第5話 私の傍からいなくなってよ

「なんだ、喰わねーのか。まさか気にしてるのか? それとも喪に服そうっていうのか」


「よく、食べられますね」


 サーロインステーキを口に頬張る宮下を見て、紗枝は素直な感想を述べた。


「ここの、肉は良いやつを使ってるからうめーんだよ、俺はステーキ肉はここのやつしか食わん。会社がだしてくれるから贅沢しとかねーとな。と、まぁ……冗談は抜きにして、喪に服すような考えはやめておけ」


「どうしてですか」


 一週間とはいえ管理物件の入居者で、関わりのある人物の死に対して喪に服す気持ちを持つことの何がいけないことなのだろうか。


 そう紗枝は考え、不満を顔に出す。

 しかし宮下はその思いとは逆の意見を口にする。


「大場の婆さんは所詮他人だ。入居者なんてのは身内じゃない。だから、こうやって肉を食って、死んだ者との関係性がないことを示さなきゃならない。じゃなきゃ簡単に引き込まれるぞ。死者っていうのはそういう憐みが好物なんだよ」


 紗枝は自席のまえに置かれた、無理に注文し一口も口にしていないハンバーグを見る。どこか納得させられる宮下の物言いに、そうしなければいけない気がしてその肉へとナイフの刃をいれた。

 透明な肉汁が鉄板に溢れていく。

 一切れ分をフォークで刺して、口元に持っていった。


「……っ」


 口に含んだ瞬間、胃液が逆流するのがわかった。たまらずに紙ナプキンへと吐き出してしまう。


「……すみません、失礼しました」


 宮下へと謝罪の言葉を残し、お手洗いへと席を立とうとする。


「おまえ、その吐き気は現場のせいだけか」


「……え?」


「つわり、とかじゃねーよな」


 鋭い目つきで宮下は紗枝を見る。

 その強い口調からそれは冗談やセクハラめいたものではないことは明白だった。

 就職面接のときにも尋ねられたその妊娠の有無に、重要な意味があるのではないかと改めて感じさせられる。


――まあ女親さえね、入れなきゃここもいいとこやからね


 それは、先ほど現場で聞いた岩瀬の言葉だ


「あの……妊娠してると、なにか、あるんでしょうか」


 強張った表情のまま紗枝は、喉の奥からひねり出すようにそう告げた。

 はっとした表情を見せた宮下が、その手のナイフとフォークをテーブルに置いて、ため息をついた。


「笑子はな、娘をもつ女親を呪うんだ。その腹のなかのガキがメスじゃないことを祈るんだな」


   §


 次の休みには産婦人科にいこう。それではっきりさせればいい。

 そう考えて紗枝は日々を過ごしていた。


「紗枝、じゃあ俺は仕事いってくるけど、体調大丈夫?」


 変わらずに優しい言葉をかける香田へ、大丈夫よと返事をして玄関先まで彼を送り出した。

 玄関から見える外の景色は暗く、こんな夜道を原付バイクで走っていくのか、と心配に思いながら、玄関を閉めようとした。


 その瞬間、滑り込むようにして白い指先が玄関扉の端をがしりと掴んだ。


「――いや!」


 思わず強くドアノブを引いてしまったが、すんなりと扉は閉じ切った。

 何かが挟まった様子もない。

 もしかすると香田が忘れ物に気づいて戻ってきていたのかもしれないと思い、すぐにドアを開けた。


 しかし、そこには何もなく、誰もいなかった。


「……神経質になってるのかも」


 孤独死の現場、自死の現場と続けて立ち合い、そして笑子の話を聞いたことで不信感に苛まれているのだろうと考える。


 そう、つまりは気のせいなのだと。考えることにした。

 しかし、付きまとった不安は拭えるものではなかった。


 その日からだった。

 そこに居るはずのない何かが視界の端に映る生活が続いた。

 時に洗面所の鏡の中であったり。

 摺りガラスに映る影であったりした。

 音はなく、その者の声をきくことはなかった。

 最初に見たのは指先だったが、ひるがえるスカートと二本の脚であることもあった。


――ただ共通するのは、その姿は一人の女性のようだった。


 そして、紗枝は悟った。

 彼女が笑子なのだと。


   §


「おめでとうございます。妊娠してますね」


「あの……男の子か、女の子かはわからないんでしょうか」


「まだ12週なので、だいたい16週くらいになるまではわからないので来月また受診されてください」


「そうですか。あの、もし……中絶ってなるといつごろまでに」


 途端に険しい顔をみせた医師によって、法的には21週までと森脇へ告げた。だがそこまで成長した胎児の堕胎は母体への負担も大きく、もし検討されるなら早めの決断を、と添えてのことだった。


       *


「私、堕ろそうと考えてる」


 産婦人科への受診結果を踏まえて、紗枝は交際者である香田に自らの思いを切り出した。


「は? なに言ってんだよ。喜んでたじゃないか、俺もまた来週からは日勤になるし、何かあったらできるだけ傍にいるし。支えるよ。だからそういう考えは改めてさ」


「……でも」


 最初は気のせいだと思い込むことにした現象も、この数日の間に笑子による呪いだと疑う余地がないところまで来ていたのだ。


 酒井トヨは一週間で笑子に呪い殺されたのだ。それを踏まえて考えると紗枝に残された時間はそう多くはないものだった。


――娘をもつ女親でなければ、呪われない。


 その笑子のルールを曲解して、子供さえいなければ呪い殺されることはないと、考えるようになるのにも、そう時間はかからなかった。

 話し合いは平行線で、香田の出勤時間が迫ったことで打ち切りとなった。

 そして香田が家を出ることで、紗枝はマンションの一室でふたたび二人きりとなるのだ。


「なんで、なんで、なんで! どうして、消えてくれないの。なんでずっと私の家にいるの。死んでるんでしょ、なら消えてよ。私の傍からいなくなってよ!!」


 ただ物言わずに居座る、笑子とふたりきりになるのだ。

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