聖女と悪女が、午後の談話室で駄弁る話。
髙椙苹果
第1話
「お招きありがとうございます、公爵令嬢」
「こちらこそ。
いつものように、いつもの
私も彼女も、ドレスの
「もう、カイン様は阿婆擦れなどではないと、何度お伝えしても聞いては下さらないのですね」
何回目だろう、彼女がそう
「そう思って下さっているのは、残念ながらアベルだけですからね。私本人が事実だと云っているのだから、もうそれでいいのではないかしら」
この
「勿論、カイン様の武勇伝はいくつも耳にしておりますが……けど、私にはどうしてもそのようには見えないんですもの」
よほど不満なのか、可愛らしい子豚のようにぶーぶーと
「取り敢えず、いつものようにお茶を
「あっ、またそうやって……まだ話の途中なんですよ、カイン様っ」
それはそうだ。話を中断するためにしているのだから……私は席を立つと、手ずから彼女の為に紅茶を用意する。
「そう云えば先日、ミュラン伯爵令嬢にカイン様が淹れてくれたお茶の話をしたら、とても驚かれてしまいました。それは絶対嘘だって」
「当然ね。三大公爵家の人間が、手ずから客を持て成すためにお茶を淹れるなんて、するはずがないのだから」
勿論、私が手ずから紅茶を淹れる必要など
「それでもまあ、貴女を持て成すのは荷が重いというところはあるわね……何しろ、貴女に何かあればこの国が滅びかねないのだもの。そうでしょう? 聖女、アベル・エルネスハイム
聖女――まるで神話から踊り出てきたようなその姿。金にも銀にも見える長く棚引くその髪に、抜けるような白い肌。そしてご丁寧に、金の
『まるで、神話から女神が降りられたようだ』と。
そして
だがひとつだけ、彼女は問題を抱えている。それは。
「そういう皮肉はよして下さい。私なんて、元を
そう云って聖女様は唇を尖らせる。
そう。彼女は天涯孤独で身寄りを持たない。神は必ず、新しい聖女を教会で預かっている身元のはっきりとしない孤児の中から選ばれるのだ。これはもう、何百年も前からそう決まっていることだった。
「そうね。でも、いいんじゃないかしら。取り敢えず、聖女を続けている間は食いっぱぐれないわけでしょう」
「まあ、それは確かにそうなのですが……いきなりお貴族様みたいな暮らしをしろって云われましても、私だって困ってしまうのです。勿論、
天使のような綺麗な顔が、年相応の少女のように
「聖女として覚醒しなければ、良くて
「……本当に、カイン様って下々の生活にも通じてらっしゃいますよね。そんな風に云われたら、反論も出来ないです」
運が良ければ、豪農や商人の男に見初められて真っ当な暮らしにありつくこともあるかも知れない。だが、そうはならないのが今この国での孤児の扱いというところだ。
「確かに、
「返す返すも、というところですが、でもそれは自分で選んでそうなったら……という話だと思いますわ。有無を云わせず、ある日突然
「そうね。そこは確かにご同情申し上げますわ、アベル嬢」
私は肩を少しだけすくめると、お茶に菓子を添えて
私が手ずから紅茶を淹れるのは、可能な限り彼女の安全を護らなければならないから――少なくとも、私と一緒にいる間に彼女に何かがあれば、我が誇り高き公爵家ですらその存亡に関わるだろう。
例えば使用人を買収されて、お茶に毒でも仕込まれようものなら、それだけで国をひっくり返しかねない大騒動に発展するだろう。
「さ、よろしければ召し上がるといいわ。手慣れたものではないけれど」
「ありがとうございます! とっても美味しそうです……!」
神から与えられたであろう
何故、ここまで面倒な手続きを踏んでまで、私が聖女様と談笑する機会を設けているか、と云えば、勿論それは自分の利益に繋がるからだ。
聖女は、その発現と同時にその代の最も実力のある枢機卿の養女となる。貴族にとって、教会と繋がりを持つことが出来るのは色々と有用だ。だが、基本的にはそういったコネクションを求めようとすると、大量の
エルネスハイム枢機卿と云えば、やや
「カイン様。このお菓子、上手に食べるのが難しいです」
「気にしなくて良いわよ。でも、もし上手に食べたいと思うなら、先にそっと横向きに倒してからナイフを入れるといいわね」
「あっ、なるほど……ありがとうございます」
初めは私も、どうせ貧民の孤児と
「それで。このところは、何か面白いことはあったかしら」
彼女が菓子を平らげようという辺りで、私はおしゃべりの話題を切り出す。
当然だ。私たち貴族の令嬢にとっては、社交こそが仕事であり、
「あっ、はい。このところはですね……」
彼女と親交を深めるもうひとつの理由――それは勿論、彼女が聖女だというその点にある。
「お
「サニダール子爵、だったかしら」
「あ、はい! そうです。そこで、息子さんの
彼女は日々、いろいろなところを訪れている。それは彼女が治癒の奇蹟を神から授けられているからだ。よほどの重病や、突然の致命傷でない限りは、彼女の奇蹟は
貴族の誰が病に
私は、彼女との他愛のないおしゃべりから、その情報を引き出す。それをどう活かすのかは、私と、それから父上の
「ご本人がいらっしゃらないと、治癒の助力は出来ないとお話ししたのですが、そうしたら
「そう、それは災難だったわね」
「いつものことではあるのですけれど、私よりも、お義父様が申しわけなさそうな顔をなさるので、それが少しつらいでしょうか」
貴族もいろいろいるが、聖女に対してきちんと枢機卿の娘として扱おうとする者は、そう多くはない。
皆、知っているのだ。聖女というのは、元々教会で拾われた浮浪児である、というその事実を。
「今日も、随分と長居をしてしまいました。カイン様はお忙しいのではありませんか? 良かったのでしょうか」
「気にしなくて良いわ。こんな阿婆擦れのサロンで構わないなら、いつでも遊びに来てくれていいのよ」
「もう! ですから、カイン様は阿婆擦れなんかではないと……」
「ふふっ、それはもういいから。またいつでもいらして」
私が、頬を軽く撫でて気を反らせると、彼女は顔をすっと
「では、ご機嫌
「ええ、ご機嫌麗しゅう。聖女様」
扉の前で待っていたお付きの侍女二人ほどを侍らせると、聖女らしい面差しに戻って静々と廊下を歩いて行く。まだ十五だというのに、まったく大した貫禄だと思える。
「……サンドラ」
彼女が遠ざかるのを確かめて、私は侍従のサンドラを呼び付ける。
「
「サニダール子爵だそうよ。ご子息が大病を患っていらっしゃるそうだから、精々高い薬を売り付けてお上げなさい」
「はい。ではバルサー医師に手配させましょう」
「ええ、そうして」
子爵は確か、商人からせしめた鉱山の権利書で法外な手数料を取っていると聞いている。きっと良い声で鳴いてくれることだろう。
「まったく、楽しませてくれることね」
私は笑いたい心持ちを抑え込んで、貴婦人らしく扇で口元を隠すと、小さく薄く
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