社長、早くお逃げください!

宮比岩斗

第1話『オペレーター就任』

 世の中には理解されない仕事というものがある。


 詐欺、殺し、人身売買、ブローカーなど反社会的活動が多くの人が思い浮かべるだろう。それらは金儲けという目的があるため、ある層からはむしろ理解されやすいだろう。共感すらされるかもしれない。


 本当に理解されない仕事とは、始業三十分前に席につくとか、共用のコーヒーメーカーの手入れとか、花壇の水やりとか、パソコンに記録してあるデータの暗記とか、そういう生産性のないクソったれな仕事を指す。


 金を貰えたり、金で得難い評価を貰えたり、将来の自分への投資ならばまだしも、それで何を得られるわけでもない。得られるものは苦労と虚無ばかりだ。しかし、そんなどうでもいい仕事なのにそれは減るばかりか俺を追い込むように増えていく。


 今日も今日とて生産性の欠片もない仕事の真っ最中だ。


 うちの会社が、昨今の業績が上がったからという理由で新社屋を建てた。三十階建ての高層ビルだ。無論、我々への還元はない。つまり、このビルは我々の支払われない残業代で出来ていると考えて問題ないだろう。


 竣工し、機材搬入も大体終えて、あとは社員の引っ越しをするだけという状態でうちのボンクラ社長が「一人で新しいビルを満喫したい!」などと意味のわからなければ、意味すらない行為をやりたいと言い始めた。


 うちの社長は苦労を知らない人であった。大学の同級生で作った会社であった。社長自身は凡才極まりない愚物であったが、同級生が優秀なメンバーばかりであったため、急成長を果たす。社長が何故社長になったかといえば運が良いからという、神輿は軽い方が良いという理論を地で行くお飾り社長なのだ。


 社長が唐突に変なことを言い出すのは日常茶飯事なため、いつも平社員の誰かに世話をぶん投げられるのであるが、とうとう俺にお鉢が回ってきてしまった。


 俺がやったことは、ビルから人をある時間帯だけ追い出し、不審人物が入っても大丈夫なように遠隔からカメラを介してビルを監視することだった。


 ちなみに本日は休日であり、これは無給労働である。


 今日の仕事が終わったら辞表を書こう。そうしよう。


 監視カメラが社長の様子を映し出す。


 最上階の社長室で、一人ダンスしている姿が映し出された。くるくる、ぴょんぴょん、まるで幼稚園児のようなダンス。それを一人で見せられていると思うと、殊更辞表を叩きつける思いが強くなった。


 携帯電話が鳴る。


 ディスプレイに表示された電話番号は会社役員の一人。俺にこの仕事を投げてきたクソ野郎であった。


「あーはい、こちらオペレーター」


 辞める気しかないので受け答えもテキトーになる。


「……オペレーター? いや、いい。緊急事態だ」


「緊急事態? それは俺が対処しなきゃならんことですか?」


「ああ、そうだ。話が早くて助かる。ある筋から社長を殺すための殺し屋を送り込まれた。今まさにビルに侵入して社長を殺そうとしている。君が社長に指示を出して逃がしてくれ」


「何言ってんだアンタ」


「ああ、そうそう。車は既にに社屋の外に待機している。ヘリもチャーターするが、そちらは時間がかかると思ってくれ」


「警察呼べよ」


「警察ももちろん呼ぶさ。ただ、うちも大騒ぎしたくないから、"そういう人たち"を選出するのに時間がかかるんだよ。そうだな……ヘリも警察も今から三十分ほどかかると考えてくれ。それでは社長を任せたよ、オペレーターくん」


 言うだけ言って電話を切られる。


 監視カメラの映像を見る。玄誰も通る予定のない玄関フロアに男の姿が映っていた。中肉中背、スーツ姿で社員であると言い張れば通りそうな毒にも薬にもならぬ顔をしていた。だが、その手にはナイフが握り締められていた。殺す余裕なのか、何か他に理由があるのか、殺し屋の矜持なのか、銃ではなかった。姿を見られただけでアウトということはどうやらないらしい。


 辞める気満々ゆえ、社長がどうなろうと知ったことではない。


 だが、立つ鳥跡を濁さず。やれる限りやってみようではないか。

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