『時計の街』

吹井賢(ふくいけん)

『時計の街』



 その時計が止まったのは私が生まれる何十年も前、両親どころか顔も見たことがない曾祖母が生きている頃だったらしい。


 私の街の真ん中には大きな広場があって、その中央にはこれまた巨大な塔が立っていて、そこに時計はあった。私達はその針が刻む時間に見守られて生きていた。とは言っても、さっきも述べたように、私が物心ついた頃にはもう止まっていたのだけど。

 遥か昔の人が立てた――神様が作ったとも言われる時計塔。

 中を見たことはないけれど、聞くところによると、塔そのものが一つの機械になっているらしくて、針が動かなくなったことに大騒ぎした当時の人達は総出で直そうとしたのだが、結局、今も時計は止まったままだ。

 六時二十四分を指し示したまま、一向に動く気配はない。

 母が言うには「夕方の六時よ。おばあさんに聞いた話だけど」とのことで、まあ、私にとってはどうでもいいことだった。

 ちなみに大時計は完全に止まっているわけではなくて、秒針だけは今日も、今この瞬間もせっせと動き続けている。けれど、どれほど頂点を経由しても分針が動く様子はなく、それが少し、虚しさを感じさせる。

 ……でも、思えばそんなものなのかもしれない。

 私がどれほど一生懸命生きたとしても、きっと世界が変わることはなくて、今日と同じような日々が、明日も明後日も続いていく。

 学校を卒業したら働きに出て、多分、母と同じように二十歳過ぎには家庭に入って、子供を二、三人授かって、やがて老いて、土に還る。

 新しい世界を見る為に街の外に出る気概もなければ、そうしたいとも思わない。

 そこはかとない退屈さを感じながら、この当たり前の幸福は嫌いではなくて。

「……ところでアンタ、前に言ってた子とはどうなったの? ほら、あの髪を纏めた子。なんて言ったかしら。お母さん、ああいう子タイプだわ~。貰ってくれるといいのにねえ」

「うるさいなあ。大体、お母さんが好みかどうかは関係ないでしょ!?」

 お節介な言葉を投げ掛けてくる母親を手で追い払って、私は思案に耽るのを止め、玄関先の掃除を再開する。


 きっと私に孫ができても、曾孫が生まれても、あの時計は止まったままなのだ。

 不思議とそんな確信だけがあった。





 ―――ジリリリ、という喧しい音に目を覚ます。

 姉から貰った古めかしい目覚まし時計は、今日も熱心に仕事に従事している。分かったよ、との返答代わりに頭を叩いて音を止め、五分後にセットされてあるスマートフォンのアラームを先に切っておく。

 時刻は六時十分。今日は面接会場が遠いので、早起きしなければならなかった。

 シャワーを浴びて寝汗を流し、髪を乾かし、リクルートスーツに着替える。悪目立ちしないように気を付けて化粧をし、テレビを点けた。画面右上のデジタル時計は六時四十二分だと伝えてくる。

 余裕を持って、七時前には家を出たい。トーストを焼いて食べる暇はなさそうだ。コンビニによって、パンを買っていこう。

 昨日の内に用意しておいた鞄を持ち、予め考えておいた志望動機を思い出しながら家を出た。


 履きなれないヒールを鳴らして、駅前のコンビニに入る。眠そうな店員とは対照的に、店内放送は元気いっぱいに朝の挨拶をしてくる。「今週もあと三日、皆さん頑張りましょう」との激励を受け取りつつ、パンを買う。

 ただいま、七時ちょうどをお知らせします。そんな言葉を背に店を出た。

 駅のホームにはいつも通り、スーツ姿の人々がごった返していて、ご苦労なことだなあと他人事のように思いつつ、大学を卒業すればこの量産型社会人の一人になる事実に絶望する。

 永久就職の予定はない。そもそも彼氏がいない。

 主婦だって楽ではないと聞くが、実際のところはどうなのだろう? 毎日満員電車に揺られる必要がないだけで十分気楽だと思うけど、やっぱり、ご近所付き合いが大変だったりするのだろうか。

 と、そんなことを考えていると、駅員のアナウンスが鼓膜を揺らした。山手線の何処かで事故があったらしい。

 スマホで検索してみる。やっぱり飛び込み自殺だった。

 勘弁してよと独り言つと、同意の意味か、近くのサラリーマンの舌打ちが聞こえた。

 電車は何分遅れになるだろうか。バスで近くまで行けただろうか? 最悪、三駅先でタクシーに乗るしかない。三次面接まで行ったのだ、今更遅刻でお祈りだなんて冗談じゃない。


 ふと、夢の内容を思い出す。

 あのレンガ造りの時計の街のことを。

 こちらの街に溢れる時計は、どれもこれも、せっせと動き続けている。

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