44.今日も今日とて侍従は主を弄ぶ

「ところで主さま、そろそろ足りないものがあると思いませんか?」


「む?セイディの冬支度ならば、すでに整え始めているぞ?まだ足りぬものがあっただろうか?」


「いいえ、その件に関しましては早過ぎて止めるべきかと悩んでおりました」


「何をっ。早過ぎて困ることなどあるまい」


「困る者がいるのですよ主さま。それにセイディさまはご成長中ですのに」


 季節は春が過ぎ初夏に入ったばかりだ。

 この国は夏が長く、冬はまだ数か月も先の話。

 さすがにこの時期に冬の製品を扱う商会は少なかった。


 しかしトットはこの話を深追いする気はなかったようで、先ほど自ら行った問いに自分で答えてしまう。


「愛ですよ主さま」


「は?あいだと?」


「えぇ愛です主さま」


 思わぬ言葉に、ジェラルドは書類から顔を上げ侍従を眺めた。


 いつもながら食えぬ顔でにこにこと微笑む侍従の顔は、とてつもなく胡散臭い。

 そしてその笑顔は、ジェラルドが怪訝に眉を潜めようとも微塵も揺らぐことはなかった。


「セイディさまも大分言葉を覚えられましたでしょう。そろそろ主さまが愛を語られても良き頃合いかと思うのですがいかがです?」


 今日も今日とて、セイディの支度中にジェラルドは公爵らしい執務を行っていた。

 それに付き添う侍従トットのおしゃべりを聞き流しながらである。


 しかしこれは適当に流せない話だった。


「急にどうした?と聞きたいところだが、そのように言い出す理由があるのだな?」


 すると突然侍従はジェラルドにぬっと顔を近付けてきたではないか。

 ジェラルドはつい身を引いてトットを避けた。


「どういうつもりだ?」


「大きな声で語る話でもないと思いましたので近付いてみました」


「今は誰もいないだろう。離れてくれ」


 澄ました顔で笑っている侍従の目から隠し切れない喜色を感じ取ったジェラルドは、侍従を睨む。

 この侍従は主を揶揄って遊んでいるに違いない。


「これは残念。セイディさまでしたら、とても喜んでくださいますのに」


 予想通り、トットはとても愉快気に目を輝かせてそう言った。

 これにはジェラルドの声も朝から低くなる。


「……人の番に何をしている?」


 しかし侍従はそんな主の低い声にも怯まず、笑顔で会話を続けるのだった。

 さすが幼少期からジェラルドの側に仕えてきた男だ。


「セイディさまにはトットのお顔遊びを大変お気に召していただきまして。──ふっ」


「なんだその含み笑いは。詳しく説明しろ」


「いえいえそんな。主さまにお話しするほどのことではございません」


「私の番の話だぞ?私が仔細聞かずしてどうする!」


「その番さまに番とは良きものだとご理解いただくためにも、愛なのですよ主さま」


「勝手に話を戻すな!セイディと何をして遊んだのだ?」


「その件は後にいたしましょう。とにかくですね主さま、皆が気を遣ってあえて触れぬようにしてきましたが、もはや限界でして、まもなく我慢の出来なくなる者が出て来てしまうでしょう。ですから主さまには急ぎ愛とは何かとセイディさまに分かるようお伝えしていただきたいのです」


「……我慢が出来なくなるという話はおかしいな?」


 セイディに愛を囁くべき人間は、番であるジェラルド一人のはずだ。

 それ以前に、どこの使用人が主人の番に愛を伝える必要があるのだろう。


「時と場合によっては、その類の言葉が必要になることもございましょう」


「そんな時と場合は来ない!いいか、皆にも改めて周知させよ。セイディは私の番だから余計なことを言うなとな!」


「えぇえぇそれは誰もが存じてございますよ。ですがセイディさまはお可愛らしい方ですからねぇ」


 朝からこの侍従は、主人に喧嘩を売っているらしい。

 ジェラルドは青筋を立てて吠えた。


「セイディの可愛さを理由にするな!お前も含め、全員に再教育が必要なようだな?両親もいるしちょうどいい」


「再教育は謹んで辞退させていただきますが、まさか主さまは大事な番さまであるセイディさまのお楽しみを制限なさるおつもりではございませんね?」


「なっ……貴様……」


「はいはい貴様ではなくトットですよ主さま」


「知っているわ!名乗らなくていい!」


 この侍従、主人の仕事の邪魔をしたかったのだろうか。

 ジェラルドが手から書類を放った瞬間、トットはにんまりと微笑むと言葉を紡いだ。


「実は昨日、セイディさまがとある絵本を読まれたのです──」




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