4. 完全人間

「おい、ネープ……」

 足を引きずりながら戻ってきた人猫が言った。

「!」

 人猫の言葉がわかる! その声はやや甲高いが、大人びた男性の物言いだった。

「お前も見てたろ? 皇帝は死んじまったぜ。あるじがいなくなっちまったら、お前もお役御免だろ。とっとと引き揚げろよ」

 ネープと呼ばれた少年は人猫に向き直った。

「そうはいかない。お前たちが奪った種子を取り戻すのも、自分の使命だ」

「なるほど……だがその娘は関係ねえだろ。あらためて相手してやるから、その子は解放してやれよ」

「それも無理だ。むしろ彼女の問題を解決する方が優先だ。邪魔はするな」

 少年は槍を人猫に向けて言い放った。

「何の問題だ? この子をしょっぴこうってのか? ここは帝国領外だぜ。ネープだろうが元老だろうが、法典をたてに原住民を裁くことなんか出来ないはずだ!」

 原住民……黙って聞いていると、自分が未開の僻地に住む遅れた人種扱いされているような気がする。

「ちょっと待ってよ……」

 どうにか落ち着きを取り戻した空里は、二人の議論に割って入った。

「何の話かわからないけど、友達がさっき爆発したところにいたの。どうなったのか確かめに行きたいんだけど……いいでしょ?」

「ああ、いいともさ。あんたは自由だ。好きにこの星を歩き回る権利がある」

 先に応えたのは人猫だった。

「あんたは自由だ。誰にも邪魔はさせないぜ。俺がついてる……」

 そう言うと、人猫は空里に近づき……

 そのままどうと空里の足元に倒れ込んだ。

「ちょっと!」

 忘れていた。人猫は手傷を負っていたのだ。

「大変、手当てしなくちゃ!」

「それが、あなたの望みですか?」

 少年……ネープが空里に問いかけた。

 何を言ってるのだろう? 私の望みだったらかなえてくれると言うのかしら? 空里はそうであって欲しいと念じながら、語気強く返答した。

「そうよ! お願い、この子の手当てを手伝って」

 ネープの身体が、ガチャリと音を立てた。

 見ると、少年は二本の足で立つ普通の人間の姿になっている。腰から後ろ、機械の馬の部分が分離したのだ。

 ネープは人猫を抱き抱えると、あたりを見回し、部室棟の方へ歩き出した。

 分離した機械の馬も勝手に着いてくる。その脚は馬の足というよりも、伸縮自在の触手に近い。歩く様はさながら金属製のクモかタコだ。

「これ……ロボットなの?」

 空里の問いにネープは答えた。

「キャリベックです。メタトルーパーの人造馬ですよ」

 敬語を使ってる……言葉の意味は全然わからなかったが、敬語は空里の不安感を多少やわらげた。


 人猫を抱えたまま、ネープは階段を昇って部室のドアをひとつひとつあらため、三つ目で中に足を踏み入れた。

「テニス部……」

 後に続いた空里は、少年の判断に感心した。テニス部は部費が一番潤沢で、部室の設備も極上なのだ。

 ソファに人猫を横たえると、ネープは冷蔵庫からペットボトルの水を取り出して、傷の周りを洗い出した。空里は救急箱を探そうとしたが、あっという間にネープに先を越された。まるで勝手知ったる人の家だ。

「何がどこにあるか、全部知ってるみたいね」

「簡単な観察と推測です」

「……完全人間には簡単な、だよな」

 人猫は意識を取り戻していた。

「完全人間……」

「そうだよ。完全人間で、皇帝のメタトルーパー……もっとも、皇帝を護るという一番大事なお役目に失敗したところを、さっき見ちまったけどな……うっ!」

 きつく包帯を巻かれて人猫はうめいた。

「助かる?」

「大した傷ではありません。倒れたのは体力の消耗と暑さのせいです」

 空里は「手伝って」と言ったが結局手当はネープが一人で済ませてしまった。

「どうして俺を助けるんだい?」

 人猫が空里に問いかけた。

「わかんない……わかんないけど、あんまりひどいことが起きすぎて……」

 ミマ……どうなっただろうか……

「少しでも、ひどくないようにしたかったのかも……ひどくないってどういうことかもわからないけど……何言ってるのかしらね、私」

「…………」

 人猫はただじっと空里の顔を見つめていた。

「俺は、シェンガだ」

 出し抜けに、自己紹介された。

「私は……アサト。遠藤空里」

「長い名前だな……」

 そういうと人猫は目を閉じた。

 空里はほうっと息をつき、自らも目を閉じた。

 どこからか、心地よい涼しい風が吹いてくる……あの子、ネープがエアコンをつけてくれたようだ。もうちょっとだけ、このまま休ませて……

 そしたら、ミマのところに行って……


 はっと気づくと、部室には西日が差し込んでいた。


 人猫……シェンガはまだ眠り続けているが、ネープの姿はどこにもない。

 空里は部室棟を出て、夕暮れ時の校庭に立った。


 誰もいない……


 あたりに残された破壊の跡を除けば、穏やかな夏の夕方だ。校門のあった場所に開いた大きな穴からは、まだうっすらと煙が立ち上っている。

 ミマや級友たちがどうなったか確かめたかったが、もうどうするにも時間が経ちすぎた……それに、あの穴をのぞいたら見たくないものを見ることになるような気がして怖い……


 どうしよう……このままうちに帰ろうか……

 家はどうなっただろうか? 母さん、父さんは? 

 急に寂寥感がこみ上げて、空里の視界が涙ににじんだ。


 何かの歌にあったように、涙がこぼれないよう天を振り仰ぐ……すると、校舎の屋上で人影が動いているのに気がついた。

 ネープだ。

 帰りたいけど、その前に誰かと話したい……それが異常な現れ方をした正体不明の少年でも……

 空里は無人の校舎の階段を昇り、少年の元へ向かった。


 屋上への入り口は普段しっかり施錠されているが、今その鉄製のドアは恐ろしい力で蝶番から引きちぎられ、外に倒れていた。

「あらあら……」

 ネープは空里の方をちらっと見て、すぐ手元の仕事に注意をもどした。一瞬、目があっただけでも、やっぱり息を呑むほどの美しさだ……

「何してるの?」

 美少年は傍の機械馬、キャリベックに繋がった道具を片付け始めた。

「状況を確認してました。あまり芳しくない……」

「そうなの……ねえ、一体この騒ぎは何? あなたたちはどこから来たの? さっき私の問題がどうとか言ってたけど、何の用があるの? わかるように説明してくれるとありがたいんだけど」

 ネープはちょっと考え、キャリベックをとんと叩いた。

 その機械は四本の触手で空里の背後へ歩いてくると、しゃがみ込むように本体を屋上の床に下ろした。

「かけてください、アサト」

 はじめて名前を呼ばれた……シェンガとのやりとりを聞いてたのか。

 男の子に下の名前呼ばれるの、何年ぶりだろう……自分でもおかしいほどしおらしい態度でキャリベックの本体に腰を下ろす。


 そして始まったネープの話は、そんな物思いとは裏腹に剣呑でとてつもないモノだった。


「あなたが殺した男は、銀河帝国皇帝ゼン=ゼン・ラ二〇四世だったのです。そして今、あなたがその皇位継承者として第一位の位置にいるのです」

「……ふうん」

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