授業をさぼる

明日朝

授業をさぼる

学校の授業はなんだか退屈で、けれど疎かにしてしまえばきっと後悔するものだ。

だから私は渋々学校に通っているのだけど、学校生活というものは本当に面倒なことが多い。


「宮野は、将来どうなりたいんだ」


 担任である上山先生の問いに、私はすぐには答えられなかった。

 視線を右へ左へと迷わせて、口ごもる。口を開いたり閉じたり、挙動不審な動作を何度か繰り返した後、私は狼狽えまくった声で答えた。


「わ、わかりません……」


 考えた末に出てきた答えは曖昧で、とてもつまらないものだった。


「……そうか」

 先生は呟くように言い、長いため息を吐いた。手元の書類を簡単に片付け、席を立つ上山先生。その後ろ姿を見送って、私はやらかしてしまった、と自身の発言を悔いた。

 恐らく、いやきっと、つまらない生徒だと思われた。

 私は心臓をどぎまぎとさせ、暫し頭の中で轟々と自分を非難した。



 小学生の間は、自分の将来をそれなりに期待していた方だと思う。

 ピアノを習っていたから、漠然と音楽関係の仕事に就きたいなんて、そんなことを宣っていた頃が遠い過去のようだ。

 しかし、淡く描かれたその夢は、中学を経て高校に上がった段階であっという間に消し去れてしまった。まあ、よく言う挫折というやつだ。自分が向いていないと道半ばで悟り、現実の厳しさに直面した結果、私はあっさり音楽から離れる手はずとなった。

 

 そうして現在十七歳、私は特に夢も将来の設計図もないまま、こうして惰性に満ちた毎日を送っている。


「宮野、どうしたん」


 賑やかな教室に立ち戻り、自分の席によろよろ座り込んだ私。すると隣の席の浅野君が、私の顔を覗き込むようにして声をかけてきた。

 

 浅野君は、中学二年生の時に転校してきた、六人姉弟の長男だ。焦げた色の短髪に、アーモンドみたいに吊り上がった目。大柄な体格に日焼けした肌はスポーツ少年を彷彿とさせるけれど、実は大の運動嫌いで、勤勉家な男子生徒だ。

 転校当初から何かと目立ってきた人気者で、かつ真面目な浅野君。

 そんなクラスの中心人物を横目に、私はがくりと項垂れる。


「ああ、私ってホント駄目な生徒だ……」

「なんだよ、そんなこの世の終わりみたいな顔して、何かあった?」

「進路相談」

「ああ……」


 机に突っ伏し、私が覇気の無い声で返す。

 すると浅野君は悟ったような顔で頷いた。


「そういや、そんな時期だったな」

「そう、私、なーんも考えてないって言ったの。そしたら先生、哀れな生き物を見る

目つきで見てきてさ、極めつけには深ーいため息よ……」

「将来、かあ。俺もぼんやりとしか考えてないや」


 浅野君が同情するような口調で呟く。

 ちらりと視線を向ければ、浅野君は肘をつき、ぼんやりと窓のほうを見ていた。


「浅野君は、将来何になりたいの」

「うーん、そうさね、秘密かな」

「なによう、ぼんやりとか言って、ちゃんと将来設計してるんじゃん」

「いや、そこまでしっかりしてないって。……ただ、ちょっと迷ってるところがあるんだ」

「迷ってるって、何に?」


 浅野君といえば、決断が早い性格で有名だ。何かするとしたら、すぐ目標を立てて速やかに実行する。いわゆる、即決即断のできるタイプ。


「まあ、俺も色々あるんだよ、事情がさ」

「それって、自分でなんとかできるやつ?」

「いや、自力じゃなかなか難しいやつ」


 浅野君は日焼けした頬をかいて、照れくさそうにへへ、と笑う。どこにも照れる要素なんてないのに、なんで顔を赤くしているんだろう。

 ……と、そうやってうだうだと話を続けている間に、キンコーンなんて、空気の読めないチャイムが割って入る。


「はーあ、どうすりゃいいかなあ」

 放心とはまさにこういうことを言うんだろう。筆箱からシャーペンを掴み取り、指先でクルクルと回しながら天井を仰ぐ。

 先生がガラガラと戸を開ける音が、まるで窓の外から響き渡るように遠く聞こえた。



 昼休憩まで、予習と復習の繰り返し。脆弱な私の脳は、三時間目を過ぎた辺りで容量オーバーとなった。

 かくして、ようやく漕ぎつけた昼休み。私が母手作りの弁当をつついていると、どういうわけか、またもや浅野君が声をかけてきた。


「宮野、今ヒマ?」

「ヒマも何も、食事中なんだけど」

「なるほど。じゃ、ちょっと屋上までご同行を」


 浅野君は一方的に言い纏め、私の腕をぐいと引っ張る。

 危うく弁当をひっくり返しなりながら、私はわたわた席を立った。

 クラスメイトの好奇な視線が向けられるなか、私は半ば引きずられるようにして教室を離れる。


「浅野君、屋上で弁当って、今時ダサいよ」

「空気の良いところで食うのもたまにはいいだろ」

「けどさあ」

「異論は認めん」


 つくづく勝手な人だな、なんて困り顔で私はずりずり、階段を上がる。

 屋上の扉まであと数段、浅野君は駆け上がるようにして扉の前に立つ。と、力いっぱい扉を押しあけようとする。……が、残念なことに、扉は開かない。

 それも当然だ。屋上は普段、施錠されている。


「……屋上で弁当といえば、青春ドラマの定番だろ」

「まあ、ドラマの世界での話だし」

 現実ってシビアよね、と他人事みたく思う。私は屋上前の階段に座り、食べかけの弁当を広げた。


 浅野君はしばらく傷心中みたいな顔をしていたが、何度か押したり引いたりした後、ようやく諦めたらしい。細々とした溜息を吐きながら、私の隣に腰を下ろした。


「浅野君、そんなに屋上に行きたかったの?」

「一度、やってみたかったんだよ。憧れというか、なんというか」

「夢、叶わなかったねえ」

 たこさんウィンナーを頬張りながら、私がにまあ、とほくそ笑む。浅野君は学食といえば定番の、焼きそばパンをがじがじとかじっていた。


「高校生活の夢、いくつかあったんだけどさ、思えばどれも叶わなかったかな」

「へえ、例えばどんなの?」

「購買の全商品を買い占めて、記念写真を撮る、とか」

「はは、くっだらないねえ」

 思ったことをそのまま口にすれば、浅野君はそうだよな、と言わんばかりに声を上げて笑った。


「宮野だって、何かしらありそうだけど」

「え、高校に上がってやりたかったこと? そんなに大したことでもないよ。友達を二十人は作りたいとか、帰り道にスタバに寄ってみたいとか、そういうことしか考えてなかった」

「別にいいじゃんか。夢って大なり小なり、種類があるもんだろ」

「そりゃあそうだけどさ」


 思わず口をへの字にしてしまう。浅野君と話していると、なんだか悩んでいることが有耶無耶になるような、あるいは小さくなっていくような、不思議な感覚になる。


「はは……実を言うとさ、俺、高校卒業したら、実家の仕事継ぐかもしれないんだ」


 唐突の告白だった。私がむむむ、と考えこんでいると、浅野君の声のトーンが一変した。うつむぎがちに呟く、ぼそぼそとした声。


 私は聞き間違いかと思って顔を上げるが、そういう類じゃない。

 見上げた先にある浅野君の表情は、ほんのりと憂いを帯びた、真剣そのものの横顔。


「本当は、大学に行って保育士目指したかったんだけど、家、結構厳しいみたいなんだ。姉弟も五人いるし、家計もギリギリでさ、おまけに父親が腰悪くして、仕事、手伝わなきゃいけない」

「それはその……大変、だね」


 確か、浅野君のお父さんは喫茶店を経営していると訊いていた。郊外から越してきた後、色々と苦労して開いたお店だとか。


「じゃあ、浅野君は将来、喫茶店の店長に?」

「まだ予定だけどな。でもどちらにせよ、大学進学は難しいかな」


 浅野君がへらりと笑う。けれど、いつもの快活な笑顔ではなく、涙を呑んだような、無理やり繕った笑顔だ。


「宮野は、まだ自由にやれると思うんだ。夢を縛るものも、それに対する圧力もなさそうだし。……だから、自分の本当にやりたいことをやったほうがいいよ、自由なうちにさ」

「自分のやりたいこと……」


 なんだか、胸の辺りがピリピリしてくる。緊張や不安とかじゃない。なんて言えばいいのか、胸が締め付けられるような、息苦しい感覚。


「宮野君、その……」

 こういう時、果たしてなんて言葉をかければいいのか、最善の答えが見つからない。けれど、このまま黙っていられるわけもなく、私は途切れ途切れに言葉を紡ごうとする。

 

 だが、ここぞというタイミングで悲しきかな、チャイムの音が再び私たちの間に割って入ってくる。

 どうか空気を読んでくれ、と思う一方、それが授業開始の合図であることにも同時に気付く。


「あ、ああぁ……遅刻確定だぁ」

「そういや宮野、まだ遅刻したことないんだっけ」

「危なかったことはあるけど、ほぼ定時だった。……不敗神話がここで崩れたかぁー」


 思えば皆勤賞も、高校で掲げていた目標だった。

 肩を落とす私の隣で、浅野君は未だもごもごと焼きそばパンを食べている。


「宮野、今からだったらまだ、言い訳して戻れるかもよ」

「浅野君は、どうするの」

「まだ食事中だから、思い切ってサボろうかなと」


 口をもごもごさせながら、浅野君が平然と言う。

 私はそんな彼の横顔を眺め、膝に置いていた弁当に視線を向ける。


 頭の中では色んな考えがぐるぐる巡っていた。

 浅野君を一人おいて帰るのはどうか。でも遅刻するのはまずい。けど弁当がまだ残ってるし。どのみち、今からじゃ間に合いそうにないし。


「宮野? 顔がおっかないぞ」


 アーモンドっぽい目を瞬かせ、浅野君が小首を傾げる。

 私は黙ったまま考え込んで三十秒、悩んだ末に決断する。


「それなら、私も一緒にサボるよ」

「え、まじで」


 浅野君が目を見開く。

 よほど意外だったのか、はっきりした目鼻立ちは驚きで固まっていた。


「マジよ、マジ。弁当もまだ半分以上残ってるし、一度くらいなら許してもらえるでしょ」

「わ、見事な開き直り」

「ついでに放課後辺り、浅野君の喫茶店にお邪魔しよっかな」


 冗談半分、私が弁当のプチトマトを口に運ぶ。それまで暗かった浅野君の表情は、いつの間にか緊張の糸が解けたように和らいでいた。


「……宮野って、規則とかに忠実そうな感じしてたけど、案外そうでもないんだな」

「え、そう見える? なんか心外」

「褒めてるんだよ。ルール通りに行動するって、意外と難しかったりするし」

「ええー、真面目な浅野君に言われてもピンとこないよ」


 二個目のプチトマトに手を伸ばしながら、ちらりと浅野君の顔色を窺う。浅野君はどこか嬉しそうな顔だ。


「……けど、正直そう言ってくれて助かるよ。うちの喫茶店、あんま売り上げが良くないから」

「あ、そうなの? だったら毎日通うよ。なんなら同級生の子たちとか、部活の先輩

とか沢山誘ってさ、売り上げに貢献しちゃう」

「そうしてくれると、まじで助かる」


 箸を仕舞い、私は空になった弁当箱をいそいそと片付ける。浅野君は、どこかほっとした面持ちだ。


 私は丸まっていた背中を反らせ、大きく伸びをする。


「……うん、そうだね。私もじっくり腰を据えて、これからのことを考えてみようと思う。……それこそ、悔いが残らないように」

 浅野君のおかげなのか、案外そうでもないのか、はっきりとはわからない。

 けれど、心の中でもやもやとしていた違和感は、ほんのひと匙程度、解消されたように思えた。

 

 将来のことは、今はまだ分からない。予測しようとしてもできるものでもない。なんなら浅野君みたいに、自分じゃどうしようもない状況に囲われてしまのかもしれない。


……だから、今自分にできる範囲で考えるしかないんだ。まだ選択肢があるという幸せを噛み締めながら。


 そうして弁当を食べ終えた浅野君と私は、後でこってり上山先生から叱られてしまうのである。


――帰りに立ち寄った浅野君の家のコーヒーは、ほろ苦い、大人の味だった。 

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