聖女と悪女が、午後の談話室で駄弁る話。

髙椙苹果

第1話

「お招きありがとうございます、公爵令嬢」

「こちらこそ。わたくしのような阿婆擦あばずれのサロンによくおいで下さいましたわね」


 いつものように、いつものごとく。

 私も彼女も、ドレスのすそをつまむと、軽く一礼する。


「もう、カイン様は阿婆擦れなどではないと、何度お伝えしても聞いては下さらないのですね」

 何回目だろう、彼女がそうって顔を可愛らしくふくらませるのは。もう正確な回数は覚えてはいないのだけれど。


「そう思って下さっているのは、残念ながらアベルだけですからね。私本人が事実だと云っているのだから、もうそれでいいのではないかしら」

 このり取りもそろそろやめたい。そう思わないこともないのだけれど――アベルの顔が可愛らしくふくれるのがどうにもおかしくて、つい毎回無下むげに扱ってしまう。


「勿論、カイン様の武勇伝はいくつも耳にしておりますが……けど、私にはどうしてもそのようには見えないんですもの」

 よほど不満なのか、可愛らしい子豚のようにぶーぶーとねた声を上げる。まったくそんな幼い様子を見せられると、そのまま押し倒して食べてしまいたいところだけれど、生憎とそんなことをすれば国が傾いてしまいかねない。


「取り敢えず、いつものようにお茶をれましょうか」

「あっ、またそうやって……まだ話の途中なんですよ、カイン様っ」

 それはそうだ。話を中断するためにしているのだから……私は席を立つと、手ずから彼女の為に紅茶を用意する。


「そう云えば先日、ミュラン伯爵令嬢にカイン様が淹れてくれたお茶の話をしたら、とても驚かれてしまいました。それは絶対嘘だって」

「当然ね。三大公爵家の人間が、手ずから客を持て成すためにお茶を淹れるなんて、するはずがないのだから」

 勿論、私が手ずから紅茶を淹れる必要など微塵みじんもない。誇り高き我がザンダール公爵家には、千人に近いお抱えの者達がいるし、その中には季節ごとに最適最良のお茶を淹れられる使用人もいる。

「それでもまあ、貴女を持て成すのは荷が重いというところはあるわね……何しろ、貴女に何かあればこの国が滅びかねないのだもの。そうでしょう? 聖女、アベル・エルネスハイム枢機卿すうきけい令嬢様」

 聖女――まるで神話から踊り出てきたようなその姿。金にも銀にも見える長く棚引くその髪に、抜けるような白い肌。そしてご丁寧に、金のり糸で縁取られた絹のドレス――彼女の姿を直視した者は、皆口々にその様子をこう語る。


『まるで、神話から女神が降りられたようだ』と。


 そして勿論もちろん、見た目だけのことではない。彼女はこの国を守護する聖女であり、彼女が生きて、この国で息を吸っているというただそれだけで、国には魔物を寄せ付けぬ結界が生まれる。それだけではない、彼女自身、その身に神からの一身の寵愛ちょうあいと加護、そして様々な奇蹟を授かっている。つまり彼女の命がそのまま、この神の国である王国にとって、安寧の担保なのだ。


 だがひとつだけ、彼女は問題を抱えている。それは。

「そういう皮肉はよして下さい。私なんて、元を辿たどればただの孤児みなしごなのですから」

 そう云って聖女様は唇を尖らせる。

 そう。彼女は天涯孤独で身寄りを持たない。神は必ず、新しい聖女を教会で預かっている身元のはっきりとしない孤児の中から選ばれるのだ。これはもう、何百年も前からそう決まっていることだった。

「そうね。でも、いいんじゃないかしら。取り敢えず、聖女を続けている間は食いっぱぐれないわけでしょう」

「まあ、それは確かにそうなのですが……いきなりお貴族様みたいな暮らしをしろって云われましても、私だって困ってしまうのです。勿論、ままだっていうのはわかっているのですけれど」

 天使のような綺麗な顔が、年相応の少女のように不貞腐ふてくされる。まあ、そんな様子を見られるのは、今の私にとっての特権と云えるかも知れないけれど。彼女も普段は聖女然とした様子を崩す事はないだろうし。


「聖女として覚醒しなければ、良くて訓戒くんかいを受けて教会の修道女、さもなければ貧民街で娼婦として客を取る、というところでしょう?」

「……本当に、カイン様って下々の生活にも通じてらっしゃいますよね。そんな風に云われたら、反論も出来ないです」

 運が良ければ、豪農や商人の男に見初められて真っ当な暮らしにありつくこともあるかも知れない。だが、そうはならないのが今この国での孤児の扱いというところだ。


「確かに、未通女おぼこのまま生きるのは、私としては御免被ごめんこうむりたいことろだけど……それでこんな風に着飾って、美味しいご飯を食べていられるなら、まあ悪い人生ではないわね」

「返す返すも、というところですが、でもそれは自分で選んでそうなったら……という話だと思いますわ。有無を云わせず、ある日突然聖女こんな姿になってしまったら、そんな風には割り切れないと思いますよ」

「そうね。そこは確かにご同情申し上げますわ、アベル嬢」


 私は肩を少しだけすくめると、お茶に菓子を添えてきょうする。

 私が手ずから紅茶を淹れるのは、可能な限り彼女の安全を護らなければならないから――少なくとも、私と一緒にいる間に彼女に何かがあれば、我が誇り高き公爵家ですらその存亡に関わるだろう。

 例えば使用人を買収されて、お茶に毒でも仕込まれようものなら、それだけで国をひっくり返しかねない大騒動に発展するだろう。


「さ、よろしければ召し上がるといいわ。手慣れたものではないけれど」

「ありがとうございます! とっても美味しそうです……!」

 神から与えられたであろう美貌びぼうを、まあ少女のようにくしゃくしゃに崩して――いや、まあ彼女はまだ十五だった――温かいお茶とお菓子に、果敢に、かつ優雅に取りかかっていく。

 何故、ここまで面倒な手続きを踏んでまで、私が聖女様と談笑する機会を設けているか、と云えば、勿論それは自分の利益に繋がるからだ。

 聖女は、その発現と同時にその代の最も実力のある枢機卿の養女となる。貴族にとって、教会と繋がりを持つことが出来るのは色々と有用だ。だが、基本的にはそういったコネクションを求めようとすると、大量の喜捨きしゃ寄進きしんが必要になってくる。しかも、教会の人間というのは、それを当たり前だと思うような連中ばかりなので、なかなか思うような関係性を構築することは難しい。

 エルネスハイム枢機卿と云えば、やや峻厳しゅんげんが過ぎる人物だという評はあるが、養女であるアベルを実の娘のように可愛がっていると聞く。彼女を通じて親交を結ぶ事が出来れば、我が家にとっても実りは大きいだろう――ただもっとも、我が家はあまり教会に喜ばれるような品格を持ち合わせてはいないところがあるけれど。


「カイン様。このお菓子、上手に食べるのが難しいです」

「気にしなくて良いわよ。でも、もし上手に食べたいと思うなら、先にそっと横向きに倒してからナイフを入れるといいわね」

「あっ、なるほど……ありがとうございます」

 初めは私も、どうせ貧民の孤児と莫迦ばかにしていたところがあったが、その気立ての良さと、何でも吸収しようという真摯しんしさにこのところ彼女の評価を少し変えつつあるところだ。

 ほだされている、と云えばそうなのかも知れない。私にしては、それは珍しいことだと思える。


「それで。このところは、何か面白いことはあったかしら」

 彼女が菓子を平らげようという辺りで、私はおしゃべりの話題を切り出す。

 当然だ。私たち貴族の令嬢にとっては、社交こそが仕事であり、はなであり、そして生きていく為に必要な情報なのだから。

「あっ、はい。このところはですね……」

 彼女と親交を深めるもうひとつの理由――それは勿論、彼女が聖女だというその点にある。


「お義父様とうさまのお供で、王立劇場に供犠歌劇をに行ったのですが、そこでええと……サニ……何でしたか、子爵というご老人にお目にかかりまして」

「サニダール子爵、だったかしら」

「あ、はい! そうです。そこで、息子さんの快癒かいゆを祈って欲しいと依頼を受けたのですが……」

 彼女は日々、いろいろなところを訪れている。それは彼女が治癒の奇蹟を神から授けられているからだ。よほどの重病や、突然の致命傷でない限りは、彼女の奇蹟は覿面てきめんに効果を発揮し、その痛みや苦しみを軽減する。逆に云えば、彼女の行先には必ず病人が存在するということ。

 貴族の誰が病にかかっているか、寿命は、そして後継者は。その情報は、王宮の政局に少なからず影響を与えるものだ。

 私は、彼女との他愛のないおしゃべりから、その情報を引き出す。それをどう活かすのかは、私と、それから父上の采配さいはい次第ということだ。


「ご本人がいらっしゃらないと、治癒の助力は出来ないとお話ししたのですが、そうしたら憤慨ふんがいしてお帰りになって仕舞しまわれまして……」

「そう、それは災難だったわね」

「いつものことではあるのですけれど、私よりも、お義父様が申しわけなさそうな顔をなさるので、それが少しつらいでしょうか」

 貴族もいろいろいるが、聖女に対してきちんと枢機卿の娘として扱おうとする者は、そう多くはない。

 皆、知っているのだ。聖女というのは、元々教会で拾われた浮浪児である、というその事実を。


「今日も、随分と長居をしてしまいました。カイン様はお忙しいのではありませんか? 良かったのでしょうか」

「気にしなくて良いわ。こんな阿婆擦れのサロンで構わないなら、いつでも遊びに来てくれていいのよ」

「もう! ですから、カイン様は阿婆擦れなんかではないと……」

「ふふっ、それはもういいから。またいつでもいらして」

 私が、頬を軽く撫でて気を反らせると、彼女は顔をすっとあからめる。まったく可愛いものだ。

「では、ご機嫌うるわしゅう。カイン様」

「ええ、ご機嫌麗しゅう。聖女様」

 扉の前で待っていたお付きの侍女二人ほどを侍らせると、聖女らしい面差しに戻って静々と廊下を歩いて行く。まだ十五だというのに、まったく大した貫禄だと思える。


「……サンドラ」

 彼女が遠ざかるのを確かめて、私は侍従のサンドラを呼び付ける。

御前おんまえに」

「サニダール子爵だそうよ。ご子息が大病を患っていらっしゃるそうだから、精々高い薬を売り付けてお上げなさい」

「はい。ではバルサー医師に手配させましょう」

「ええ、そうして」

 子爵は確か、商人からせしめた鉱山の権利書で法外な手数料を取っていると聞いている。きっと良い声で鳴いてくれることだろう。

「まったく、楽しませてくれることね」

 私は笑いたい心持ちを抑え込んで、貴婦人らしく扇で口元を隠すと、小さく薄くわらうだけに留めたのだった……。

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