志よ、蒼穹へ

山本翼

序章

 教室の窓から見えるのは、清々しい程の青一色の空。校庭の桜の木には生き生きとした緑が重なり合っている。そんな夏を眺めていると、前の席のミユが振り返って話しかけてきた。


 「高校最後の夏休み、遊びたいのになんだかそんな気分にもなれないね。」

 「そうだね…。」


 私は軽い返事を返して、手元にあるプリントに目線を落とした。そこには"進路希望"と大きく書いてある。


 「今日の花火大会はいけるよね?」

 「あ、うん、もちろん!浴衣着るんだよね?」

 「そのつもり!よかったー、優希ゆうきにまでドタキャンされたら私ショックで寝込むわ!」

 「しないしない!誰がこれなくなったんだっけ?」

 「アイカは塾で無理になっちゃって、リンちゃんは彼氏とデートだって。他にも吹部のみんな誘ったんだけど、結局私と優希とマドカとハルの四人になっちゃった。」

 「まあ四人集まれるだけいいと思おっか。部長、ご苦労様。」


 もう部長じゃないからって笑うミユは三年間吹奏楽部で頑張ってきた仲間だ。私の通う県立山口高等学校は進学生も多く、夏休みが始まるときに部活動の引退がある。例外は大学をスポーツ推薦を受けるような生徒に限られるが、滅多にいない。

 そして進学校に分類される山口高校において、三年生の夏休み前に進路が定まっていない生徒はほぼいない。明確ではなくても、”東京へ行く”、”国公立を目指す”、”交換留学制度があるところへ”など、大体のイメージはみんな持っているのが普通だった。


 先生が話始めると同時に、ミユは前を向き姿勢をなおす。夏休みの心得のようなお決まりの話をしているようだ。どうせ学生らしい節度ある行動を、とかいう話だろう。頬杖を突きながらもう一度プリントを睨む。ただ自分の希望を書くだけのように思えるが、どうにも気に食わないその紙切れを乱雑に折りたたんで、空の机の中に放り込んだ。


 キーンコーンカーン



 「……それじゃあ、みんな!体調管理はしっかりな。良き夏休みを!」


 先生の話も終わり、チャイムが鳴る。今日から、夏休みだ。しばらくこの何の意味をもなさない様に感じられる教室へ来なくていいと思うと、精々したような気持ちになった。

 

 なんとなく勉強して、なんとなく部活をして、なぜか部長までしちゃってて、でもそれさ自分の意思じゃなかった。全てなぜかそうだった。


 --------私の意思はどこにあるんだ。



 誰も応えてはくれなかった。



 ***



 待ち合わせをしていたのは下関駅。家から1駅で来られるぐらい、この漁港町で私は育ってきた。はっきり言って都会がうらやましい。何度もそう思った。だけど、この海からどうやっても離れられない。得体のしれない魅力が、ここにはある。そんなことを同級生に1度言ったことがあったが、一瞬驚いた顔をしたあと、大笑いされた。それ以来、表立ってそういうことを言うのはやめた。少なくとも同じ学校の人には言わないと心に決めた。


 「お待たせ!」


 改札を出たところで、浴衣姿の友人を見つける。もう日も暮れ初め、浴衣や甚平姿の人で駅は溢れかえっている。


 「私も今来たところ。結構人多いね。」

 「田舎の癖にやりよる」

 「ってか写真撮ろうよ!」


 友人の提案に当たり前のように陣形フォーメーションを整えはじめる私たちの姿は、外から見ればどこか滑稽に見えるだろう。各々のベストポジションを確保し、自分をいかに良く映しこめるか、写真一枚がまるで戦いの様だ。だけど私もそのうちの一人であり、彼女たちを馬鹿にすることなんてできない。それがどこか悔しくもある。


 バーーン


 「あ、始まった?」


 「いや、まだ6時半だし、試しうちじゃない?」


 人も一層多くなってきたところで、流れに沿うように港に向かい始めた。駅から続く道には赤ちょうちんが浮かんでいる。普段はさびれた漁港市場なのに、今日だけは多くの人で賑わっている。


 「見えてきた!何か食べる?」

 「私かき氷食べたい。優希は?」

 「私もかき氷かな。」


 角を曲がり、普段は車が行きかう道路には屋台が両脇に並んでいる。そこからかき氷と書かれた屋台を探すのにそう時間はかからなかった。イチゴ、レモン、みぞれ、メロン。各々違う味を頼み食べ合いっこをする。来年からはきっとこんなこともできなくなる。

 高校の2/3は県外へ出ていくのが決まっている。ここにいる私以外の3人も、それぞれ志望する場所は県外だ。寂しさか、虚しさか、それとも嫉妬か……いずれにせよ優希はここへ取り残されていた。



 「……き、優希!ねえ!!」

 「へっ?!ごめん、ぼーっとしてた。」

 「んもう!あそこ、見て!佐々木君じゃない?」



 ミユが指さす先を見ると、クラスメイトの佐々木君がいた。すぐ人込みに消えてしまったが、間違いなく佐々木君だった。



 「そういえば、今日佐々木君、2年の女子に呼び出されてたらしいよ。」

 「あ、それ聞いた!絶対告白だよね。」


 胸がズキンっと痛んだ。


 「……優希、あんたそれでいいの?」

 「へ?何が?」

 「佐々木君、東京に行くって話だよ。2年になに先越されてんの!」


 もやもやする。もしそれが告白だったんなら、佐々木君はなんて返事したのだろうか。私は同じクラスってことに満足して、何もできなかったのに、その女の子は告白をした。


 私は自分のことを何も決断できていないことにようやく気付いた。今も昔もそうだ。取り残されていると感じた原因はここにあったんだ。


 2年生の時、文化祭で佐々木君は文化祭委員の私に声をかけてくれた。委員の仕事なのに威張るでもなく手伝ってくれた。きっと私でなくても手伝っていただろう。そういうところに惹かれた。


 「今日のあんたは可愛いよ!せっかく会えるんだし、声ぐらいかけてきたら?」


 ミユが背中をポンと押す。他の二人もがんばれって送り出してくれる。


 「ちょっと行ってくる!すぐ戻るから!」


 私は佐々木君がいた方向へ走っていく。人が多いので一度見失ったらもう一度探し出すのは不可能なんじゃないかって今更思ったが、後戻りはできない。

 気づけば屋台の通りから少し外れて、そこには漁港らしく船が並ぶ波止場まで来ていた。こんなところにいるわけがないと引き返そうとしたとき、探していた彼がいた。佐々木君だ。だけど隣には知らない浴衣姿の女の子。


 とっさに物陰に隠れる。すぐそばには船。下を見れば真っ黒な海。早く戻りたいけど、佐々木君と女の子が話しているので出ように出れない。そして二人の会話を盗み聞きする形になってしまった。


 「こんなところまで来てもらってごめんなさい。今日の返事聞きたくて」

 「いいよ。それで返事なんだけど……」

 「うん」


 ミユたちが言っていた2年生ってあの子だったのか。でも何で祭りで返事聞くんだ。

 ……いや、賢いかもしれない。普段と違う着飾った自分を見せたい。浴衣姿ならなおのこと。花火、祭り、浴衣……振られても付き合えても最高のシチュエーション、きっと2人にとって忘れられない思い出になるんだろう。

 


 プルルルル


 「ギャッ!」


 2人のやり取りに集中しているとマナーモードにするのを忘れていた私のスマホがタイミング悪く鳴り響く。相手は予想通りミユだ。


 「も、もしもし……」

 「ちょっと!どこにいるの?!あまりにも帰ってこないから心配したじゃん!」

 「ごめん。ちょっと事情がありまして、今端っこの波止場にいる。」

 「迎えに行くからそこで待ってなさい!」


 ものすごい勢いで電話を切られた。私はそんなミユよりも、今ので佐々木君たちに気づかれたという恐怖が勝っていた。恐る恐る振り返ると、佐々木君と目が合った。


 「え、藤原?!」

 「ご、ごめんなさい!盗み聞きするつもりじゃなかったんだけど……」


 ちらっと女の子を見れば顔を真っ赤にして、少し悔しそうな顔をしていた。邪魔をしてしまった。


 こちらに向かってくる佐々木君に対して、止めようと立ち上がったが、ずっとしゃがんでいたせいで足がしびれていた。そして、次の瞬間、慣れない下駄のせいでもあるだろう、バランスが崩れた。


 「危ない!」


 佐々木君が手を伸ばすが私までは届かない。


 ---------落ちる。


 そう思った。

 少し離れたところでは2年生の女の子の悲鳴も聞こえる。

 

 --------ああ、私、落ちるんだ。


 そして真っ黒な海に優希の体は飲み込まれた。


 

 好きだった佐々木君の目の前で、盗み聞きした挙句、死ぬのか。


 「助けて……」


 必死に手を伸ばすが何もつかめない。怖い、怖い。水が体に纏わりついて息もできない苦しい。

 

 お母さん、お父さん、ごめんね。

 優斗……は私より良くできる弟だから、心配ないか。


 あぁもうだめだ。

 意識が遠のく中、一筋の光が見える。

 刹那、手をつかまれた。誰かが助けにきてくれたのか、海から解放されたのはその直後だった。



 「ゴホッ……ウッ。」


 体が宙に浮いている。誰かに抱きかかえられているのだろうか。

 佐々木君なのか?

 朦朧とする中顔を見上げるが、月の光が逆光となって見えない。

 


 「よかった、まだ息があるね。」


 聞いたことのない声。誰だろう。

 考えたかったが、もう頭が回らない。

 

 私はそのまま知らない人の腕の中で、目を閉じた。

 かすかに波の音が聞こえていた。


 


 




 

 

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