遅延するチエ

そうざ

Chie is Always Late

「おぉい、まだかぁ?!」

「ゴメンなさぁい、もうちょっとだけ待ってぇ」

 やっと繋がった携帯電話からチエの声が雑音混じりに聞こえる。俺は大きな溜め息で応え、ぶっきら棒に電話を切った。

 朝起きるのが遅れ、身仕度が遅れ、家を出るのが遅れ、待ち合わせの場所を勘違いしていた事に気付くのが遅れ――そんなところだろう。

 少なくとも一時間待ちは覚悟した方が良いと判断した俺は、待ち合わせ場所の改札口を離れ、近くの漫画喫茶で時間を潰す事にした。

 チエは兎に角、愚図で、鈍間のろまで、何ももが遅い。悪気がない事は承知しているが、何とかならないものかと思案に暮れる毎日だ。

 出会った頃はそのおっとりとした様子が愛らしく映ったが、元来せっかちな俺は日に日に苛立ちを覚える場面が増えて行った。

『遅い』を言い替えると『無責任で計画性がない』になるというのが俺の持論だ。後先を考えず目の前の物事だけに耽溺たんできしてしまい、その結果、遅れるのだ。行き当たりばったり、風任せ、出たとこ勝負――。

 特に旅行の時は最悪だ。旅先で十二分に楽しめるよう、俺が事前に綿密なスケジュールを立てているというのに、チエの所為せいで台無しになる。バスは行ってしまうわ、美術館の閉館には間に合わないわ、絶景の夕陽はもう沈んでいるわ、旅館の夕飯は終わっているわ――。

 誕生日プレゼントを半年後に渡され、何を贈ろうか迷ってしまったと言い訳をされた日には、もう呆れて物が言えなかった。いつ別れても構わないとさえ感じている今日この頃だ。


「お、待、た、せ~」

 耳元で誰かが囁いた。チエが俺を覗き込んでいる。

 どうやら、俺は漫画喫茶の個室で寝てしまったらしい。俺が電話に出ないので、駅前を中心に時間を潰せるような場所を片っ端に巡り、ようやく発見したのだと言う。

 時計を確認すると、待ち合わせの時刻から三時間近くが経っていた。

「あんまり気持ち良さそうに寝てたから、自然に起きるまで寝顔を見ながら待ってた」

 チエは、けろっとした顔で言った。

 もう陽が暮れている。デートの予定は台無しだ。眠りこけていた俺にも非があるとは言え、そもそもの原因は誰にあるのかと考えると、やっぱり苛立たずにはいられない。

 もう限界だ。今日という今日はきっぱりと言ってやろう。しかし、チエの顔には悪戯いたずらそうな笑みが含まれている。

「……何が可笑おかしいんだよ」

「途中で寄り道したから余計に遅れちゃったの」

「寄り道ぃ?」

「どうしても気になる事があって」

 そう言って、チエはスティック状の器具を目の高さに提示した。

 無責任で計画性がない。後先を考えず目の前の物事だけに耽溺たんできし、行き当たりばったり、風任せ、出たとこ勝負――全ての御託ごたくが俺に反旗をひるがえした。

「生理が遅れてるなーって思ったんだ~、ふふっ」

 思い掛けない混乱が、俺の頭の回転を遅延させる。

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