朝の宿受付はまだ忙しくはない。けれど、同じような泊まり客が行き来していてそれなりに賑わっている。
ラングがわざと、僅かに顔の角度を変えたことで他の客が気になると示したことに気づいたのだろう。女性はそっと声を潜めた。
「場所を移しましょうか?」
「そうしてくれ」
こちらへ、と通されたのは応接室だ。
中に入ったところでラングが切り出した。
「ドラ息子から、我々【異邦の旅人】に宿での待機を命じるとギルドから連絡があったと聞いた。本当かどうかを確かめたい」
女性は驚いた顔をした後、きゅ、と唇を噛んで鼻で深呼吸をした。ラングから有無を言わせぬ威圧感を受け取ったからだ。
何度かの呼吸の後、女性は覚悟を決めた顔でラングを真っ直ぐに見据え、真摯に答えた。
「申し訳ありません、私はそのお話しを存じ上げません。すぐにギルドへ人をやって確かめますが、よろしいですか?」
「構わない、それをこちらも頼みたかった。昨晩の発言を撤回してすまないが、いざという時の為に延期した通り部屋を確保しておいてもらいたい」
「かしこまりました、記帳は訂正しておきます。…差し出口ですがお伺いしても?」
「構わん」
「昨日の、
「すまないが、わからん」
ラングがはっきりと答えれば、女性はそうですか、と下を俯いた。
ツカサは女性が泣いているのではないかと思い、オロオロとした。ツカサが声を掛ける前に女性は再び顔を上げた。
「すぐに対応します」
「頼む。あぁ、そうだ」
女性はお辞儀をすると部屋を出ようと先に扉に向かった。その背中にラングが声を掛ける。
「お前、名前は?あの責任者の男も」
「申し遅れました、私はジェシカ、彼はフロム。…私の恋人です」
「そうか。改めて頼む」
「はい、ラング様。ツカサ様も失礼します」
女性、ジェシカは足早に対応に走りに行った。ツカサは驚いた顔でラングを見上げた。
「名前、今更?」
ドン引きした声でそう言うと、ラングは肩を竦めて見せた。
あれから一時間ほど。
男性部屋でハーブティーを飲み直したり雑談をしたりして時間を潰した。外に出るなと言われると暇を持て余してしまう。
マブラでは身の安全の為に自主的に宿に引きこもったが、あの時は魔法の練習であったり、ラングの言語習得のためであったり、時間はいくらでも必要だった。
しっかりと睡眠をとったが故に眠気も来ず、まんじりともせず四人は過ごした。
二時間が経ったところでドアがノックされ、アルが出迎えた。
「はい、はい」
「受付のジェシカとクロムです。お待たせしました」
名乗りを聞いて扉を開け、中へ促す。ジェシカとクロムが部屋に入り一礼、中の全員を見渡してジェシカは深呼吸のあと続けた。
「お待たせいたしました。クロムを冒険者ギルドへ向かわせた結果を報告させて頂きます」
ジェシカは信頼の籠った目で隣を見上げ、それを受けたクロムが一つ頷いて引き受けた。
「まずは当宿の若旦那がご不快な思いをさせ申し訳ございませんでした」
「構わない、それよりも結果を頼む」
「はい、ギルドで聞いて来たことによりますと、待機命令は事実でした。ただ、それを若旦那のみが伝令を聞いたために、私共へ共有がなかったようでして」
「まぁ、だとすると一応は感謝することになるな。知らないで西口行ってたら面倒なことになってた」
アルが頭の後ろで腕を組んで天井を見上げた。
事実それはそうなのだ。複雑な気持ちになる。
「なんで待機命令が出たんです?」
ツカサが問えば、クロムは困惑したような顔で答えた。
「九、十階層で
ツカサはアルと顔を見合わせた。
マジョリナと会話していた時のことが思い出された。
「それがなぜ引き留められることに繋がる?」
「続きはギルドに来て欲しい、と伝言を預かっております。ギルドマスターのグランツが待っている、と」
クロムは真剣な目でラングを見て、紐で巻かれた書状を差し出した。
ラングはそれを受け取りすぐに開く。恐らく、クロムが来たことで正確に伝わっていないと判断したのだろう。内容は、丁寧に情報の不伝達を詫びた後、至急呼び出しに応じるように、という命令でもあった。
それに全員が目を通しているところへ、あの、と声がかかる。
「しがない宿の仕事人です、どうすればよろしいですか?」
その言葉は、もし本当に
「すまないが、私も
クロムとジェシカは顔を見合わせ、自然と手を繋いだ。
「ここは王都だ、王国兵と冒険者の力を信じるもありだろう。どちらかの故郷がここではない別にあるのならば、離れるのも選択肢の一つだ。我々もギルドに行ってみないことにはわからんがな」
「…ありがとうございます。一先ず、様子を見ようと思います。お預かりしている馬車と馬に関しては、責任を持って対応します」
「感謝する」
クロムはラングに頭を下げ、ジェシカと部屋を出て行った。
ラングは立ち上がり、全員を見渡した。
「まぁ、行くしかあるまい。行くぞ」
ラングはやれやれと言った様子で肩を竦めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます