一九九五年のさまよえる少女と謎のお姉さん
ぱらでぃん
それは、五月のことだった
うらぶれたゲームセンターで
家に帰りたくない。
家族の仲が悪いわけではない。おかしな隣人に悩まされているわけでもない。
共働きの両親にわたし、地方都市の住宅地にマンション住まい。
よくある核家族。
父親は母親のパートが忙しい時や、自分が休みの日には家事をこなす。そんな日の料理の味はいつもと少し違うけれど、母は結婚前を思い出すと懐かしがるしわたしも嫌いではない。
そんなわけで、両親の仲は暑苦しいほど良くはないけど、悪くもない。
わたし自身も中学受験で中高一貫校へ入り、成績は平均より少し上くらい。惜しかったね、もう少し頑張れ、みたいな言葉は掛けられるけど、怒られるほどではない。
もちろん、生活態度も。中高一貫では、人間関係が六年もの間ほぼ固定される。
中学卒業で過去を清算し、高校でやり直すことはできない。
だから、極端にはめを外す子は稀にしかいない。
さらにわたしの人間関係は校内の友達で占められ、恋人もなし、もちろん近頃問題の大人とのお金を伴った交際もない。
ややつり目がちできつそうだと言われるのはちょっと気になる。
外見で変な印象を持たれるのは困るから。
一番目立つのはぱっと見てもわかるくらい色素が薄い栗毛であることくらいだけど、肩までのシンプルなロングにしているので、そこまで人の目を引くことはないはず。
わたしは、幸運と自らの努力によって作り出されたこの状況に満足している。
特に褒められることも怒られることもなく、単調で平穏な毎日。
だけど、家に帰りたくない。
そこにはなんとなく閉塞した雰囲気、息苦しさのようなものを感じる。しかし、親や先生には相談するのは避けたい。わたしが何らかの問題を抱えていると判断されれば、平穏は脅かされる。よくない。
あまり物事を抱え込みたくないから部活には所属しておらず、同じ帰宅部の友達に誘われれば、駅ビルにある店やファストフードで時間を潰して家に帰る。
親から特に咎められることはない。
中学生にもなれば、それくらいの友達づきあいは当然のことだと考えているらしい。
ただしあまり遅くならないこと、お小遣いを無駄遣いしないことなどについて、たまに釘を刺される。
他には、学校の近くにある図書館。ここはお金も必要ないし、本を読むことも宿題を進めることもできる。正直なところ、友達につきあうより楽だと感じる日もある。
もちろん、友達づきあいも適度にこなしつつ。平穏は維持する努力が必要である、特に人間関係は。
そんな風に、わたしは家に帰りたくないようになった数ヶ月をやりすごしてきた。
ただ、その日はちょっと事情が違った。
試験期間が近づく教室は誰かが帰りに遊んで行こうと提案するような雰囲気ではなかったので、わたしは授業が終わると早々に図書館へ向かった。
周辺の人通りはいつもより少なく、駐車場にも車がない。
『整理のため本日は休館です』そう書かれたプレートが閉ざされたドアのガラス越しにかかっている。
うかつだった。
館内にいくつかある掲示板にはカレンダーを貼っていて、それを覚えていたはずなのに。
「仕方ないか」
呟き、きびすを返す。閉まってるなら仕方ない。
友達はわたしが図書館へ向かっている間に来たバスでもう帰っただろうけど、ひとりでも駅前をぶらつけば何時間かは潰せる。
そんなことを考えながら学校前のバス停へ戻るが、時刻表を確かめるとあと二十分くらい待たされることになっていた。
そうなると、待ってる時間を使って移動した方がいい。
急ぐわけではないし次のバスより遅くなるかもしれないけど、ただ待っているより近くの商店街を通って駅まで出た方が暇つぶしになる。
そこには夕食の材料や惣菜を売る声が響き、揚げ物を揚げる油や煮物の匂いが漂ってきている。この辺りはわたしが通うところも含めて学校が多く、大学もいくつかあるから学生街としても賑わっていて、うちの学校も寮生の子たちはだいたいここで買い物をしている。
その子たちが話題にしていたことがある惣菜屋さんを見つけたので、牛肉コロッケを買う。油がにじむ紙に包んでもらいひとつ七十円。揚げたての衣がいい音を立てみずみずしい脂が口の中に広がる。そのおいしさは百三十円のハンバーガーより経済的だと感じるけど、寮生の子たちに言わせればなんか田舎臭くて嫌らしい。
駅前のファストフードに行くことが彼女たちの間ではささやかなお洒落だと聞くと、環境が文化を作るのだと感じる。
総菜屋さんの前でコロッケを食べながらいつもはバスで通り過ぎるだけの周囲を観察していると、確かに寮生の子たちが田舎臭いというのはなんとなく理解できる。
都市部から外れているここが農村から住宅地になるまでに建った個人経営のスーパーや食料品店に電器店、対象年齢が高めの衣料品店、仏具屋、文房具店などが並び、その間に学生目当ての定食屋や居酒屋、古本屋が軒を連ねる。
通りの向こうにあるコンビニが場違いなくらいの商店街。
総菜屋さんのおばさんはわたしが着るモスグリーンのセーラー服を見て愛想よく応対してくれたけど、ここは確かに中高生向けじゃない。
何か老けているというか、わたしたちの年頃がテレビや雑誌で触れているものと接触できない。
コロッケを食べ終わって包み紙を畳んでいたら、おばさんが捨てておくからと声をかけてくれた。
ありがたく渡しながらも感じたのは、こういうところがたぶん中高生の望む生活環境とずれていること。
場違いな原色の装飾に飾られたコンビニの前を通り過ぎてしばらくすると、駅前でも耳にする電子音が響いてきた。
ゲームセンター。
だが、駅前にあるようにキラキラした外見の入り口にクレーンゲームやメダルゲームを並べているような店ではない。
両開きの引き戸が開け放たれたその先にあるのは、わたしがわかる範囲で格闘ゲームが何台かとテーブルに画面がはまってるタイプの麻雀やパズル。
他はよくわからないが、いろいろある。入り口の近くにはパンチ力測定のゲームがあり、大学生らしい集団が笑いながら遊んでいる。
駅前のゲームセンターだと一番いい場所にあるクレーンゲームは、ここだと店の奥に一台あるだけだった。
店内のゲーム機には何人か大学生らしい人たちが張りついている。何人かはタバコを吸いながらで、ただでさえ薄暗い蛍光灯の照明を曇らせていた。
腕時計を見ると、まだ四時ちょっと前。小銭はあるし、テトリスくらいなら父親が持ってるゲーム機でやったことがある。
わたしは意を決してその異空間に足を踏み入れた。店内で人が動いた気配を感じる。中学生が珍しいのだろうか。
店の奥にあるカウンタでは、少し寂しくなってきた髪を七三分けにしてポロシャツを着た店長らしきおじさんがこれまたタバコを吸いながら漫画雑誌を読みつつ、一瞬視線を外してこちらを窺ってきた。
その後ろでは小さな換気扇が回っているが、煙を外に吸いだしている様子は全然ない。
テトリスを見つけて財布から百円玉を取り出しコインの投入口を見ると、二十円だった。安い。さっきのコロッケのおつりでゲームができる。
十円玉を二枚入れると、タイトル画面に変わり、ゲームが始まる。だけど、うまく動かせない。いつも使ってるコントローラじゃないからか。
ジョイスティックというらしいこれは、動かしづらい。
数段がすかすかのまま上にブロックが溜まりはじめたので、慣れることに専念して少しでももたせるようにする。
二十円だって入れたお金は惜しい。
少しでも長く遊びたい。
なんとかさばきながらも、画面がブロックで埋まる。
数分。といったところだった。
けれど、動かし方はなんとなくわかってきた。財布の中にはまだ何枚か十円玉があったので、それを使ってもう一度。
今度は割とうまくいった。ぎこちない部分はあるけど置きたい場所にブロックを置ける。だんだんブロックが落ちてくるスピードが上がる。
これは家でやって慣れている。
暇があればテトリスをやってる父ほどではないけど、わたしだってまあまあやれる。あとは、操作さえできれば対応できる。
そして、また画面がブロックで埋まる。
時計で確認すると、今度は十分くらいは粘れたみたいだった。
「ふうん。やるじゃん」
不意に背後から声がかかる。気が抜けているけど、底の方に鋭さを感じる声。
椅子の上で体を回してみると、壁際に置いてある灰皿の横でタバコを吸いながら大学生くらいの女の人が壁にもたれかかり気だるげにこちらを見ていた。
丸顔のせいか結構童顔なのに、何かに疲れたような眠たげな瞳がアンバランス。そんな顔に前髪を眉のところで切りそろえたぼさぼさの長い黒髪が乗っている。
服装もちょっと袖口が、いや全体がよれているカーキ色のカットソーにジーンズを穿いてるのに、靴だけ女子高生が履くようなローファーなのもずれてる。
ひとつひとつは特になんともないのに、全体を見てしまうとずれた人だと感じる。
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