67.非日常は教えてくれる


「セイディには必要ない香りだから、ないないしたのだね」


 ジェラルドは幼子を諭すようにゆっくりと説明した。

 今やすっかり子育て中の男だ。


「ひつようない、ですか?」


「あぁ。セイディにはもっと大事なことが沢山あるからな。今日は特にだ」


 ジェラルドを見詰めるセイディの瞳が期待で輝いていく。


「今日はよく頑張ったな。見事だったよ、セイディ。よしよしだ」


「はいっ!せいでぃはがんばりまちた!」


「このままご褒美のプリンを食べに行こう。食べたあとは邸に戻ってお祝いだな。皆にもセイディがどれだけ頑張ったか話してやろう」


「はいっ!せいでぃがんばりまちたから、たくさんいうのです!」


 セイディは嬉しそうにジェラルドの胸に自ら抱き着いた。

 頭を長く撫でられて、とても満足そうに笑っている。


 自信を漲らせて膨らんだ頬は、ふくふくとして柔らかそうだ。

 ジェラルドが保護した当時からまだそれほどの時間は経っていないが、あの頃と比較すればよくいる少女らしい姿に移ろいできた。

 まだまだ小柄で痩せてはいるも、あと二、三年もすれば義母を真似て成長し立派な淑女になっているのではないか。


 そんなセイディははたと気付く。


「きょうのとくべつなぷりんは、おかあしゃまとおとうしゃまもいっしょたべるいいました」


 行きも同じ馬車には乗っていなかったから気にしないかと思いきや。

 セイディの中で、二人をあの丘に置いて来た、そういう認識は生じていたのだろう。



 これにジェラルドは何故かぼんやりとした口調で答える。


「そうだなぁ」


 ジェラルドの心中は、不思議なほど凪いでいた。

 憎き敵のことを考えていたはずなのに。いや、今も考えているはずなのにだ。


 ジェラルドはそれから先を独り言のように続けた。


「すべて自分でと言ってきたが……こだわらなくてもいい気がしてきたな……いやしかし私の番の話だ。この手でという想いはある。でもなぁ……」


「すべてじぶんで、といって……?」


 なんだかいつもと様子の違うジェラルドを観察しながら、言葉を追い掛けようとしたセイディだったが、それは上手くいかなかった。

 長く続く言葉はまだ真似をすることが出来ない。


 そんなセイディにジェラルドはいつも通り優しく微笑んだ。


「すまない、少し考えてしまった。父上のあれは本気で怒っていたなと思ってな」


「おとうしゃま?おこっていたな?」


「おぉ、そうか。セイディはまだ怒られたことがなかったな?父上も母上も怒るとうんと怖いんだぞ?」


 ジェラルドはここまで口を滑らせてからはっと気付く。


 セイディを葬儀に連れて来て緊張していたのはジェラルドも同じ。

 何ならセイディよりジェラルドの方がずっと緊張し神経を尖らせていた。


 馬車に乗って二人だけとなって、完全に気を緩めていたようである。

 いつもセイディを気遣い、言葉をよく選んできたジェラルドとしては大きな失態だった。


 夜泣きのたびに、誰かが怒ると泣いていたではないか。


 ジェラルドはそれは焦って言い訳を始めたが──。


「違うんだ、セイディ。父上はセイディを怒ったりは「おとうしゃまはいたいしません」」


 ジェラルドの間違いを指摘するようにはっきり言ったセイディに、ジェラルドは目を細める。


 ここまでか。

 ここまで変わってくれたか。


 胸に押し寄せる感動は、瞳の奥を熱くした。


 ここまで──長かったな、セイディ。


「るど、いたいですか?おとうしゃま、おこりましたか?」


 ジェラルドの頬にぺたぺたと触れたセイディに心配されて、ジェラルドはセイディを横抱きにしたままぎゅうっと掻き抱いた。

 きゃきゃっと喜ぶ声に、さらに心は満たされていく。



 この温かさは、いつまでも手放さない。



「大丈夫だよ、セイディ。ルドは父上に痛いことをされていないし、父上がセイディに怒ることもないからね」


 言いながら、ジェラルドは思い出してしまった。

 そういやぁ、かつて殴られたことがあったな……と。


 おかげで涙は零れず、嫌な記憶に思わず顔を顰めてしまう。

 抱きしめているセイディには見えていなくて良かった。



 そこから急に記憶が溢れ出した。




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