下校中アンビリバボー

いわづもがな

第1話

1

「じゃ、また明日ね~!」

 そう言って校門を出ると、いつものように急な寂しさが込み上げてくる。〇〇高等学校という文字の入った金属板、その下に遠慮がちに咲く紫色のパンジーに背を向けた途端、さっきまでの楽しさでいっぱいだった明るい表情とは打って変わって視線は地面のアスファルトに向けられた。


 毎日がそうなのだ。

 仲良しの友達4人で

「私の推しアイドルがね…」

「今日数学のテストでさー…」

「〇〇君今日もかっこよかったー!」

などと代わる代わる他愛のない話を繰り返した後に確実に来るこの時間、感情、夕焼け。3人はこの時間がもっと短いんだろうな。これも何度思ったことか。


 私だけ学校を出て左に曲がる。私以外は右に曲がる。たったそれだけ。でもたったそれだけが毎日繰り返されることで私は孤独感が募って募って泣きたくなるのだが、翌日友人の顔を見るとまた幸福に包まれて毎日確実に来るその時間のことなんて忘れてしまうのだった。そんなことをかれこれ2年間繰り返してきた。

 

 例によって学校のすぐそばのお馴染みのコンビニを過ぎる時、クラスメイトが数人いた気がして少し早歩きをした。特別嫌いな人がいたという訳では無いが、今の私には気軽に挨拶できる元気が無いし、何よりも私の沈んだ表情はゲラゲラ笑うクラスメイトと話すのには不釣り合いだと思った。


 いや、理由は他にある。

 その中に彼の横顔を……見つけてしまったから。甘く爽やかな笑顔でどこまででも明るく照らしてくれるように輝く彼を見つけてしまったから。そんな彼に見とれて身動きが出来なくなってしまう前に足早にその場を去ってしまいたかった。

 

 そうしていつもの自動販売機を曲がる。

 もう夏になるからだろうか、昨日より爽やかな炭酸飲料が増えていた気がした。

 ただ見ているだけでいい、今日も彼は素敵だったと思いながらズンズンと通学路を進んでいく。

 寂しさの色の間にふわりと淡い恋の色が滲んできた、そんな気持ちだった。

 

 私の家から高校までは遠くはない。しかし近くもない。同じ中学校から私の高校に進学したのは4人ととても少なく、しかも他の3人とはあまり親しくないので、入学当初から一緒に登下校する人はいなかった。

 また、私は徒歩通学をしていた。私の通学路は道が狭くて自転車通学には向いていない気がして、入学してすぐ徒歩通学に切り替えてしまった。けれども実の所、徒歩通学をする距離ではないと思う。

 

 下校中いつも思うことがある。

「この家が私の家だったらな……」

今通り過ぎたこの家、いや、もっと学校に近い家だって良い。この中の家のどれかが私の家だったら学校から近くて楽なのになと思う。そして、いつもの寂しい時間が減るのになと思う。

今日もそう思いながらオレンジ色の屋根が特徴的な、西洋風の家を通り過ぎる。はずだった。


 信じられないことが起きた。その家の窓から母がこちらを見ている。もちろん私の母。

そして、

「おかえり。ご飯の準備できてるから早く入りなさい。」

といつもの声で私を呼ぶ。空いた口が塞がらなかった。立ち止まって動けなかった。そんな訳が無かった。

ここは私の家ではない。なのにどうして母がいるのか、そしてどうして母はあたかも自分の家であるかのように振舞っているのか、私には到底受け入れることができなかった。


 しばらく考えたが道理にかなう説明ができるわけがなく、結局、何かの間違いだと思って目をつぶって逃げることにした。


そのまま五軒ほど走ったところでまたもや同じことが起こった。

「おかえり。ご飯の準備できてるから早く入りなさい。」

さっきと同様にそれは母が私を呼ぶ声だった。2回目であったからだろうか、私は何かを考える前にすかさず、

「ねえ、お母さんなの?どういうこと?ここ家じゃないよね?何が起きてるのか説明してよ!」

と叫んだ。私は息が切れていた。本気で叫んだからか、少し走ったからか分からない。

そして窓際にいた母はそのまま私の声を聞き入れないどころか目も合わせずに窓を閉めた。つまり私の声が聞こえないらしい。


 いよいよ状況が分からなくなった。2軒目の私の家からすぐさま出発し、私はひたすら走った。

走っても走っても5軒おきに、たまに3軒おきくらいに私の家が現れ、母の呼ぶ声がする。状況を掴むことなんて到底無理なことなので、何も考えたくなくなかった。

 

 ドンッ

 前を見ずにずっと走っていると、何かにぶつかってしまった。細いから建物ではない、かといって電信柱ほど固くない、もしかしてこの世界に私と偽物の母以外に人間が存在しているのか!?そう思って顔を上げる。

「だ、大丈夫?めっちゃ急いでんだね。気を付けて!」

 急に頬が熱くなった。そして目が夕焼けへそして地面へ、そして目の前の人へ……と落ち着きなく動き回った。

 目の前に現れたのは、紛れもない。先ほどコンビニの前で一際輝いていた彼であった。


 私は咄嗟に言葉が出なくなった。口を手でおさえ、

「えーと……」

と何度か言った後、

「助けて欲しい……」

とだけ言った。もちろん彼は頭上に疑問符を浮かべたが、すぐにふにゃりと笑って、

「いいよ!なんか困ってそうだもんね!さあ何でも言ってみよ!」

と言った。


「い、家に帰れなくて!……いや違くて、信じてもらえないと思うけど、私の家がたくさんあるっていうか、その、とにかくおかしなことが起きてるの!」

「家がたくさん!?それは大変だ!でもどういうこと…だろ?一回落ち着いて、ほら空を見て深呼吸してみて!」


 彼の言う通り空を見上げた。空はいつも通りだった。西の方には桃色のもくもくとした雲が浮かんでいた。

「少し落ち着いた!ありがとう。あの、実は走っても走っても通り過ぎる家に私のお母さんがいて、私を呼ぶの!もちろん全部私の家じゃないよ。全部偽物。これってどういうことだと思う?」

「なんか冷静に話されてもどういうことか分かんねーな!まあいいや、一緒にここから抜け出そう!……ってまずは状況見てみないことには分かんないし、偽物のお前ん家ってのを見せてくれよ!」

「うん、じゃ行こ!こっちこっち。」

 

 私は信じられないくらい奇妙な世界に迷い込んでしまったが、同じく信じられないくらい自然にしっかりと彼と喋っている。普段はただの憧れの存在だった彼が今こうして目の前にいる。そして私を助けてくれているのだ。


「ほら、ここ表札は違う名前なのに、見て!あれが私のお母さんなの。」

「マジか!おーい!」

「偽物のお母さんに何を言っても無駄なの!あっちには何も聞こえないみたい。」

「なんだそれ!本当に何が起きてんだろ。」

「次の家も見に行こ!」


 そうして何軒も何軒もロボットのように話す母を見ては頭を悩ませ、謎は深まるばかりだった。

彼が来たところでこの世界の真理は理解することができず、もう訳が分からなくてただただ笑いながらずっと続く道を進んでいくだけだった。でもこの時間は私にとってとても幸せで楽しくて堪らなかった。いつもの一人で帰る寂しさを感じなくて済むし、何より憧れの彼と一緒にいられるからだ。

 

「もうすぐ本当の家に着きそうだけど、そこにも偽物のお母さんがいたらどうしよう。」

 彼と奇妙な世界を抜け出そうとするのは楽しかったけれど、このまま私の家が増え続けたらそれはそれで大変なことだ。

「んー、それは大丈夫だよ。直感だけど、本当の家には本当の家族がいると思うよ。ここまでの不思議な出来事は、夢っていうか……なんて言うんだろ。でも楽しかったし良い思い出!心配するなよ!」

 彼の言葉は本当に優しかった。そして頼もしさがあった。こんなにも奇妙な体験をしているのに落ち着いていられるのは間違いなく彼のお陰だ。

 

 いつの間にか空は紫色になって夜の占める割合が多くなった。近所の小さな会社の事務所を通り過ぎる。もうすぐ私の家だ。

偽物の私の家はさっき見た瓦屋根の家で最後だろうか。


「ここ曲がったらすぐ家。あぁ、緊張する!!」

立ち止まってしまった私の手を彼の手がすくった。

「緊張するけど行かなきゃ!大丈夫、信じて!」

その時、胸の当たりがキュッとなり、そして目が回ってまるで違う世界に入り込んだような気がした。いや、違う世界から戻ってきたのかもしれない。

彼を信じてギュッと手を握る。目を開けたらそこにはいつもの私の家があった。


「わ、私の家……。そう、これが本当の私の家だよ!」

 ゆっくりと手を離す。戻ってこれたのは彼のお陰だと心の底から思った。

「よし、窓にお母さんいないな!ここは真のお前ん家だ!」

「良かったー!でも本当にありがとう。一人だったらあんな奇妙な世界絶対に抜け出せなかったよ。」

 私は深くお辞儀をした。すると彼は私の頭に優しく大きな手を乗せて撫でた後で、恥ずかしそうにして言った。

「俺こそなんか楽しかったしありがとう……!また迷ったら助けに来るから呼べよ!てか呼ばれなくても来るから…!」


 その時私はもう顔を上げて、彼の顔を真っ直ぐ見ていた。

顔を赤くし、いつもとは違った彼の顔を私は見逃さなかった。

 

 好きだな。

 

 その日そのことを彼に伝えることは無かったが、心の中でその気持ちがギュウギュウになって早く外へ出して欲しそうにしていたのは私だけの秘密。

 

 玄関のドアに手をかけてゆっくりと引く。

「ただいま……」

 大丈夫、ここは私の家。絶対に私の家。


 すると、今日何度も見た顔、しかし今日見た中で一番安心感のある顔の母が目の前にいて、

「おかえり。ご飯まだだから、もう少し待ってなさいね。」

と言ってすぐにキッチンに行ってしまった。

 私はいつもの母に会えたのが嬉しくて堪らなかった。

急いで玄関から外に顔を出し、少し先から見守っている彼に向かって親指をあげた。

 彼は笑顔でうなずき大きく手を振った。そして背を向け帰ってしまった。

 

 いつもなら一人寂しい通学路、はたまた今日に限っては私の家が増え続ける奇妙な通学路だけど、君に会えるなら最高の通学路かもしれない。

 

 

 

 

 

 

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下校中アンビリバボー いわづもがな @iwadumogana

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