Ⅷ.それぞれの沙汰。そして……(4)
「私を牢屋から逃がした者は、内政府の人間が邪魔で邪魔でしかたがないらしい。ですが、城内や邸内で襲うには足が付きやすく、街中では目立ちすぎる。そこで、この城を利用し、呪いと称して船を沈めることにしたようです」
ポンペオは、ため息を吐きながら首を横に振った。
「まったく、私の主は慎重が過ぎて困ってしまいますね。関係者など襲って、果たして本人にどれほどの影響が出るというのか」
「だが、その慎重さゆえに、表立っては大事になっていない」
ジェラルドは、あごに手を添えた。
「魔の海域を訪れた船の大半は沈み、無事に帰ったとしても必ず死ぬ。その内の何人かは、その剣に掛ったのだろう?」
「その通りですね」
ポンペオが、自身の剣に目を走らせる。
「遅効性の毒だったのでは、と私たちは見ていたが」
「ジェラルド殿たちは、蘇った人々から貰った食べ物を飲食したせいだと疑っていたようですね。それも、もちろんあったのでしょうが。こちらの方が確実です」
ポンペオはポケットから、深い緑色の小瓶を取り出した。
「準備がいいことだ」
ジェラルドは、眉を寄せた。
小瓶自体、庶民では持てない代物だ。その中に、毒が入っている。ポンペオの脱獄を二年以上も黙秘していたことから考えても、アゴスティ家が一枚かんでいるのは、ほぼ間違いないだろう。
「だが、いくら腕の良い航海士といっても、一人で船を沈めるのは容易ではないだろう。交易では、数隻の船を連ねていくのが常だ。そういえば、先ほど城壁に上った時、海側で細い煙が立ち上っているのを見たが」
マティルデに、鏡の在り処を尋ねに行こうとした時のことだ。その時は、何の煙か分からなかったが。
「仕掛けるタイミングを見計らい、外の仲間に知らせていたな?」
思えば、砲撃が始まったのは、煙が立ち上った後のことだ。
ポンペオは再び、くくく、と笑った。
「その通り。まず、私が魔の海域へと誘い込みます。この時、操舵師が間抜けだと、勝手に座礁してしまって非常につまらない。無事に浅瀬を抜けた後、船員の人数が多い場合は、この城に導くんです。そうすると、がいこつが現れて暴れるでしょう?」
「なるほど。船員の数を目減りさせておいて、船の動きを鈍らせたところを砲撃するのか。となると、アデルモ殿が砲撃に対して打って出たのは誤算だった、ということだな。俺が言うのもなんだが、この状況でよく外に知らせたな、おまえ」
呆れるチェーザレに、ポンペオは小首を傾げた。
「さっきから言っているじゃないですか。主の回りくどさが、私には理解できません。人数が多ければ多いほど、私は楽しめるのに」
ポンペオは、中段に剣を構え直す。
「さあ、お話できることは、すべてお話しましたよ。もう、いいでしょう? そろそろ斬らせてくださいよ」
「斬られるつもりはないし、話は終わっていない。おまえには、ベネデッドの前で洗いざらい吐いてもらう」
「またですか? 私はもう、話すことなどな、い、と?」
目を見開いたポンペオが、がはっと息を吐く。彼の体を一本の剣が、背中から貫いていた。
「すま、ないが。この男は、おれが、もらう」
ぜいぜいと荒い息を吐くヴァスコが、ポンペオの後ろに立っていた。斬られた腹からは血が
ポンペオは、どうにか後ろを見ようと体を捻ろうとするが、ぐうっと声を出すだけに留まった。今度はジェラルドに目を向けると、彼に目掛けて剣を投げる。だが、ジェラルドどころか、彼の前にいるチェーザレにさえも届くことなく床へと落ちた。
「ちく、しょお。斬りた。目の、前に、獲物が、いる」
「まったく。ここまで来ると、理解しがたいな」
チェーザレは、ポンペオに近寄る。ポンペオはチェーザレの剣を奪おうと手を伸ばすが、うううと唸っただけで、力なく手を下ろした。
「剣。剣を」
尚も呻くように言うポンペオを無視して、チェーザレは柄を握ったままのヴァスコの手に自身の手を添える。
「よくやった。もう充分だ。この殺人鬼は、内臓をやられてる。もう長くない」
ヴァスコは、のろのろとチェーザレを見上げた。その顔は血の気が引き、真っ白だった。
「俺の友は、無事だ。おまえのおかげだ。ありがとう」
チェーザレが礼を言うと、ヴァスコの目から涙が
「そうか。無事か。今度は、失わずに、済んだ、のか」
「ああ。だからもう、ゆっくり休め」
優しい声音でチェーザレが言うと、ヴァスコの手から力が抜けた。後ろに倒れる彼の体を、チェーザレが受け止める。同時に、ポンペオが崩れ落ちた。先に腹を貫いた剣先が床に当たり、ポンペオの体は横倒しに転がる。
チェーザレはヴァスコの体を床に横たわらせると、彼のまぶたをそっと閉じさせる。ヴァスコの口元は、笑っていた。
「あのう。私は、どちらを診ればよろしいので?」
裏口から、遠慮がちに声が掛る。ジェラルドが振り返ると、白いひげを生やした男が顔だけ覗かせていた。チェーザレが呼びにいった船医だろう。今まで入るに入れず、隠れていたようだ。
「おまえに診てもらいたいのは、この二人じゃない。上の階にいるんだが」
「ぼくが案内しますっ」
チェーザレの言葉を遮ったのは、ヤコポと共に逃げたはずのマヌエルだった。城内へと続く出入口に立った彼は、青い顔をしていた。
「ぼくたちじゃ、どうしようもなくて。お願いです。トビオを助けてくださいっ」
「え? あ、ああ」
船医はチェーザレを気にしながらも、マヌエルに付いて走っていった。
「トビオ、か。随分と仲良くなったものだな」
後頭部をかいたチェーザレは、剣を収めるとジェラルドに向き直った。
「まあ、ジェラルドが無事で良かったよ。久々に、肝が冷えたけどな。短剣も抜いていないようだし」
言われて、ジェラルドはチェーザレから預かった短剣を見下ろした。
「ヴァスコ殿が、抜くな、と言ったのだ」
「そうか」
チェーザレは、ジェラルドの肩に手を置いた。
「ヴァスコ殿には、感謝しないといけないな」
「ああ。そうだな」
「アデルモは、悲しむだろうな」
ジェラルドは、殺人鬼のことを彼に言わぬよう懇願するアデルモの姿を思い出した。
「ああ。そうだな」
チェーザレは、ジェラルドを抱きしめた。
「本当に、無事で良かった」
ジェラルドの脳裏に、ヴァスコの言葉が蘇る。ジェラルドが死ねば、チェーザレがヴァスコと同じようになると彼は言っていたのだ。
「ああ。そうだな」
ジェラルドは、まぶたを閉じて祈った。
トビオが無事でありますように。アデルモが無事に帰還しますように。ヤコポが、マヌエルが、みんなが悲しい思いをせずに済みますように。
チェーザレが、ジェラルドのために悲しい結末を迎えることがありませんように。
***
ジェラルドとチェーザレは、合流したクリストハルトとヤコポと共に、南東の城壁塔の三層に上った。城壁に比べて胸壁が低く、海の様子がよく見える代わりに、風がより強く吹き付けている。
「マヌエルはさ、アゴスティ家が治める土地の出なんだ。トビオ殿とは、幼馴染なんだって。でも、殺人鬼に身内が襲われて、家族が離散しちゃったみたいで」
床に座り込んだヤコポが、ぼそりと口にした。
「ある日、トビオがリストを手に入れたって言って、ぼくにも見せてくれた。ぼくは元々、内政府にいたから。この中に、知り合いはいないかって。驚いたよ。ジェラルドとエミリアーノの名前があるんだもん」
「私も、そのリストは見た。どこから手に入れたものだったんだ?」
「たしか、ヴァスコって言っていたかな。トビオ殿が拾われた先に、新しく入ってきたみたい。殺人鬼に恨みを持つと知れると、リストの写しを渡されたんだって。お頭に止められる前にって」
ジェラルドは、目を丸くした。
「まさか。トビオ殿も、アデルモ殿の仲間だったのか?」
「そうみたい。エミリアーノの船に潜り込めば、そのうち殺人鬼が現れると踏んでいたんだよ」
「そうか。アデルモ殿が気に掛ける前から、ヴァスコ殿は知っていたんだな」
後頭部をかきながら、チェーザレはため息を吐いた。
「アデルモ殿も、しっぽが無いかと城下まで探しに来ていた。俺たちが名乗った途端に帰ると言い出したが、もしかしたら、どこかでリストを見ていたのかもしれないな」
「真実は、ご本人の口から語っていただいては、いかがでしょうか? もう、お戻りになるようですから」
海の様子を見ていたクリストハルトが振り返り、ほほ笑む。
「そうですね。これで少しは、この海域も落ち着くといいが」
もう、歌声が聞こえることも、古城の人々が蘇ることも無い。浅瀬のため、これからも座礁する船は出るだろうが、わざと沈めようとする輩もいなくなるはずだ。
ジェラルドは、マティルデを、魔導士を思いながら、空を見上げた。海上を覆う雲の合間から、光の柱がいくつも下りていた。
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