Ⅹ.ロサ・カニナ(5)

 ◆◆◆


「うわー、見慣れた街並みだ。なんか、数年ぶりに見たような、懐かしい気分になるな」


「実際には、3ヶ月も経っておらぬがな」


 窓の外を見て喜ぶチェーザレに、ジャンルカが笑った。

 ジェラルドも窓の外を覗いて、建物や沿道に集まった人々を確認する。壊れた建物は無く、長い列を見学する人々は笑顔だ。


「見たところ、街の様子に変わった点は無いようですね」


「うむ。警備隊をはじめ、皆が国を守ってくれたのであろうな」


 騎馬隊と3台の馬車が、城門をくぐった。城の前では、グラートやエルネスト、ベネデッドたちが待っている。


「お勤め、ご苦労様でした。大祭は、いかがでしたか?」


 馬車を降りたジャンルカに、出迎えたエルネストが声を掛ける。


「色々なことがあったが、楽しかったぞ」


「それは、ようございました」


 エルネストはそう応じるだけで、具体的に何があったのかまでは聞かない。大祭の期間中、ジェラルドをはじめ幾人かが、彼に手紙を送っている。シュテッパンの件も、既に彼は知っているはずだ。


「長旅で、お疲れでしょう。中へ入り、お休みください」


 グラートの言葉に、ジャンルカが頷いた。


「無事にご帰還なされた殿下、並びに我らが同胞を祝し、敬礼っ」


 ベネデッドの声が、辺りに響き渡る。出迎えた武官たちは拳を、文官たちは手のひらを、心臓の位置にあてた。ジャンルカを先頭にして、ジェラルドたちは城内へと入っていく。


「俺、こっち側で見るのは初めてだが。すごい迫力だな」


 ジェラルドの隣りを歩くチェーザレは、入り口を振り返りながら、素直に感想を述べた。


「そうか。君は、初めてなんだな」


「ああ。迎える側も良いが、こうして迎えられる側ってのも悪くない」


 帰国した者たちは、ジャンルカが階段を上り始めたところで、足を止めた。ジャンルカは3段上ったところで、段の下に並ぶジェラルドたちを振り返る。転げないよう、彼の脇にはグラートとエルネストが控えていた。


「皆の者、今日まで大儀であった。礼を言うぞ」


 ジャンルカの後を、エルネストが引き継ぐ。


「長旅で、皆さま、お疲れのことでしょう。今日、明日と体を休め、また職務に励まれますよう」


 「はっ」という短い言葉と共に、帰国した者たちはジャンルカに対して敬礼する。頷いたジャンルカとグラートが階段を上っていき、姿が見えなくなったところで解散となるのが恒例なのだが。


「カルミネ・モンテリーソ。ジェラルド・アルトゥージ。チェーザレ・バリオーニ。以上3名は、私と共に来るように。では、解散」


 エルネストに呼ばれた瞬間に、ジェラルドの頭から血の気が引いた。彼から受けた命を、途中から完全に忘れてしまっていたのだ。


「ジェラルド、どうしましたか? 早く、こちらに来るように」


 気付くと、あとの2人は階段を上り始めている。エルネストにいたっては、既に2階にいた。「はい」と返事をして、ジェラルドは慌てて階段を上る。こうなったら、叱責を受ける覚悟で、素直に言うしかない。

 エルネストに案内された部屋は、いつもの執務室ではなかった。近衛隊か宰相でなければ通されないような廊下の奥、王族が私用使いする区画にある部屋だ。中には、さがったはずのジャンルカとグラートがいた。


「ジェラルドは、この部屋に入るのは初めてだな。ここは主に、国王と両翼が密談に使う部屋だ。少々狭いが、声が外に漏れることは無い」


 グラートの説明に、なるほどと思いながら、ジェラルドは部屋を見回した。2人賭けの椅子が2脚と低い机があるだけの、簡素な部屋だ。無駄な装飾は、一切ない。窓も無ければ、暖炉も無い。話し合いには向くのだろうが、長居はできないだろう。

 1脚の椅子にはジャンルカが1人で座り、もう1脚にはエルネストとジェラルドが座った。グラートやカルミネの方が立場が上だが、「顔色が悪い奴を立たせられるか」と、グラートに譲られたのだ。


「さて、ジェラルド。出掛け前の命は、覚えていますか?」


 いきなり話を振られ、ジェラルドの肩が跳ねあがった。


「も、申し訳ございません。今の今、思い出しました」


 盛大なため息が、右隣りから聞こえる。身が縮む思いだ。

 そんなジェラルドを見て、ジャンルカが困ったように笑う。


「これ、エルネスト。そう、いじめるでない。ジェラルドがシュテルンの元老院と組み、行動することを私は許したのだ。私にも、責はある」


「殿下は、ジェラルドに甘すぎます。まあ、良いでしょう。何があったのかは、わかっております。カルミネ殿は、どう思われましたか?」


「連日、アルトゥージ殿を気にはしておりましたが、職務はこなしておりました。他国の要人を守らねばならぬ場面でも、大きな問題はございませんでした。剣の腕前、反応速度に関しては及第でしょうな」


「チェーザレは、応急処置も完璧でした。医者も褒めるほどです」


 口を挟んだジェラルドは、ちらりとチェーザレを見上げた。


「ただ、私を優先しすぎる点が気になる、と申しますか」


「よく見ているではないですか」


 目を丸くしたエルネストが、ジェラルドを見る。次いで、ほほ笑みを浮かべた。


「ひいき目があるにも関わらず、欠点をしっかりと伝えることができる。私の懸念点は、払拭ふっしょくされました。これなら、あなたを推薦することができます」


『宰相となるお立場なら、尚更です』


 不意に、ジェラルドの脳裏にアデリーナの声が蘇った。


『ジャンルカの目が正しければ、あなたは候補のお1人となるでしょう。私は、ジャンルカの目を信じております』


「お待ち、ください」


 あの時はアデリーナの手前、否定をすることができなかった。しかし今は、口を挟まなければ、物事が前へ前へと進んでしまう。


「そのような大役、私にはできかねます」


 丸くなった4人の目が、ジェラルドに向けられる。


「私はまだ、何も言っていないのですが。内密にと言っておいたというのに、先に誰かがお話されたようですね」


 じろりと、エルネストの目が、チェーザレに向けられる。彼は、事前に聞かされていたようだ。チェーザレは、焦ったように首を横に振った。


「俺は、何も話してないですよ」


「では、他に誰がいると」


「アデリーナ様です」


 ジェラルドの答えに、エルネストは長く息を吐いた。


「あの方には、先触れをお出ししていないのですが。さすがの洞察力でいらっしゃる」


「今後も、内政府に所属する1人として、殿下をお支えする所存です。しかし、私が片翼を担うべきではありません。先に、チェーザレは私を優先しすぎると申し上げましたが、それは一重に、私が不甲斐ないからに他なりません」


「おい、ジェ」


 口を挟もうとしたチェーザレを、エルネストは視線のみで黙らせた。次いで、厳しい目をジェラルドに向ける。


「あなたは本気で、そうお考えなのですか?」


 ジェラルドはエルネストから目を逸らさずに、ただ一言、「はい」と答えた。


「あなたはまるで、自分のことをわかっていない」


 今度は、ジェラルドが目を丸くする番だった。「まあ、いいでしょう」と言って、エルネストはため息を吐く。


「手紙にあった礼拝堂の件についての話がまとまり次第、あなたに3ヶ月間の余暇を与えます。その間に、世間をよく見分し、自身のことを見直してきなさい。3ヶ月後にもう1度、答えを聞きましょう」


「しかし、私は」


「口答えは許しません。わかりましたね?」


 エルネストの副官になってから、既に2年を越えている。こうなってしまうと、彼が意見を曲げないことは、ジェラルドもよく知っていた。


「わ、かりました」


「よろしい。殿下も、そのおつもりで。もし、途中で心変わりをされるようであれば仰ってください」


「わかった」


 ジャンルカは、澄んだ声で答える。話を聞く前から断った罪悪感を抱きながら、ジェラルドは彼を見た。

 エルネストに目を向けたままのジャンルカは、憂うことなく笑んでいた。まるで、ジェラルドが選ぶ未来に、自信があるかのようだった。


                            ローザの砂糖菓子・完

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る