3. 運命の矢
恐るべき火力でミマと生徒たち、そして人猫たちを葬り去った飛行物体……
その内部には、冷徹にその力を駆使する人間たちがいた。
彼らが蹂躙した者たちとあまりにもよく似た人間たちが。
そして、強い秩序のもと飛行物体を制御する彼らの中心には、その秩序の主である一人の男が座していた。
「今のところ……」
男が言った。
「我が軍は、法典にそむくような行いは何一つしていない……な?」
自分の背後に控える影にチラと視線を向け、皮肉な調子で続ける。
返事は期待していない。沈黙による肯定。それで男は満足した。
ちぢれた黒髪と同じ色の太い眉。その下に光る傲岸不遜な眼光は赤銅色をしている。たくましい四肢からは、まだ三十前という歳に不似合いな尊大さがにじんでいた。
その尊大さも、男の真の地位からすれば比較にならないおとなしさなのだが。
「奇妙な話ではないか? 帝国領外でも守らねばならぬ法典の定めがあるというのは。もっと派手にやらせてもらいたいものだ」
「この惑星の住人にしてみれば、今のままで我々は十分脅威でしょう。さっきの攻撃でも現地民が何人か吹き飛ばされたようだ」
背後の影が戦闘用マスクの奥から、変調されくぐもった声で言った。機能一辺倒の古風なデザインが、不気味で凶暴な表情を浮かべている。それに似合わぬ慎重な物言いに、男は笑みを浮かべた。
「ほう、そうかい」
男は立ち上がると、白いローブを翻して一段低いデッキに降り立った。
ハリアジサシ級スター・コルベットのブリッジは、正面のビュースクリーンに映し出された外の修羅場と関わりなく静かだった。白色光弾の攻撃で焼かれた眼下の広場は、まだ炎と煙をあげている。
その縁に、小さな毛むくじゃらの生き物と、ひょろっとした現地民が立っていた。
「あのミン・ガンが最後の一匹か」
「はい。センサーによれば、あれが例のモノを確保しているに違いありません」
男の問いに艇長席の士官が落ち着き払って答えた。
「よし、ちょうどドロメックも集まって来たようだ。クライマックスを見せてやろう。感力場シールドを張れ」
「どうする気です?」
マスクの主もデッキに降りてきた。
「叛徒を、余自らが成敗する。見ものだろう?」
「外に出る気ですか? 完断絶シールドを張られては?」
「それでは、ドロメックどもから余の姿がよく見えん。感力場は透明だからな」
士官の一人が男につばひろの兜のようなヘルメットとメカニカルな槍を渡した。男はヘルメットの面当てを取り外して自分の顔を晒すようにそれを被り、手すりに囲まれたデッキの一角に立った。
「よし、ハッチを開けてリフトを出せ」
デッキの天井が大きく開口し、強い日差しが差し込んできた。
「ネープ、お前はここにいろ」
後に続こうとするマスクに男は命じた。
それが彼らの最後の会話となった。
凄まじい熱気が校庭を覆っていた。
空里は、すぐにもミマの安否を確かめに飛んで行きたかったが、どうにも身動きがままならなかった。とにかく、何が起きているのかわからないという不安感が、金縛りのように体の自由を奪っているのだ。
校門のまわりを焼き払った蛾のような飛行物体は、炎と煙の中を泳ぎながらさらに高度を下げて来る。
遥か上空では、あの巨大な宇宙船のまわりで花火のような煙がポンポンと弾けていた。どうやら、自衛隊か何かの航空機が宇宙船と交戦しているようだ。
そのうちの一機が火花を散らし、きりもみ状態に陥ると、こちらに向かって落下して来た。
「!」
墜落機は、校庭の真上で何かに弾かれたようにコースを変え、近くのオフィスビルに激突した。鉄とガラスの混じった炎の雨が校庭に降り注いだが、これも地面に達することなくあたりに散っていった。どうやら目の前の飛行物体が、何か見えないバリアーのようなものを張っているらしい。
映画でしか見たことがない戦場のような光景に呆然としながら、空里は人猫が飛行物体に向かって何か叫んでいるのに気づいた。
見ると、飛行物体の上に人の姿があった。
金属製の腕に支えられたリフトに乗り、空里と人猫を睥睨している。白いマントのような装束を翻し、兜を被った色黒の若い男だ。
「テーレ、ミン・ガン、セレバテク」
大音量で野太い声が響いた。
まるで、校庭の周りに見えない巨大なスピーカーがいくつもあって、それが一斉に鳴ったかのようだ。だが、声の主は真正面のリフトに立つ男だということはすぐにわかった。
「ミン・ガン、バン、セレビュラ!」
人猫が何か言い返した。間違いなく両者は敵対関係にあるようだ。そして、人猫は圧倒的に不利な立場に追い詰められているのに違いない。
リフトの男はさらに高圧的な言葉を投げかけて来たが、人猫は言い返すのをやめると背負っていたバックパックから何かを取り出した。そして、はじめて空里の方を振り返り、まるで「あっちへ行け!」と言うように手を振って見せた。
その様子を見たリフトの男が……
笑った。
あざけりを含んだ不愉快な笑い声が、あたりから低く響いてきた。
飛行物体の下部ではあの恐ろしい光を放つ針が、ゆっくりとこちらを向いた。次は、自分たちが吹き飛ばされる……
空里の震える足元を、砂煙を巻き上げながら爆風の残滓がなぶった。
その風が、彼女の目の前に何かをポトリと落とした。
足をもぎ取られたバッタ……
まだ生きていて、不自由な体を引きずり再び飛び立とうともがいている……
それを見た、空里の身体が恐怖とないまぜになった何か熱いものに煽られて動き出した。
頭上から自分と人猫を見下ろすあの男は、この事態を引き起こした張本人に間違いない。
その狙いはまるでわからないが、学校や街を破壊し、ミマを吹き飛ばしたあいつ……
空里は自分が泣いていることに気づいた。そして、いつの間にか弓巻きをほどき、矢筒から矢を取り出していることに。
あたし、何してるんだろう……あんな強力な武器を持った奴に、こんなもので抵抗する気? 弓かけも着けず、練習試合も満足に勝てないような腕で……
だが、そうせずにはいられない。とにかく一矢。殺される前に一矢放ってやりたい。
しゃくなことに、男は矢をつがえる空里の方を見てもいなかった。彼の関心は人猫に集中しているようだ。その態度にますます空里は力を込め、弦を引き絞り、涙に霞む影に向かって……
放った。
空里の矢は不思議な軌跡を辿った。
最初の勢いはすぐに失せ、標的である男の遥か手前で落ちるかに見えた……が、炎と煙と熱とにあおられ、上昇気流に乗って高々と舞い上がり……見えない手にもてあそばれるようにクルクルと回転し……
次の瞬間突然、あらためて何ものかに与えられた力に勢いづいて大きく弧を描くと、矢は真下の白い影を目指して落下していった。
男は、空里の矢がかなり近づいて来るまでその存在に気づいていなかった。視界の隅にようやくそれをとらえて振り仰いだ時も、度重なる破壊によって舞い上がったゴミとしか思わなかった。自分を守っているはずの見えない壁が、そんな危険なモノを近寄せるはずがないという確信も、命取りになった。
だから、その矢じりが自分の眼窩を貫き、一瞬で脳のはたらきを止めた時ですら、男の顔にはなんの驚きも、苦悶の表情も浮かんでいなかった。
空里の矢は、男の顔を射抜いたのだ。
的中である。
そして一瞬、全てが止まった。
飛行物体も、メダマクラゲの群れも、その場にいた異形の機械たち全てが……遥か上空の巨大な船すら、沈黙した。
「ハッ!」
声をあげたのは人猫だった。
驚きに見える表情を浮かべて振り向くと、空里の顔と立ち尽くす男の姿を交互に見た。
リフト上の男がゆっくりと仰向けにくずおれた。
その直後、男の背後から何者かが中空に飛び出し、熱風渦巻く校庭に降り立った。
人間には見えない。
いや、一部は人間のようだ。鎧を着た人間の上半身が、槍のようなものを構え空里たちの方を向いた。
だが、その腹から下は金属製の馬だった。
まるで、ギリシア神話に出てくるケンタウロスをモデルに造られたロボットのようだ。
金属のケンタウロスがこちらに向かって歩いてくる。
「ネープ!」
人猫は低く叫ぶと、空里を守ろうとするかのように彼女の前に立った。
明らかに、先ほどリフトの男と対峙していた時とは違う緊張感を見せている。
ケンタウロスが槍の穂先を空里たちの方に向け、少しだけ横に振った。
それだけで人猫は大きく弾き飛ばされ、空里との間に邪魔者がなくなった。
さらに近づいて来たケンタウロスは、鳥の嘴のように尖ったバイザーを跳ね上げ、その下の異様なマスクを露わにした。
不気味な光を放つゴーグルの視線にすくみ上がった空里は、弓を握ったままその場にへたり込んだ。もはや矢をつがえ直すいとまも無い。
ケンタウロスは、空里の眼前に立ちはだかった。
今にもあの槍が自分の胸に突き立てられるのではないか……そう思った時、ケンタウロスは何か小さな光るものを取り出し、空里の顔に手を伸ばしてきた。
「!」
恐怖に思わず目を閉じた空里は耳に何かが触れるのを感じた。
「あなたがやったのか?」
かすれた声がたずねてきた。
目を開けると、声が続いた。
「私の言うことがわかるか?」
明らかに、目の前のケンタウロスが話しかけて来ているのだった。
反射的にうなずくと、声は再度たずねた。
「あなたが彼を殺したのか?」
槍の穂先が、飛行物体の方を指す。
「わたし……私が矢を……そう……うちました……うったと思います……」
支離滅裂な言葉だったが、答えにはなったようだった。
ケンタウロスは振り返り、近くに静止していたメダマクラゲの一つに向かって招くように手を振った。
目玉の機械がやってくると、ケンタウロスはヘルメットを脱いだ。
その下から、銀髪に包まれた後頭部が現れた。ロボットではない。
人間だ。
銀髪の主は、メダマクラゲに向かって語りかけた。
先ほどのマスク越しの声とは全く違う、若者の声……いや、子供の声だった。
「
その言葉に応えるかのごとく、頭上の飛行物体が大きく旋回し、校庭に砂塵を巻き上げながら急上昇を開始した。
メダマクラゲの群れは、バラバラに漂いはじめ、その内のいくつかは、空里たちの方へ降りて来た。が、銀髪のケンタウロスが払いのけるように手を振ると、その場を離れていずこともなく去って行った。
それ以外の機械は微動だにしない。
立ち上がった空里は、銀髪の主の背が自分より低いことに気づいた。
へたり込んでいたのでわからなかったのだ。
「あの……」
空里の声にケンタウロスが振り向いた。
「!」
銀髪が揺れ、青紫色の左目が空里の視線を受け止める。
見たこともない色の瞳……右の目は銀色の前髪に隠されているが、一つだけでもその目は忘れ難い印象を与える光を放っていた。
少年、なのだろう。声を聞いていなければ女の子にも見える。いや、声の低い少女が気を張ってしゃべっていたのかも……
歳のころ十二、三歳といったところか。性別も定かでないが、空里がこれまでテレビや写真でも見たことがないほど美しい子であることは間違いなかった。
その目に見つめられると、夏の日差しとも、校庭に渦巻く熱気とも違う熱さが空里の身体を包むようだった。
でも、どうしてそんな子が……
「ひとつ、聞いておく必要がある」
その態度に、空里は相手が男の子であることを確信した。
少年は言った。
「あなたは皇位を継承するか?」
「はあ?」
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